第十七話「詐欺師空前の危機」
先に動いたのは、まさかの俺だった、
理由は簡単。風薫のように実力の伴わない俺が勝とうと思えば、その手は限られてくる。
例えば、戦闘開始直後での強襲。
短期決戦に持ち込めば、腕力その他が致命的なまでに乏しい俺でも、まだ対抗しえるはず。
俺は重い木刀を何とか振り上げ、アヤメに振り下ろした。
狙いは少女の後頭部。一撃で昏倒させることが出来れば、勝機はある。
と、曲がりなりにも思ってしまったのが行けなかったのかもしれない。
少女の頭部に木刀が触れる瞬間、俺の木刀はその動きを止めてしまった。
アヤメが、白刃取りの要領で、いとも簡単に斬撃の勢いを殺してしまったのだ。
「ぐっ……」
「にゃあんだ、あんだけ大仰に見栄を切っておいて、そこの山賊にも劣る攻撃にゃ」
「……はっ。分かってるんだよ、そんな事は……!」
「にゃ?」
俺は右手だけで木刀を支え、もう片方の手を懐の中に入れた。
取り出したのは麻酔ナイフ。
どこぞの狩りゲームをやった影響が、発明に出た悪例である。
発明娘は今でもプレイしているようだが、俺は序盤のトカゲみたいのが倒せなくて一日で投げた。
まあ、そんな事はどうでもいい。
要はこのナイフ、致命傷をを与えられなくても、人間の動きを鈍らせることができる。
ちなみに狼の時に使えなかったのは、もみ合いの時に指でも斬ってしまったら確実にアウトだったからだ。
俺はそのナイフで手を切らないよう注意しながら、口で鞘を固定し引きぬく。
そのまま両手がふさがっているアヤメの右肩を狙って、突き刺した。
だが、ナイフを突き立てようとした時、腹部に違和感が走った。
……あれ、両手に力が入らない。
力を込めているはずなのに、全くそれが伝導しない。
木刀は既に地に転がっていて、ナイフも握りしめていられるか怪しい。
見れば、アヤメは楽しそうに自分の指を舐めていた。
その指には、おびたたしい量の血が付着していた。
どろりとした血液を、美味しそうに舐めとっている。
俺は、自分の腹部を見下ろす。
街で購入した安物の袈裟が、少女の爪の形にそって裂けてしまっている。
そこからは止めどなく血が溢れ、袈裟を赤色に染め上げていた。
「なんだよ、これ……」
ああ、分かった。
アヤメは、俺がナイフを突き立てる前に白刃取りを解除して、俺に爪撃を加えたのだ。
……爪ね。なるほど、猫になってるのは頭部としっぽだけじゃなかったのか。
でも、人の皮膚を切り裂くくらいの爪が出てたら、俺も気付くはずなんだけどな。
「……そっか、猫は、爪を隠せるんだっけか」
「遅いんにゃよ。お前が動くのを見てから攻撃しても間に合うにゃん。
弱いんだよ、お前。
――さて、それじゃあまだ死にゃにゃいよな?」
そう言って、アヤメは俺の頭を掴んで、思い切り地面に叩きつけた。
頭から嫌な音がして、俺の視界は赤く染まった。喉からも出血がある。
どうやら、爪が色んな所を蹂躙してくれたようだ。
「さて、そこでよく見てるにゃん」
アヤメは、俺をそのまま放置して、どこかへ向かう。
どこか? いや、あいつがどこに行くかくらい、分かっているだろう。
それだけは、なんとしても阻止しなければ。
「……っやめろ」
「拒否するにゃん」
「やめろって言ってんだよ!」
俺の声も届かず、アヤメは歩いて行く。
向かおうとしている先は、苦しそうに地面に寝ている風薫のところだ。
アヤメは、苦しそうに顔を歪める風薫の元へ行くと、その細い腰の辺りを蹴りあげた。
「……ぅぐぁっ?」
「にゃ、浅かったかにゃ。随分頑丈だにゃ、お前」
そのように吐き捨て、再び蹴撃を繰り出す。
今度は、風薫の柔らかい腹のあたりに、踵落としを振り落とした。
「……う、ぎぅ」
苦悶の表情を浮かべて、余りにも痛い衝撃に耐えようとする風薫。
見ていて、吐き気がこみ上げてくる。なんて残忍な行為だ。
「にゃはは、叫びを上げないのは立派だにゃー。見てるともっとやりたくにゃる」
……動けよ。
動けよ、何で動かないんだよ。俺の身体は。
いっつも役に立たない身体なんだから、こんな時に動かないでどうするんだよ。
あいつは、放っとけば間違いなく風薫を殺す。
それをここで見ているつもりか? 何もできず、何も足掻かずに。
……ふざけるなよ、五年前の惨劇の時に、もう失いたくないって誓ったじゃないか。
以降、甘屋が傷つかないように努力して、俺から人生の選択肢を奪った人間たちから搾取してきた。
なのに、ここでまた失うのか?
あの子は、俺が山に入るときに止めていれば、こんな事にならなかったんだ。
それどころか、彼女を脱走させなかったらこんな事には…………
――いや、もうやめよう。
ここで考えこんで、風薫が苦しんでいる姿を見るのは、我慢がならない。
身体が動かなくても声は出る。詐欺師の口はこういう時に使うものだ。
あの蛮行をやめさせるために、俺は今騙すべきなんだ。
「――やめろよ、駄猫」
俺は、気道からこみ上げてくる血を抑えつけた。
喉から声を絞り出し、アヤメを制止しようとする。
「にゃ、何をやめるのにゃ?」
「……そいつに攻撃するのを、やめろって言ってるんだよ」
「ふぅん。……見たところ、こいつは用心棒っぽいにゃ。
それにゃのに、どうして助けようとする」
「……俺がそいつをここに連れてきちまったんだ。責任は全て俺が取る」
責任。
俺が一番背負いたくなかったもの。
責任を背負いすぎて、破滅していく人間を見ている内に、壊れていく人間を何人も見てきた。
だから、今までに絶対に背負おうと、取ろうとして来なかったもの、それが責任。
「立派だにゃあ。ほら聞いてるか女。
お前の主人はお前を助けるために責任を取るそうにゃ」
「…………」
「死んだかにゃ? まあ、よく持ったほうだにゃ」
そう言って、アヤメは再び俺の元へ来る。
彼女は冷たい目で俺を見下ろし、髪を掴みんで持ち上げて来た。
「責任、ね。取るのは勝手にゃんだが――
私が付き合う義務はにゃいんだよにゃ」
「…………」
「あの女が死にそうになった責任。
それを贖うのにゃら、相応の罰がいるよにゃ」
俺の顔色を逐一伺いながら、年下の猫娘、アヤメは淡々と話す。
反応の鈍い俺を揺さぶるためか、残酷な言葉を発する。
「じゃお前、死んでみるかにゃ」
「…………」
「お前が死ぬんにゃら、あいつは助けてもいいにゃ。
どうせ気まぐれから始まった遊び、別に全員皆殺しにする必要はにゃいんだにゃ。
さて――どうするにゃ?」
風薫の代わりに、俺に死ねと。
そうすれば、風薫を助けてやると。
なるほど、面白い天秤をかけてきたな。
だけどなアヤメ、お前は詐欺師を知らない。
詐欺師は自分の生命線を保つためなら、どんな非道なことにも手を染めるんだ。
そんな奴を相手に、他人の命と自分の命を秤にかけさせたら、結果は明らかなんだよ。
こんな選択肢、初めからあってないようなものなんだ。
詐欺師はどこまでも生き汚い。下手をすれば家族まで見捨てる。
俺の親がそうだったように、自分の息子だって見捨てることがあるんだ。
それが分かっていれば、こんな意味のない選択なんて迫らなかっただろうに。無知は怖いな。
「さて、じゃあ結論を出してもらうにゃ」
完全に爪に付着した血を咀嚼し、俺に結論を迫る。
「……その前に、一ついいか、アヤメ」
「……にゃんだ。聞いてやるにゃ」
俺は、先程からこの少女に感じていた違和感を、指摘する。
「お前は人間を殺して、なんにも思わないのか?」
「…………」
アヤメは俺の言葉に驚き、すぐに冷静になろうと強がろうとした。
だが、俺はその機微を見逃さない。
「思わないわけないよな。
問答無用で殺さずに、最後まで生き残らせる奴を選別するお前が。
何度も何度も『楽しみ』・『遊び』・『趣味』、なんて連呼して、言葉で茶を濁すお前が、何も思わないわけないんだよ」
「……何が言いたい?」
腹立たしくなってきたのか、アヤメの語調が荒くなる。
同時に、俺の呼吸器官が麻痺してきたのか、息をするのが苦しくなる。
「……何か理由があるんじゃないかって思うんだよ。
お前がここを通る奴を殺してるのは、なにか道理があってやってることなんだ」
「そんなことは、にゃい」
下をうつむいて、アヤメは否定する。
どう見ても、認めたくない心と真実が拮抗している。
「嘘だよな。お前が山賊の頭領を殺してる時、目が全然笑ってなかったぜ。
まるで楽しむことによって心を騙して、自我を保ってるみたいだ」
「……うるさい」
「あ?」
「うるさいって言ってるのにゃ! 黙れッ! 黙れッ! 黙れェッ!」
アヤメは、爪を振りかざして地団駄を踏む。
俺をまるで宿敵であるかのように、怒りのこもった瞳で睨みつける。
「そこまで必死になって否定するのは、図星って自分で言ってるようなものだぜ」
「……選択肢を選ばせずに、両方殺してやろうかにゃ?」
まずい、鉄塊が必要か。そんなことをされたら困る。
それだけは、絶対にやってはいけない悪手なのだ。
「勘弁してくれ。すぐに答え出すから」
「にゃら、今ここで選ぶにゃ。あの小娘が死ぬか、お前が死ぬか」
「…………」
「他のことを喋った瞬間、両方殺すにゃ」
そうして、アヤメは釘を刺してきた。
さて、そろそろ良い時間か。
詐欺師に理不尽な二択を迫ったら、どうなるか思い知らせてやる。
「……俺が、死ぬよ」
「にゃ? お前が、お前が死ぬのかにゃ」
「そう言ったんだ」
すると、アヤメは首の横で手を振り、俺の返答を不思議をがる。
「理解できにゃいにゃあ。
お前みたいにゃ人間は、確実に自分を守ると思うんにゃが」
「一回でも捨てられた経験を持った人間はな――
他の誰かを捨てるなんて、残酷すぎて出来ないんだよ」
一回捨てられた、
それが誰を言っているのかは、少女にも伝わったようだ。
俺は自嘲的に微笑む。
「……そうか、にゃ。にゃら、その意思は尊重するにゃ。
そのまま自分の偽善に溺れて死ぬといい」
少女は長く語るのを辞め、爪を振り上げた。
狙いは、俺の頸動脈か、その辺りだろう。
どっちにしろ、当たれば即死だ。
だけど、時は来た。
今ここで、この猫耳娘の有利は崩れた。
少女がそれに気付いていたとしても、いなくても。
「最後に、もう一回聞くぜ。お前は、本当に人間を殺して、何も思わないのか?」
「……無論にゃ」
「――嘘です」
「――にゃ!?」
アヤメは、泡を食ったように驚いて、自分の後ろを振り返った。
するとそこには、先程とは余りにも異なる、決意を持った、力強い瞳を持つ風薫が立っていた。もはやどこにも、幻術がかかっていた痕跡は見られない。
やはりな、幻術は精神から体の調子を狂わせる邪道、そう推察していたんだが、図星だったか。術者の心が乱れるか、幻術をかけられた者が精神で打ち勝てば、その効力は消える。
その両方の条件が満たされた今、風薫は完全復活を果たしたのだ。
風薫は、俺の見るも無残な姿を見て、非難するように微笑む。
「……ご主人様。あなたは、無茶苦茶ですよ。
自分から破滅に向かう選択肢を選んで、確率がほぼない一手に、自分の命を賭けるなんて」
「無茶苦茶、ね。自覚してるよ。でも、この土壇場で、俺は賭けに勝ったんだ」
お前なら、打ち勝ってくれると思っていた。
今まで人を信じられなかった俺が、素直にそう思えるのは、風薫の人徳ありきなのだろう。
風薫は地面に落ちた木刀を拾い、アヤメを睨みつけた。
「さて、もう先ほどの手は食いません。正々堂々、戦っていただきましょう」
「……ちぃ。構わにゃいにゃ。
ここまでコケにされたのは初めて。
お前ら全員、跡形もなく引きちぎってやるにゃ……!」
復活した風薫と、動揺していて幻術が使えないアヤメ。
『旅人の墓場』での第3戦、策士と半獣。
決着の読めない戦いが、始まるべくして始まった。




