遁走
遁走
ゾンビはバカだ! オケラは辞めろ!
ゾンビはバカだ! オケラは辞めろ!
ゾンビはバカだ! オケラは辞めろ!
そして、俺は中学一年生の終わりを迎える。
先輩方は晴れて卒業、東條先輩はマジで偏差値六十八の高校へ進学するだけでなく、その後は早稲田大学まで進んでいく。
この東條先輩が部活の去り際にとんでもないことを俺に言った。
「ヨシ君、管弦楽部を辞めるのは無理だろうから、二年生になったら一年生を引っ張っていけ」
ポーカーフェイスのまま、イケメンの面で先輩はそう言うのだった。来年はトロンボーンも本気を出せ。頑張らないと全国優勝は甘くないぞと。
来年、コンクール、全国優勝。
あまりにも無責任に手のひらを返してこんなことを言われて、満十三年の人生を生きた自分の脳みそがどうにかなっていた。
ろくすっぽ吹けない楽器、教則本さえ練習しない部活動で、二年生になればトロンボーンの上級生は俺がたったの一人。この俺が先輩としてトロンボーンを全国最高水準へ引っ張り上げろと言うのか。
一年生のときに、楽器の吹き方を叩きこまれてでもいればそれはそれでいいのだが、トロンボーンどころか、俺の頭脳には先輩たちによって部活を絶対として辞めることを洗脳されている。いつの間に自分の脳が全くの他人に操作されていた。血の気が引いて顔が青ざめている。
いまさらオケラを辞めるなと言われても、どうすれば「はい分かりました、来年度も全国目指して頑張ります」となれたのか。
絶え間なく、他人に脳をいじくられている感覚が襲いかかってくる。これがいわゆる宇宙指令というものか。俺は疲れ切ってずっと眠り込んでいた。
三学期の期末テストの偏差値も相変わらず六十四。定期テストでは上がることも下がることもなく一定のレベルの成績を収め続けていた。
しかし、そう言った勉強と言っても何をやってきたのか。学校生活と言っても思考も記憶も何もなく、バレンタインデーにチョコレートももらったけれど、申し訳ないが正気のヨシ君とは言えないので、恋どころではなく、いつの間にか春休み。気が付いたら管弦楽部の合宿の当日となっている。
「あ? ・・・・・・。冗談じゃないよ」
合宿の用意など何もしていない。アタマの時限装置は作動してオケラは辞めたこととされている。「オケラは辞めろ」と「やはり辞めるな」と言う相反する先輩の絶対命令が、思考回路の中で必死のせめぎ合いをしている。多重人格の体裁で勝手に動くアタマは肝心の俺自身の自我をおざなりにする。
「合宿にはいかなければいけないに決まっているだろ?」と焦り始めたものの、学校へ集合する時間は三十分後に迫っている、そんな短い時間で荷物をしたくするなんて無理だ。
俺はひとりパニックに陥って、こんな時不思議と人間は遁走したくなるものである。
たまたま家には誰もいなくて、もし家族に相談しておとなしく家にいたら、もう少し騒動も穏やかに収められたのに。合宿だって電話一本かけて事情を話して、遅れて行けばいいだけのことだ。
それをひたすら逃亡することばかりを考えてしまった。どこへ逃げたところで結局は何がどうなるものでもないのに。
「心配しないでください」
家には書置きを残して東京駅で新幹線の切符を買った。心配するなと言っても、親が心配しない訳がない。十三歳の少年が突然家から消えて500キロの逃避行をするなどと。
大阪の実家は不在だった。
「と、したら、どないするつもりやった?」
おじいちゃんは笑って玄関を開けた。
「おばあちゃんは、いま、友達と旅行へ行ってんや。おじいちゃんも行ってたらどないするつもりやった?誰もおれへんで?」
合宿先で「ヨシ君がいない」と気づかれて、管弦楽部員たちがパニックになり、ゾンビが部員から一人あたり十円ずつ徴収して公衆電話で家まで連絡してきた。
電話代くらい自分で払えばいいのに。いい大人が中学生からカネを巻き上げる。こんなゾンビと言う顧問だから、俺が大阪まで逃げなければいけない状況に追い込まれるんじゃないか。これほどの事態をゾンビは学校教師としてどのように受け止めるのか。どのようにもそんな器は認められない。
しかし、女子部員が泣きわめくほどに、俺みたいなもののせいで大騒動になって、合宿どころではなくなったらしい。母もまさか息子が家出したとは思わず、それどころか合宿があったことさえも知らず、消えた俺のことで呆然としてショックを受けていた。




