小曽根源次郎
小曽根源次郎
しかし、これで一件落着と収まるのかと言うと、俺の人生はそんな甘いシナリオに描かれていなかった。中学生生活における奇妙な事態は、二年生に上がったその日から本格化した。
鉄製の骨組み、木製の天板。帰りのホームルームが終わり、一斉に立ち上がった生徒たちの座席のぶつかり合う硬い音をかいくぐって、「君だ!君こそが僕の求めるものだ!」とか言わんばかりに、教室のま向こうから大声をあげて、田中角栄という昭和時代の人物のような顔で、彼は右手を上げてまっしぐらにつかつか歩いて近づいてくる。
「ヨシ君はいい決断をした! 管弦楽部は辞めるんだ!」
二年生にもなって、いい加減に出来上がった難しい顔で、下校していく生徒たちを次々に押しのけて、俺に視線を固定して一人の男子生徒はずかずかとやってくるのである。
まるで、僕は人生100年友人を探し続けてきたが、遂にその理想というべき鏡というべき人物が見つかった。君こそが僕にとって最高の求めたる友だ!
とでも言うようにその男子生徒は俺の目をガシッと見つめて、ダンプカーのような力強い印象で、ぼんやり席に座ってポカンと口を開いて全く意味のつかめない俺に向かって、大声で叫びながら小曽根源次郎は強い歩みで近づいてくる。
……まわしというのはこのようにつかむんだよ!
……やめろよ源次郎君!
相撲の真似をして遊んでいるときに、まわしのつかみ方と言いながら、相手の半ズボンをずるりとおろしてしまう。小学生のときの同級生で、そんな風にいたずら好きで茶目っ気があって、みんなの人気者だった小曽根源次郎と言う男子生徒。
中学生になってみると、源次郎は何故か重々しくも気難しい、黒い詰襟がまるで似合った、大学の老教授というほどの知能の大家というごとしキャラクターとなって、誰もがこの人にはちょっと近寄りがたいなあという時代錯誤の人物の体裁である。
源次郎はクーデターを起こした時の作家の三島由紀夫のように俺の前にズカッと仁王立ちに立つと、一人で勝手に何をか重大なことを納得したように、頭を重々しく縦に二度大きく振った。
「管弦楽部みたいな下らないところにいたら、人生はダメになる! 学生はね、勉強をしなければいけないんだよ!!」
誰がこの話を源次郎に伝えたのか。
なぜ源次郎は、しつこくも俺に管弦楽部を辞めろと言うのか。郷土史研究部のこの男に、俺が部活を辞めろと言われる理由も筋合いも、どこにあるのだろう?
俺は唖然と席から立ち上がれないまま、半開きのままの口はポカンとしたまま、頭の上にクエスチョンマークを立てて、目を点にして源次郎を見上げていた。
源次郎は、ここで差が出る難単語、意味不明の難しい言葉をずらりと並べ立て、そのヒステリックな高音域が特徴的な、演説口調の声で平均偏差値72の知能を披露するがごとし、早い話が何言ってるかさっぱり分からないことを、延々と話し続けた。
俺の脳神経には不安神経症の感覚が走った。
その日は一時間も源次郎の演説を聞かされて、不快な頭痛を覚えて音楽室へ行くと、次の日の放課後は目をギラギラと光らせて、悪相のツラでまた人をかき分けて源次郎が俺のもとへやってくる。
「何してるんだい! どうしてヨシ君は管弦楽部を辞めないんだ!」
部活はすでにコンクールの演奏曲のパート譜をさらい終えて、地区大会へ向けて本格的に練習は始まっている。誰が管弦楽部を辞めるって?
しかしこの、ドイツの最も憎まれたる、あの歴史上の人物のように、人を人とも思わない演説をまくしたて、市街地戦闘状態のマシンガンの連射のごとく、耳をつんざくほどの爆音で源次郎は言葉を連射して、口から唾を飛ばし、周りの状況には目もくれずに、これが中学二年生の開始と同時に始まった出来事だ。
あのね、この男は一体何を求めてこんな演説をかましているのだろう?
「だめだよー、ヨシ君オケラ辞めないでよー」
管弦楽部の女子たちが、必死に俺を部活にとどまるように説得してくる。これじゃ、一年生の時から前進するものが何もないじゃないか。辞めろとか辞めないでとか、今にして考えると俺の立場っていったい何だったのだろう?
いよいよ源次郎の演説の内容はエスカレートして、偏差値の限界をはるかに超えた難問となり、俺には栄太郎の演説のヒアリングが難しくなる。
頭にクエスチョンマークを立て続け、俺は源次郎の顔を見つめ続けた。椅子に座ってその俺の体は硬直を始める。演説は二週間を過ぎるところに差し掛かっていた。
「それでいいのか! そんなことでいいのか! 才能もないヨシ君のどこに音楽をやる資格があるというのか! ヨシ君は一体どういうつもりだ!」
後生丁寧に毎日一時間、俺に感情的な演説をぶたないと家に帰ることが出来ない源次郎。ホームルームが終わるとモノクロのフィルム映像のように動作も早くぎこちなく、言葉もドイツ語のようなイントネーションとかアクセントなどの勢い。
窓の外の夕日が赤い。空にアカネ雲が浮かんでいる。俺の頭は緊急事態の切迫感で何も考えることが出来なくなっている。
中学校の入学式の前に学力テストを行った日があったけれど、あの日はこんなに切迫した精神状態のヨシ君ではなかったのになと、その日のことははっきりと覚えているけれど、中学校っていうところは、こんなにも過酷な義務教育の場所ってものっだったのかな?
小曽根源次郎、暮れいく空をバックに俺と二人影絵となって、いつまでも源次郎は演説を続けている……。




