頑固おやじ、頼み事をされる
「いやあ、遅くなってすまん、すまん!」
「黄金梅の実を守る会」の会長、 赤里行次郎が、白髪頭を撫でつけながら詫びてくる。善郎はいえいえ、と首を振り居酒屋である花米へと足を向けた。
「いらっしゃいませ!」
威勢のいい声が轟き、店員に席まで案内される。とりあえず生、とジョッキを頼んだ後、メニューに目を落とした。
「何にしますか? 刺身盛合せでも頼みますかね?」
「ああ。それからだし巻きと浅漬けも」
「はいはい」
脇にあるボタンを押すと、すぐに店員が注文表を片手にやってくる。善郎はいつものように店員へ注文し、おしぼりを手に取った。顔と手を拭いて一息吐くと、 同じく一息吐いたらしい赤里へ、で、と尋ねる。
「会長。いったい頼みってなんなんです?」
「ああ、実はな……」
赤里が口を開いたところで、 再び店員がビールと御通しを持ってやってきた。
「とりあえず乾杯しますか」
置かれたビールを前に提案すると、赤里も同意してくる。
「じゃあ、まあ、乾杯ってことで」
善郎は何に乾杯するのかもわからないままジョッキを軽くあて合うと、中に入った黄金色の冷たい飲み物をあおった。
「で、ですね。なんとそいつに危うく殺されそうになりましてねえ」
注文した料理と追加した日本酒に舌鼓を打ちながら、善郎は昼間にあったことの説明を始めた。
「芽衣子ちゃんの彼氏がかい? そりゃまた穏やかじゃないね。刃物でも持ってたのかい?」
赤里もマグロの赤身に醤油をつけ口に運びつつ、話に乗ってくる。善郎は、いえいえ、と大げさに手を左右に振って勢い込んだ。
「そんなかわいいもんじゃありませんよ、会長! 角ですよ、つの! それを俺めがけてどーんとですね!」
身振り手振りを加えて状況を語ると、赤里が渋面を作って応じてくる。
「ほう、角をねえ。獣人だったってえことかい。そりゃあ大変だ」
腕を組んで考え込むように下を向く赤里に、善郎も強く同意した。
「ですよ! なのに芽衣子の奴俺が悪いって家から追い出しやがって!」
芽衣子の言い草を思い出し腹を立てていると、赤里が軽く微笑み、まあまあ、となだめながら日本酒をついでくる。
「それは災難だったなあ」
「まったくですよ!」
深く頷きつつそそがれた日本酒をくいっと煽ると、突如、奥の座敷から歓声が上がった。拍手と歓声の上がった先へ目をやると、グレーのスーツ姿をしたショートカットの小柄な女性が、一気飲みをしているのが見えた。
(一気飲み! 若い女性が!)
勢いよくジョッキを傾けている女性に、周りの歓声はいよいよ高くなる。なんてことだ。こんなに街の風紀が乱れているとは思わなかった。うちの芽衣子も自分の知らぬ間にあんなことをやっているのだろうか。いやいや、そんなはずはない。礼儀作法には一際厳しく育てたのだから。
「最近の若い女性は慎みを知らんな」
深くかぶりを振って黄梅市の行く末を嘆いていると、ところでな、と赤里が真面目な声音で話を転じてきた。
「実はカミさんがTVのクイズ番組で海外旅行を当ててね。2週間ほど家を空けることになったんだよ」
神妙な口調で語り始めた割には陽気な話だと思いながらも、善郎は合いの手を入れる。
「へえ、そりゃすごい! どこへ行くんです?」
なんにしても、めでたいことはいいことだ。頬を綻ばせて話の先を促すと、赤里も照れくさそうに後ろ頭に手を回した。
「ハワイだよ。初めての海外旅行だからどうなることやら、だが」
「それじゃあ、お願いってのは留守中に家を見ておくってことですかな?」
軽く話の予測をたててみせると、いやいや、と赤里が首を横に振ってくる。
「家は息子夫婦がいるから問題ないんだが、 一つだけ、気がかりがあってね」
「はあ」
家の他に心配なことなどあるのだろうか。内心で首をかしげていると、赤里がおもむろに目の前の料理を避け、紫縮緬の風呂敷包をテーブルの上へ置いた。丁寧に結びをとく赤里の手をまばたきとともに見守る。現れたのは茶色く四角い小さな箱と、古びた和綴じの本だった。
「なんです? それは」
首をかしげて問うと、赤里が茶色いビロードの小箱をそっと開けて中身を見せながら答えてくる。
「梅の実とそれにまつわる古文書だよ。代々『黄金梅の実を守る会』の会長職についた者が引き継ぐことになっている代物でね」
「はあ……」
善郎はいまいち赤里の意図を量ることができず、曖昧に頷く。改めて小箱の中身を確認すると、しわしわでどこか干からびたようなこげ茶の種が見えた。
(梅の実? ずいぶんとしわが寄ってるみたいだが……)
これがそんなに代々受け継がれるほど大層な物なのだろうか。
「で、それがなんなんです?」
半信半疑のままためらいがちに赤里を見やると、小箱を閉めた彼がすまなさそうに眉を寄せ口を開いた。
「預かっていてほしいんだよ」
「俺がですか?」
あまりの驚きに素っ頓狂な声を上げると、赤里が頷く。
「ああ。他に頼める人間がいなくてな」
「いや、でも、俺にはそんな難しいことは……」
やんわりと断りを入れようと口を開いたが、それより先に赤里が言葉を重ねてきた。
「実はこれを預けるのは善さんしかいないって、 人から助言があったんだよ」
「誰ですか、そんな大それたことを言う奴は」
まったくいい迷惑だ。腕を組んで憤慨していると、赤里が頭をかきながら答える。
「梅畑の坊ちゃんだよ」
善郎は赤里から出た予想外の人物に目を瞠った。
「梅畑って、もしかして黄梅市長の梅畑雅秋氏ですかい? なんでそんなお偉方が……」
眉根を上げて問いかけると、赤里が実はな、と事情を話し出す。
「この間、市の団体活動についての報告会でお会いする機会を得てね。うちの会は自警団も兼ねているから梅畑の坊ちゃんもよく話を聞いてくれるんだが。そのついでにちょろっとこの件を相談してみたんだよ」
赤里が言葉を切り、酒を煽る。一息吐いたところで再び口を開いた。
「あの人が言うには、会の中で一番信仰心が厚く心根の優しい人間に預けるのが一番だ、ってえことでね」
「それで、俺なんですかい?」
自身を指さしながら尋ねると、赤里が重々しく頷いてくる。
「なんとかお願いできないかね。何しろこれは大切な物なんだよ」
姿勢を正して頭を下げてくる赤里を前に、断るタイミングを完全に見失った。
「会長にそこまで頼りにされちゃあしかたがない。お預りしますよ」
観念して告げると、赤里の顔が一気に綻ぶ。
「そうかい、そうかい。いやあ、よかった! お礼に今日は思いっきり飲んでくれ!」
嬉しげに日本酒の瓶をかたむけてくる赤里の笑顔を見つめながら、面倒なことになったもんだ、と善郎は内心でぼやいた。




