第7話「勇者と昔のあれこれ」
バロイは西のハンガス、東のナノクニと並ぶ大国であり、大陸中央に位置することから中原国家バロイと呼ばれることもある。
とはいえ勇者一行の目的地は西のハンガスであり、バロイはただ通過するだけの国でしかなかった。
そのはずだったのだが彼らは今はバロイの首都バルバロイ城に来ていた。
なぜ勇者たちが予定にない行動をとることになったのかと言えばバロイ王に呼び出されたからである。
といっても正確には彼らがではなく『勇者』がだ。
ややこしいのだけれどここでいう勇者とはセシリーにヌエスと、ブルトル候にピエトロと呼ばれた彼ではなく、各国から選出され魔王討伐の旅にでている者のことだ。
つまりバロイ王が不特定多数の『勇者』に対して自分の城に来るように呼びかけを行っていたのである。
しかもそのために国内にいくつも新たに関所を設け、手形によってその通行が許可されている『勇者』を通さず、バルバロイ城へ行くことを強制した。
/*/
「話には聞いてたけどどこを見ても強そうな奴ばっかりだぜ」
サシャが視線をキョロキョロ動かせば動かす度に視界は屈強な戦士たちで溢れかえる。
道行く人だれもが何かしらの武術を修めているという風貌だった。
それもそのはずここバルバロイは戦士たちの聖地なのだ。
いや、立身出世を思い描く者たちの夢の戦場と言うべきだろうか。
バルバロイには国営の闘技場があり、そこでは日夜死闘が繰り広げられている。
強い者が勝ち、勝った者は金、名誉、地位――すべてを手に入れることができる。それがバロイという国だった。
「おい、おのぼりさん。置いてくぞ」
興奮気味のサシャとは違い勇者はひどく落ち着いていた。
「なんだよ。あんただって剣術をやるなら腕を試したいとか思うだろう」
「どーーでもいい」
まるで全然微塵も興味をそそられないという声を返す。
「だいたい目的が違うだろ。呼びつけられたから仕方なく来たんだ」
「そりゃそうだけど」
若いだけにサシャは自分の腕を試したいという気持ちが強いようだが、勇者の言うように今回の旅にはまるで関係がなかった。
/*/
バルバロイ城は深い濠に囲まれた大きな城だ。
南北に一カ所ずつ城門から橋が降りている。
勇者たちが橋を渡ると番兵が長槍を交差させ門をふさいだ。
「なに用か」
「勇者だよ。呼ばれたから来てやったんだ」
と尊大な態度。
答えを聞くと番兵は特に確かめるわけでもなく道をあけ、
「中に入るとすぐ文官がいる。案内を頼め」
あっさりと城へ入ることを許したのだった。
文官もまた手形の要求もせず、
「ついてきてください」と歩きだした。
一行は彼らの対応に困惑を隠しきれない。
というのも勇者と名乗りそれを疑われずに済んだことがないのだ。
勇者の人相はどうにもうさんくさいし、連れているのは女ばかりだしで手形を見せても偽造じゃないか、となお容易には認められないのが常であった。
なんとも情けない話だが怪しまれないことが怪しいと思えてしまうのだ。
「最近の俺は真面目だったからな。風格がでてきたんじゃないのか」
自信満々に言えば、陶酔からくる偏見によってセシリーがこくこくと力いっぱい頷くが「ありえません」とアリスは一蹴した。
「なんにせよ油断はできねえな」
「いやいや、それはおかしいだろう」
意気込むサシャを口では否定するものの勇者もまた何かある、と感じずにはいられなかった。
/*/
「中にお入りください。王がお待ちです」
勇者たちが案内されたのは謁見の間と呼ばれることの多い広間だ。
どこの城にも大抵は設けられ王ないし城主に拝謁するための場所だ。
促されるまま扉を開け中へ入ろうと足を踏み出した瞬間、男が左右から斬りかかってきた。
警戒していたからこそいち早くそれを察知した勇者は、
「敵だ!」
後ろのアリスたちに注意を呼びかけると同時に彼は前方に跳んでこれをかわした。
ただちに反転して攻撃をするつもりでいた勇者だが、着地の祭床からの音に妙なものを感じそれをやめた。 さらにすぐさま左方へ跳ぶ。
すると先ほどまで彼のいた床が開いて落とし穴になったではないか。
しかも穴の底が見えないほど深い。落ちていたら勇者だとてどうなっていたか。
下が空洞だったため音が響き、そこから生じる微妙な差に気づいたからこそ危機を避けられたのだ。
がしかしこれで終わらない。
今度は天井から霰のような鉄塊が降り注いできた。
とはいえ二度の急襲をかわしてみせ、鋭敏となった感覚をもってすれば、
「わけもない」
ことであった。
それどころか鉄塊の一つを拾い上げると梁の上からこれを落とした男へ投げつけた。
鉄塊は男の鼻柱を捉え、
「むうん」
呻き声も半ばで途切れ落下した。
勇者は一度、扉を振り返る。
先の男はすでに倒れていた。
一人はサシャに胸の下の急所を突かれ、もう一人は股の間を手で押さえ悶絶している。どうやらセシリーに強かに蹴り上げられたらしい。
彼女は誇らしげに勇者に向かってブイサインを見せて笑った。
笑い返すと、今度は部屋の奥へ顔を向けた。
一段高い位置に設けられたら座の上で一部始終を眺めていた男がいた。
顎の下に脂肪をたくわえいるものの眼光は鋭く力があった。歳は五十になるかならないと見えるが、実際は六十を四つも越えている。
額には向こう傷が真一文字に走っており、若い頃は相当『できた』に違いない。
この男こそがバロイ王であった。
それをわかった上で勇者は、
「どういうつもりだ、このやろう!」
怒鳴りかけたが、
「なにをやったんですかっ、あなたは」
アリスの大音声に先を越された。
しかもこれは勇者に向けられたらものである。
「なんで俺のせいになる」
「勇者さんがなにかしでかさなきゃこうはなりませんよ」
「扉を開けてすぐだろう。何をする暇がある!?」
「どうせ昔に何かやらかしたんでしょう」
決めつけて言った。
するとバロイ王が声を上げ笑い出した。
「責めるな責めるな。わしが勝手にやらせたことよ」
勇者は勝ち誇ってアリスをじっと見た。
彼女は下を向いてシュンとし、ぼそぼそと呟くように謝った。
「聞こえないなあ」
などとからかう。
しかしアリスに責められた時、彼自身いわれない非難だと確信がなかったので、内心はびくびくしていたのだった。
/*/
「そんで」
勇者は話を切り替えバロイ王を見る。
「呼びつけ、襲わせ、何がしたいんだ?」
彼の横柄な態度を気にした風もなくバロイ王は答えた。
「ちょと困っていてな」
ちょっとと言う割には王の顔色は優れない。
「それを手伝え、と」
「そうしてもらえれば助かる」
一見するとバロイ王が下手にでているように見える。
しかし検問でもって通行止めをしているのだから勇者たちに選択の余地はなかった。
バロイ王がしばらく押し黙っていたと思えば突如、
「ある男を殺してもらいたい」
なんの前置きもなくそう言った。
/*/
半年ほど前のことになろうか。
一人の男がバルバロイの城下町にあらわれた。
「獅子か、あるいは虎のような」
野生の獣のような鋭い雰囲気を身にまとった総髪の大男だったそうな。
男は闘技場に参加すると瞬く間にチャンピオンにまで登りつめた。
チャンピオンになると御前にて王国騎士と戦う権利を得る。
この戦いでバロイ王に認められればどんな褒美も思いのままだった。
しかしなんでも叶うと言ってもほとんどの者が騎士になることを望んだ。
ごく稀に大金を欲しがる者もいたが、闘技場に参加する多くの人間は立身を夢見ているのだから当然の願いだろう。
実際、ただ騎士としてバロイに仕えるだけでなく領地を与えられ貴族となった者もいるという話だ。
総髪の大男の対戦相手は国でも一番か二番かという槍の遣い手に決まった。
これは異例のことで、闘技場での大男の活躍があまりに目覚ましいものだったためにそういう運びとなった。
御前試合において勝ち負けは関係なく、実力を見るためのものであるとはいえ騎士団には騎士団の面子がある。
その時の挑戦者の実力を見て、それに勝てる相手を送り出す。
つまり王国でもトップの実力者でなければ勝てないと踏んだのだ。
それだけ大男の力を高く評価していたわけだが、だからといって負けるなどとは思っていなかった。
闘技場は異様な、いつも以上に異様な熱気に包まれていた。
総髪の大男の実力と国一番の槍遣いの一戦を一目見ようと人という人が集まった。
場内を埋め尽くす無数の観客と特別上覧席のバロイ王が見下ろすなか試合は開始された――直後に終了した。
「わしの目にもほとんど映らなんだ」
と言うようにほとんどの者にはなにが起きたのかすらわからなかったそうだ。
ただその結果として槍遣いが死んだということは誰の目にも明らかだった。
試合開始の合図と共に、まず槍遣いが一度槍を突き入れた。
大男は上体だけでこれをかわす。
すると今度は自分の番だと言うように拳を繰り出した。
別段なにかしたということはなく、槍遣いの胸のあたりをやや突き上げるように殴った。
本当にただそれだけだというのに槍遣いの上半身は木っ端微塵に吹き飛んだ。
まばたきもできないほどの一瞬の出来事である。
しばらくのあいだ闘技場内に沈黙が流れた。
それはこの事態をどう評価するべきかわからないための沈黙だった。
やがて一人が手をたたいた。別の一人が口を開いて彼を讃えた。
沈黙は割れんばかりの歓声と熱狂に変わる。
闘技場の真ん中で大歓声を一身に浴びる大男は上覧席のバロイ王を見上げた。
それに促されるように王は立ち上がり、
「見事であった。なんなりと望みを言うがよい」
さらに歓声は巨大になる。
誰もが新しい騎士の誕生だと思った。
が、大男の口からでたのは誰も予想だにしなかった言葉だった。
/*/
「あやつは我が娘をよこせと言ってきおった」
バロイ王には娘が一人いた。その娘との結婚を迫ったのだ。
いくらバロイ王国が強い者が認められるといっても身分や格差というものはある。
いや、むしろそれがはっきりとあるからこそ人々は地位と名誉を求めて闘技場で戦うのだ。
どれだけ大男が強かろうと貴族の生まれでもない者に姫を嫁がせるなどあるわけがない。
肩書きはいくらでも変えられようが生まれを変えることはできないのだ。
バロイ王が、
「それはできぬ」
大男の願いを拒否すると彼は王を睨みつけた。
しかしそれだけで何もせず、何も言わずに去っていった。
事件はその翌日に起きた。
「我が姫はその男にさらわれたのだ」
願いを聞き入れられなかった大男が力ずくで奪っていったのだ。
バロイ王はすぐに大規模な部隊を編成し姫を捜させた。
誘拐をしたわけであるから当然遠くへ逃げ身を隠すのが普通だ。
が、大男はすぐに見つかる。
バルバロイ南部にある森の中の廃城にいた。
灯台下暗しということわざがある。
だから虚を突くためにあえてそこに隠れていた、というわけではない。
いいやそもそも彼は追われる立場にあるなどとは思ってすらいなかったように平然とそこにいた。
大男と捜索隊の戦いは戦いと呼ぶこと自体が厚かましいほど一方的に男の勝利で終わった。
五百からなる部隊の半数近くが重傷を負い城へ帰ってくる始末である。
数では勝てぬと判じた王は闘技場の闘士たちを褒美で焚き付け大男のもとに送ったがこれもかなわなかった。
国内に勝てる者なし、と悟った王は国外の、それも相当の腕利きを集めることを考え、今回の行動にでた。
『勇者』――それは魔王を倒すために選ばれた豪傑、傑物である。
「頼む。娘を取り戻してくれ」
ところが意外なことに勇者は難色を示した。
これにはアリス、驚愕である。
思わず顔をのぞき込み、
「どうしたんですか? お腹が痛いんですか、熱でもあるんですか?」
「……どういう意味だよ」
「だってお姫様ですよ。女の子です。王子じゃないんですよ」
「さっきといい、今といいお前が俺をどういう目で見てるかよぉくわかった」
「だってそういう人じゃないですか」
当然とばかりに言い切った。
「ああそうさ。女が好きで幽霊だろうとなんだろうと節操がないのが俺だよ」
などと勇者は胸を張って開き直る。
「だけどな、お姫様ってのは例外だ。守備範囲じゃねえよ」
これまた意外なことを言った。
女であれば幼女だろうと老婆だろうと、生きていても死んでいても、人間だろうとなかろうと口説いて廻る男がだ。
あろうことか例外などと言えば驚く意外にどうすればいいのか。
「あんな腕の試されかたをして、それで拗ねてるんですか」
なんて見当はずれなことを言う。
「そんなんじゃあない」
すると突然、
「そうだろうよ。そいつはびびってんのさ」
どこから現れたのか部屋の隅に男がいた。
男というよりは少年だろうか。サシャよりも少し年下に見える童顔で背丈もアリスより少し高い程度しかない。
「お姫様をさらった男の強さを聞いてびびってんだろ。それで言い訳をしてみっともないぜ」
少年は勇者を嘲っている。
明らかに挑発されているのだがまるで気にとめずに肯定した。
「誰だか知らないがその通りだよ。五百を相手に勝つような化け物なんて」
するとしたり顔で少年は王へ向かって言う。
「聞きましたか? こんなやつと一緒に戦うなんてごめんですよ」
しかし、
「そう言うな。勇者が二人いても勝てるかわからぬ相手だ」
「ちょっと待て。二人?」
「おお、そうか。紹介がまだであった。彼は」
バロイ王が言いかけるのを少年が制す。
彼は勇者の正面に立ち、胸を反らせた。
そして声高らかに名乗りを上げる。
「俺様はベント。ラウの国の勇者様だ」
「………」
「……」
「…」
しんと静まり返る広間。
「おい、なんか言うことはねえのか」
「あ? うーん」
頭をひねってひねって考えて口をついたのは、
「ラウってどこだ」
であった。
すかさずアリスが耳打ちする。
「ナノクニとバロイの間にある小さな国ですよ」
「ああ」と頷くがわかっていないようだった。
するとまたいつの間に現れたのか。
筋骨たくましい大柄の男が二人、ベントの背後に立っているではないか。
僧のような坊主頭のほうが豪快に笑いながら、
「さすが大国の勇者よ。我ら木っ端国など知りもしないか。なあ兄者」
もう一人の男――頭頂の髪はきれいに剃っているが、それ以外は伸ばしており河童のような奇妙な髪型をしていた――も、
「豪気よ豪気。とてもびびっているようには見えんのう」
やはり豪快に笑う。
二人はソーザイとオーガス。兄弟であり、ベントと共に旅をしていた。
「男三人旅かよ……」
勇者は想像するだけで身の毛もよだつ思いだ。
「とにかく」
バロイ王が咳払いをする。
「そなたらが協力をして」
何か言おうとして、伝声管からの声がそれを邪魔した。
『新しい勇者様が来られました』
/*/
バロイ王は自分の前に立つ三人の勇者とその仲間たちを眺め満足そうに頷いた。
姫を取り戻すことができると確信していた。
「よいか。そなたら三組が協力して必ずやあの男を殺すのだ。いいな」
念を押してから彼らを見送った。
城を出、町も出、街道にでたところで、
「なんだかあわただしかったですし改めて自己紹介させてください」
そう言ったのは三人目の勇者だった。
「マウロウの勇者、ハノイです」
軽く会釈するその仕草がどうも艶っぽい。
細い体つきで女のような顔をしており常に笑顔を崩さない。
が、
「こっちは付き人のレノです。ほら、挨拶」
「あ、あの。レノです。よ、よろしくお願いします」
アリスよりもさらに小さい小柄な少女は深々と頭を下げた。
突然、
「きゃっ」
悲鳴をあげる。ハノイに後ろ髪を引っ張られ体を引き起こされたせいだ。
「いちいちどもるのやめろって言ったよなあ」
ハノイは豹変したように恐ろしい顔でレノを問い詰める。
すっかり怯えきったレノは、
「ごめんなさいごめんなさい」
繰り返し謝り続けている。
それがさらに気にくわないようで手をあげる。
よく見るとレノの体には痣がいくつもあった。
「やめろ」
勇者がハノイの腕をとる。
「あ?」
「やめろって言ってんだよ」
一度は勇者を睨み返したハノイだが、彼だけでなくベントたちにも睨まれているとわかると、すぐに最初の笑顔に戻り、
「やだなあ。そんな怖い顔しないでくださいよ」
レノから手をはなした。
この男、かなり危ない質のようでバロイ王による腕試しでも襲ってきた男たちを執拗に斬り殺していた。
/*/
どうにも不安の残る一行であったが、そんなことは関係がなくあっさりと廃城に到着していた。
城と言っても平屋建ての簡素なものである。また廃城というだけあってところどころ壁は崩れ、屋根の大部分が壊れていた。
彼らがやってきたことに男は既に気が付いているらしい。
突き刺すような殺気が城の中から向けられていた。
それははっきりと今帰れば見逃してやる、と告げている。
「どうします」
アリスが弱々しげに周囲に訊く。殺気に当てられてまいってしまったようだ。
だが、
「決まってんだろ。正面から乗り込む。ラウの勇者に姑息な手段は必要ないぜ!」
ベントは声高に宣言して揚々と突き進む。
ソーザイとオーガスの兄弟が続き、ハノイもためらいなく城へ入っていった。
それらを見送ったアリスは勇者を見る。
しかし黙然と立ったままなにも言わない。
少ししてようやく口を開いた。
「お前らはここで待ってたほうがいいかもな」
男の発する殺気はますます強くなっている。
アリスとセシリーは隠しているつもりのようだが足がふるえていた。
これでは戦えないし、自分の身を守ることもできない。
相手は五百人の軍隊を潰走させる実力の持ち主ならばそういう彼女たちは邪魔にしかならないと判じた。
「俺は行くぜ」
とサシャ。
剣術を遣うだけあって気当たりだけで怯む女ではない。
しかし勇者は賛成しかねた。
「いざという時、守ってやれないから待ってて欲しいが」
するとサシャは怒って大きな声を出す。
「そんなことをされるために一緒にいるんじゃねえ」
魔王を倒す旅の仲間であって守られるだけの存在ではないのだ。
「そうだったな」
アリスとセシリーを残し二人は城の中へ向かった。
/*/
戦いは既に始まっていた。
しかし、
「なんで一人で戦ってる!?」
ベントと大男が一対一でやり合っているのをソーザイ達は静観していた。
「やっときたか、ナノクニの」
ソーザイが勇者の方を振り返る。
「なに、ベントが安い挑発に乗ってのう」
「だからってなあ」
「心配しているのか? ナリは小さいがベントも勇者だ」
「軍隊が倒せてもベントは倒せん」
オーガスだった。
信頼しきっているのだろう。勇者が何を言っても聞く耳を持たない。
勇者も別にベントがどうなろうと知ったことではないのだが、どういうわけか胸騒ぎがしていた。
だから二人を残してきたし、できればサシャにもそうして欲しかった。
首を振り、戦いの方へ目を向ける。
さっきは一瞥しただけで敵の顔も見ていなかった。
そして、勇者の顔は一瞬にして驚愕に彩られた。
「なっ」
総髪の大男は勇者の知っている男だった。
「なんで」
疑問が口をつく。独り言だ。
サシャも他の者も戦いに集中していて勇者の異変には気づいていない。
こんな所にいるはずがないと思うが、しかしどうみてもその人にしか見えなかった。
「ユリウス……」
それが大男の名前だった。
なんとはなしにサシャが勇者の方を見て、はじめて彼の顔が青ざめているのに気が付く。
「どうかしたのか」
「いや、なんでもない」
平静を装って応えるもののどこかぎこちない。
それで勘違いしたのか、
「大丈夫だって。ベントとかいう奴が押してるよ」
と、戦いを指差す。
確かにそのように見えた。
ベントは小柄だ。二メートル半もあろうかという大男ユリウスと相対すればなおさら小さく見える。
筋力という点においてはかなうはずもない。
それは相手がユリウスに限った話ではない。
勇者はもちろん女のサシャにも劣るかも知れない。
つまり彼は戦う時、相手が自分より力で優れていることを覚悟して戦わなければならなかった。
故にベントが鍛えたのは速さである。
一撃必殺の力がないならば、倒すまで攻撃し続ければよいのだ。
事実、彼はスピードでユリウスを圧倒していた。
縦横に駆け回り、前から後ろから、あるいは横から、時には上から下から、攻撃を仕掛けている。
ユリウスはベントのまるで消えるようなスピードについていけず見当違いな場所を殴りつけていた。
そこら中にユリウスの拳撃が開けた穴ができている。
確かにその拳は床を砕き、一撃必殺と呼ぶにふさわしいパワーがあった。
しかし当たらなければどうということはない。
どれだけ強力な攻撃も当たってはじめて意味を為すのだ。
一方的にベントがユリウスを殴りつけ状況は優勢であるように思えた。
だが勇者の目には違って見えていた。
「だめだ」
「え」
「このままじゃいずれ負ける」
「何言ってんだよ。どうみてもベントの奴が勝ってるだろ」
「気づかないのか」
ベントの顔を指差す。
よく見ると彼の額からだくだくと汗が流れていた。
「汗くらい」
そう。サシャの言うとおり全力で戦っているのだから汗くらいかいて当然である。
問題はその量だ。
大量の汗をかくだけの時間が経っているということだ。
「戦いはじめて何分が経つ」
勇者達がやってきた時には既に二人は戦っていた。
そしてその時からずっとベントが一方的に殴り続けているのだ。
「多撃必殺、大いに結構」
ベントは一分間に百数十発のパンチを繰り出していた。
そのすべてがガードされることなくユリウスに命中している。
それをもう十分以上続けている。
千数百発殴られているにもかかわらずユリウスが倒れる気配はまるでない。
「だが、パワーがなさすぎる」
いくら殴ろうとも効いていないのであれば意味がない。
ベントの攻撃は当たってなお意味を為していなかったのだ。
「適当なことを言うな!」
話を聞いていたソーザイが勇者につかみかかる。
「本当の実力を出せていればまだよかったんだがな」
「どういうことだ」
オーガスがソーザイに手を放すように言いながら訊いた。
「お前らもバロイ王からあの男の話を聞いたんだろう」
「ああ。だがそれがどうした」
「だから拳に体重が乗ってないんだよ」
バロイ王の話の中で最たる印象を与えるのはユリウスと槍遣いの勝負である。
ユリウスは魔法を使ったわけでも、何か仕掛けがあったわけでもなく、ただ殴る、それだけで槍遣いの体を消し飛ばした。
「そうか!」
「どういうことなんだ、兄者」
「あの男のパワーの凄まじさを聞かされ思ったはずだ。一発でも貰ってはいけない、と」
例えその時思わずとも、実際に相対してその拳の威力を知れば思わざるを得ない。
その思いがベントに狂いを生じさせた。
一発も貰ってはいけない。敵の攻撃が来るよりも速く速く動かなければ。
その強迫観念が彼の拳を軽くした。
速く動こうとするあまり拳を振り切れていない。
その前に回避行動に移ってしまっている。
だから体重が乗り切きらない。
いくら撃とうと手打ちではダメージを与えられない。
「言われるまで気づけないとは」
オーガスは嘆くが落ち込んでいる暇はない。
「あっ!」
ベントの足が止まった。
動き続けていたツケがきた。息が切れている。体力を消耗しきって動けないのだ。
ユリウスが拳を振り上げる。
もはや速い遅いは関係がない。
今まさに振り下ろされようとしたその時、
「ユリウスッ!」
名前を呼ばれ動きが止まった。
振り返り、
「誰だ。俺の名前を呼ぶのは」
言いさして勇者と視線が交わる。
「お前は!?」
/*/
「誰だ?」
大仰に驚いてみせておいて放った言葉はそれだった。
ユリウスは勇者を注視し記憶をたどるが思い出せないのか首を傾げる。
戦いの最中だということも忘れたようであった。
隙だらけである。というか隙しかない。
だが「うんうん」とうなり腕を組んでいる様は怪しく、誘っているようにも思え勇者たちは動くのを躊躇った。
そんな中、
「あんたたちがやらないなら僕が行ってもいいよね」
ハノイが一歩前にでた。加虐的な笑みを浮かべている。
「待ってくれ。下手に動けばベントが」
ソーザイ、オーガス兄弟が動けないでいるのはベントがまだユリウスの射程内にいることもあった。
彼らとユリウスとの距離は約二十メートル。
彼らにとっては一瞬の距離だが、その一瞬はユリウスがベントを殺せる一瞬である。
しかしハノイは彼らの言葉にわずかの配慮もなかった。
言い終わった時にはもうユリウスに向かって走り出していた。
それに反応してユリウスが顔をあげた。
そして驚愕する。
驚いたのはユリウスだけではない。
勇者たちも思わず、
「あっ!」
と叫んでいた。
なんとハノイは付き人のレノをまるで投擲武器かのように投げつけたのだ。
誰も予想だにしない行動だけにユリウスの反応は僅かに遅れる。
しかし投擲されたレノは何をするわけでもなく、泣き叫びながらただ飛んでくるだけであって、これをかわすのに影響するほどの遅れではなかった。
ユリウスはわずかに背を屈めた。
その上をレノが通過し、受け身も取れず地面に落下、打ちつけられた。
ユリウスはそんな少女の滑稽な姿に知らず知らず気をとられていた。
ハノイはそこまで狙っていたわけではない。
ベントとの戦いを見ていた彼は自分の間合いに入りさえすればユリウスを斬れる自信があった。
だからレノを肉の壁にして自分の間合いまで近づく、その程度だった。
予想以上の効果をあげた作戦のおかげでハノイはユリウスの懐に潜り込めた。
そこは既に必殺の間合い。
(斬った!)
自信は確信に変わる。
鞘から剣が疾り胴を横薙ぎに斬った。
「ぐあっ」
倒れたのはハノイの方だった。
斬ったと見えた瞬間ユリウスの姿が消え、ハノイの背後をとっていた。
無論、消えたわけではない。
消えたように見えるほど速く動いたのだ。
しかし、
「こんなに速く動けなかったはずだ」
つい先ほどまでベントのスピードについていけない鈍重な大男であった。
「チビの坊やとやりあう前なら斬られていたなあ」
言ってユリウスはハノイを片手で拾い上げる。
レノ、ベントの二人も持ち上げると、これを放り投げた。
「お返しだー」
空を裂いて向かってくる彼らをよけるわけにもいかずソーザイ、オーガス、サシャの三人はそれぞれ受け止めた。
しかし投擲の勢い凄まじく、サシャは止めきれずに吹き飛ばされる。
二人はなんとかこらえたもののそれで精一杯だった。
迫るユリウスに対しなにもできず殴り飛ばされ、二人分の体重などものともせずに宙に舞う。
空中で三回も回転してから落ちた。
「サシャ!」
「心配すんな。誰も殺しちゃいない」
いつの間にか勇者の目の前にユリウスが。
「ちっ」
跳び退って身構える。
が、
「おいおい、久しぶりの再開だってのにずいぶんな態度じゃねえか」
「なに!?」
/*/
ユリウスはまるで子供のような笑みを浮かべて勇者に抱きついた。
「久しぶりだなあ」
そう言って勇者の背中を何度もたたき大きな笑い声をあげる。
「お前、さっきは」
「人間なんぞと一緒にいるからなにか事情があるんだろう。それで知らないふりをしてやったのだ」
勇者は抱きつくユリウスをひっぺがし、
「いつからそんな気遣いができるようになったんだ」
「何年会ってないと思っている。六年か? 六年だな」
一人でうなずく。
「六年会わなきゃ人は変わるさ」
そう言うように六年ぶりの再会であったが、それを喜んでいるのはユリウスだけでのように見えた。
思い出話に移ろうとするユリウスを制して勇者は尋ねる。
「どうしてお前がこんなところにいる」
すると笑顔だったユリウスが一転して刺すような目つきに変わり、逆に訊いた。
「お前こそどうして人間といっしょにいる」
「俺が人間といっしょにいるのがおかしいか」
「人間が嫌いだからあんなことをしたんだろうが」
「人間が嫌いなんじゃあない。人間の中に嫌いな奴がいただけだ」
「理屈だねえ」
「だいたいそういう話なら、俺はお前らも嫌いだ」
勇者は恐ろしい目でユリウスを睨みつける。
彼はなんら動じることなく、しかし少しだけ気に病んだ様子で、
「まだあのことを恨んでいるのか」
言い終わらないうちに、勇者はユリウスに掴み掛り取り乱したように怒鳴った。
「お前たちは俺を利用して!」
「お前も俺たちを利用したんだろうが」
「……ッ。仲間だと思っていた!」
「今でもそう思っている、俺はな」
「くそ!」
勇者は悪態をついてユリウスの胸を突き飛ばした。何度も何度も。
ユリウスは黙ってそれを受け入れていた。
しばらくして少し落ち着きを取り戻した勇者は、
「さっきの質問に答えろよ」
「お前の嫌いな俺様は、お前の大嫌いな魔王軍から離れたんだよ」
冗談のような口調で言うので勇者以外の人間が聞けば、その通り冗談だと思っただろう。
だが、この人間と何ら外見上の違いを持たない男、ユリウスは魔族である。とはいえ魔法の一つも使えないのだが、使う必要もなかった。
というのも生まれながらにして持つ特異な能力を持っていたから。
戦うことによって相手の能力を学習し、上回る力を持つ。
鈍足だったユリウスが急に速くなったのもベントのスピードを学習したからであった。
そういう能力のおかげでかつては魔王軍の中枢にいた男でもある。
だから、
「信じられないだろう?」
と自分で言って口の端を持ち上げる。
「冗談を。ならなぜバロイの姫をさらう!? 進攻の足がかりにするのが目的だろうが」
「さらう? 誘拐だと!?」
突然、ユリウスは腹を抱え大声で笑いだした。
「そうか。そういうことになっているのか」
「なにがおかしい!」
「……愛だ、恋だ、と素晴らしさを語っていた馬鹿が昔の知り合いにいてなあ」
「はあ?」
急にわけのわからないことを言いだした、というわけでもない。
ユリウスにそれを語ったのは勇者だった。
しかし当時のユリウスはそれを解さず、興味もなく、ただただ自分が強くなるために戦いに明け暮れていた。
そういう男だから結婚を求めて姫をさらったというのが勇者には信じられないし、魔王軍の戦略として誘拐したという考えにもなる。
だが六年の歳月というものはやはり人を変える。
ユリウス自身、いつなにがきっかけでそうなったのかわからないが、恋が芽生え、バロイの姫を愛するようになっていた。
そして、
「誘拐だというならそうかもしれないが何も無理やりさらったわけじゃあない」
「嘘を」
「嘘ではありませんっ!」
不意に女性の声がして勇者の言葉を遮った。
声をしたほうを見れば白いドレスの女が立っていた。
ふっくらとした顔立ちから柔和な人柄がうかがえ、物腰には気品があり、美人とは言えないがいい女ではあった。
この人がバロイの姫、ミリアである。
「隠れていろと言ったろう」
ユリウスは心配そうにミリアに駆け寄り、彼女の背に腕を回し抱いた。
「ええ、でもあなたのお知り合いなのでしょう」
「それはそうだが」
「戦う必要はないのではなくて」
「恨まれているからな」
ミリアはユリウスの腕の中で彼の顔を見上げる。
二人の視線の交じり合う姿を見れば勇者には彼らの話が嘘ではないとわかった。
ハァーっと大きく息をついた。
気の抜けきった顔で、
「アホらしい。じゃあ俺達は馬に蹴られるためにやってきたんじゃないか」
ユリウスは不思議そうに勇者を見る。
「急に物わかりがいいな」
「うぶな初恋野郎とは違うんだ。わかってしまえば認めざるを得まい」
「だがわかったから俺はこうして」
「ああ、そうだな。だが」
勇者は声をひそめ、
「全部話した上でのことなんだな?」
ユリウスが答える代わりにミリアの声が返ってきた。
「すべてわかったうえです」
「聞こえていたのか」と勇者が言うと彼女はくすりと笑った。
「わざとらしいですよ。そうやっていじわるをするつもりでしたのでしょう」
彼は冗談めかして舌を出す。
「一応恨みがあるからな」
「そうですね。ユリウスは魔族で、昔はひどいことをたくさんしたという話も聞きましたからあなたのような人もいるのでしょうね」
「なあに俺の場合は逆恨みだからな」
「ユリウスがすべてを話してくれた時、驚きはしましたけど気持ちは変わりませんでした。それにこの人は変わってくれましたから」
確かに多少変わったかな、と勇者は思う。
昔のユリウスなら五百の探索隊の誰一人生きて帰れはしなかっただろうし、今だってベントたちは気絶ですんでいた。
「変わったというか変えたんだろう」
「まあ」と赤くなった頬に手を当てる。
そういう様を見ていると勇者はしみじみと思ってしまう。
「本当にお姫様なのか。俺の知ってる生き物とは大分違うんだが」
そう言ってユリウスを見れば、
「あれと比べればそういう気持ちになるだろうよ」
二人は共通の人物を思い浮かべてゲローっといやな顔をした。
「だが好いていたんだろう?」
「冗談。それこそ冗談だぜ」
「そう、なのか」
「そうだよ」
少しの沈黙が流れ、気まずい雰囲気が立ちこめ始めるのを振り払うようにユリウスは話題を変えた。
「それでお前はどうなんだ」
「どうたって」
「何をしている?」
「………」
「どうした」
勇者は非常に言いづらそうにし、しかし言わないわけにもいかず、しばらくもごもごと言葉なんだがなんなのかわからない音を発し、ようやく意を決したのか、それでもとっても小さな声で、
「勇者だ」
一言だけつぶやくと下を向いて表情を隠した。
その様が面白かったのか、聞こえていた癖にユリウスは笑いをこらえながらもう一回と言う。
「お前なあ! 変わりすぎだぞ」
こういう冗談をする男ではなかった。
「悪かったよ。だけど勇者ってのは冗談でも言わなきゃ信じられなくてな」
ユリウスにはとても大きな衝撃であり、ちゃかすことでごまかしていたのだ。
「六年経てば人は変わるって言ったのはお前だろう」
「それにしたって変わりすぎだろうが」
「お前が女を愛するようになるほどには変わってないつもりだが」
「茶化すな」
「どっちが」
「だから悪いと言ったろう」
ユリウスが勇者の肩を掴んだ。お互いの顔が向き合う。真剣な目で彼を見つめた。
「六年前のあの事を後悔しているのか?」
「まさか。むしろ誇らしく思っているよ」
「なら」
「確かに後悔はしていない。けど、責任は感じている」
「お前のせいじゃないだろう。俺達が」
言い終わらないうちに首を振る。
「引き込んだのは俺だ。それになあ」
勇者の声が震えている。俯いているため表情は読めない。
「ただ逃げ続けるのが恐くなった、それだけさ」
「……ホープ」
泣いているのか、とユリウスは思った。
しかし勇者が顔をあげた時にはもう声も表情もいつも通りだった。
「その名前で呼ばれるのも久しぶりだな」
「仲間には何も話してないのか?」
「話せるわけがないだろう」
「だが」
「お前とは違いすぎる」
今度はユリウスがうつむく。
「お前が暗くなってどうする」
「だがあの時の俺はただ暴れられるからと何も考えずに」
「変わったんだろう。変えてくれたんだろう」
そう言って視線をミリアに向ける。
ミリアには話の内容がわからなかったが二人の重い雰囲気に飲まれて何も言えなかった。
「だが」
「だがだがうるせえな。あんまり言うと恨めしくなるだろうが」
突然、勇者は手を叩いて鳴らしだし、
「はいはい。そんなことよりどうして純愛が誘拐ってなことになってんだ」
この二人の様子を見れば、いかに鈍感だろうと好き合っていることが理解できるだろう。
「そういうこととお父様がお許しくださるかは別のことですから」
それでミリアは自ら望んでユリウスと逃避行というわけだ。
「それにユリウスが魔族と知れば許していただけるわけもありませんし」
そりゃあ人間と魔族の恋愛なんて認められるわけがない。まして一国の王であればなおさら。
「それでどうする。俺をバロイの王に差し出すか」
「冗談。お前と戦って勝てるものかよ」
だいたい、と続ける。
「俺が愛し合う二人の仲を裂くような野暮な真似をする男か?」
「恨まれているだろう、俺って」
ユリウスはわざとらしく肩をすくめた。
「まだ言うか」
「怒らせて斬られようと思ってなあ」
冗談のように言うが。
「馬鹿か。そんなことで解決するかよ」
「そうかな」
「そうだよ」
まただいたい、と言って、
「そうやって舐めてるからいつまでもこんなところにいるんだろう」
「そんなつもりじゃあないが」
「じゃなかったら逃げるべきだろう。なあ?」
ミリアに話を振った。
「ですが行くあてもありませんし」
それが現実だった。
世間知らずのお姫様とはぐれ魔族ではそうもなる。
勇者は腕を組み、沈思した後何か閃く。
「女幽霊のいる宿屋があるんだけどな」
「はあ?」
「助けてやったのに謝礼ももらってないし、情の深い女だから事情を話せばしばらく置いてくれると思うぞ」
うんうん、と一人納得をして、
「そうと決まれば善は急げ、だ。地図を書くからこんなところからはおさらば」
すると張り裂けんばかりの大音声が響く。
「ふざけるな!」
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無論、ユリウスではない。
この猛り狂った大声はハノイのものであった。
どうやらいち早く目を覚ました彼は気絶したふりをしたまま話を盗み聞いていたらしい。
「ふざけるな。人間と魔族が愛だと。それを『勇者』が逃がすだと。大概にしろよ、あんたら」
当然と言えば当然だが、それにしたって激しすぎる怒りを向けられても勇者は平然としている。
「祝いの門出を見送ってやろうという気はないのか、少年」
「ふざけるな」
「ふざけているつもりはない」
言い切った。
その姿勢がますますハノイの激昂させる。
「あんたも、その男も、お姫様も全員殺す。殺してやる!」
どうにも歪んだハノイの性格も過去になにかあったのだとしたら納得のいくところもある。
が、
「やだねえ。トラウマかなにか知らないが、それでユリウスとお姫様を憎む理由にはならないだろうに」
「人に言えるのかよ」とユリウスが口を挟んだ。
「俺は魔族も人間も恨んじゃあいない。個人を恨みはするけどな」
再びハノイに向き直り、
「ほら、こいよ。口だけ坊主」
わざわざ煽る。
「黙れええ!」
病的に猛った目を見開いてハノイが斬り挑んでくくる。
勇者はこともなげにひょいとかわし様、横腹を強撃した。
ハノイの目がぐるんとまわり泡を吹いて気絶した。
「恨みつらみは冷静にやらないとな」
聞こえていないだろうに助言を送ったりして余裕である。
ユリウスは神妙な面持ちで、
「すまんな。お前にやらせてしまって」
「逃げるのに余計な恨みを買う必要はないだろう」
倒したのが勇者ならハノイの恨みも彼に向くというもの。
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「それじゃあな」
勇者は二人が寄り添いながら歩いていくのをしばらくの間、眺めていた。
/*/
気絶したままのサシャたちを連れてバルバロイ城に戻った(ハノイとレノは置いてきたが)勇者一行。
当然本当のことを話すわけにはいかないので、適当に繕いながらユリウスとミリア姫に逃げられたことを告げるとバロイ王は激怒した。
「役立たず共がっ。お前たちなど魔王に殺されてしまえ!」
散々に罵ったあと国外追放を言い渡し、結果として彼ら国境を越えることができた。
無論、勇者はここまで見越していたわけではない。




