第37話:最初の聖域(パージ)
「アーク・ドライブ、全系統再励起完了! ……いつでもいけるぜ、ナナ!」
レインストの叫びとともに、コンソールのインジケーターが一斉に臨界の蒼光へと染まり直す。
パイロットシートのレインストが、武骨な両手で操舵桿を力強く握り締めていた。
隣の席では、アミィがシートベルトを両手で強く抱きしめ、真っ直ぐに前を見つめている。
逃げるための跳躍じゃない。
奪われた母なる星と、汚された自らの設計図を取り戻すための反撃だ。
「行くわよ……ルミナリア・アーク・ドライブ、全出力解放!」
私が中央エンターキーを叩き抜いた瞬間、視界が猛烈な白銀の光芒に呑み込まれた。
空間がぐにゃりと裏返る。
内臓が引き絞られるような猛烈な時空歪曲。
だけど、レインストの荒々しくも寸分の狂いもない現場操舵が、歪む機体の竜骨をがっちりと繋ぎ止めていた。
「……っ、うそ……!? これ、本当に旧世代のワープシステムなの!?」
背後でホノカが息を呑む悲鳴が聞こえた。
「空間の剪断抵抗が……ゼロ!? 数理神学の教本に載っていた、主観時間ゼロ秒跳躍のオリジン……っ!?」
「す、すげえ……! 船体のきしみすら計算で相殺されてる……!」
レオンも感嘆の声を漏らす。
新世代の二人が言葉を失う中、私は防寒ジャンパーの袖口をぎゅっと握りしめた。
ジャンパーから伝わる、レインストの熱。
それが、沸騰しそうな私の頭脳を冷徹なアンカーへと繋ぎ止めてくれる。
――ズウン!
重厚な時空復帰の衝撃とともに、アーク・クラス号は通常空間へと滑り出した。
「跳躍終了! 目標座標との誤差、ゼロ!」
アミィの声がブリッジに響き渡る。
外部カメラの遮光フィルターが上がった瞬間、メインスクリーンいっぱいに巨大な天体が飛び込んできた。
鈍く赤い光を放つ中心星TRAPPIST-1。
そして、その光を浴びて深緑と白のマーブル模様を湛える、巨大な海洋惑星――TRAPPIST-1e。
だが、かつて私たちが夢見た手つかずの楽園ではなかった。
青緑の星の周囲には、無骨で鋭角的な人工軌道リングが幾重にも張り巡らされ、赤黒い光を威嚇するように明滅させている。
地表を走る光のグリッド。
海を覆う巨大な海洋メガフロートの軍事要塞群――。
「……TRAPPIST-1e」
ホノカが唇を噛み締め、悔しげに呟いた。
「私の生まれ故郷を追われたあと、最初に軍閥の支配に屈した星よ。海のエネルギーを吸い上げ、兵器工場に変えられた……」
重い沈黙がブリッジを支配しかけた、その時だった。
「はいはーい! 緊張してると頭がカチコチになっちゃうよ! 水分補給!」
小気味よい減圧音とともに、アミィが断熱トレイを運んできた。
トレイの上には、冷えた『ソルティ・ルミナス』の缶と、携帯用の固形パックが並んでいる。
「ほらよナナ、飲んどけ」
レインストが素早く一本を手に取り、プルタブを弾いて私に手渡してきた。
柑橘の酸味とわずかな塩気、濃厚なカカオの香りが鼻腔をくすぐる。
「……ん。ありがと」
口に含むと、冷たい炭酸が喉を刺激し、頭の奥の熱がすっと引いていく。
「ち、ちょっとあんたたち……!」
それを見ていたホノカが、目を丸くして震える指を突きつけてきた。
「神話の聖遺物『ソルティ・ルミナス』を、そんな安酒場みたいに雑に開けて飲むなんて……! アカデミーでは聖餐の儀式でしか口にできない至高の――」
「うるさいわねぇ!」
私は空いた手で、トレイにあった冷えた缶を一本掴むと、ホノカの額にペタッと押し当てた。
「ひゃっ!? つ、冷たっ!」
「ただの電解質と糖分の補給食よ! 神聖化して祀り上げる暇があったら、さっさと飲んで頭のシナプスを回しなさい!」
「な、なによ失礼ね! ……ごくっ」
ホノカは顔を真っ赤にしてフンと怒鳴り散らしつつも、押し付けられた缶を喉へと流し込んだ。
そして、目を見開いた。
「……っ! う、美味いじゃないのよ……何これ、配合が完璧すぎる……!」
「当たり前でしょ、私が設計した基礎補給プロトコルよ」
私が胸を張ると、ホノカは悔しそうにぷいとそっぽを向いた。
「また始まったよ……」
レオンが胃を押さえながら、アミィから手渡されたパックをストローで啜っている。
「でも、本当に伝説の味がする……」
ふっと、ブリッジの空気が解れた。
私はソルティ・ルミナスの缶を置き、メインコンソールへ両手を滑らせた。
画面に映る、要塞化されたTRAPPIST-1eの防衛網を73Kの視界でスキャンしていく。
「……見つけたわ」
「何がだ、ナナ?」
レインストが画面を覗き込む。
「敵の哨戒レーダーの死角よ。……それと、この海の底」
私は海図の最深部、海溝の底を指差した。
「軍閥が掘削プラットフォームを集中させているエリアがある。……あいつら、何かを探して海の底を血眼で引っ掻き回しているわね」
ホノカがハッとして息を呑んだ。
「……まさか、アカデミーが隠蔽した『アミィ77』の第1観測アーカイブ……!?」
「そうよ。神話の不可侵惑星の暗号断片が、あそこの深海サーバーに沈められている。……でも、あいつらには永久に解けないわ。鍵は私の七十三Kなんだから」
私は不敵に唇の端を吊り上げた。
「潜入するわよ。……ただし、正面から突っ込んだら迎撃砲の餌食よ。大気圏突入後、熱核推進器は完全停止。メタンを含む上層大気を利用した【無動力滑空】で、要塞の警戒網をすり抜けて深海ブロックの真上へ滑り込むわ!」
「スラスター封印のデッドスティックか! へっ、現場職人の腕の見せ所じゃねえか!」
レインストが獰猛に笑い、耐圧スーツのグローブを鳴らした。
「アミィ、降下ログの同期準備! 新世代の二人も、舌噛まないようにシートベルト締めときなさい!」
「了解だよ、ナナさん! 降下シークエンス、スタンバイ!」
「行くわよ、TRAPPIST-1e! 私の名前を使って好き勝手やってくれた軍閥のオモチャを、まずはこの海から根こそぎデバッグしてあげる!」
蒼い翼をたたみ、アーク・クラス号は要塞の星の大気圏へと静かに滑り落ちていった。
(第38話に続く)




