ハンバーグ弁当
ハンバーグ
定期演奏会が間近となって、部活の練習が夜の十時まで延ばされた。
演奏会のチケットは一枚二千円、中学生の演奏会にこの値段は少し高い。N市の施設である文化ホール、一日借り切ると言っても、N市の中学校の行事なのだから会場の使用料はタダである。特に必要経費と言っても楽器の運搬くらいで、カネを取ってしてまで開くオケラの演奏会なのか。こういうやり方はいかにもゾンビの考えそうなことだ。
しかしウイーン帰りのN一中管弦楽部が、また全国優勝をしたということで、こちらが頼んでもいないのに、音楽雑誌がオケラの定期演奏会が行われると記事にしている。ゾンビがそれを自慢していた。チケットは難なく完売する。
「ちょっと待って、先生」と里子がここでディスプレーを止めた。「あのハナシが抜けてます、先生」
「あのハナシ? ああ、雅人ちゃんのハナシか」
いや、そうなんだけど、どこに入れたらいいのか悩んでいたんだ。俺がそう言うと、あれは大切なものですよと里子は言う。抜かしたらいけませんよ、あたしはこだわりますと。
「あのハナシがなければ全然感動のないマヌケな管弦楽部でしかないじゃないですか? 先生だって本当に言いたいのはこれでしょ? 取ってつけたようにでもいいですから、ここに入れましょう」
三十代の半ば、俺は慢性胆のう炎を患って、冗談にもならない痛みを抱えた。精神疾患も何十年になるのか。無職、独身、病気持ち。そしてトドのような、異様なほどに太った薬物性のデブ。
人間としてあることの資格など全くなさそうな、空しい中年男が入院した外科病院では壁や天井、カーテンやシーツ。何もかもが白い朝を迎えて、目覚めた俺は携帯ラジオのイヤホンを耳に入れた。
するとホルンカルテットの演奏が響いている。瞬間に演奏者が誰なのか予感した。曲名の後にアナウンサーが語ったホルン奏者はその通り知っている彼だった。
早朝から流れる金管楽器の音色が、さわやかに心地よく、同じ部活の友人でもここまで人生生きる道は乖離するものかな。
東京ホルンカルテット、吉永雅人。
同じ中学校の第二音楽室で練習していた間柄でも、俺と雅人ちゃん、土曜日の部活の日にはたまに昼食として一緒に菓子パンを買いに行ったものなのだが。
学校給食のない土曜日は、午後からの部活のために、オケラ部員たちは弁当を持ってくる。とくに見てくれもよくない母の作ったハンバーグを俺の弁当に入れて行ったら、あのときの、意外にも大声を上げた雅人ちゃんの顔が忘れられない。雅人ちゃんはどうして、あれほどに感激したのだろう?
「おふくろの味?!」
眼鏡をかけたたてながのソーセージのような顔に俺は呆けた。
しかし、家族というものを考えたときに、大切にして心に持つべきものがある。母の作った食事にそこまでの愛情を感じる雅人ちゃんに対して、絶対的にこの人は自分と何かが違うと半ば憧れのまなざしで彼を見る俺だった。
「家族は大切ですよ。あたしだって家族あっての幸せな人生ですよ」
それにですね、と里子が言う。何?と俺が聞けば、この雅人さんと言う人と先生と言う人は何か同じ感性を持っているようにおもえますよ?と里子は心を深く読み取っていく。俺は首をひねった。
「どこが同じなんだろ? 俺は楽器なんて全然吹けないし、アホウなくらいに頭がいいわけでもない。
これといって評価できるものなんて俺には何一つない。人間として、雅人ちゃんには到底勝てないよ」
「先生違うんですよ、楽器吹けるとか、そういう能力のことではなくて、心の奥底にあるものが同じように思えるんです。
コンクールだって演奏会だって、考えてみたら手作りの音楽じゃないですか。コンクールで賞を取るのも演奏会を成功させるのも、自分たちで創ってきた音楽で感動することです。
手作りのハンバーグに感動する雅人さんも、そのびっくりしたような笑顔をいつまでも心に残しておく先生も、創造のために大切な感性を同じように持ってるんじゃないかなと、あたしは思います。だからこその、こんな部活の一風景になるんじゃないんですか?
こんなことで感性の糸がつながりあうことは、なかなかあることじゃありませんよ。あたしにとって雅人さんと先生の心のつながりに、なかなか教えられ難いものを見せられる思いがします」
俺はしばし考えた。確かにそう言われてみるとそうなのかも。そう言われてみると俺も救われるのかも。
雅人ちゃんも教えてくれるものを、教えてくれるんだなあ。