3−3: 現象学
Webブラウザは、ただ表示するだけのブラウザではなく、インタラクションが実現され、ウィンドウ・システムに載った第二のウィンドウ・システムであるのかもしれなかった。あるいは、第二、それとも第三の “screen” であるのかもしれなかった。
それは、OS、あるいはネイティブのウィンドウ・システムからすこし離れ、抽象化されたものとも言える。だが、ブラウザの種類による動作の違いという問題は、HTMLなどが規格化されても容易には解消されなかった。実装されているスクリプトにおいても、それは同じだった。
ブラウザは、プロトコルがどうであれ――ftpであったとしても――、まず取得されるのは指定されたファイルであり、それはHTTPプロトコルであればおよそhtmlファイルだ。その後、そのファイルを参照することでcssファイルやJavascriptファイルを読み込む。
バックアップにある、私が書いたHTMLファイル群を眺めながら思った。HTMLの規格の違いは、ブラウザによってどの程度吸収されているのだろう。私は、そもそもヘッダにHTMLのバージョン情報が存在しないファイルを試した。ついで、HTML4のバージョン情報を削除したファイルを試した。いずれもそれなりに適切に表示された。
では、使っているタグやアトリビュートと、記述されているバージョン情報が矛盾する場合はどうだろうか。HTML3以前に対してのHTML4やXHTML、あるいはHTML3やHTML4、XHTMLに対してのHTML5では、後者において規格から削除されたタグやアトリビュートが存在する。XHTMLは正確にはほかのHTMLの規格とは異なる。XHTMLが現われた時には、ブラウザもXMLに、そしてDTDに対応するようになるのかとも思った。だが、そうはならなかった。XMLに対応するようになっていれば、それに応じた利点もあっただろうが、HTML5の規格の一部のような機能は統一的には実現されなかったかもしれない。もちろん、それはそのような機能を指示する方法が規格化されていれば、それで済む話だった。SGMLであれば、そのブラウザの実装はともかく、その記述方法が存在し、XMLにおいてもそれは継承されていた。あるいは、XMLとDTDへの対応がなされていれば、TxIのようなDTD群が現われ、それが標準となったかもしれない。
私は古いhtmlファイルに、HTML4であることを示すバージョン情報を含んだヘッダを書き加え、それをブラウザで読み込んでみた。
ブラウザに対するユーザの第一の要求は、すくなくとも文字として記述されている内容を表示することだ。その要求のとおり、そのファイルは、タグやアトリビュートによって指定されている情報の反映はすべてではないとしても、ともかく可能な限り表示された。
では、ヘッダに含まれる文字コードの情報と、実際の文字コードが異なったらどうか。これは、HTMLのバージョンの違いほど、ブラウザは適切に処理できなかった。とは言え、ブラウザ上で文字コードを指定してやれば、その問題は解消された。
webブラウザは、HTTPによりファイルを取得し、それを可能な限り表示しようと試みる。Javascriptを用いた高度なインタラクションは、ブラウザを強力にはしたものの、その第一の要求に違反しているとも言える。たとえば、サーチ・エンジンはどうだろう。昔のサーチ・エンジンは単純なものだった。だが、今や、サーチ・エンジンのスパイダーは、Javascriptを解釈できなければならない。もっとも、これはサービスにもよるようだが。サービスによっては静的な、ただし一部は動的なファイルとして編集結果を保存している。あるいはwiki記法のまま保存しているものもあれば、やはりHTML化して保存しているものもある。
Web技術は、技術の発達にできるかぎり対応しようとしている。すくなくとも、ほかのメディアよりはその努力をし、そしてその努力は実っている。
Web技術は、mimixやProject Zanaduを実現しようとしている。それが意図されたものであったとしても、あるいは技術の変化あるいは進歩の必然的な方向だとしても。
だが、そうなったとき、今のようなある意味での頑強さは維持されるのだろうか。ほかのメディアと同じように、失なわれた文書が現われることはないのだろうか。
HTTPというプロトコルは、それには関与しないかもしれない。あるいは新しいプロトコルが必要とされるかもしれない。
技術の進む方向はすでに示されている。それがなんらかの結果をもたらすとしても。




