第十ニ話「少女の解放」
「良いぜ、分かった。銀髪の少女をもらおうか」
両手をポケットに突っ込みながら、俺は購入の意志を示す。
右ポケットに高電圧スタンガンがある事を確認し、もう片方の手で財布を取り出す。
その仕草を見てか、店長が近付いて来た。
「なら、3000貫寄越しな。頭金とか言って分割払いするのはナシだからね」
太い身体を揺らしながら、手を差し出してくる。
五寸釘を突き立てたら面白いかなと思ったが、当然実行する勇気はない。
財布を握りしめ、俺は不敵に微笑む。
「分かった。ほら受け取れ」
そう言って、俺は渾身の力を込めて財布を放り投げる。
中身が入って重くなった小財布は、店内の彼方へと消えていった。
俺の意味不明な行動を、店長は目を細めて非難する。
「どこに投げてんだい……。金は大切にしな」
そう毒づいて店内へ歩いて行き、財布の回収を始めようとする。
この時、今この瞬間を俺は待っていた。
右を見ても左を見ても、この店の関係者はどこにもいない。
この店の番をしている人間は、あの肥え太った店長と、今しがた店内で虐殺を繰り広げた店員だけのようである。
流石に油断しすぎだな。
虚無僧に武力がないと踏んでの慢心か、それとも刀を持っていたとしても、奴隷を縛る鎖は断ち切れないと判断しての行動か。
どちらにしても、それは失敗だった。
刀は持っていなくとも、鎖を断ち切る道具くらいは持っている。
俺は左ポケットから、甘屋ブランドの発明品を取り出す。
――超小型チェーンカッター。
本来なら、南京錠の金属を両断するために携帯している物だが、その汎用性は非常に高い。
よっぽど圧倒的な硬度を持った金属でない限り、このチェーンカッターの前では豆腐も同然。
俺は店主が薄暗い店内に消えるのを見て、銀髪の少女に駆け寄った。
「ここから出してやる。好きな所に行け」
俺の唐突な提言に、風薫は若干驚いたような顔になる。
「……助けてくれるんですか?」
「さあ? 案外後から拉致して、俺の専属奴隷にするだけかもな」
軽く冗談を吐いて風薫の気を落ち着かせる。
暴れられて手元が狂ったらアウトだからな、気をつけないと。
少女の手元を見ると、鎖のザラザラの部分が細腕に食い込んでいる。
てか、血が滲んでるにも関わらず、痛そうな素振りを見せないな。
我慢しているのか、それとも痛覚が麻痺しているのか。
何というか、どちらにしても痛々しい。
「……こんな悪趣味なもん、少女に付けてんじゃねえよ」
過去に、というより前日に少女を縄で縛っておいて良く言う。
自分でもおかしくなるが、今はそんな懐古に酔っている場合ではない。
「指を内側に握りこんでくれ。切断したら目も当てられん」
恐らくそんな現場を目の当たりにしたら、倒れるのは俺だろう。
甘屋はゾンビ系の映画をよく見ていたが、俺はグロは苦手なのだ。
バイオハザードなんて見せられた日には、3日は何も食えなくなりそうだ。
風薫は首を傾げながら、細やかで白い指を折り曲げる。
腫れ物を触るように、間違っても斬ってしまわないように、慎重に鎖を刃に挟んだ。
そして、両手に力を加える。山中での生傷が悲鳴を上げるが、何とか我慢する。
――キィン
甲高い金属音と共に、風薫の両手が自由になる。いやー良かった良かった。ダイアモンド製の手錠とかだったら切れなかったけど、風薫に付けられていた鎖は鉄製のようだった。
すると、風薫は何を思ったか、俺が持っているチェーンカッターを奪い取った。
「……は?」
俺の間の抜けた声を余所に、風薫は近くにいた他の奴隷を助けようとする。
「待て、そんなことをしても無駄だ」
俺は慌てて肩を掴んで止める。
すると、風薫は恨めしげな表情で俺に振り返ってきた。
「……無駄? なにが無駄なんですか。
あなたは、人が隣で困っていて、平気で見捨てるんですか?」
風薫は氷点下の視線で、俺を睨みつける。
だが、こんなことをしている場合ではない。
早くしなければ、まずい事になる。
「見捨てるさ。俺は博愛主義の神様なんかじゃない。
こっちが好意で助けようとしても、相手に助かろうという意思がないのなら、それは無意味なんだ」
俺が真っ向から反駁すると、風薫の表情が一層険を増した。
「……助かろうという意思? そんな眼に見えないもので、あなたは人の助かる助からないを決定するのですか」
「するよ。それに、目に見えなくとも判別はつく。……あぁ、くそっ。急がないと」
店内から、店長が財布を探し当てたのか、一際大きな歓声が聞こえる。猶予がない。
こんなことをしている場合じゃないのに。実証してでしか、説得できないのか。
「……良いよ、わかった。助かろうという意志がない奴を助けたらどうなるか、見せてやるよ」
俺はそう吐き捨てて、風薫からチェーンカッターを奪い返す。
若干の抵抗は見せたが、所詮は少女の腕力。力自体は俺のほうが強い。
俺は隣で呆けている壮年の女、つまりは奴隷に近付く。
定まっていない焦点が嫌に目に付く。
その土だらけの手を縛る鎖に刃を跨らせ、力を込める。
――カィン
いとも簡単に鎖は切れた。
もう必要がないため、俺はチェーンカッターをポケットに仕舞う。
「ほらよ、これでお前は自由だ。
だが、生きる気力もなく、行く宛もないお前は、これからどうする?」
嫌な役回りだ。
最初から分かっている結末を再演するのは、精神に負荷がかかる。
俺は辛辣にその女に語り掛けた。
しかし、地に落ちた視線を上げることなく、女は動かない。
その姿を見て、風薫は冷や汗をかく。
遂に我慢できなくなったのか、大声で女に話しかける。
「ど、どうしたんですか? もうこれで、逃げられるんですよ?
何で、そのまま動かないんですか……」
純粋だな。
そして、折れない心を持っている人間故に、その無反応の意味がわからない。
この女がお前と同じ光を眼に宿していたら、おれは最初から助けるつもりだったさ。
だけど、人は自分で助かろうとしない限り、助からない。
言い換えれば、自分で自分を助けられない人間は、どうやったって上には浮上できない。
今まで幾度となく眼の死んだ人間を見てきたからか、それだけは分かる。
「どうして……助かろうとしないんですか」
「分かっただろ? これが無駄っていうことだ」
辛辣に呟き、俺は風薫の手を取る。
するとそこで、耳をつんざくような大声が響いてきた。
「あんたら、何してんだい!? うちの商品を、何勝手に持って行こうとしてるんだい!」
店長だ。最悪のシナリオが着々と進行してしまっている。
なるべく同様を顔に出さないようにして、店長を牽制する。
「よう店長。財布の中身は気に入ったか?」
「ふざけるなぁっ! 入ってたのは土と石じゃないかい!
こんなことをして、只で済むと思ってるのかい!?」
ふむ、やはりいらないことをしたせいで時間のせいで損をしてしまった。
助からない人間の救出なんてしたから、こんな割を食う事になる。
「いいじゃないか。そこの山で拾った石だ。大切にしろよ……っとぉ!?」
いきなり目の前を刃が通過した。
慌てて後ろに下がったのが幸いしたのか、どこも斬られることはなかった。
俺は風薫が俺の後ろにいることを確認して、スタンガンを取り出す。
「荒ぶるなよキングゴブリン。
非合法な商売をして騙されたんだ。文句の言い合いはなしだろ?」
「ふざけんじゃねえぇぇええええっ!」
目を血走らせながら、先程処刑に使った刀を振り回す。
その度に鮮血が飛び散るため、不快極まりない。
スタンガンのレバーを致死量ギリギリまで押し上げて、俺は店長に相対する。
激昂した店長が突撃してくる。
この状況はあんまりよろしくないな。
正直言って、この店長に勝てる可能性は低い。
スタンガンの射程なんて知れたものだし、第一俺に斬撃を避ける技術なんてない。
そのため、うまく相手の攻撃を避けて、隙が生じた所に電流を送り込むのが理想なのだが、それはあくまでも理想。
正直、あの剣をかい潜れる気がしない。
乾坤一擲と言っても、さすがに分が悪すぎる。
猛然と迫り来る店長。
丸太のように太い両椀が、渾身の力を以って刀を振り下ろす。
回避行動を取ろうにも、膝が笑っていてどうにもならない。
思考はいつでも冷えているが、身体の方は直情派らしい。
俺は恐怖に耐性がなさすぎる。
――ああ、これは死んだ。
そう思って眼を閉じかけた時、剣閃が眼の前で静止した。
「……へ?」
見れば、後ろでかばっていた少女――風薫がいつの間にか前に出ており、その厚い刀を片手で受け止めていた。
一瞬何が起きたのか理解できなかったが、風薫が肩を叩いてきて正気を取り戻した。
今この少女は、片手で剣戟を受けきってみせたのだ。
開いた口が塞がらない。
トロール店長は刀を戻そうと四苦八苦しているようだが、風薫に力の加減を操られていて、刀は微動だにしない。
「……その黒い塊、武器なんですよね。攻撃しないんですか?」
淡々とした口調で、少女は俺に告げる。
先程熱くなっていた表情が、今は怖いほどに無表情になっている。
「……ああ、するけどさ。これがこいつに触れる瞬間、刀から手を離してくれ。危ないから」
何がなんだか良く分からなかったが、風薫に言われるがままに俺はスタンガンを突き付ける。
「一回死にかけて、奴隷の苦しみを知れ」
俺はスイッチを弾き、電流を解放する。
それを見計らって、風薫は刀から手を放す。
疾走する電流が、店長の巨躯を駆け巡った。
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
往来に響き渡る断末魔。
耳を塞ぎたくなったが、その声もすぐに止んだ。
黒く焦げた女が、地に転がる。
その異音を聞きつけ、店内から店員が顔をのぞかせる。
「ほわぁ……、黒豚が転がってる。って、店長!?」
まずい。今の騒動で人が集まりかけている。
その様子を見て、俺は風薫に振り向いて確認した。
「走れるか?」
彼女はコクリと頷いた。
奴隷生活に慣れていて上手く走れないのか、少女の足取りは危なっかしい。
悪い予感が的中、途中で膝を折って転んでしまった。
慌てて立ち上がろうとしている姿を認めた所で、俺は少女に駆け寄った。
「……背負うから、来いよ」
仕方がないので、俺は背中を少女に差し出す。
すると、少女は躊躇うことなく、俺に体重をかけてきた。
「……ありがとうございます」
「いいよ。それより、ここから早く離れよう」
予想より体重が軽かったので、そこまで走るのに支障は出なかった。
今日はなんだか一日中歩いたり走っているような気がするが、仕方がない。
趣味の悪い門を潜り、俺はなおも走り続ける。
結局俺は、用心棒を雇うことなく、街から出ることになってしまった。