第八十五話 一夏の思い出
別荘の前まで戻ってくると、出雲さんと雫の二人が待っていた。
「お二人ともよくぞご無事で……夏白島に響き渡るあの鐘の音。成功したのですね?」
「はい、なんとかなりました。でも、大事なのはここからです。そうだろう雫? ……うん? あれ? 雫、その体……」
「どうしたのですか? 三人とも雫を見て、それもどうしてそんなに辛そうな顔をしているのですか?」
「……そりゃそうですよ。だって雫……どうやらもう、お別れの時間みたいです」
「お別れ?」
雫が自分の体を見る。雫の体はどんどん透明になっていき、体から粒子が溢れ、天へと昇っていた。
「さようなら雫。私とは短い付き合いでしたが、私は雫の無事を祈っていますよ」
「私もです。あなたたちが本来の夏白島で暮らせるように、私も全力で頑張ります。いずれまたお会いしましょう」
「まあ、なんかあったらまたこの時代に戻って来いよ。俺たちがいつでも助けてやるから」
「ひいおじいちゃん、夜月さん、八雲さん……」
記憶を共有した俺には分かる。俺たちにとっては数日のことが、雫にとっては何週間もの出来事であった。そこで作った思い出は、俺たち以上に深く刻まれていることだろう。
俺たちは笑顔で雫を見つめる。これは今生の別れではないこと。俺たちはいつでも雫を待っていることを伝えたかったから。
「じゃあな雫! たまには俺たちのことを、思い出してくれよな!」
「当たり前なのです! 絶対なのです! 雫は皆さんのことを忘れません!! 本当に、本当に楽しかったのです! 本当にみなさんのことが……」
最後の言葉を前にして、雫は粒子となって消えてしまった。
「……聞き損ねちゃいましたね、雫の言葉。なんて言ってたと思います?」
「それを今は知る必要はないんじゃねぇのか? 多分俺たちはその言葉を知っている」
「そうですね。……お二人とも、少し私の我儘に付き合ってくれませんか?」
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何だか体がぽわぽわする。宙に浮いているような浮遊感。それに、あたたかい。あたたかい何かに包まれている。これは一体?
「雫、雫、雫ってば、起きなさい。いつまで寝ているのよ」
「え?」
誰かに呼ばれて意識が覚醒する。寝ぼけ眼でその声の主に目を向けると、一人の女性が立っていた。
「雫が遅起きなんて珍しいわね? 昨日は夜更かししたの?」
「……あなたは一体、誰なのですか?」
「もー、何を寝ぼけちゃってるのよ。私は雫のお母さんよ。顔を洗ってらっしゃい」
促されるままに顔を洗いに行く。知らない家だというのに、なぜだか体は場所を知っている。水の冷たさがこれは夢じゃないのだと教えてくれる。雫は今まで何を?
そうだ。過去に戻って、八雲さんや夜月さんと一緒に夏白島で過ごしたんだ。そして、元の時代に戻ってきた。でも、この家はどこ?
「雫ー! おはよう! 目は覚めたかい?」
一人の男性が雫に話しかける。その男性の顔には見覚えがあった。
「出雲、時久?」
「おや? どうしたんだい? いきなりフルネームで私の名前を呼んで?」
「……お父、さん?」
「そうだよ。私の可愛い可愛い雫のお父さんだよ。ひどいなー、忘れちゃったのかい? それはそうと、雫を呼んだのには理由があるんだ。ちょっとこっちへ来てくれ」
雫が時久さんについていくと、書斎にたどり着いた。そこで時久さんは一つの封筒を持っていた。
「これは何なのですか?」
「私にも分からない。ただ、書斎を整理しているとポロっと出て来てね。差出人は私のおじいちゃんで、宛て先は雫になっているんだ。雫とおじいちゃんが会ったのは小さい頃だから、あんまり面識はないと思っていたんだけどな。ほら雫。私は別の場所を掃除しているから、何が入っていたのか後で教えてくれよ」
雫が封筒を受け取ると、時久さんはどこかへ行ってしまった。差出人と宛先だけ書かれた古い封筒。傷つけないように細心の注意を払って開ける。
「……っ!!」
封筒の中に入っていたものが目に飛び込んでくる。それは二人の男性と一人の女性が笑顔で映っている写真であった。
その写真の下にはもう一枚手紙が入っている。その手紙を読み終えた雫は、いてもたってもいられなくなって思い切り家を飛び出した。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
後先考えずに全力で夏白島を駆け抜けていく。夏白島の住宅街。メインストリート、港、ビーチ、遊園地、山、別荘。雫が見た光景とは少し違っていたが、確かに面影が残っていた。
雫は最後にとある岬にたどり着く。夏白島中を巡っていたせいで、気が付けば日が沈もうとしていた。雫はポケットにしまっておいた手紙を取り出す。
そこには、『一夏の思い出をありがとう。大好き』と書かれていた。
「雫も大好きなのです! みなさんのことが、夏白島のことが大好きなのです! 雫は幸せです! 生まれてきてよかったです! これからは雫が、この夏白島を守っていきます!! だから、見ていてください!! ひいおじいちゃん、夜月さん、八雲さん!!」
その岬から見た夕日の綺麗さは、あの頃と寸分も変わっていなかった。
この島を繁栄させたグローリーは壊れてしまった。
それでも、人々は、夏白島は、雫は……この世界で生きている。
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「雫、大丈夫ですかね?」
「大丈夫だろう。俺のスキルでは、これ以上世界線が増えるようなことは確認していない」
「そうですか……変えられるんですね、未来」
「ああ、変えられる。数多に広がった未来の中から俺たちは好きな未来を選ぶことができるんだ」
帰りのフェリー。夕日に照らされる夏白島を眺める。
最強を目指す俺たちの旅路はまだまだ続いていく。果てしなく広がる未来に向かって。




