思ってたんと違うロボ
総合能力開発研究所のミニバンは事業用ナンバーを着けていた。
「緑ナンバーなのは、頼まれて星憑きを運んだりするから?」
三列シートの最後部に案内され、席についたいつひが清掃の行き届いた車内を眺め回しながら尋ねた。横に座った重光は「だとしたら真面目だな」と足を伸ばそうとして二列目のシートを思い切り蹴り飛ばし、「狭いんだけど」と苛ついた声を上げた。
「暫くの間、ご辛抱願います」
助手席から振り返った曽根が恭しく頭を下げる。短い嘲笑を曽根にぶつけた重光は二列目のヘッドレスト横に足を乗せた。二列目に一人座っている総能研職員の北川は表情を変えることなく少しだけ体を横にずらした。
「それ、逆に体勢キツくない?」
いつひが呆れた声を上げるが、意固地になっている様子の重光は何も答えず静かに目を閉じる。ふう、と息をついたいつひは窓の外に視線を移した。佐波沼の中心地を抜け、恐らく総能研本部──中央研究所へと向かっているであろう車は、片側一車線の市道を淀みなく進んでいく。この時間はまだ交通量が少ないのだ。
蔦胎。この土地は、隕石が落ちた場所からは離れているものの、その衝撃によって化学工場が爆発。隕石災害後一年は土壌汚染処理作業のためという理由で一般人の立ち入りが厳しく制限されていたが、その間に総能研の中央研究所が素知らぬ顔で建設され稼働していたという色んな意味で訳ありな土地で、今も一般人は寄り付かない場所だ。いつひが小学生の頃などは、蔦胎周辺で騒いだ星憑きは収容され、実験台にされるという噂が児童間でまことしやかに囁かれていたものである。その当時能力を使って周囲に迷惑をかけていた同級生が忽然と居なくなったことが複数回あり、噂の裏付けになる出来事もあったことも総能研への得体の知れなさを増大させていた。
総能研に聞きたいことはたくさんある。五月女一派のこととか、この前重光を異能濫用の疑いで連行しようとしたこととか。素直に答えてくれるとは思えないけれど──。
不意に車内の空気が緊張し、そのことに気が付いたいつひが視線を正面に向けた瞬間。天地がひっくり返るような衝撃がいつひを襲った。
「どひぇ!?」
素っ頓狂な声を上げたシートベルト未装着のいつひの小さな身体が浮き上がり、車の天井に頭をぶつける──前に重光の腕がいつひの体をがっしりと掴み、引き寄せる。そのまま重光の体に包まれたいつひは次に来る車体横転の衝撃からも守られた。
狂ったように鳴り続けるクラクションとエアバッグが作動したことによる白煙と火薬の匂いが車内に充満する。穏やかだったドライブは一転、酸鼻極まる事故現場へと変貌した。
次なる衝撃は無さそうだと判断した重光はいつひを一旦座席の近くに座らせる。きれいに横転したようだ。いつひは肘置きに腰掛けることにした。
「クソドライバーがよ」
重光がリアガラスを殴りながら呟く。がしゃん、と音がしてガラスは粉々に砕け散った。一体何があったのだろうか。運転席の方を見やるが、一層白煙に包まれている上、フロントガラスは網目状にヒビが入っているようで車外前方の様子を確認することは難しい。助手席の曽根は鼻血を出しているように見受けられるが、無事そうだ。本部に連絡しているのか後方には目もくれず、「襲撃を受けました」などと話す声が聞こえた。
「襲撃だって、武藤くん」
振り返ったいつひが話しかけると、既に半身を車外に出していた重光が「おー、いるいる」と軽い返事を寄越す。「でっけー……、何だあれ。ロボ?」
襲撃者がいる外に出ていくか、もしかしたら炎上するかもしれない車内に留まるかを考えていたいつひの耳に飛び込んできた、好奇心を擽る「でっけーロボ」という言葉。いつひは「ロボ!?」と弾んだ声を上げ、重光のあとに続くように転がり出た。横に並び、天を仰ぐ。
「ん、おお? ロボ……?」
確かに人型ロボットに見えた。前傾気味の姿勢に長い上肢。全高は八メートルくらいだろうか。その黒い巨体は両側二車線を完全に塞いでいる。対向の軽自動車はすんでのところで急制動が間に合ったらしい。自車を放って脱兎のごとく逃げ出す運転手の姿が見えた。
巨大ロボと聞いて戦隊ヒーローの合体ロボットを想像していたいつひは、眼の前に佇む最小限の外装しか纏っていない──金属骨格剥き出しのその姿に少々拍子抜けしてしまった。巨大ロボというよりは鉄パイプを集めて作った機械生命体とかそういう表現のほうがしっくりくるな、といつひは些か興醒めした視線を襲撃者に向けた。中破したミニバンの前に立ちはだかってはいるものの、車内から重光といつひが出てきても動く様子はない。
「星憑きの……異能だよね?」
「ロボ化〜?」
「ロボだね」
見上げるいつひと重光には全く興味がないのか、何なのか、巨大ロボットは動かない。眼窩に当たるスリットも光を灯しておらず、これでは置物のようだ。
「エネルギー切れ、とか?」
「玩具をデカくしただけなんじゃねーの」
不可解そうに呟くいつひとつまらなさそうに欠伸をする重光のすぐ横で、ミニバンが不穏な音を立てたかと思うとやにわに白煙を吐き出し始めた。「げっ!」と短い悲鳴を上げたいつひは重光によじ登る。
「危なそー」
ロボを一瞥してから、重光はミニバンから離れる。向かうのは巨大ロボットの足元。担がれているいつひは重光の行動に喚き声を上げた。「そっちなんだァ!?」
「イッヒー気になってるみたいだから」
「いや、確かに気になるけど、そうじゃなくない!?」
なんでもないように答える重光に『THE武藤重光』的なものを感じたいつひは呆れつつも、どこか安心した。大助に引っ掻き回されてから、無性に不安になることがある。嫌な夢も見る。重光がいつひから離れて、どこかに行ってしまう夢だ。
そんなことを考えていたら、重光の腕を強く掴んでいたらしい。重光が「あ、マジでこえーの?」と目を瞬かせた。心の中で苦笑したいつひはふんと挑発的に口を尖らせる。
「武藤くんがボクを雑に扱うからだよ」
「結構丁重に運んでるつもりなんだけど」
軽口を叩いている二人の背後で轟音が響き渡る。亀のように首をすくめたいつひが恐る恐る振り返るとミニバンが爆発炎上したところだった。瞬く間に炎は車両全体を包み込み、炎による熱はいつひにも届くほどだった。巨大ロボと横転した車に遠巻きで野次馬していた人だかりは状況の緊迫度が上がるに比例して増えているようにも思えた。野次馬たちのシャッター音に紛れて、遠くでサイレンの音が聞こえる。
「総能研の人たち、脱出出来たかな……」
心配そうに呟くいつひ。重光が「してなかったらヒサンだなー」と適当な相槌を返しつつ、やはり静止したままの巨大ロボを見上げた。
「市民の方は下がってください、下がってー」
不意に警笛の音と野次馬を誘導する声が重光の後ろから響く。「うるせー」と眉を寄せた重光が振り返ると、ヘルメットを被った雑踏警備然とした人間が複数人、人だかりに退去するよう要請しながら現場をコーンや規制線で囲い、封鎖していた。腕と胸には盾の中に片翼が描かれたエンブレム──確か、総能研の組織エンブレムだ──が付いている。燃え上がった車の消火作業も同じエンブレムがついた防火服の職員たちにより行われている。総勢二十人程度だろうか。
「応援来たんだ」
いつひが呟く。それから「あのー! ボクたちその車に乗せられて来たんですけど──」と声を張り上げた瞬間だった。エアーサスペンションが作動したときのような音が巨大ロボットから発せられる。顔を上げた重光といつひが見たのは、巨大ロボの頭部のスリットが青白い光を灯す瞬間だった。
「こいつ……動くぞ!」
興奮で上ずった声で叫んだいつひに重光の白けた視線が注がれ、続くようにロボットから内部機関の駆動音が響く。このタイミングでの起動。まるで野次馬が居なくなるのを待っていたようだ。
「ロボと闘るのは初めてだな。まあ、殴ったら壊れるだろ」
いつひとは違うベクトルで楽しそうにしている重光は悪辣な笑みを浮かべ、いつひに「ちょっと暴れるから退いてろ」と告げるや否やだらりと垂らされたロボットの腕に飛び乗った。いつひがぽかんと口を開けて見上げる中、重光はロボットの金属骨格を足場に使い、ロボットの巨体を軽やかに駆け上る。普段は見せない動きにいつひは目を瞬かせた。武藤くんって動こうとしたら動けるんだよな。対人戦ではする必要がないから、しないだけで。
ひらりと舞うようにロボットの頭部まで辿り着いた重光は素早く頭部全体を観察する。コクピットは、無し。遠隔操縦型か、もしくは星憑き自体がロボットに変化したか。左右のスリットから漏れる青白い光が重光を追うように移動し、全身からアクチュエータの駆動音が響いた。
「まじで動く」
愉快そうに呟いた重光に巨腕が迫る。立て続けに左右から。まとわりつく羽虫を追い払うがごとく両腕を出鱈目に振り回しているのだ。圧倒的な質量。直撃を受ければ重光と言えども無事では済まないだろう。しかし重光の正確な場所を把握できていないようなのと、自分自身にぶつかっても危ないと判断しているのか、腕の軌道は巨大ロボットの輪郭の外側を通っている。故に、ロボットが動くたびに揺れ、かなり不安定な足場ということを加味しても──重光にとって回避はそう難しいことではなかった。
何度か巨腕による攻撃をかいくぐった重光は左のスリット部分を覗き込む。そして、紫電を走らせた腕を突っ込んだ。大きな衝撃音、重光の狙い通り主要回路がショートした音がして、ロボットが大きく体勢を崩す。
「おお〜」
短く楽しげな声を上げた重光は大きく揺らいだ足場をやはり軽快に駆け抜けると右側のスリットにも同様に腕を突っ込み、電流を流し込んだ。今度は先程まで大きな音は発生しなかったものの、ロボットの中で何度も破裂音が轟き、鼻を突く焦げたような臭いが漏れてきた。滅茶苦茶に振り回していた腕もかなり動きが鈍っていて、頭部にすら届きそうにない。
「こいつも爆発炎上すんのかな!」
口を大きく開け、満足げに笑った重光は右腕をぐるりと回すと──その拳をロボットの眉間にぶち込んだ。ひしゃげる頭部。愉悦の極みとでも言いたげな表情をした重光は頭部から飛び退いた。
一方、地上でロボットを見上げていたいつひは大きな爆発音のあと、徐々に動きが悪くなり、遂には動きを完全に止めてしまったロボットの姿に重光が優勢なのだと安堵のため息を吐いた直後である。
上から、人が、降ってくる。
そう気が付いたときには殆ど真横に重光が着地していた。だん、と響く音。地面が揺れたのではないかと錯覚するほどの勢いだ。目を白黒させたいつひをちらと一瞥した重光はぐるぐると両肩を順に回し終えると「つまんねえやつだった」と唇を尖らせた。
「はい、もう武藤くん最強最強」
いつひが適当に呟いた言葉に重光の表情が僅かに曇る。しかしそれも一瞬。重光はいつもの傲岸不遜な笑みを浮かべると「そんなもん当然だろ」と得意げに目を細める。それから振り向くとロボットの様子を確認する。動きは止まったものの、爆散したり消滅したりする兆しはない。重光は明らかにつまらなさそうにして「本体は別にあるやつ?」と呟いた。
「こら! 君たち何してるの」
短く鳴らされた警笛。重光といつひがそちらを向くと機動隊のような装備を身に着けた女性が仁王立ちし、二人に警棒の先を突きつけていた。強化プラスチック製の防護盾には総能研のエンブレムがある。
「あ? 見てなかったのかよ。ロボ退治だ──」
「だから、ボクたち、あの黒いミニバンに乗ってて……!」
青筋を立て女性を睨み一歩踏み出した重光を、いつひは慌てて掴んで引き戻した。女性職員はじっと重光を見つめてから背後のロボットに視線を移すと「なるほど」と納得するように頷く。
「総能研の部隊にしては無駄に乱暴な動きをしていると思ったんですよー。巻き込まれちゃってたんですね。ごめんなさい。安全なところまで誘導するのでついてきてください」
警棒を片付け、盾を持ち換えた女性職員は重光といつひを手招きする。
「何かあんまり話聞いてない感じするなあ、この人」
唇を尖らせながらも女性職員の誘導に従ったいつひは呟く。そして向こうから見覚えのある色がこちらに近づいてくることに気が付いた。澄んだ天色と、明るい蜜柑色。
どきりとする。その色は相馬大助のものだ。
果たして、次にいつひの視界に飛び込んできたのは──とても小さな女の子であった。大助と同じ色の髪に、大助の右目と同じ色の花冠を付けている。女の子を四方を囲むようにジュラルミン盾を持った隊員が配置されており、まるで女の子を隠しているようだ。
星憑きの世代は、隕石災害が起きた十三年前当時に五歳以下だった人のみ。つまり星憑きの年齢は最低でも十三歳以上になる。しかし、その女の子はどう見ても小学校低学年くらいにしか見えなかった。
いつひは手元を見ないまま、こっそりと無音カメラアプリを立ち上げ、彼女の姿を捉えようと試みる。カメラの向きなど、完全に勘だ。うまく写っていればいいのだけれど。
いつひたちを先導する女性職員が「お疲れ様です! えーと、巨大ロボット、現在動きを止めています」とすれ違いざまに状況を報告する。重光が「あれ、俺が止めましたー」と口を挟んでいた。
「あの〜ボクたち総能研の人に来てほしいって呼ばれてたんですけど、それどうなるんですかね〜」
規制線の外に出たいつひは内側に戻ろうとする女性職員に尋ねた。女性職員は一瞬考える素振りを見せると「必要なら、総能研からまた連絡が来ると思います」と答えた。「今現在はそれどころではないので」
「あ、あとさっきすれ違った女の子! あの子は──」
持ち場に戻ろうとする職員に向けて、いつひは跳ねながら大きな声をあげる。ぎょっとした表情でいつひをまじまじと見つめた職員は、恐る恐ると言った調子で尋ね返す。
「え゛。見ちゃいました? 忘れてください」




