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クワス (Quus)  作者: 宮沢弘
第三章: 対話: 計算機と計算機
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3−2: 内省

「サーバの方の問題と、それと認証は取っていないからな」私は、並んだプロトコル名を見て、呟いた。「アクセスはサーチエンジンからのものがやはり多いか」

 翌日、明るくなりはじめた頃、さっそくのログの確認では、検討の題材には適していないように思えた。アクセス自体も、サイトというよりも、私のコンテンツが最盛期だった頃とは傾向が違っているだろう。しかし、プロトコルが一つとなると、題材を変える必要があるだろう。

 だが、と思った。それほど遠くないところに例はある。HTMLはどうだ。Javascriptも付け加えたほうがいいかもしれないが。HTMLからHTML2、HTML3、HTML4、XHTML、HTML5、そしてJavascriptなどによるXMLHttpRequest、それに面倒だがHttpRequestでのデータ取得とデータ埋込みがある。

 私はバックアップから自分のページ群を眺めた。

 きれいにHTML5に揃っていればいいのだろうが、世の中そうもいかない。私のページ群は正直ひどいものだ。

 現行のwebブラウザは、HTMLからHTML5、Javascriptによる操作にも対応していなければならない。HTMLバージョンの指定が入ったのはいつ頃からだっただろうか。バージョン情報がないものもあるのだから、明確なプロトコルとは言えないだろうが、ブラウザは推測し、できるかぎり描画しなければならない。

 描画についても、CSSが現われたのはHTML2からだっただろうか、HTML3からだっただろうか。それまでも、そして一部は今も文章構造のみならず文字修飾の情報までもHTMLそのものが担っていた。

 Javascriptにしても、最初の大きなバージョン・アップによってだったと思うが、それによってHTMLの要素にアクセスできるようになった。当時、それによってHTML文書の中身の書き換えが可能ではないかと試したが、うまくいかなかった。たんに書きかたの問題だったのか、それとも読み出しが可能だっただけなのかは、今となってはわからない。

 HTML4の頃だったと思うが、ブラウザがキー入力を取得し、動的にブラウザ・ウィンドウにそれを反映させることが試みられた。もしかしたら意外に思う人もいるかもしれないが、Javascriptによる要素のドラッグ&ドロップは、それ以前に実現されていた。Ajaxと騒がれたのは、それら以後のことだった。今となっては、もはやAjaxとも呼ばれなほどに一般的な機能になっている。キー入力をブラウザ・ウィンドウに反映させようとしていた頃が嘘のようだ。

 結局、HTMLにしてもJavascriptにしても、ブラウザはうまくすればソースからバージョンを取得し、そうでなければコードから推測する。それは、文字コードが指定されていない場合の推定にも似てはいるのだろう。そう、HTMLやJavascriptのバージョンの推定の他に、文字コードの推定という問題も、ブラウザは担っている。

 だが、これらの多くにはプロトコルは存在しない。プロトコルが存在するのは、XMLHttpRequestとHttpRequest、そしてそれ以降の、HTML5おけるいくつかの機能だ。

 しかし、プロトコルが存在しないものに興味を覚えた。

 もちろんコードの推定も人間が定めた方法による。そして失敗することもある。それはブラウザ以前のエディタの時代からの問題でもある。

 bit列から推定し、誤っていれば人間からの指示により文字コードを確定する。人間からの指示も誤る場合がある。その場合は、再度人間が指示を行なうことになる。

 これは、まだ考えるには早い問題だろうか。そのようにも思える。

 ならば、話はHTTPとXMLHttpRequest、それにHttpRequestに戻る。この段階では、人間にしても計算機にしても複雑なものではない。だが、それらによって取得するデータはあまりにも多い。プロトコルと、それによってやりとりされるデータとは、一定の区切りがある。

 では、言語ゲームはどうだろう。m人n語ゲームにおいては、プロトコルと、それによって伝えられるデータ、つまり内容に、明確は区切りはないように思える。さらに、m人n語ゲームそのものに人間の振舞いもまた支配されている。

 だとすると、計算機と計算機の通信におけるプロトコルについての検討はあまり有益なものではないのかもしれない。

 それが人間のコミュニケーション、言語ゲームだとしたら、どれほど不自由なものに人間は縛られているのだろう。そして、言語ゲームに参加している限り、その不自由さに気付くこともない、すくなくとも気付くのになんらかの困難が共なう。

 人間のコミュニケーションは、言語ゲームは、どれほど人間を支配しているのだろう。それを考えるには、もうしばらく、ここでの問題を考えてみる必要があるように思える。


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