第1話「春、変わらないもの」
春の空気は、少しだけ柔らかい。
東京の街が、冬の硬さをゆっくりほどいていくような季節。
その中心にある 代々木公園 は、すでに多くの人で賑わっていた。
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桜の木の下。
レジャーシートの上に広げられた弁当箱。
春日井真希は、最後の一品をそっと置いた。
「これで全部」
少しだけ息を吐く。
横では結翔が待ちきれない様子で覗き込む。
「もう食べていい?」
「まだ。ちゃんと手洗った?」
「洗った!」
少し大げさな返事に、真希は小さく笑った。
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悠真はその様子を見ながら、静かに座る。
周囲には会社の人間も何人か来ている。
だが、距離は絶妙に保たれていた。
あくまで“同じ場所にいるだけ”。
ここは、家族の時間だった。
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「いただきます!」
子どもたちの声が揃う。
弁当の蓋が一斉に開く。
卵焼き、唐揚げ、彩りよく並んだ野菜。
どれも手作りだった。
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「うまっ!」
結翔がすぐに声を上げる。
未来と莉嘉も夢中で箸を動かしている。
その様子を見て、悠真はふっと笑う。
「やっぱり真希の弁当は強いな」
真希は少しだけ目を細める。
「普通だよ」
「いや、普通じゃない」
そう言いながら、悠真は一口食べる。
そして、何も言わずに真希の方へ少しだけ近づいた。
軽く、頬に触れるだけのキス。
一瞬の出来事。
誰にも気づかれないくらい自然な動き。
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真希は少しだけ驚いた顔をする。
「……外だよ?」
小さく囁く。
悠真は肩をすくめる。
「バレてない」
真希はため息をつきながらも、どこか少しだけ嬉しそうだった。
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風が吹く。
桜の花びらが、ゆっくりと舞い落ちる。
子どもたちはそれを追いかけるように手を伸ばす。
その光景を見ながら、悠真はぽつりと言った。
「なあ」
「うん?」
真希は空を見上げたまま返す。
少し間を置いてから、悠真が言う。
「……子ども、もう一人とか」
その言葉は、軽いようで少しだけ重かった。
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真希はすぐには答えない。
風の音だけが、間を埋める。
やがて小さく息を吐いた。
「……うーん」
そして、ゆっくりと悠真の方を見る。
「もうそろそろ、年齢的にね」
その言葉は、現実をちゃんと含んでいた。
「この歳でだと、高齢出産になるし」
真希は少しだけ笑う。
「それに」
視線を前に戻す。
子どもたちが楽しそうに笑っている。
「この子たちだけで、私は十分」
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その言葉は、静かで、でも強かった。
悠真は少しだけ黙る。
そして頷く。
「そっか」
それ以上は聞かない。
それでいいと分かっていた。
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真希は少しだけ身を寄せる。
そして今度は自分から、軽くキスをする。
短くて、優しいもの。
「ありがとう」
小さな声。
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悠真は少しだけ笑う。
「何が?」
真希は目を細める。
「全部」
それ以上の説明はいらなかった。
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桜の下。
家族の笑い声が続く。
特別なことは何もない。
でも、確かに満たされている時間。
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仕事もある。
出世も続く。
忙しさも変わらない。
それでも――
この時間だけは、何にも代えられなかった。
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春は、何かを始める季節と言われる。
けれど二人にとっては違った。
“変わらないもの”を、ちゃんと確かめる季節だった。
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