頑固おやじ、煎餅屋で愚痴る
腹が立って家を出たはいいが、途端にすることがなくなった。どうしたものか、と考えつつ歩いていると横から声がかかる。振り向くと煎餅屋の前にいて、そこの主人である新田辰好が人好きのする笑みを浮かべ立っていた。
「首尾はどうだい? 善ちゃん」
嬉しげに問いかけてくるところからして、我が家に芽衣子の彼氏が来ていることは先刻承知しているのだろう。
「だめだな。だめだめ」
手を左右に振って答えると、辰好が眉を顰めてくる。
「そんなに悪い男には見えなかったがなあ」
ぼやく辰好を前に善郎は溜め息を吐く。重ねて話そうと口を開いたところで腹が鳴った。
「昼飯を食いっぱぐれたんだな? よし、中に入んな」
辰好が威勢良く踵を返すので、断る理由もない善郎はその後へ続いた。
「今カミさんがいないんでこんなものしかないが、遠慮せず食べてくれ」
辰好が緑茶とともに、酒まんじゅうと煎餅を出してくる。
「いや、悪いね。助かるよ」
礼を言い酒まんじゅうを頬張っていると、それにしても、と辰好が尋ねてきた。
「いったいどんな奴だったんだい? 芽衣子ちゃんの彼氏は」
善郎は湯呑に口をつけ一口茶をすすったのち、ゆっくりと辰好の瞳を見つめた。
「どうもこうもねぇんだよ、たっつあん。奴には角が生えてんだ」
「なんだって? 善ちゃん、何かに例えるならもう少しわかりやすく……」
「これ以上ないくらいわかりやすく話してらあな。芽衣子の彼氏には立派な角が生えてんだよ!」
善郎は叫び、持っていた湯呑を卓袱台の上へ乱暴に置く。高い音が鳴ると、剣幕に圧されたように辰好がおずおずと問いかけてきた。
「つまり、相手は獣人ってことかい?」
善郎は答えず、無言で腕を組む。
「そりゃあ、困ったもんだねぇ」
溜め息を吐いた辰好がお茶のおかわりを用意してくれたので、善郎は何も言わぬままひたすら茶をすすり続けた。
「いろいろありがとうよ、たっつあん」
善郎は煎餅屋の店先で主人を振り返り、頭を下げる。
「なあに、愚痴くらいならいつでも聞いてやるよ」
照れ臭そうに手を振る気のいい友人へ軽く手を挙げると、善郎はまっすぐ市役所方面へ歩き出した。このままの気持ちで家に帰る気にはまだなれない。ちょうどいい。このままハローワークへ行こう。ちょうど求人募集をしに行こうか、と考えていたところだ。ついでに足を伸ばすのも悪くない。
「まだいるんだろうなあ、たぶん」
はたして自分に勝算はあるのだろうか。あの鋭い立派な角を思い出し、不愉快な気分に眉を顰める。
「芽衣子はなんだってあんな獣人風情に!」
小声で愚痴っていると、市役所前の舗道で二人の青年が何やら雑談しているのに気がついた。
「なんだ? 若い奴がこんな真っ昼間に……」
特に気に入らないのは、背の低いほうの青年だ。内容は少しも聞き取れないが、愉快げに笑っているのがどうにも気に食わない。
「男が井戸端会議なんぞしやがって! 情けない! 軟弱だ!」
小さく叫んだところで、ふと芽衣子の彼氏のことを思い出した。今目の前にいる奴らよりはましではなかったか。そんなことを思いながら青年たちを睨みつけるが。瞬間、あの角のことが頭をよぎり、さらなる怒りに身体が震えた。
「軟弱でなきゃなんでもいいわけじゃないだろうが! しかもよりによって角だぞ! 角! 芽衣子の奴、いったい何を考えているんだ!」
鋭く叫び、がに股で舗道の真ん中を歩く。今は誰に咎められようと、自らの行く道をつき進みたい気分だった。
毒を吐きながら青年たちの横を通りすぎる。
「どいつもこいつも! 何もわかってなさすぎだ! 角だって出すべき時と出してはならん時があるだろうが! あいつはそんなことも教わってこなかったのか!」
堂々と舗道のど真ん中を歩いていると、青年たちが気づいて両端へ避けてきた。ぶつかりそうになったのに対し慌てて退いたらしい長身の青年が、なぜか小さく微笑んでくる。黒髪の短髪にモスグリーンのパーカーとジーンズ姿。まだ学生なのだろうが、それにしては若さが足りない。何しろひどく疲れた笑みなのである。善郎は眉根を寄せて最近乏しくなってきている記憶を辿った。
「なんだ、あいつは? 知り合いだったか? いや、知らんな」
渋面で呟くと、少しだけ怒りが和らいできた。なんだか妙な気分だ。善郎は青年が見せた笑みの理由が気になりながらも、そのままハローワークへ向かった。
何事もなくハローワークへ辿り着く。ガラス張りの自動ドアの前に立つと、リスのような耳を出した男と目が合った。
「こいつも獣人か……」
小さく揺れている男の耳を横目で見ながらすれ違っていると、またしても飛田のことが頭を掠めた。
「ああいうのだったらよかったのになあ……」
一度呟くと、怒りがふつふつと湧いてくる。
「そうだ! 芽衣子もせめて角のない奴と付き合えばよかったんだ! こんちくしょう!」
力の限り吐き捨てると、場の空気が変わった。気づいて辺りを見回すと、中にいた誰もが目を点にして見てきている。
「いや、どうも。すみません」
善郎は頭をかき引きつった笑みを浮かべながら、そそくさと受付へ向かった。




