少年、朝からママとランデブー②
(あ、ぼくも早く準備しなくっちゃ)
食べ終えた食器をシンクへ運び、洗面所へと向かう。寝癖だらけの頭を、お気に入りの髪型にするためだ。ジェル状の整髪料をそっと手のひらに乗せる。整髪料を使うなんてまだ早いと、難癖をつける母親に頼み込んでやっと買ってもらえた代物だ。次は買ってもらえないかもしれない。そう思うと、整髪料を使うときはどうしても慎重になってしまう。太一は両手にジェルを馴染ませながら、今も忙しなく家のことをしている母親を想像しながら愚痴る。
「今どきこれくらい当たり前なのになー」
面と向かって言ってしまえば、それこそもう買ってもらえないかもしれない。文句を口にするときは誰も周囲に誰もいないことが鉄則だ。慣れた手つきでジェルを髪全体になでつけ、前髪を後ろへ流す。最後に毛先を少し持ちあげて完成だ。一美からは、「イワトビペンギンの頭みたい」とよくからかわれるが、太一自身は結構気に入っている。
(よし、今日もバッチリだ)
憧れている野球選手の髪型を真似ているだけなのに、その選手のように野球が上手くなったような気がしてくる。太一は、鏡に映っている自分の頭と、鏡の横に貼ってあるハガキサイズのポスターを比較して大きく頷いた。
「太一、もう8時になるけど大丈夫なのー?」
急かすような一美の言葉に、太一は慌てた。
(え、もうそんな時間なの!)
思いのほか髪型を整えるのに時間を取られていたらしい。太一の通う、私立黄梅学園初等部は家から歩いて30分ほどのところにある。走れば20分くらいで学校へ着くが、8時半までに教室に入っていないと遅刻になってしまう。タイムリミットはあと5分といったところだろうか。
「わかってるー」
遅刻しそうだということはおくびにも出さず太一は、学校指定の制服に着替えるため駆け足で自分の部屋へと戻った。
(急げ、急げー!)
部屋へ入るなり水色のパジャマを脱ぎ捨て、ハンガーにかかっている白いシャツとこげ茶色の半ズボンに着替える。太一がズボンと同色のサスペンダーをパチリと鳴らしたところで、階下から再び一美の声が聞こえてきた。
「太一、ママもう行くけど、乗って行くのー?」
歩いて学校へ行くつもりだった分、喜びは大きかった。太一は顔を綻ばせ、家の外にいたとしても聞こえるぐらい大きな声をあげた。
「うん。乗せてってー」
桜色のブレザーと学校指定の黒いランドセルを抱えて一階へ駆け降りる。
「忘れ物ない?」
「ないよ」
太一が車へ飛び乗ると同時に車のエンジンがかかった。
(今日、ばぁちゃんに会えるんだ)
助手席の窓からゆっくりと流れる景色を見ながら、病院に入院している祖母、節子のことを思い浮かべた。太一は自他ともに認めるおばあちゃん子だ。それは太一を産んですぐに一美が仕事へ復帰したため、何かあるたびに節子の家に預けられていたせいもあるだろう。だが何より、祖母のそばにいると心が落ち着くのだ。今は大きくなったからしないが、小さい頃は正座した節子の膝の上に座って聞く昔話が何よりも好きだった。
(またムササビの獣人が出てくる話をしてもらおうかなー)
それは祖母の家がある地域に伝わるもの昔話だった。何がそんなに好きなのかわからないが、なぜか繰り返し聞きたくなってしまう魅力があった。
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むかしむかし、家族からも村人からも慕われ幸せに暮らしている名主がおりました。
しかしその名主には1つだけ頭を悩ませていることがありました。
それはムササビの獣人が、名主が守っている村の田畑を荒らしていることです。
信仰神の強い名主は、神の力が宿っていると言われている黄金梅の恩恵で獣人になったムササビに強く言うことができません。
それを逆手に取っているのでしょう。ムササビが毎日のように田畑を荒らし来ます。
そんなある日のことです。
名主の一人娘が、鼻を真っ赤に腫らし、泣きながら帰ってきました。
驚いた名主が、何があったのかと尋ねてみると、ムササビから貰った白い花の中にいた蜂に鼻を刺されというのです。
目に入れても痛くないほど大事にしている一人娘を傷つけられ、名主は怒りました。
堪忍袋の緒が切れた名主は、黄金梅を守っている梅宮のご当主様に助けを求めることにしました。
「ご当主様、今まで私はムササビのイタズラにも耐えてきました。ですが、もう我慢の限界です。ムササビが村へやって来られないよう、お知恵をお貸しください」
「それはずいぶんとつらい思いをしてきましたね。では私がお前にこれを授けましょう」
そう言うとご当主は、鉄の鍋と梅の葉を1枚出しました。
「この鍋を使ってお湯を沸かし、沸騰したお湯の中に葉を入れなさい。そうすればムササビはもう二度と村には来なくなるでしょう」
「ありがとうございます。ご当主様」
名主は何度も何度もご当主にお礼を言い、村へと帰りました。
村に帰った名主は、早速当主の言う通り鍋でお湯を沸かし、その中に貰った葉を1枚入れました。
するとどうしたことでしょう。
白い蒸気がモクモクと村全体を覆うように広がりました。
そのときです。村の中へ足を入れようとしたムササビが、耳を抑えて山の中へと逃げ帰っていくではありませんか。
名主は大層喜びました。
「ご当主様、ありがとうございます。ありがとうございます……」
それ以来、ムササビが村に来ることはなくなりました。
蜂に刺された娘のケガもすっかり治り、田畑を荒らされることがなくなった名主は、以前よりももっと幸せに暮らしました。
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