第十八話「決着」
苛立っているのが丸分かりな状態で、アヤメは風薫に突撃した。
足先に生えた爪で地面を噛みながら、猛然と風薫に迫る。
しかし、動きが先ほどと違ってあまりにも直情的だ。
風薫も気づいたのか、単調になった爪の斬撃を間一髪で避ける。
すると、アヤメは大きくバランスを崩し、全面に隙が生じた。
そこを突いて、風薫が続けざまに一閃を振るう。
木刀とは思えないほどの痛烈な横薙ぎが、アヤメを襲った。
しかし、その鋭い剣閃は空を切る。
アヤメが急激にしゃがみ込み、その薙ぎ払いを躱したのだ。
……なんて身のこなしだ。
身体に組み込まれていると思われる猫の部位が、あの異常な瞬発力を生み出しているのだろうけど。
なるほど、あんな超反応が出来るんなら、俺の斬撃なんて当たるはずがなかった。
今の回避で、攻撃を外した風薫の体勢が崩れてしまう。
その姿を見て、アヤメはつまらなそうに呟いた。
「……終わりにゃ」
冷めた視線を投げかけて、アヤメは爪を大きく振るった。
あの鋭利な爪が直撃すれば、風薫の体躯はひとたまりもないだろう。
数多の血を吸ってきた凶刃が、振り下ろされる。
その爪が風薫の華奢な体に届こうとした時、アヤメの体が吹き飛んだ。
「に゛ゃ……?」
数メートル後ろに投げ出され、腰の辺りから無様に着地した。
「にゃ゛あああああ! 痛いにゃああああ!」
アヤメは苦しそうにのたうち回る。
俺自身、驚きを隠せなかった。
風薫は今、剣を使わずに、アヤメを蹴り飛ばしたのだ。
あの小さな体からでは直接打撃はないと思ったのだろう。
だが、直接打撃と言うには余りにもぬるい蹴撃が、アヤメの腹部に炸裂したのだ。
「体術は、あまり得意ではないんですけどね。
意表を突けば、だいたい決まりますが」
風薫の言う通り、意表を突かれて倒れこんだアヤメは苦しそうに腹部を抑えている。
どうやら、胃のあたりに蹴りがダイレクトで決まったようだ。
込み上げる嘔吐欲求に耐えながら、その場でうずくまる。
その隙を逃さずに、風薫はアヤメの首元に木刀を突きつけた。
「抵抗するようなら、このまま高速で引きます。
木刀の切れ味は知れたものですが、摩擦熱での斬撃ならば真剣にも勝りますよ?」
相手の行動を奪った上で、降伏を勧告した。
どうやら、勝負ありのようだ。
この死にかけた激戦も、ようやく一段落、といったところか。
俺はゆっくりと立ち上がる。
「……良くやってくれたな、風薫」
「いえ、これくらいは。
それよりも、ご主人様のほうが重傷では?」
「はは、大丈夫……だって」
全然大丈夫じゃないけど。むしろよくショック死しなかったものだ。
それでも、まともに爪の一撃を食らってるから、あんまり余裕はない。
俺は風薫とアヤメの元に行って座り込む。
「さて、吐き気はおさまったか?」
「……情けをかける気かにゃ」
「さあな。だけど、お前がこんな山の中で、何で人を殺したりしてるのか。
それが疑問なんだよ」
「…………」
「話してくれるか?」
「知ってどうするのにゃ」
「いや、単純にお前のことが気になるだけ」
だって、半獣とか見たことないもんな。
あんまり流行りとかに乗るのは好まないが、さすがに興味湧くって。
戦国時代にこんなファンタジーチックなのがいたなんて、初めて知ったぞ。
「……私のことが、気になるのかにゃ」
「そうそう。そのしっぽとかすげえ触ってみたい」
先ほどまで殺されかけていたものだが、こうしてうずくまって捕縛状態にある少女を見ると、敵愾心なんて湧いてこない。
そのかわり、そのヒヨヒヨと動くしっぽに俄然食指が動く。
例えその少女が、何人も人を殺してきたんだとしてもだ。
「……触っていいにゃ。だけど、あんまり力入れて握られると困るにゃ」
「はいはい」
力を弱めて、恐る恐触ってみる。
すると、フサッとした、やわらかな感触が手に広がった。
いやこれ、すげえ気持ちいい。
興味本位で軽く握ってみると、アヤメはくすぐったそうに顔を緩ませた。
「あ、悪い。痛かったか」
「……んにゃ、落ち着くにゃ」
「そうか、そりゃ良かった」
興奮状態にあったアヤメは、徐々に平静を取り戻していく。
先ほどまでの殺気も消え、徐々に顔も和やかになってきた。
「ご主人様、人殺しの理由は聞かないのですか」
「いや、こいつが話してくれるまで、俺からは強制しないよ」
強制して話させても、本人が話す意思がなければ何の意味もない。
俺はどっかりと腰を下ろして、不動の態度を示した。
すると、どこか俺の挙動を気にしながら、アヤメは口を開いた。
「……いいにゃ、話すにゃ。
ここまで慰めを受けて、何もしない訳にはいかにゃいにゃ
。猫は律儀に縛られにゃいけども、私の半分は人間。
受けた恩は、多少なりとも返す義務があるにゃ」
義務、ね。
こんな人間からも離れた少女の口からも、義務という言葉が出るか、
そりゃそうだよな。義務っていうのは、人間が生きていく内で必ず生まれるものだ。
親父はその義務を全うしてくれなかった。
その遺伝のせいか、俺も義務を意識することは少ない。
それでも、半獣の少女ですら義務を守ろうとしてるんだ。
俺も見習わなきゃ、いけないよな。
「分かった。気分が悪くなったらすぐ中止していいからさ。
とりあえず風薫、その体勢はやめてやってくれ」
「し、しかし。また暴れだしては……」
「そんなことはしないよな。アヤメ?」
「ふん、親父以外の人間に名前を呼ばれることににゃるとは、思わなかったにゃ」
風薫はしばらくアヤメの出方をうかがっていたが、敵意がないと分かったのか、剣を引いた。
多少の警戒は残しているようだが、風薫は俺の横にちょこんと腰を下ろした。
するとアヤメは、乱れたしっぽの毛や傷を舐めながら、こちらへ振り向く。
そして、震えが混じった声で、救いを求めるような瞳で、自分の過去を語り始めた。
人間にも猫にも生まれることが出来なかった、その凄惨な生い立ちを――




