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薬草村から世界へ:お母さん、私、錬金術師になります!  作者: 鹿ノ内


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episode6 救える命



 アニーの家に着くと、戸口の前には冷えた鍋と湿った布切れが積まれていた。

 中から聞こえる咳は、昨日より深く苦しげだ。

 両親は必死に看病していたが、祈り以外の手立てはない。

 火を焚き、額を拭き、抱き締めて耐えるしかない——それがこの村での医療だった。


 私は両親に声をかけた。

「……お薬は?」

 無意識の問いは、前世の常識の名残だった。


 母親は、かすかに目を伏せて首を振った。

「今は……買えなくて。王都へ送る分で手いっぱいでね、」


 言い訳でなくそれが真実の言葉。

 本当に、それでしかないのだ。


 父親は眠る娘の手を握りしめながら、静かな声で付け加えた。

「神さまが……見ていてくだされば」


 ここには、薬より先に信じねばならないものがある。届かないものを望むより、奇跡を待つ方が安い世界。私はようやく理解した。


 幼い命は、こうしてあっさり失われる。

 誰の罪でもなく、誰の怠慢でもなく——ただ生まれた場所の条件で。


 私は責められなかった。

 責められる立場にないことを、心が先に悟った。

 アニーの服のほつれと、削れた靴底、

 頬の痩け具合が、家の台所事情をすでに語っていたから。


◇ ◇ ◇ ◇


 私は蜻蛉返りで家に戻った。

 扉を開けるや否や、息を整えるより先に言葉が出た。


「アニー、風邪がひどくて……薬を買うお金もないって…。わたし、なんとかしてあげたい……!」


 メリアは娘の勢いを受け止めるように膝を折り、目線を合わせた。

 決して今世では失いたくない。


 母はしばらく黙って聞き、そして穏やかに首を振る。


「ミュリ。あなたが薬を無料で渡したら、次に同じことが起きたとき、なんであの家族だけ、と言われてしまうわ」


 正しい。

 だからこそ、胸に痛みが落ちた。


「……そんなの、でも……」

 言葉が苦く詰まって、うつむく。


 メリアは娘の拳をそっと撫でた。

 叱らず、否定せず、ただ「見て」受け止める手だ。


 そして——やわらかく笑った。


「でもね。ミュリアがプレゼントしてあげたいと願うなら、それは私も止めませんよ」


 ぱちり、と視界がひらける。

 私の頬に添えられた手のあたたかさが、

 ただの慰めではなく、許しであることを知った。


 私は立ち上がると、急いで薬草図鑑を持ってきて、母の前へ広げた。


「強い熱と咳……抑えられる薬草は……待ってて、今探す……!」


 ページをめくる指先は震えているのに、

 心の奥ではひとつ確かな炎が灯っている。


 ——助ける。

 今度こそこの手で。


 メリアはその背中を、どこか誇らしそうに見つめていた。


 図鑑をめくる指先に、胸の鼓動が合わせて早まる。

 ——効き目の説明よりも先に、

 薬草たちの顔が浮き立って見えた。


 どの葉が眠っていて、

 どの茎がいま呼吸を荒げていて、

 どの蕾が「まだ摘まないで」としずかに首を振っているか。


 知識じゃなく感覚——

 でも確かな理解がそこにある。


「ミュリア、慌てなくていいのよ」

 母の声はいつもと同じ、静かで温かい。

 けれど見守る瞳は、もう教えているのではなく、見極めている。


 私は図鑑の一頁を押さえたまま、ふっと気づいた。


 ——見つけるんじゃない。

 ——呼ばれる声を聞くんだ。


 その感覚のまま、戸口を押し開けて菜園に出る。

 朝露の匂いとまだ醒めきらない森の気配。

 薬草たちは風の音とは違う律でざわりと揺れた。


 私はゆっくり歩いた。


 ひと株の葉が、微かに光を抱いた。


 それは朝日に照らされたからではなく、

 灯果の灯を浴びた掌が見抜いた光。


 私は指先でそっと触れる。

 葉脈が呼吸しているような柔らかさで応える。


 ——わかる。

 これはきっと、熱を下げてくれる子。


 摘み取ってはいけない場所と、

 摘み取っていい一枚の境目も手触りで分かる。

 私は最も負担の少ない葉をひとつ、その隣の若枝をひとつだけ迎え入れた。


「……ああ。その顔」

 振り返ると、母が戸口で見ていた。

 優しいのに、どこか誇らしい声音で言う。


「ミュリ。あなたはもう、

 ただ選んでいるだけじゃないのね」


 それは告げられた称賛ではなく、

 認められた事実だった。


 私の胸の奥で、静かに火が強くなる。

「アニーを助けたい」ではなく——

「助けられる人になりたい」 に変わった瞬間。

 摘み取った薬草を抱えて戻ると、

 母はすでに台に臼と杵、そして湯煎の鍋をそろえていた。

 けれど、手を出さない。

 見守る姿勢。それは導かず、奪わず、ただ支える在り方。


 私は薬草を清水でさらし、

 香りが立った瞬間に効き目の方向を理解した。


 ——熱を沈め、

 ——肺の奥をなだめ、

 ——息を通す。


 それぞれが持つ性質が手のひらに伝わる。

 知識は頭の中に揃えてあった。

 ルセット(レシピ)も入っている。お菓子作りと一緒で大事なのは食べ頃だと分かる食材(薬草)ときっちりとしたグラム。大まかな手順は大体それぞれのお菓子の項目で元から決まっている。間違えるはずもない。


 葉を臼に入れ、杵を握る。

 とん、とん、と音が響く。

 すり潰すたび、香気がふわりと上がる。


 母はその空気を壊さないように

 静かに湯を沸かしている。

 私と薬草の対話へ、余計な手を差し挟まない——

 まるで儀式の護り手のように。


 すり潰した薬草は粉というより柔らかな膏に近く、

 私は母の合図を待たずとも理解していた。


「……あ、煎じるんじゃなくて、包む方がいいのか」

 なぜか知っている。

 この子は火よりも呼吸を好むのか。


 布に包み、適温の湯気で薬効だけを引き出す。

 蒸気が掌へ触れる度に、

 前世でも僅かに感じていた種類の充足が胸によぎった。


 ——これが人様の役に立つということ。

 名声でも感謝でもなく、

 ただ誰かの苦しみを和らげる、その一点。


 私は初めて、自分の呼吸がまっすぐ前へ伸びる音を聞いた。


「できた……!」

 声が漏れた瞬間、思わず両手で布包みを抱く。


 母はゆっくり頷く。

「それは施しではなく 贈りものよ、ミュリ。

 あの子の苦しみを減らしたいと願った手で作ったのだから」


 私はぎゅっと唇を結び、立ち上がった。

 大事に抱えたそれは薬ではなく——決意。


 震える足で扉に向かう私の背に、

 母はそっとひとことだけ手向けた。


「いってらっしゃい。ミュリア」



 アニーの家に戻ると、戸口の前の空気はさらに重く沈んでいた。

 中から聞こえる咳は浅く短く、熱に押し潰された呼吸が揺れている。


 私は戸を叩き、両親の許しを得て中へ入った。

 部屋は湿った布と火床の熱気でむせ返るほどだった。小さな身体は毛布に沈み、汗で乱れた髪が頬へ張り付いている。


 私は膝をつき、そっと薬草の包みを取り出した。

「これ……試させてください。

 買ったものじゃなくて、私が作ったものです」


 両親は迷った。

 祈りは受け入れられても施しは容易く受け取れない。もし駄目なら、期待した分だけまた折れてしまうから。


 だから母親は声を震わせて問う。

「……ミュリアちゃん、それは……薬なの?」


 私は首を振った。

「祈りです。アニーの身体に効くように深く神様に祈りました」


 長い沈黙が落ちた。

 そして父親が、祈りの形で胸へ手を当てたまま、

 かすかに頷いた。


 私は布包みをひらき、胸と喉元へそっと添えた。

 摘み取った時の感覚がまだ掌に残っている。

 薬効ではなく、状態を戻すという方向。


 その瞬間——

 空気の層が一段、やわらかく沈んだ。


 アニーの呼吸がほんの僅かに深くなり、

 脈の震えが静かに整う。

 険しい顔をしていた表情が緩む。

 まだ治癒ではない。

 けれど、苦痛から遠ざかったという確かな変化。


 母親は口元を押さえ、

 父親は目だけで言葉を飲み込んでいた。


 わたしは無意識に灯果の呼吸と同じ響きを思い出した。精霊が宿る時のあの静謐——

 今ここでまた、確かに働いている。


「このまま胸に当てて、汗は拭かずに。

 体が熱を外へ出そうとしてるから、こっちが無理に奪っちゃ駄目です」


 母親は泣きながら何度もありがとうと頭を下げそうになり、しかしそうはせず、言葉だけかけてその仕草を何度も堪えた。

 ただ握りしめた拳が置かれた自分の膝を濡らし続けていた。


 こんなにも誰かは誰かを想っている。

 それを、失いたくないと思った。


 私は父母に深く一礼し、

 背を向けた瞬間、胸の奥でひとつ灯りが灯る。


 救える人になれる道が、確かに目の前にある。


 それだけで世界が、少しだけ光に近づいた。


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