初めての痛み
「おはようございます、キース様」
「おお、早起きだな」
「今日のおやつはキース様のお好きな南瓜のパイですよ」
「本当か? 楽しみにしているぞ」
「キース様、広間で少しお話しませんか?」
「ああ、菓子は用意しろよ」
キースが我が家に来てから、三週間が経った。
最初はびくびくしていた家族も使用人も皆、いつの間にかキースの存在に慣れ、まるで家族の一員のように普通に接するようになっていた。むしろお兄様なんかはキースに憧れているらしく、いつも話をしようと誘っているくらいだ。慣れというのはすごいと思う。
当たり前のように朝昼晩と家族に混ざって食事をしたり、広間で寛ぎながら談笑したり。偉そうな態度は変わらないものの、意外と彼は気さくで皆に優しかった。
人間は好きじゃないと言っていたから不安に思っていたけれど、「お前の家族は別だ」と言ってくれて嬉しくなる。
ちなみに我が家にキースが滞在しているという話は一瞬で広まったようで、届く招待状の数は数倍になったらしい。皆隣国の黒竜王という存在に興味があるのだろう。
そして実はもう一人、我が家には居候が増えていた。
「おいメガネ、飲み物を持ってこい」
「はいっ! かしこまりました!」
「30秒以内だぞ」
そう言ってぺこりと頭を下げ、キッチンへと走っていくのは、あのユシテアの大使だったマードック様だ。キースを連れて帰れなかった彼は国王の怒りを買い、キースの様子見係のようなものに格下げされたらしい。とりあえず生きていてよかった。
そして何故か彼もまた、我が家に滞在しているのだ。メガネと呼ばれ、朝から晩までキースの使いっ走りをしている。改めて話してみると彼は堅物そうな見た目とは裏腹に、少しお茶目なとてもいい人だった。可哀想でもあるけれど。
「やっぱりこういう奴が一人いると楽だな」
マードック様の姿が見えなくなった後、キースはしみじみとそう呟いた。
「前にもいたの?」
「ああ、俺に殴られて喜ぶような変な奴だった」
その変な奴というのは、ユシテアで彼の世話をしていた男性なんだとか。今度会わせてやると言われたけれど、何だか怖いので遠慮しておいた。
◇◇◇
「あ」
午後三時を過ぎた頃、少しだけ眠たそうなキースはわたしの膝に寝転び、雛鳥のように口を開けた。
その口の中に、ぽいとクッキーを放り込めば、嬉しそうにもぐもぐと咀嚼している。そんな彼を見つめながら、本当にペットのようだとわたしはため息を吐いた。
この三週間、一緒に過ごしているうちにキースの甘えっぷりは酷くなる一方で。もはや甘えと言うよりも介護に近い。彼は朝から晩までわたしに付いて回っては、子供でも出来るようなことをやってくれと強請るのだ。
そしてついつい言うことを聞き、そんな彼を少し可愛いと思ってしまうわたしもどうかしている。
「ステラは柔らかくて好きだ」
「そう?」
先日の笑顔が好きだ発言から、彼は軽率に好きだと言うようになった。最初のうちは多少ドキっとしてしまっていたけれど、これに関しても深い意味がないのはわかっていたし、わたしも大分慣れてきていた。
柔らかな黒髪をそっと撫でれば、キースは気持ち良さそうに目を細めた。本当に犬や猫のようだ。彼といると、心の中がぽかぽかとして、温かいもので満たされていく。
いつも彼からは好意を伝えられている分、たまにはわたしも口に出してみることにした。
「ねえ、キース」
「なんだ?」
「好きよ」
そう言った瞬間、何故かキースはわたしの膝とソファから床へと転がり落ちていた。
何事かと床に転がる彼を見れば、ぽかんとしたようなその顔は、驚くほど真っ赤で。俺もだ、くらいの反応が返ってくると思っていたわたしもまた、彼と同じような表情をしているに違いない。
段々と恥ずかしくなってきて、わたしは慌てて口を開く。
「も、もちろん家族愛だからね!」
「……かぞく?」
「そうよ、家族として好きってこと」
「家族、として」
そう言うと、彼は戸惑ったように「家族として」と何度か呟いた後、突然自分の服の胸元をぎゅっと握った。何かを考えるような、不思議そうな顔をしている。
そして彼はむくりと立ち上がると、そのままふらふらと部屋を出て行ってしまったのだった。




