第83話 風祭洋助という男
「そうっ! 少年調査官! これをね? 朝のホームルームにうちの子たちに言ってしまったらしいんですわ」
「……っ、えっ」
とっさに洋助の顔が哲矢の方を向く。
その表情はこれまで哲矢が見たことないくらい動揺の色で染まっていた。
もちろん、哲矢も一緒になって目を白黒とさせていた。
(な、なんでッ……)
昨日の朝、教室にはクラスメイトしかいなかったはずである。
教師の姿は無かった。
とすれば、考えられる可能性は一つに限られていた。
想像したくない、というのが本音だ。
あれほど〝無条件に相手を受け入れる〟と決めていたのだ。
だが、しかし……。
本音の部分では、哲矢は彼らを信じきることができなかった。
このような結果となったのはごく当然のことなのかもしれない。
清川は動揺を重ねる二人の様子を楽しそうに見て笑うと、さらなる追い討ちをかける言葉をペラペラと早口で捲し立てる。
「いやぁ~教員の間でも話題になってましてねぇ。そんで、関内君と……あとは高島さんでしたっけ? これは昨日もあなた方にお伝えしましたけど、二人とも授業をサボってるんですよぉ。だから、これはフォローのしようがないという感じでしてねぇ、くっくっ」
「我々もね、善意で受け入れてるわけですよぉ。事件について少年の生活環境が知りたいと仰るものですから、仕方なく協力して差し上げてるんです。このままだとね、誰かが外に漏らさないとも限らないでしょ?」
「今はハイテクな世の中です。5Gが普及した昨今、モノがネットに繋がってる時代ですよ? 教卓だって黒板だってねぇ、そのうちネットに繋がるんですよ、くくっ。おかしいですよねぇ~」
「こんな中で情報なんてものは一発で世間に広がるわけですわ。私らはね、宝野学園というブランドのイメージを守らなきゃいけんのですよ。あなたたちも困るでしょ? こんな紙屑みたいな生徒一人のために、政府が極秘で進めている制度が世にバレでもしたら。目も当てられませんなぁ」
「だから、申し訳ないのですがねえ。これっきりにして頂きたいわけです。我々もこれで飯を食ってるんですよ。PTAとか、あんた方は知らんでしょうがうるさいですよぉ~、くっくっ」
「親御連中のネットワークを舐めちゃいけません。学園の信用問題に関わる話なんです。ですからね、こんな生徒を受け入れる余裕は私らにはもうないんですわ」
まるで判決を言い渡されるような心境で、哲矢は清川の言葉を耳にしていた。
ねちっこく嫌味のある言い回しも気にならないほど、今の哲矢は茫然自失の中にあった。
これで決定的だ。
やはり、クラスメイトの誰かが教師に告げ口をしたのだ。
清川は自身の熱弁に満足したように一度ソファーに体重を預けると、煙草の箱をワイシャツの胸ポケットから取り出してそれをトントンと叩く。
「…………」
洋助は黙ったまま顔を俯かせ、お茶の表面に映る自分の顔に目を落としていた。
こんな状況では息をすることさえも困難だ、ということを哲矢は悟る。
存在が無いものとされようとしているのだ。
突然床が崩れて、奈落の底まで落ちてしまうのではないかという妄想が哲矢の脳裏を過った。
つまるところ、今の哲矢はいっぱいいっぱいの状態にあった。
けれど、言い訳はできない。
昨日、クラスメイトに正体を打ち明けると言い出したのは、他でもなく自分だと分かっていたからだ。
(……っ、ダメだ。ここで閉じ篭っていちゃ。風祭さんにちゃんと説明しないと……!)
そう思い、哲矢は洋助の方を向こうとするのだが、まるで杭で固定されたように首は思うように動かない。
そんな葛藤に揺れる哲矢の姿を洋助は一瞥すると、何かを決断したように顔を上げて清川の方を向く。
そして、いつもと変わらない口調でこう話を切り返すのだった。
「うちは各自に任せてますから」
「……というと?」
「サボるのも自由ということです」
「なに?」
「それに、少年調査官制度は極秘ってわけでもないんです。現にこの制度が水面下で実施され始めてから1年近くが経過しています。この間、制度に関わった関係者たちは皆、制度のことを深く理解してくれました」
「私は、クラスメイトに制度のことが知れ渡るくらいなら許容の範囲だと思っております。ここにいる関内君もそういう思いがあって告白したのでしょう」
「いや、そういうことではなくて、私は制度そのものが世間にバレる可能性があると懸念して……」
「その場合は私が責任を負います」
洋助のその言葉を耳にして哲矢はハッと顔を上げる。
「責任を負う?」
清川も哲矢とまったく同じ表情を浮かべていた。
だが、彼はすぐに顔を反転させると、僅かな綻びを目がけて反論してくる。
「つまり、我々の学園で起きた事件が世間にバレたとしてもあなたが責任を負う、と。そういうことでよろしいか?」
「ええ、そう思ってもらって構いません」
洋助は涼しげな表情で淡々とそう宣言する。
当然、彼は分かっているはずだ。
それがどれほど重い意味を持つ言葉であるか、を。
今この瞬間、哲矢は洋助の根底に流れる芯の強さを目の当たりにしていた。
相手を信じる心がなければ決して口にできない言葉だ。
彼は信じているのである。
ほとんど会ったこともないクラスメイトのことを。
そして、何よりも哲矢たちのことを。
生半可な気持ちでは到達できる境地ではない。
(だけど……)
真似くらいならできるかもしれない、と哲矢は思う。
教師にリークした者がいるのは間違いない。
それでもまだ、哲矢はクラスメイトを信じたかった。
「あなたがなんと言おうと、この件に関してはこちらの言うことに従ってもらう義務があります。もちろん、私情を挟める問題でもありません。国が推し進めている制度なのですから」
そこまで洋助に言い切られてバツが悪くなったのか。
清川は「ふん」と短く鼻を鳴らした。
やがて、彼は自身のルールを破って煙草に火をつける。
今度はドスの利かせた声で「後悔はないと考えてよろしいかな?」と問うてくる。
そこには最後通告のような響きが含まれていた。
洋助は黙ってそれに頷く。
それが話の決着となった。
「……まあ好きになさい。ただし、今後このようなことが起こった場合、いかなる理由があろうとも学園の敷居は跨がせませんので、ご承知おきくださいねぇ」
清川はにんまりと笑って口にすると、紫煙をくゆらせながら小部屋を後にするのだった。




