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プロポーズ、お受けします

 


「それに私、結婚したい相手は別におります」


 私の強気な発言に、ローランド様の表情が固まった。

 信じられない……というふうに、わざとらしくよろめく。

 おいおい、その自信は一体どこから来るんだい。

 自分になびかない女がいたことに、心からショックを受けているようだ。


「相手は誰だ」

「お答えする義務はございません」

「この屋敷の人間か」

「詮索なさらないでください」

「誰だ!」


 その時、タイミングがいいのか悪いのか、ノックと共に応接室の扉が開いた。



「クラリス様、馬車の支度が整いました」



 現れたのは、ハーバー公爵家の執事・ヴィンセント様だ。

 三十八歳。

 濃い灰色の髪を隙なく撫でつけ、銀縁の眼鏡をかけている。

 若い頃は騎士を目指していたというだけあって、背筋はまっすぐに伸び、礼服の上からでも鍛えられた体格が分かる。

 寡黙で冷静。どのような問題も淡々と処理し、浮ついたところが一切ない。

 私より十八歳年上の、渋くて仕事のできるイケオジである。

 前世から筋金入りのおじ専だった私の、まさに理想そのものだった。


「ヴィンセント様!」


 私が声を弾ませると、ヴィンセント様の表情がほんの少しだけ緩んだ。

 普通の人間なら見逃す変化だが、三年間追いかけ続けた私には分かる。

 これは喜んでいる顔だ。


「キャロル。私相手に様をつける必要はないと、何度言えば分かるのです」

「だってヴィンセント様は、私の未来の旦那様ですから」

「まだ承諾していません」

「もう一押しだと思っています」

「その自信は、どこから湧いてくるのですか」

「愛です」

「まさか……ヴィンセントなの、か?」


 ローランド様の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 こらこら。微笑ましい私たちの会話に勝手に横入りしてくるんじゃない。


「君が結婚したい相手というのは、このヴィンセントなのか?」

「はい!」

「こんな年上の執事と?」


 こんな、だと?

 私は反射的にローランド様をにらみつけた。


「ヴィンセント様を侮辱なさらないでください」

「侮辱ではない。君とは十八も年が離れている。身分も執事だ」

「年上だからいいんです。執事だからではなく、ヴィンセント様ご本人が好きなんです」


 私はヴィンセント様の隣へ移動した。

 にっこりと微笑み、これでもかと彼のいいところをアピールする。


「ヴィンセント様は、完璧な仕事をしても自分の手柄にはなさらない。使用人の失敗を頭ごなしに責めず、原因を調べて再発を防ぐ。クラリス様が商売を始められた時も、公爵家の体面ではなくクラリス様の努力を評価してくださった」

「それは執事として当然のことだ」

「当然のことを、当然にできるところが素敵なんです」


 愛する気はないと宣言しておきながら、妻が甲斐甲斐しく尽くすのを待つ男とは違う。

 ローランド様が、またわざとらしくよろよろと眩暈を起こした。

 正直、うざい。


「ヴィンセント。これは一体どういうことだ」

「キャロルから結婚を申し込まれております」

「断れ」

「それは私が決めることです」

「主人の命令が聞けないのか」

「私生活まで命じられる契約を結んだ覚えはございません」


 刹那、ローランド様の顔が怒りに染まった。


「ならば解雇する!」

「ローランド様!」


 クラリス様が諫めるように、声を上げる。

 一方、ヴィンセント様は少しも動じなかった。


「承知いたしました。いずれにせよ本日付で辞職願を提出する予定でした」

「なに?」

「私はクラリス様の新しい商会で働かせていただくことになっております」

「――」


 今度こそ、ローランド様は言葉を失った。

 クラリス様は、少し申し訳なさそうに微笑む。


「ヴィンセントには、私の商会の総支配人をお願いしました。退職規定に従い、一ヵ月前に公爵閣下へ辞職希望の書面を提出しております」


 公爵閣下――ローランド様の父は息子とは違い、クラリス様の商才を高く評価していた。契約結婚の終了についても、クラリス様の意志を尊重している。


「私の知らないところで、勝手に話を進めたのか」

「勝手ではございません。ローランド様が、ご自分の妻や使用人が何を考えているのか、知ろうとなさらなかっただけです」

「黙れ」

「恐れながら、最後に一つだけ申し上げます」


 ヴィンセント様は眼鏡のブリッジを中指でクイッと押し上げた。


「ローランド様。人を愛する本当の意味を知らないあなたは、かわいそうなお人です」

「……何?」

「愛とは相手を自分の望む場所に縛りつけることではございません。相手の望みを知り、その幸せを尊重することです」

「説教をするつもりか」

「いいえ。すでに解雇された身ですので、元執事からの置き土産でございます」


 私は思わず両手で口元を覆った。

 うん、やっぱり格好いい。

 格好よすぎる。

 ヴィンセント様。今すぐ私と結婚してください。


「キャロル、参りましょう」

「はい!」

「待て!」


 私は迷わずヴィンセント様の手を取った。

 ローランド様が慌てて追いかけてくる。

 けれどクラリス様が静かに元夫の前に立ちはだかった。


「ローランド様。私たちの契約は、本日をもって終了しました」

「分かっている。でもキャロルは」

「キャロルは、あなたの所有物ではありません」

「私は彼女を愛している!」

「ならば余計に彼女の選択を尊重してあげるべきです」


 クラリス様の声は穏やかだった。しかし三年前のような遠慮は、もうない。


「愛していると告げたのだから、受け入れてもらえるはずだ。自分のほうが身分も容姿も優れているのだから、選ばれるはずだ。そのように考えているのでしょう?」

「私は、ただ」

「あなたが見ているのは、キャロルではありません。あなたを満たしてくれる、都合のいい誰かです」

「――」


 元妻の言葉は、ローランド様の心に深く突き刺さったようだ。

 顔面蒼白になりながら、呆然と立ち尽くす。


 クラリス様は優雅に一礼すると、今度こそローランド様に背を向けた。

 私とヴィンセント様はその後を追い、共に公爵家を出る。

 背後から呼び止める誰かの声は、もう聞こえなくなっていた。



    ◇◆◇



 それから半年後。

 クラリス様が立ち上げた商会は、驚くほど順調に成長していた。

 領地の織物や香油だけでなく、働く女性のための実用的な鞄や衣服を扱い始めたところ、これが王都で大評判となったのだ。


「キャロル。東地区の店舗候補だけれど、この物件どう思う?」

「大通りから一本入っていますが市場に近いですし、働く女性が立ち寄りやすいと思います。ただ裏口付近が暗いので、照明を増やしたほうがよろしいかと」

「そうね。ではその条件で交渉しましょう」


 私はクラリス様の侍女を続けながら、商品の開発や従業員の教育にも関わっていた。

 かつてハーバー公爵家で控えめに微笑んでいたクラリス様は、今や何人もの従業員を率いる立派な商会主である。取引相手と堂々と渡り合い、失敗すれば原因を分析し、働く者たちの意見にも耳を傾ける。

 そんなクラリス様のもとで働けることが、私は誇らしかった。



 そして、ヴィンセント様は商会の総支配人として、経営全般を取り仕切っている。

 交渉も、帳簿の管理も、従業員同士の揉め事の仲裁も完璧。

 今日も眼鏡の奥の灰色の瞳を細め、書類へ素早く目を通している。

 渋い。

 実に渋い。

 真剣に働く横顔も、ペンを持つ節張った指も、眉間に刻まれた薄いしわも、すべてが私の好みだった。


「ヴィンセント様」

「なんですか」

「好きです。結婚してください」

「勤務中です」

「では勤務が終わったら、もう一度申し込みます」

「そういう問題ではありません」


 ヴィンセント様は書類から目を上げることなく答えた。

 冷たい反応に見えるが、私は知っている。

 耳が少しだけ赤い。

 これは照れている。

 三年間、毎日のように観察してきた私に隠し事はできない。

 向かいの机で帳簿を確認していたクラリス様が、呆れたように笑った。


「キャロル、今日だけでもう三度目のプロポーズよ」

「まだ三度目です」

「回数の問題ではないと思うけれど」

「継続は力ですから」

「ヴィンセントが困っているわ」

「本当に迷惑ならやめます」


 私はそこで、いったん言葉を切った。

 冗談めかして求婚を繰り返しているけれど、ヴィンセント様が本気で嫌がっているなら続けるつもりはない。私が好きだからといって、相手も私を受け入れるべきだとは思わないから。


「ヴィンセント様。もし本当に迷惑でしたら、きちんと仰ってくださいね」

「はい?」


 書類をめくるヴィンセント様の手が、ぴたりと止まった。

 私は迷いなく、素直な気持ちを告げる。


「私はあなたが好きです。できることなら結婚して、一緒に年を取っていきたいと思っています。でも私の気持ちを受け入れないからといって、あなたを恨んだりはしません」

「……キャロル」

「ヴィンセント様が幸せなら、それでいいんです。できればその隣に私がいたいですけれど」


 ヴィンセント様は口を一文字に結んで黙り込んだ。

 私たちの様子をうかがっていたクラリス様が、そっと立ち上がる。


「私、倉庫の様子を見てくるわね」

「え? ですが」

「一時間ほど戻らないから、どうぞごゆっくり」


 クラリス様は楽しそうに微笑み、執務室を出ていった。

 さすが私の推し。

 気遣いまで完璧である。

 扉が閉まり、部屋の中に私とヴィンセント様だけが残された。


「キャロル」

「はい」

「こちらへ」


 呼ばれるまま机へ近づく。

 ヴィンセント様は眼鏡を外すと、疲れたように眉間を押さえた。


「君は本当に困った人ですね」

「よく言われます」

「強引で、諦めが悪く、仕事中にも構わず求婚してくる」

「申し訳ありません」

「私が重い荷物を運べば、腕を見つめている」

「申し訳ありません」

「上着を脱げば、背中を見ている」

「大変申し訳ありません」


 やばい。全部バレていた。

 でももともと騎士を目指していたというヴィンセント様のナイスバディがいけないのだ。

 その上腕筋も、広背筋も、素晴らしすぎて、ついつい見惚れてしまうのです。


「君はまだ二十歳です」

「はい」

「私は三十八です」

「存じております」

「君が三十八になる頃には、私は五十六になっています」

「ますます渋くなっていそうですね」

「私は君より先に老いる」

「一緒に白髪を増やしましょう」

「おそらく、君より先に死ぬ」

「その時は盛大に泣きます。それからヴィンセント様との思い出を抱えて、あなたの分まで幸せに生きます」

「少しは躊躇ってください」

「何度考えても、結論は同じですから」


 私はまっすぐにヴィンセント様を見つめた。



「私は、あなたが好きです」



 ヴィンセント様はしばらく何も言わなかった。

 やがて、深くため息をつく。


 また断られるのだろうか。

 しつこいと呆れられているのだろうか。

 少しだけ不安で胸が痛んだ――その時。


 ヴィンセント様が席を立ち、私の前へ回り込んだ。

 大きな手が、慎重に、そっと私の頬へ触れる。

 とても温かくて、多くの苦労を知っている掌だった。


「君は本当にずるい人です」

「私がですか?」

「私の幸せを願うなどと言われては、これ以上、自分の気持ちを誤魔化せないでしょう」


 灰色の瞳が、すぐ近くで私を見つめている。


「最初は若い君の一時の気の迷いだと思っていました」

「三年間も迷っています」

「そうですね。残念ながら、君の気持ちは少しも変わらなかった」

「変わるどころか、日に日に強くなっています」

「私もです」

「は?」


 聞き間違いかと思った。

 思わず目を見開き、間近からヴィンセント様を見つめ返す。


「……今、なんと?」

「聞こえなかったのなら、もう一度申し上げます」


 ヴィンセント様が、私の手を取る。

 いつも冷静で隙のない彼が、ほんの少し緊張しているのが分かった。



「キャロル。私と結婚していただけますか」

「はい!」



 即答した。

 それから迷わず、ヴィンセント様へ抱きつく。

 勢いよく胸板へ顔をぶつけてしまったが、まったく痛くない。

 むしろ幸せだった。


「はい、はい! 喜んで!」

「声が大きい」

「だってやっとヴィンセント様のほうからプロポーズしてくださったんですよ! 嬉しすぎます!」

「君が毎日してくるので、私からする機会がなかったのです」

「ではもっと辛抱強く黙ってればよかったですね!」

「反省するところは、そこなのですか」


 呆れた口調とは裏腹に、ヴィンセント様の腕が私の背中へ回る。

 力強く、それでいて大切なものを扱うような優しい抱擁だった。


「愛していますよ、キャロル。……心から」


 そして次の瞬間、ヴィンセント様から初めてのキスが降ってきた。



 ◇◆◇



 ちなみに、ここからは完全な余談。

 風の噂では、あれからローランド様は何度か再婚話を持ちかけられたものの、いまだに誰も妻には迎えていないらしい。

 クラリス様が管理していた公爵家の帳簿は再び赤字が増え、ヴィンセント様が去った屋敷では使用人の入れ替わりが続いているという。

 最近になってようやく、クラリス様がどれほど公爵家を支えていたのか、ヴィンセント様がどれほど多くの仕事を引き受けていたのか、そして私が誰のために屋敷中を走り回っていたのかに気づいたそうだ。


 けれど、今さら気づいたところで遅い。


 クラリス様は自分の商会で成功し、ヴィンセント様はその隣を支え、私は大好きな人と結婚する。

 もう誰一人として、ローランド様の都合で生きてはいないのだから。



 君を愛する気はない――

 そんな言葉から始まる恋も、この世のどこかにはあるのかもしれない。

 けれどやっぱり私は、最初から私をひとりの人間として大切にしてくれる人がいい。

 言葉だけではなく、行動で愛を示してくれる人がいい。


 小説の筋書きは、もう終わった。

 ここから先は、誰も知らない私たちの人生だ。

 そして私は大好きな推しと、愛するイケオジと一緒に、これからも幸せに生きていくのだ。




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