小曽根ベルリンの第九
新聞の片隅に、畑を区画整理して住宅地として売りに出した広告が載った。新しく駅が出来た街で徒歩七分、乗り換えなしで東京まで行ける。体が弱くて通勤に好都合だと考えた父がこの土地に飛びついた。風が吹けば砂嵐の舞う荒野に全財産をなげうって家を建てた。
ざっと一億円の豪邸。いや、そのほとんどがローン払いで、実際に家を建てるときの資金はそれほど大したことはない。しかしそれでも、一億円を払いきるような給料をもらっていたような過酷な仕事をしていた父というもの、命を縮めてこの家を建てたとしか思えない。
吉崎家は昭和初期まで大阪で商いをやっていた家系だった。商売は繁盛していたものの、この家には子どもが出来ず、吉崎の血は実は絶えている。
遺産を残して店をたたんだ吉崎家、その遺産は強欲な人間たちの争いの的になったうえで、うちの祖父が引き継ぐことになったという。
「今のカネに換算すると十億はあったんやで」
家を建てることで気が大きくなった父が、大判風呂敷き広げる。十億円か、腰を抜かす金額だ。
確かに昔は、カネがあったか知らないが、そのカネは祖父が湯水のごとく使い果たした。棚から牡丹餅のように、カネなど得るものではない。カネの大切さ、カネの持つ重みを祖父はまるで知らなかった。
プロ野球の球団へカネをつぎ込んで、太平洋戦争の前に球団を引き連れて船でアメリカまで行きもする。いろいろな所へカネをばらまき、大人物の祖父だったそうだ。テレビに出ていた野球界の重鎮も、学生時代には祖父に頭を下げて金を無心に来ていた。玄関先で腕を組んでうなずいていた祖父は重々しく何度もうなずき、そして、彼にカネを渡していた。
今ではもう、カネなど一円も残っておらず、家を一軒建てるのに、矛盾したことに父は子どもの学費までつぎ込んでいる。
とはいうものの、十億円の資産がうちにあったのかと知ると、俺だって得意げに言いふらしてみたくもなる。軽い気持ちで源次郎に言ってみた。
「俺んち昔は商人の家で、十億のカネがあったんだって」
十億という金額を聞いて、強欲な源次郎は間髪入れずに反応した。
「それはいい! ヨシ君は僕のマネージャーになりたまえ! 僕は将来、東京大学を出てから指揮者になるんだ。カネがいるからその方面は全部ヨシ君に任せるとしよう!」
午前中の休み時間、ベッドタウンの古びた中学校の教室で、おもむろに源次郎の演説は始まった。
入ってきた情報と、自分の将来設計と、自分の自慢話を、とうとうとないまぜに語る知能は、さすがに学年二位、偏差値七十二の学力を誇る源次郎だ。
あの頃、源次郎は本気で世界的に有名な指揮者になるつもりでいた。きらびやかに優雅で豪華な、天才の上に大が付く、その名をゴシック文字で歴史上に残す人物になる夢想を見ていた。
トロンボーンは下らない楽器だとこき下ろしたくせに、こいつの何が世界的な指揮者なのか知らないが。大体カネを持っている方の人間がマネージャーになって、何で源次郎の言いなりになってこいつの世話をしなければならないのだろうか。
「芸大はダメだ! あそこは才能をつぶす! 音楽バカほど頭につける薬のない者はいない!
それよりも東京大学へ進学して、日本国の最高学府と言うネームバリューを持って、異色の経歴の天才として世界にデビューしたほうが、音楽の世界では売れるんだ!」
教室の窓の外では、ぽかぽか陽気にふわりと柔らかな春風が、一面の広い草原を思わせるニンジン畑の青い葉を揺らし、大自然の息吹を感じさせている。
「二千五十年の十二月三十一日にベルリンフィルでベートーヴェンの第九を振って、最後の一音が鳴り終わったとき、指揮台の上で僕は心臓発作で死ぬんだ! そして正月元旦の新聞に『稀代の天才指揮者、小曽根源次郎氏死去』と一面トップで報じられるんだ!」
どこまで本気で言っているのか、どこまで言うと恥ずかしい事態に陥るのか。決して冗談で言っている訳ではない。確かに源次郎は、この人生の道筋を歩くことを強く確信している。
捕らぬ狸の皮算用、と言ったら裁判沙汰の侮辱になるほどの「小曽根ベルリンの第九」。この話を理解するには俺も幼い少年だった。




