第三十六話「夜這いは二度としないように」
決意をすることは難しい。
それを決行することはもっと難しい。
だけど、諦めた先に何もなくて、
やりきった先に未来があるのなら、
何かをひたむきに頑張れるのかもしれない。
これが、俺の原動力の一つでもある。
◆◆◆
――鳥の声が聞こえる。
どうやら、もう朝みたいだ。
時計のない生活というのは落ち着かないものだが、やはり何でも慣れだな。
少しづつ違和感がなくなってきている。
これはいかん、ここは俺の住むべき世界ではないのに。
……それにしても、暑くないか?
昨日までは気温は涼しいぐらいだったのに。
なぜ今はこうも暑いのか。いや、むしろ暑いというよりも、熱い。
なにやら、 腹部の辺りに熱を感じる。
安心感のある人肌温度で、二度寝への階段を光の速さで促進してくれる。
誰かがカイロでも入れてくれたに違いない。
なんと親切なサービスであろうか。
しかし、この時代にカイロなんてあったかな。
寝ぼけ半分でそんなことを考えつつ、腹部上の温かいものを触ってみる。
「……ん」
おや、何だろうかこれは。
何やら艶の良い毛のようなものが手に当たる。
さらに撫でてみると、腹部にかかる圧迫感が大きくなった。
「んぁ、そこは……」
温かいそれをあちこち撫で回してみると、心地良い箇所がいくつかあった。
まるで天使が与えてくれたかのようなフワフワの感触。
同時にこぼれ出る悩ましげな声は、どう考えても人間のものだった。
……人間の、もの?
「……ちょっと待とうか」
嫌な予感がする。
これはまさか、俺の布団に何らかの異物が紛れ込んでいるのではないか。というより、曲者が。
膨らんでいる俺の掛け布団を、ゆっくり持ち上げてみる。
そこには、俺の腹を枕代わりにして寝ている少女の姿があった。
気持ちよさそうに頬を擦りつけてきて、非常にくすぐったい。
サラサラの銀髪が、朝日に映えて輝いていた。
その特徴を見て、コレが誰かを特定する。
「……風薫、お前かよ」
そう、俺の布団に勝手に潜り込んで熟睡しているのは、竹中風薫その人だった。
布団の中に滑りこみ、俺の腹を枕代わりにしてスヤスヤと寝てらっしゃる。
はて、俺は夜這いを許した覚えはないんだがな。
と言うより、この場面を見られたらマズイんじゃないだろうか。
俺が自分の部屋に女の子を連れ込んだ、みたいに思われないかな……これ。
俺はそんな事しないからね。
婚約者がいるのに、浮気なんざするわけがない。
だが、このまま風薫を起こしてしまうのも何だか名残惜しい気がした。
「……ったく、こうして見れば、ただの可愛い女の子だよな」
銀髪を撫でて、頬をつついてみる。
ると、刺激に対して敏感に表情を変えるので、なかなかに楽しい。
しかし、掛け布団を足の方にずらしていくと、酷いものが見えた。
いや、有り体に言えばは酷くない。むしろ眼福というやつだ。
布団の中に潜っていたものだから、暑かったのだろう。
薄めの生地で作られた和服がはだけ、肩のあたりまでずり落ちていた。
……見え、ないな。大丈夫だ。俺のメンタルはこれしきで崩れない。
俺をドキドキさせたければ、もう少し胸に関して成長してから来るんだな。
しかし、このまま放置しておくのは目に毒である。
服の襟をつまんで、ゆっくりと肩より上に引き上げていこう。
と思って、風薫の方に手を掛けた瞬間――
「――伏見春虎。起きているか?」
凛とした声と共に、障子がガラリと開いた。
そこには、身支度を整えた紫の姿があった。
彼女は、まず俺を見て、風薫を見て、そして俺の手が風薫の肩を掴んでいることを確認した。
「…………」
はたして、この現状はどのように見えるんだろうか。
いや、ここは俺が紫の立場になって考えたほうが速いか。
――さて、シンキングタイムだ。
まず、俺が支度を整え、用があるので誰かしらの部屋を訪ねに行った。
するとそこでは、気の置けない男が少女に手を伸ばしている。
しかも、少女の服は半分脱げ掛かっていた。その現場は、布団の上で行われている。
――ここから導き出される答えはただ一つ。
どう見ても、男が女の子を襲おうとしてます。
間違いありません。現場押さえられちゃってます。
というか、俺が紫だったら、まずその男をぶん殴った上で尋問に掛けるな。
しかし、俺が今相手にしているのは、天才軍師の黒田紫だ。
こちらの予想以上の虐待を繰り出してくるかもしれない。
「……こんな朝から、何をしている?」
「いや、これは違うんだ。少なくとも俺に非はない」
「…………」
「…………」
俺と紫は、長い間見つめ合う。
長い沈黙が、早朝の部屋を支配していた。
紫は一つ溜め息をつき、後ろを振り返った。
「そこでそのまま待っていろ」
血が凍結するような低い声で、紫は俺に釘を刺した。
その背中からは、凄まじい怒気を感じる。
紫は幽鬼のような足取りでどこかに立ち去って行き、俺と風薫はこの場に取り残された。
はて、紫は一体どこに行ったんだろうか。
てっきりその場で折檻が始まることを覚悟していたのだけれど。
何もせずに、踵を返して彼女の自室に歩いていってしまった。
……待てよ、紫の自室?
前にあいつの部屋に行った時、驚いたことがある。
軍師には絶対必要の無さそうな槍や薙刀が、ところ狭しと置かれていたのだ。
そして、上座には黒光りする鎧が置かれていた。
それがどうしたと思うかもしれないが、嫌な想定が浮かんでしまうのだ。
そう、もしあいつがその気なら、そろそろアレが聞こえてくるはず。
――ガシャン、ガシャン、ガシャン……
一歩一歩、何か重たいものがこちらに迫ってくる音が聞こえる。
それはまるで、鎧を着込んだ歩兵が、臨戦態勢で進軍するときの音。
一定のリズムを刻んでいる旋律が、こちらに迫ってきている。
……これは、逃げた方が良いんじゃないかな。
濡れ衣で人生の危機だよ。それでも僕はやってないと叫んでも、「うるさい死ね」って言われて首をはねられそうな気がする。
恐怖にかられて腰を浮かせた瞬間、風薫の目が開いた。
のんきに欠伸をして、グーっと伸びをしている。
「おはようございます、ご主人様」
「……おお、おはよう。ってそれ所じゃねえ! 何で俺の布団で寝てたんだ?」
「落ち着くからです」
「はぁ?」
「一人で寝てると、心細いんです」
力強く、風薫は断言する。
いや、そんな所に力入れられても困るんだが。
「一人で寝れないのか?」
「そういう訳じゃないんですけどね。少しでもご主人様のそばにいたくて」
「……そういう問題か?」
「だって、昨日ご主人様が言ってたじゃないですか。
『遠慮はするな』『欲に訴えかけろ』『風薫と一緒に寝たい』って」
「最後のは深刻な捏造だな」
まあ、前二つは確かに言ったけども。
遠慮しすぎて爆発しそうになるんだったら、もう少し甘えろって。
だけど、こういう甘え方は想定してなかったんだが。
「……ダメですか?」
「いや、ダメっていう訳じゃないんだが。世間の目は厳しくてだな」
「大丈夫です。とやかく言う人の口を封じます」
「怖いよお前」
実際問題、こんな真似をされたら色々と俺が危うくなってしまう。
理性とか我慢とか社会的地位とか、大人が持っておきたいアイテムが音速で消滅するからな。
下らない掛け合いをしている間に、再び障子が開いた。
するとそこには、雄々しい鎧に身を包み、怨念じみた光を瞳に宿して長槍を握る、紫が立っていた。
胡乱な瞳で俺と風薫を睨みつける。
殺意にも似たものを感じて、俺は慌てて弁解へと走った。
「待て、まずは話を聞こう!
お前たちの世界では、紛争は武力で解決なんだろうが、
俺の身体はそんな常識についていけない! 人間は話し合う生き物だ!」
そして話し合えるからこそ騙せる生き物だ。
と言ったら、火に油を注ぎそうなので喉で押しとどめる。
「……どけ」
紫はポツリと呟き、槍を握る手に力を入れた。
足を大きく踏み込み、突撃の姿勢をとる。
どけ? 俺が風薫から離れればいいのか。
そ、そしたらその怒りも収まるんだな。
勝手に決めつけて、横転しながら布団から這い出ようとする。
しかし、名残惜しそうに俺の服を握っている風薫のせいで、その行動は中途半端に終わった。
「なっ、風薫……?」
「もう少し寝ましょうよ。まだ朝も早いですよ」
「……貴様。どけと言ってるだろうがぁあッ!」
中々俺達が離れないのを見て、紫が槍を突き出してきた。
その切っ先は、ブレること無く一直線にある存在へと向かう。
そう、竹中風薫に向かってだ。
「……は?」
すると、風薫は俺をさらに引き寄せて、両手で頭を抱え込む。
鼻孔をくすぐる甘い匂いで酔いそうになるが、そんな場合ではない。
風薫は俺を懐に抱えたまま、その切っ先を懐刀で弾いた。
一瞬で胸元から繰り出された斬撃が、その槍を打ち払ったのだ。
「チッ、この節操なしめが! 伏見春虎から離れろ!」
「抜け駆けをされて悔しいんですか、紫さん。
でもダメです。ご主人様に許可はとってあります」
「……何?」
その言葉を受けて、紫は俺を睨みつけた。
「本当なのか?」と突き刺すような目線で聞いてくる。
同時に風薫も、俺に信頼するような熱っぽい視線を向けてきた。
あまりの不利な選択に、眉が引きつりそうになる。
しかし、ここでは最善と思われる選択肢を、口に出す。
「いや、風薫が不安になってたらダメだって、お前も言ってたじゃん。
ムラがない方がいいって。そのムラを無くすためだと思って、見逃してくれ」
「……それとこれとでは、話が別であろう」
「感情論はやめてください。黒田の名が泣きますよ」
「貴様は黙っていろっ!」
どうやら、両者の間には凄まじい溝があるらしい。
原因については考察をしたくもないので、ゆっくりと風薫の手から逃れて傍観を決め込んでいた。
それからしばらく、竹中と黒田による仁義なし舌戦が繰り広げられる。
いつの間にか横に座ってお茶をすすっていた花房風鈴と共に、俺たちは最高にして最低の言い争いを眺めていた。
◇◇◇
「とりあえず、二度と伏見春虎の寝込みを襲うなよ?」
「……むー、襲ってはないんですけどね、まだ」
「よくもいけしゃあしゃあと。今度その現場を見つけたら、槍で串刺しにするからな」
「はぁー、仕方がないです。この方法はやめることにしましょう」
「当然だ」
そういうふうに落ち着いたらしく、二人の抗争は終結した。
なんというか、この二人は相性が悪いのだろうか。
舌戦の激しいながらも尊重した様子を見た限り、それはないと思うのだけれど。
「下らんことで時間が削がれたな。風鈴、そろそろ行かないとまずいんじゃないか?」
「そうですね。そろそろ始めないと、我が君も機嫌が悪くなるかと」
「……何の話だ?」
「評定だ。毛利の動向について熟議を重ねる。
場合によっては、出陣の触れが出るかもな」
ああ、そういえば毛利との決戦が近づいているんだったか。
俺が絶対に乗り越えなければならない敵。
だからこそ、確実に勝たなければならない。
この面子が揃っているのなら、勝機は必ずあるはずだ。
「じゃあ、行きましょうか」
「……ちょっと待ってくれ。アヤメはどこだ?」
そういえば、あの猫娘がいない。
あいつの幻術が戦場で使えれば、かなり戦況を有利にできると思うのだが。
俺が奴の不在を指摘すると、風鈴が手を上げた。
「アヤメ殿でしたら、昨日から散歩に行ってますよ」
「昨日? もう一日経ってるってのに。道にでも迷ったのか」
「いえ、彼女曰く『修行してすんごい力を身に付けてくるにゃ。一撃必殺の最強技にゃ』だそうです」
「……俺が気づいて止めるべきだったな」
風鈴の再現度マックスの声を聞いた所で、俺はうなだれていた。
なんだ? 日本人の中二病はこんな時代でも適用されるのか?
まあ、あいつのことだから、毛利兵と接触しても返り討ちに出来るだろう。
心配はいらないのかもしれない。
「まあ、とりあえず評定の間に行こうぜ」
そのうち帰ってくると決めつけ、本題に戻した。
すると各々、風薫もいつの間にか身支度を整えていて、準備ができていないのは俺だけだった。
そのことに出発直前で気づき、俺は慌てて井戸に顔を洗いに行った。




