お坊ちゃん、友人に遭う
気が重いままモスグリーンのパーカーを羽織り、ジーパンの後ろポケットに黒い二つ折りの財布を突っ込む。外へ出てバス停まで十分ほど歩くと、少し汗ばんできた。涼介はバス停の前に立ち、青い無地のTシャツを引っ張って風を送る。バスが来るのを待ちながら、ついぼやかずにはいられなくなった。
「あのお嬢様かあ。ただでさえ今日は会いたくないってのに、まったく」
夢の中で出てきただけでも色々とヘコむことが多い少女を、実際に捜しに行かねばならなくなるとは。
「今日は厄日だ」
盛大に溜め息を吐く。間もなくバスがやってきた。
車内へ乗り込み、窓越しに外を眺める。下校途中の小学生たちをなんとはなしに見つめた後、目をつぶって東黄梅駅までの道程を居眠りして過ごした。
ほどなくして東黄梅駅前に辿り着く。涼介は周辺の捜索を開始した。闇雲に捜していても埒が明かないので、とりあえずは、と彼女の通う学校、私立黄梅学園へ向けて歩くことにする。
「ああいうお嬢様ってのは、得てして律義だったりするもんな」
などと呟きながら市役所の方へ向けて歩いていると、道の向こう側から声をかけられた。
「よう! 涼介!」
立ち止まって視線を向けると、同じゼミの友人、友永晃が手を挙げている。
「よう」
小さく手を挙げ応えると、友永が道を渡ってきて目をまたたいた。
「どうした? 元気ねえな」
小首をかしげてくる友永へ、涼介は決まりが悪くて視線を逸らす。
「ああ、まあ、ちょっとな」
だが、そんなこちらの様子にあまり気づいていないらしい友永が、そんなことより、と話題を変えてきた。
「お前、今日ゼミに顔出すか?」
友永の言葉へ涼介はかぶりを振る。
「いや、今日は行けそうにないな」
「今日は? いつもの間違いだろ?」
友永がおかしそうにけらけらと笑うのに対し、涼介は無言で眉根を寄せた。
(人の気も知らないで)
内心で毒づいていると、まあいいや、と笑いを収めた友永が肩を竦めてくる。
「とにかく、たまにはゼミに顔出せよな。冴島教授も助手の丸田さんも心配してたぞ」
「ああ」
揶揄ってくる友永に涼介は頷いた。
「そういえば、お前、論文のテーマ『黄金梅』にしたんだよな?」
出し抜けに尋ねると、友永が怪訝そうな顔で首をかしげてくる。
「そうだけど、それがどうかしたか?」
不思議そうに見つめてくる友永へ、涼介は先刻姪に読んだ絵本のことを話してきかせた。
「あの手の伝説って、確か他の説も色々あったよな」
問いかけると、友永が同意してくる。
「おう。全部で5つはあるはずだ。今は資料がないけど、一番有名なのは雪姫が女神で、黄金梅を植えて村の穢れを祓ったところで太郎と会った、ってやつかな」
視線を斜め上へ向けつつ指を折る友永に、涼介は重ねて尋ねてみる。
「狼に叡智を授けて小さな村を作っていたって話もなかったっけか?」
「ああ、でもそれは亜流だから。正式には認められてないんだよ」
「そうなのか」
目をしばたたいていると、友永がおかしそうに視線を向けてきた。
「お前、やっぱり腐っても梅八家の一員なんだなあ」
「なんだよ、その言い方」
おもいきり顔を顰めてやると、友永が慌てたように両手を振ってくる。
「いやいや、悪い意味じゃねえって。その狼がって話さ。人間には限られた者にしか伝えられてないってやつだから。俺だって研究テーマにでもしなきゃ知らずにいただろうし」
腕を組んでしきりに頷く友永へ、涼介はそうか、と呟き微笑んだ。
「ありがとう。ちょっと疑問に思ってたもんだからさ」
本当はもう少し尋ねたいことがあるのだが、今はこれ以上長話をしている暇はないだろう。そんなことを思っていると、前方から全身黒い服を身に纏い、メガネをかけた初老の男性が歩いてくるのが目に入った。何やらえらく憤慨した様子で、ぶつぶつと言いながら歩き去っていく。男性の姿を見つめていると、友永が怖ええなあ、と声を潜めた。
「最近多いよな、ああいう親父」
「そうか?」
曖昧に問いかける涼介へ、友永が拳に力を込めて力説してくる。
「そうだって! お前も気をつけろよ。お前ってぽーっとしたとこあるんださからさ。変な因縁つけられたらヤバいどころの騒ぎじゃないぜ?」
言うだけ言うと満足したのか、友永がじゃあな、と手を挙げた。黒のショルダーバッグを肩に掛け直し去って行く友永を見送りながら、涼介は苦笑する。
(さっきの人、俺よりよっぽどまともな目をしてたっての)
そんなことを言っても、人の好い友人にはわかるはずもないだろうが。涼介は小さくなっていく友永をしばし眺め、友人とは反対方面へと歩き出した。
根株の先にある母校を目指しのらりくらりと歩く。途中、見るだけでげんなりしそうな急勾配はなかったものの、地味に脚へくるタイプの緩い坂道がいくつか続いた。
(まあ、学園っていっても元は山だもんな)
ふと思いついた考えに本気でめげそうになる自分を慰めつつ歩みを進めると、どこからか微かな歌声が耳をくすぐった。
誰かの鼻歌だった。
旋律に似合わずリズムのついた陽気な歌声は、聞くだけで荒んだ心が弾んでくるような心地がする。涼介は声の主を探して辺りを見回した。すると、十字路の手前にある一軒家の庭で、ガーデニングに勤しむ女性の姿が目に留まる。昼間から家にいるところを見ると、彼女はこの家の主婦だろうか。鼻唄に合わせて、リズム良くスコップで土を掘り返している。
(この歌……)
涼介は小さく瞠目した。
どこかで聴き覚えのある旋律だと思っていたら、夢で見たあの日に聴いた曲だ。確かあの日は親族が一同に会した親睦会で、みそっかすの自分はずいぶん腐っていた。その時ラジオから流れてきたのが、たぶん当時の流行歌だったこの歌で。元の曲があまりにも暗い失恋歌だったから、なかなか思い至らなかった。
(まいったなあ)
またしても、あの日に受けた傷を思い出すようなことへぶち当たってしまうなんて。今日は本当に、とことんツイてない。
(こんなことなら思い出すんじゃなかったな)
今更後悔してもどうにもならないことを内心でぼやきつつ、涼介はもう一度ガーデニングに没頭している女性を眺める。
「いいなあ。ちゃんと生きてるって感じでさ」
微かな声でしみじみと呟くと、言い知れぬ虚しさがまた胸に去来してきた。堪らなくなって、涼介は踵を返す。いつの間にか止まっていた足を必死になって動かしながら、心を掠めていく小さな痛みをひたすらやりすごした。




