38.愛を履き違えて
夕方になると、
俺はいつものように、シオリとの待ち合わせ場所に向かう。
宿の入口前に座っていたシオリは、
俺を見つけるなり笑いながら小さく手を振る。
(なんだか今日は機嫌が良さそうだな)
すると彼女は小走りでこちらに駆け寄ってくる。
俺も彼女の方へ歩き出す。
すると、彼女の足音と共に、
荒々しく、そして力強く地面を蹴る音が近寄ってくる。
そいつは…
シオリのすぐ後ろまで駆け寄り、
肩を掴んで強引にシオリを振り向かせた。
「おい!!」
シオリの目に映ったのは、
怒りで顔を歪ませた、彼女のパーティメンバーだった。
「え!?……ユウキ…君!?……」
彼女は彼の顔を認識したのと同時に
——その表情は恐怖で染まった。
(ユウキって…前にシオリが言っていた告ってきたって奴か……)
ユウキは凄まじい剣幕でシオリに詰め寄る。
「やっぱり……お前も、他で男を作ってたのか!」
彼は両手でシオリの肩を掴み、
自分の方へと引き寄せる。
「痛ッ……やめて! 離して!」
「どうしてだ!! 俺というものがありながら、どうして!!」
俺は慌てて彼をシオリから引き剥がそうと押しのける。
「おい、やめろって! 嫌がってるだろ!」
「おめぇには関係ねぇだろ! 引っ込んでろ!」
彼の気迫に少し足がすくんでしまった。
「……君、ユウキ君だよね?……シオリに振られた……」
「振られてねぇよ! 保留されてるだけだ!」
彼の言動を訂正しようと、
言葉を被せるシオリ。
「そんなことありません! ちゃんと断りました! それより…なんでこんな所に居るの!?」
「キッ…お前が毎日違う宿まで足を運んで、コソコソと誰かに会ってるからだろ!」
「私が誰と会おうとユウキ君に関係ないでしょ!」
「関係あるに決まってるだろ!!」
ユウキが怒鳴る。
その声に周囲の視線が集まり始めた。
だが、彼はそんなこと気にも留めていない。
「俺はずっと待ってたんだぞ! お前が落ち着くまで待とうって!!」
「違う!!」
シオリも負けじと叫び返した。
「私が言ったのは! 今はこんな状況で…冷静に判断できないから、今は誰とも付き合えないって!」
「ああそうだ! だから待ってたんだよ!」
(全然違うじゃんか……彼は自分に都合の良いように記憶を捏造するタイプか…)
ユウキが大きく目を見開く。
「俺がお前のためにどれだけ……どれだけ死に物狂いで頑張ってきたか……」
「頼んでない!」
「はぁ!?……」
「そんなこと! アナタに頼んでない!」
「なんだと!!」
「やめて! 近寄らないで!」
シオリの声が震える。
恐怖だけではない。
今まで溜め込んでいた怒りも混じっていた。
「私、アナタになんの感情も抱いてない! もう私に関わらないで!」
「はぁ?……」
彼の目は依然と見開いたままなのに、
眉や口、その他のパーツが、
まるで感情を失ったかのように静止した。
「なんでだ……あれだけ苦労して?…あれだけ痛い思いもして……ッッァ……今まで………今まで散々助けてきてやっただろ!!!」
「助けてなんて言ってないし! 好きになってとも言ってない! たまたまパーティを組んで、たまたま一緒にいる時間が長かっただけ……なのに勝手に期待して、勝手に怒って……アナタがやっているのは、ただ一方的に好意を押し付けているだけ!」
「ふざけるな! 俺がどんな思いで今まで……」
ユウキの顔が引きつる。
「お前が危ない時!身を挺してモンスターから守ったし! お前が落ち込んだ時、ずっとそばにいてやった…。料理だって何度も奢ってやったし! 蘇生代だって俺が払った!……痛い思いをして前で戦って、お前が怪我したら率先して自分のポーションを使って……あのむさ苦しい連中の中で、俺が一番イケてただろ? ……これまで、数え切れないほどお前に尽くしてきた……、なのに……なのに!……どうしてよりによって他で男を作ったんだ!!!」
彼は鬼のような形相でシオリを見つめる。
「アキラさんとは、そんな関係じゃない! 彼は、ただ部屋を貸してくれるだけ!」
「そんなわけあるか! 無償で女を泊まらせる男がどこにいる!……」
彼はこちらに目を向けた。
「どうせこの男と……もう何度もヤったんだろ! 純情なフリして! やることやってんだろ! このクソ女が!」
「……最低……そんなことするわけないでしょ!」
「なら証拠を見せろ!……フレンドリストだ!……フレンドリストを見せろ!」
「どうしてそんなのをアナタに見せなきゃいけないの!」
「どうせコイツとパートナー登録(恋人)してるんだろ! じゃないとヤれねぇからな? パーティに内緒でコソコソ会ってるくらいだ……100%ヤッてるに違いない!」
「なにそれ……意味わかんない!」
「いいから見せろ!」
——パートナー登録——
前にシオリから教えてもらった。
本来、
フレンドリストに登録したプレイヤー(友達)は、
名前が緑色の枠で覆われる。
しかし、
パートナー登録をしたプレイヤー(恋人)は、
名前の枠がピンク色になるという。
登録自体は、
まずフレンドになる必要があり、
その後は互いの同意さえあれば、
いつでも恋人に昇格できるらしい。
シオリが震える手でメニューを開き、
フレンドリストを表示すると、ユウキの方へスワイプする。
「ほら、パートナーなんていないでしょ……そもそも、アキラさんとはフレンド登録すらしてないし」
「知るか! 偽名かもしれないだろ、ホントはリストの中の誰かなんだろ!」
シオリのフレンドリストをスクロールして必死に〘アキラ〙という名前を探すユウキ。
「あー クソッ…お前も見せろ!」
ユウキが俺を睨みつけてくる。
アリバイを証明するために、俺もフレンドリストを彼に見せた。
「ほらっ……」
「クッ……お前ら、宿を出る度にフレンドリストから消してるだろ! 小賢しいマネを!」
もう正常な判断が付かなくなっているユウキを見て、
心底呆れてしまった。
「これでもまだ信じないのかよ…お前、ちょっとおかしいぞ……」
「ざけんな!! だいたいお前がシオリに変なことを吹き込んだんだろ! お前さえ出しゃばらなければ、シオリは俺の女だったんだ!」
彼の方へ迫ってくると、
胸ぐらを掴んで顔を近付けてくる。
「返せよ……」
「…は?……」
「シオリを返せって言ってんだよ!!」
唾が飛ぶほどの勢いで怒鳴る。
周囲から息を呑む気配が伝わってきた。
「お前…本気で言ってるのか?……」
「本気に決まってんだろ!」
「シオリは物じゃない。返すも何も、お前のものだったことなんて一度もない」
その一言で、ユウキの顔から血の気が引いた。
そして次の瞬間。
「――ッ!!」
拳が一直線に飛んできた。
頬に強い衝撃を受け、
俺は地面へ倒れ込んだ。
「やめて!!!」
シオリが駆け寄ってきて、
俺の肩に手を伸ばす。
周囲が騒がしくなる。
「おい、あれ…喧嘩か?」
「誰か止めたほうがいいんじゃ」
「ったく、他所でやってくれよな~」
「何何? 何があったの?」
「女の取り合いっぽい」
呆然と立ち尽くすユウキに、
周囲の視線が集まる。
ユウキがもう一発殴ろうと、
一歩前へ踏み出した時、ユウキの背後から声がした。
「そこのお前! 何してんだ!!」
ユウキが振り返ると、
ギャルっぽい女の人が近寄ってくる。
「マリさん!!……」
シオリの口から咄嗟に名前が出た。
(シオリの知り合い? …えっ……あの人って、俺がシオリと初めて会った頃に、怒鳴りつけてきたお姉さんじゃ?……)
「誰だアンタ!」
「シオリの友達だよ。アンタがユウキだね?」
マリは倒れている俺を一瞥すると、すぐにユウキへ鋭い視線を向けた。
「シオリから話は聞いてるよ。どうしようもないクズだってね」
「……あぁ?」
ユウキの眉がぴくりと動く。
「クズじゃねぇ。俺はシオリのために――」
「その台詞、もう聞き飽きた。」
マリは鼻で笑った。
「見返りを期待して親切にする奴を"優しい"とは言わないんだよ。」
「なんだと……!」
「シオリが好きだった? だから助けた? だから金を出した? 別にいいじゃん。アンタが勝手にやったことだろ。」
マリは一歩前へ出る。
「でもさ、それで付き合ってもらえる権利が手に入るわけじゃない。」
ユウキの拳が震え始める。
「うるせぇ……」
「好きだから尽くした。それは立派さ。でも断られた瞬間に『クソ女』だの『返せ』だの言い出すなら、最初からその程度の好きだったってこと。」
「黙れぇぇぇッ!!」
ユウキがマリへ向かって踏み込もうとする。
しかし。
「おっと」
マリは微動だにしない。
「女にも手を出す気?」
その一言で、ユウキの足が止まった。
周囲のプレイヤーたちも、じりじりと距離を詰め始める。
「もうやめろって」
「さすがにやりすぎだ」
「街中で暴れるなよ」
さっきまで遠巻きに眺めていた野次馬たちも、今度は明確にユウキを非難し始めていた。
ユウキは辺りを見回す。
そこにいる誰も、自分の味方ではない。
その現実を突き付けられたように、彼の表情が歪んだ。
「……なんでだよ。」
掠れた声が漏れる。
「俺は……ただ……シオリのことが好きだっただけなのに……」
マリは小さくため息をついた。
「だからダメなんだよ。」
「"好き"を免罪符にすんな。」
その言葉に、ユウキは何も返せなかった。
「…………クッ………」
「もう気が済んだだろう、これ以上この2人にちょっかい出すんじゃないよ!」
「……ッ……シオリ、明日会ったら覚えとけよ! 話はそれからだ……」
マリさんが不思議そうな顔をシオリに向ける。
「シオリンは、このままアイツらとパーティ組んでいくつもり?」
「それは…… いえ…もう、顔も見たくありません……」
「ok、じゃぁ こっちの兄ちゃんとパーティ組みなよ!」
マリさんは、 ノールックで俺の方を指さす。
「えぇ!!……」
思わず声が出てしまった。
「何だよ、不満か? アンタ、確か1人だろ? このいざこざも無関係ってわけじゃないんだ、責任持ってこの子の面倒くらい見てやんなよ?」
「マリさん! アキラさんは、もう他の人達とパーティを組んでます! 迷惑ですよ!」
「え? 何、そうだったの? シオリンから1人って聞いてたばかりに…ごめんよ~ 新しいパーティはいつから?」
「え……っと……つい3日前です」
「あちゃ~ タイミング悪いね~?」
(……タイミング?)
「分かった、じゃぁ シオリンはうちのパーティに来なよ!」
「えぇ!?」
「この前、パーティ内で喧嘩が起きてさ~、パーティが4人になっちゃったから、ちょうどいいや!」
「わっ、私なんかが入って大丈夫でしょうか?…」
「大丈夫だって! 何人かは顔合わせたことあるでしょ? こんな可愛いシオリンが入るんだ、アイツらも大歓迎だろう!」
するとユウキが話に割り込んでくる。
「おい! 何盛り上がってるんだ! 勝手に話を進めるなよ!」
「あ~ アンタ まだ居たんだ…もう関係ないからあっち行きなって! シッシッ!」
「はぁ!? ふざけんな! 勝手にパーティを抜けるなんて、認めるわけ無いだろ!」
「別にアンタの許可を貰う必要ないよね?」
「ッ……俺は良くても、パーティ全員に迷惑が掛かるだろ!」
「迷惑? 君らのパーティは、か弱い女の子1人抜けた程度で戦えなくなるほど、弱っちい男の集まりなのかな?」
「ウッ……そうじゃねぇよ……挨拶もなしに抜けるなんて、人としてどうなんだ!…… 一応、今日まで一緒に戦ってきた仲間なんだ!」
「そう? シオリンの話を聞く限りだと、良好な関係とは言えないパーティだと思ったけど、」
「それは……」
「君達は所詮、数週間一緒に居ただけのただの知り合い、他人だったのさ。 友達ってのは互いに好ましいと思って初めて成立する、片方が嫌な気持ちになるくらいなら、バッサリ切っちゃった方がいい。それにここはゲームの世界だ。君達と縁を切ったところでシオリンの人生になんら不都合はない。」
「はぁ?……人との繋がりって……それだけじゃないだろ!」
「——それだけだよ、 切っても切れないのは親族関係だけ……君等を繋ぎ止めるしがらみは何もない、 むしろ、シオリンがここで即決するくらい、君達には、彼女を引き止めるだけの何かが無かったってことさ」
「そんな……だって……俺が彼女を守って……」
ユウキは、今にも泣き出しそうな声色をしていた。
「大丈夫、シオリンは私が責任を持って守るから。君はお役御免だよ?」
「だって……ぅ……っ、く……ぅぅっ……」
とうとう泣き出してしまった。
無理もない……
マリさんの言葉はかなり辛辣だ。
加えてこの人数差、
彼の味方は誰もおらず、
周りからは冷ややかな視線で見られる。
俺も同じ状況なら、泣いて逃げ出していたところだ…
「男なんだから泣くんじゃないよ~ 本気で好きだったんなら、今回の行動や言動で何が良くなかったのか、しっかり考えて反省しなっ! あ、後…今後一切シオリンには近寄るなよ? 女なら他にいくらでもいるんだ、女体に触れたいだけならその辺に立ってる女にでも声掛けなよ。 ただし、値は張るけどね」
ユウキは何か言い返そうと口を開いた。
しかし、言葉は一つも出てこない。
震える唇を噛み締めると、
俺達を一人ずつ睨み付け、
最後にシオリを見た。
その目に宿っていたのは怒りなのか、
悲しみなのか、
俺には分からなかった。
「……もういい」
それだけ呟くと、
彼は人混みを押し退けるように走り去っていった。
野次馬達も
「終わった終わった」
「何だったんだ今の」
などと話しながら、
少しずつ元の日常へ戻っていく。
辺りは何事もなかったかのように、
静けさを取り戻していった。
マリさんが大きく息を吐く。
「……ったく、疲れた~シオリン、大丈夫?」
「はい……」
そう答えたシオリの声は、
まだ少し震えていた。
マリが笑って空気を変える。
「じゃ! 細かい話は明日にしよっか! 今日はゆっくり休みな!」
「はい……ありがとうございます」
「兄ちゃんも災難だったね」
「いえ……」
俺が苦笑すると、
マリは手をひらひら振りながら去っていった。
残されたのは俺とシオリだけ。
しばらく、どちらも何も話さなかった。
やがてシオリが小さく頭を下げる。
「……すみません。」
「え?」
「私のせいで巻き込んじゃいました」
「いやいや…俺も無関係ってわけじゃないし、悪いのはユウキなんだ、シオリが責任を感じる必要はないよ」
俺は頬をさする。
まだ少し痛い。
「……助けてくれてありがとうございました」
俺は少し照れ臭くなって、
頭を掻いた。
「俺は何も…お礼ならマリさんに言ってあげてっ」
「そうですね、そうします……でもっ! もし私1人だったら何も言い返せずに終わっていました…アキラさんが居てくれて、とても心強かったです!」
「…ありがとう、もうちょっとカッコよく助けられたら良かったんだけど…アハハ……」
「アハハハ…」
何だか互いに照れくさくなっていた。
「取りあえず中に入って宿だけ先に取ろっか?…」
「アッ…はい!」
そして2人は宿の中へと入っていった。
この珍妙なやり取りも、
言い表せない関係も、
今日で最後だと思うと、
なんだか胸が苦しくなった。




