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プロフェッショナル

プロフェッショナル


 管弦楽部は結局のところ、コンクールを次々と優勝してのし上がっていく。それはいいけれど、俺のアタマの中は頭痛と目まいを感じながらいい加減に出来上がっていく。

 ゾンビはバカだ。オケラは辞めろ。

 地区大会、県大会、関東甲信越、全国大会と、大型バスに乗せられて連れまわされる中学一年生の部活動の学生生活。西へ連れていかれるのか、東へ連れていかれるのか。

「ヨシ君、明日はコンクールだぞ」と東條先輩に言われて、はっと気づいて壁に貼られているスケジュール表を見ると、ついに全国大会と言う所まで来ている。

 マジでたどり着いちゃったよ、全国大会。そしてここで一位を取った感覚は、地区大会を一位で通過したものと変わらないものだった。これ以上、上に設定されたコンクールはない。なんだかんだと言っても、今年も全国最優秀校のN一中管弦楽部だった。


 プロのコンクールで優勝することは、音楽の世界に住む者にとって、それ以外の世界でも同じことだが、かなりただ者ではないというもの。学生のアマチュアコンクールでの優勝とは違って、この栄誉に輝いたものは、つまり楽器を弾いてご飯が食べていけることになる。

 篠原先輩はテレビやラジオに引っ張りダコ。新聞でも写真を載せられたうえでインタビューを受ける。傍目に生活が華々しかった。一般の中学生の生徒たちから一目置いて見つめられる均質な日本の学生たちの中での特別な存在。

 プロデビューした篠原先輩がCDを出したとき、レコード屋へそのCDを買いに行ったら、すでに完売しているほどの人気。それからも二三枚、アルバムが出た後ラジオでもしばらくは演奏していたが、東京芸大に在学中にプツリとその音沙汰が消えることになる。

 絶頂期という篠原先輩なりの力である。そうなれば日本国内でちょこちょことはやっていない。アメリカのジュリアード音楽院へ文化庁派遣員として勉強しに行き、海外のコンクールでも賞を取って世界的バイオリニストとなり、ベルリンフィルやウイーンフィルと言ったオケとも共演して1920年代のバイオリニストのようだと評価を受け、ソリストとしての地位を確立していった。

 それは確かにすごい。音楽の詳しいことは知らないが、例えばジュリアードと言えば現在の世界的に有名な音楽家は必ずこの学校で勉強しているものである。

 そんな先輩の活躍を大人になってポツポツと音沙汰に聞いていた。自分が活躍している訳でもないのに誇らしくも思える。

 篠原先輩が部活の練習が終わった後にわざわざ俺のところまで、ひな壇を上ってやってきた。

「きのう、ヨシ君のお兄さんに声かけられたよ」

「あ、そうですか?」

 笑う先輩、言葉遣いもあどけなく、こうやって話をすると丸襟のブラウスにベストを着た、同じ学校の可愛い先輩。

 スカートをきゅっと膝頭あたりまでの長さにはいて、長い髪をポニーテールに、ひとつにまとめる。それが篠原先輩のトレードマーク。大人物のイメージと、学年が一つ上の女子の先輩と言うイメージと、重なり合わせるのが難しい。

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