第二十四話「不穏な動向」
人が怖いから人を騙す。
それは多分、人間が持つ防衛本能の一つなのだろう。
間違った方向に向いてしまった、修正不可能な力のベクトル。
どうしようもなく変更が効かない、壊れてしまった人格の証。
硬直してしまったそれは、どうすれば治るのだろうか。
治る日は、来るのだろうか。
◆◆◆
俺たちが魔の山を踏破して二週間後。
ついに、中国地方の入り口、岡山県に到着していた。
県内に位置する、名も知らぬ丘陵、俺達はそこを歩んでいた。
冷たい風が、身体を撫でて空へと消えて行く。
そう、俺たちはついに出雲が位置する中国地方に到達した。
だが同時に、路銀が尽きかけていた。
もはや宿屋に泊まる金など、びた一文残されていない。
「……しけた面だにゃ」
「お前らのせいだ、お前らの」
そう。ここに来るまでに、様々な出費がかさんだのだ。
まずは自衛のために、風薫に脇差と上質な日本刀を買ってやった。
それから、半裸同然なアヤメのために何着か服を購入してやったのだ。
いくら小金持ち状態であっても、浪費をすれば文なしは目に見えていた。
それでも、こいつらの装備を整えるのは俺の義務。
そんな謎の感情のせいでこのザマになってしまった。
もうちょっと財布の紐を閉めようよ、俺……。
「ここは、岡山だったか……」
「岡山?」
「ああ、何でもない。ここは備前の国だったよな」
岡山県の中央部。この時代の地名は備前。
そして、この地を治めている大名は、予想通りというか、やっぱり宇喜多家だった。
だがしかし、噂によれば、例の疫病によって君主や重臣の多くが消し飛んだらしい。
地元の大名だけあって、何とも複雑な気分である。
「……寒いにゃ」
「何を言ってるんだ。更に北上するんだから、これくらいで音を上げるんじゃない」
文句を言いながらとぼとぼ歩くアヤメに、一言叱責を加える。
そういえば、あまりにも色々とありすぎて忘れていたが、この世界の日本は普通の形じゃないんだったな。
上下が逆転しているたんだったっけか。
すると当然、岡山から出雲へ向かうとなれば、北に進む形になる。
ふむ、この分では岡山の名産品も育ちそうにないな。
温暖湿潤、晴れの国がキャッチフレーズの岡山の姿はどこにもない。
キョロキョロとあたりを見渡していると、俺を先導している風薫が口を開いた。
「宇喜多家の君主は、良君として知られているんですよ」
……ほぉ、良君ねぇ。
宇喜多の当主って言えば、真っ先に宇喜多直家が出てきちゃうんだよな。
同時に外道という言葉もセットで出てるだけに、にわかには信じがたいな。
だって、宇喜多直家はやってること凄いからな。
クーデター起こして領地ごと乗っ取って、マッハの速さで旗を上げたんだから。
しかも得意技が暗殺という。
「だけど、その直家も過去の人か……」
今の年代なら、まだまだ健在だったろうに。
あの傑物なしで、どうやって敵対諸国から領土を守るんだか。
宇喜多家の未来をぼんやり考えていると、いきなり足元に何かが刺さった。
それはもう、サクッと。
スニーカーを串刺しにする寸前の位置で、地面に突き刺さっている。
「……っ」
「落ち着いて、私の後ろに下がって下さい」
俺が腰を抜かしそうになった瞬間、風薫がそっと呟いた。
なんとか無傷であることに安堵しながら、風薫の後ろに回り込む。
すると、アヤメが眼を擦りながら、平然と風薫に肩を並べた。
「山賊かにゃ」
「いえ、宇喜多の領地は治安が良いと聞きます。その可能性は低いでしょう」
良くお前らは淡々と話せるな。
今唸りを上げながら矢が飛来してきたんだよ? 何だその振る舞い。
その度胸を少しでいいから分けてくれ。
風薫の小さな背中に情けなく隠れていると、アヤメが爪を舐めながら不愉快そうに顔を歪めた。
「はぁー……、情けないやつだにゃ。
女の後ろに隠れて、恥ずかしくないのかにゃ」
「恥と命を同じ天秤にかけるな。
俺は命のためなら土偶にだって土下座するさ」
「ふん、言ってろにゃ。
……それにしてもずいぶん随分と慎重だにゃ」
「……ええ、死角を的確に抑えてきています。相当な訓練度ですね」
二人は臨戦態勢になりながら、あたりの状況に耳を澄ましている。
どうやらアヤメの視覚によると、遥か向こうにある岩場からこちらを狙ってきているようだった。
「アヤメさん、頼めますか?」
「任せるにゃ」
目的語が一切ない会話。
何の意思疎通なのかと思った瞬間、アヤメが全力疾走を開始した。
猫のように靭やかな健脚で、岩の陰へと猛進する。
すると、動揺した人物の一部が、岩場から姿を見せた。
「……なっ、何だあの速度は」
「射抜け、射抜いてしまえ!」
一際大きい声が響いた刹那、大量の弓矢が岩の隙間から現れた。
その数8組。
一斉射撃でもされてしまえば、身体がトンネル大量開通してしまうことは避けられないだろう。
だがしかし、それは俺のような凡人が立ち向かったらの話。
あいつは、人間と猫の半獣だ。その身体能力を、人の基準で比べてはいけない。
「放てっ!」
指揮を取っていると思われる女性の声が響き渡る。
すると、大量の矢がアヤメに向かって発射された。
だが、アヤメは全く焦らない。
「にゃはは、遅い遅いっ!」
楽しそうに哄笑しながら、アヤメは地を蹴った。
見上げても咄嗟には見えないほど高い宙空へ、彼女は飛び上がった。
アヤメが足を置いていたところはすぐに矢の森になったが、当然アヤメには何のダメージもない。
そのまま、着地と同時に周囲の人物に襲いかかった。
「――遅ぇよ、あの世に行って修行するにゃ」
ゾッとする程の低い声を発して、アヤメは爪を振るった。
ザンッ、と肉を縦に裂いたような音が響いた。
すると、人間大の物が崩れ落ちたようなかすかな振動が、足から伝わってきた。
尚も岩場の向こうで蹂躙は続いているようである。
「にゃはっ。その武器、私の爪とは相性が悪いみたいだにゃ」
「ば、化物だぁああああああああああ!」
「黙れ! おい待て、逃げるな貴様ら!」
岩場から、こちらへ数人が逃げてくる。
やはりというか、当然全員が女だった。
そのまま俺と風薫の前を横切って、向こうへ撤退して行ったのが二人。
俺達の方に特攻してくるのが一人。
どうやら、この骨のありそうな女は、俺達の方が弱いと踏んだようだ。
だけど、それは間違ってる。
確かに、ここにいるのが俺一人だったら、アヤメよりも万倍殺しやすかっただろう。
親指一本で捻り潰されると言っても過言ではない。
だが、俺の横には抜刀した風薫がいる。
俺の前で正眼の構えを取り、突撃を返り討ちにしようと待ち構えているのだ。
疾走してきた女が、訓練の染み付いた動きで袈裟斬りを放った。
それに呼応して、風薫は上段から同じく袈裟斬りを撃ち放つ。
「――竹中撃剣術・『餓狼』」
凄まじい闘志が、眼の前で沸き上がる。
その発生源は、華奢な策士少女・風薫からのものであった。
殺す勇気というものだろうか、眼には先程までの柔らかな瞳はない。
その冷徹な表情のまま、風薫は日本刀を振り下ろした。
――バギャ……
女の軽鎧を叩き割り、胸から腹部を一直線に切り裂く。
すると、痛みすらも感じなかったのか、女は無表情のまま草原に倒れた。
風薫はそれを見て取ると、溜息をついて納刀する。
さらりとした銀髪が、風になびいて揺れていた。
「……風薫、普通に殺すんだな」
「防衛ですからね。生け捕りでもご所望でしたか?」
「いや、そんなんじゃないけど……」
可愛らしい顔した少女がさ、冷たい目で敵を斬り殺してたら、流石に引くよ。
戦国の世界では常識なんだろうけど、殺人が眼の前で起きたことには若干の驚きがある。
だけど、これが世の常。
現に、こいつを殺さなければ、俺達が死んでいたんだし、特に何も言えない。
死人を見たことがないってわけじゃないけど、詐欺師の俺には少し刺激が強かった。
慣れるしか、ないのかな。
「……さて、アヤメさんの方も片付いたようですね」
風薫は岩場の方へ目をやる。
すると、岩場の陰から血に濡れたアヤメが出てきた。
その血液は全て先程の襲撃者ものであるようで、怪我は負っていないようだった。
岩場の向こうで何も声がしなくなっている。どうなっているのかは、確かめたくもない。
「ふぅ、無駄に数だけはいたにゃ。
それで春虎、逃げようとした奴を幻術で縛ってるけど、そいつも殺すかにゃ?」
「……いや、逃がしてやってくれ」
「ふん、甘いやつだにゃ」
てか、さっきの逃走した女たち、幻術で行動不能になってたのかよ。
さすが果心居士の娘、幻術の素養も十分ということか。
……でも、さすがに怖いな、幻術は。
「やはり、先ほどの人達は山賊じゃありませんね」
「ん、そうなのか」
「この甲冑を見て下さい」
そう言って、風薫は先程切り伏せた亡骸の兜を指さした。
あまり直視はしたくなかったが、吐き気を抑えてその頭部を見た。
「……これは、毛利の家紋?」
「です」
一文字に、3つの星。
オリオン座の中央に輝く『三武・将軍星』を参考にして作られたと言われる、歴史マニアではメジャーな家紋だ。
――毛利家。
戦国時代に、中国地方に覇を唱えた大大名だ。
史実では、中国地方NO.2の宇喜多家と、破竹の勢いで勢力を広げた天下の織田家。
その両者を、同時に相手取っても潰れなかった強豪中の強豪だ。
「だけど、ここは宇喜多の領地だろ。どうして毛利家が?」
「決まっているでしょう。宇喜多家が侵略されているのです。」
「……マジか」
ここは岡山県の中でも中央部の、備前国だ。宇喜田家が本拠を構える地域でもある。
だというのに、ここまでの侵犯を許している。
敵兵が領地を踏み荒らしている状況なんて、そうそうないはず。
おそらく、宇喜多家が苦戦しているのだろう。
「毛利家が網を張っている以上、このまま進むのは得策ではないです」
「……どうすればいい?」
俺よりも年下に見える少女に、これからの指針を仰ぐ俺。
傍から見れば滑稽もいいところだろうが、そんな恥も外聞も知ったことか。
「宇喜多家は、男性をたいそう丁重に保護し、その安全を確保する方針を取っているそうです」
「……前から思ってたけど、それってどこ情報なんだ?」
「風の噂と、脳内予想を組み合わせた情報論です。なにか?」
「いや、何でもない」
今、風薫に「信じてませんね?」みたいな目を向けられてしまった。
いや、信じてるんだけどさ。そこまでポンポン情報が出てくると、逆に不安なんだよな。
「ですので、この丘を下って、町に行きましょう」
「そうだにゃ、この汚れた服の変えが買いたいにゃ」
「お前は俺を破産に追い込むつもりか? 泥棒猫なんて言ってもうまくないからな」
全く、町に行ったからといって、買い物に洒落込むと思うなよ?
俺の懐事情を察しろ。
「ということは風薫、これからの方針は――」
俺が話を続けると、風薫はコクリと頷いた。
その柔らかな唇から発せられる言葉が、これからの俺達の行く末を決めることになる。
「はい。この状況では、これが一番の良策かと」
日本刀に手を置きながら、風薫は緩やかに微笑んだ。
そして、和やかな声で、戦争への介入を宣言した。
「交戦状態にある宇喜多家に、協力を仰ぎましょう」




