ドジっ娘、上司から話を聞く①
果杷駅に着きバスを降りる。パスカの残高が少ないことに気づき、真珠宮行きの電車へ乗る前にチャージをした。
(定期にできれば楽なのに……)
毎日通うわけではないから経費は下りない。一度上司にお伺いをたててみたのだが、無理だね、と呆気なく一蹴されて終わった。
「私だっていろいろ切り詰めるの大変なんだけどなあ」
呟きながら改札を通り、階段を降りる。上りと下り電車が行き交う一つしかないホームに立ち、電光掲示板を見上げた。直通電車の到着まで、まだ10分ほど間がある。駅の売店でガムでも買っておいたほうがいいだろうか。迷っていると、携帯のバイブレーションが低く唸り始めた。
名前も確認しないまま、とりあえず携帯の着信ボタンを押す。聞こえてきた声は上司ではなく相田だった。
『ごめんねー。待ち合わせの場所言い忘れてたから』
「あ、そういえばそうでしたね」
メールでもいいのに、とは思ったものの、なるべく愛想よく返答する。そんな内心をよそに、相田が待ち合わせ場所を告げてきた。
『会場は「花米」なんだけど。小越さんのことだから、なんだかんだ言って早く着いちゃうかもしれないわよね』
「いえ、そんなことは……」
ない、と言いかけて、口を閉ざす。確かにこれまでは、相田の指摘通りだったことのほうが多いからだ。
「わかりました。ありがとうございます。でも、今回は本当に遅れてしまうかもしれないんですけど……」
躊躇しながら答えると、携帯の向こう側からあっけらかんとした答えが返ってきた。
『あ、それはかまわないから。絶対に一度顔だけは出してよ。待ってるから』
「はい。必ず」
答えを聞いた相田が、それじゃあ、と告げて通話を切る。携帯をバッグにしまい込んでいると、電車の到着を告げる男性のアナウンスが聞こえてきた。
真珠宮駅の西口へ辿り着いた麻里は、まっすぐに都庁へと向かった。高いビル群の一画に聳え立つグレーの高層ビルに入り、エントランスを抜けエレベーターで15階のオフィスを目指す。これから落とされるだろう上司の雷を想像して身震いをしていると、目的地を示す軽やかなチャイムが聞こえた。
「嫌だなあ」
ぼやきながら、オフィスに入る。真新しいままの自分のデスクへ荷物を置くと、背後から声がかかった。
「久しぶりね! 元気……じゃあなさそうだけど」
振り向くとそこには、同期である若松沙織の笑顔があった。
「沙織。そっちこそ! って、沙織は元気そうね」
麻里は脱力しながら、紺のスーツを身に纏い茶色の髪を綺麗にまとめた女性を見返す。
「そうでもないわよ。今日だって高松室長に『資料届けるのが遅い』って怒られたし」
肩を竦めて答えてくる若松に、麻里は目を輝かせる。
「へー、室長って沙織にも怒ることあるんだ。珍しい」
視線を受けて、若松が露骨に嫌そうな顔をした。
「何言ってるのよ。そんなのしょっちゅうじゃない。……って、麻里は普段ここにはいないんだったわね」
ふと息を吐いて肩を落とす若松に、麻里は首を横に振る。
「私だって電話越しに毎日叱られまくってるもの。今日だって……」
事情を説明しようとして、はたと我に返った。慌てて腕時計に目をやると、都庁に着いてから7分近く経過していた。
「いけない! 早く室長に会わないと!」
今頃きっと、さらに機嫌が悪くなっているに違いない。
「何? あんたわざわざ怒られにここまで来たの?」
「し、しかたないでしょ! 」
呆れ顔で尋ねてくる若松に対し声を荒らげると、若松が腰に手をあて眉を下げた。
「ご愁傷様」
深い憐れみを含んだその言葉へ、麻里はどうも、と適当に返答する。
「無事に出てこられることを願っておいて」
半分本気で告げた言葉に、若松も真剣な面持ちで応対してきた。
「祈っておくから」
「ありがとう」
無事で済む自信は微塵もないけれど、と内心で呟きつつ若松へ応える。力強く頷く若松に見送られながら、麻里は室長室の扉をノックした。
「入りたまえ」
扉の向こうからくぐもった声が聞こえた。
「失礼します」
麻里はドアを開け丁寧に一礼する。怒号が飛んでくることを予測して覚悟していると、予想に反して穏やかな声が聞こえてきた。
「挨拶はいいから、そこにかけなさい」
「は、はい」
麻里は内心で驚愕しながらも、小さく頷く。急いで前方の椅子に腰掛けると、黒地に細いグレーのストライプが入ったスーツ姿の上司、高松悟がまっすぐ見下ろしてきた。
「君は今回の潜入任務をどんなふうに捉えているのかな?」
「はい。あの、我が東郷都の貴重な観光資源と成り得る黄梅市と和解し、彼らの古い風習を一新させること、です」
言い終え口を閉ざすと、高松は長く吐息し、黒フレームの眼鏡をとって眉間を揉む。
(な、なんか違うこと言っちゃったかしら……)
ドギマギしているのをよそに高松がゆっくりと眼鏡を掛け直し、視線を向けてきた。鋭い黒目に見つめられやはり怒られるのか、と拳を握り締めていると、高松が沈黙を破る。
「君はまだ事の重大さが解っていないようだね」
「え?」
「いや、これは何も説明しなかった私の落ち度だ。君にはまだ早いと思っていたものだから」
眼鏡の縁に手をやりながら物憂げに話す上司に、麻里は瞳をしばたたいた。
「いいかい? あの閉ざされた土地を解放するのは、いったい誰のためなのか、君にはそこをまず一番に考えて欲しいんだよ」
「はあ」
誰のため、と言われても、都の利益のためなのではないだろうか。首をかしげていると、高松は重い溜め息を吐きわかった、と呟いた。
「まずは基本から説明しよう。黄梅市の人々が囚われている『黄金梅』と雪姫という幻想について」
高松はどこか遠くを見るように虚空へ視線を向け一呼吸置くと、静かに語り出した。




