第十二話 ネコとロシア兵
2月22日!今日はネコの日!ニャーニャーニャー!
いよいよネコが旅順要塞にデビューします!
■電信教導大隊 指揮所
「まもなく投下予定地点に達します」
双眼鏡を覗きながら河野が告げた。
今回、目標とされたのは要塞東北正面の東鶏冠山堡塁であった。風の影響かやや左に逸れてはいるが最初に発射した飛行器は目標に向けて順調に進んでいる。
飛行器がロシア軍の陣地に近づくにつれ小銃の射撃音が聞こえてきた。
「敵陣地から飛行器に向けて射撃が行われている様です!」
はるか上空を飛ぶ機体に小銃で撃ち上げても効果はほとんど無いはずである。だが万が一という事もある。北川らは不安げに機体を目で追った。
■ロシア軍 要塞司令部
日本軍が自陣の奥になにやら怪しい設備を作っている事はロシア軍も把握していた。手前側には鉄道が確認できる。おそらく背面にもあるのだろう。ロシア軍はそれを何か重量物を運ぶものと推測していた。
ロシア軍が最も危惧していたのは重砲の配備であった。鉄道でなければ運べない程に大きな、例えば戦艦や沿岸要塞で用いるような大口径砲を持ってこられると非常にまずい。
いかにこのポルト・アルトゥル要塞(旅順要塞)が最新の要塞理論に基づいて設計され幾重にも重なった陣地と分厚いべトンで覆われていても、射程外から大口径砲を一方的に撃ちこまれれば落とされる可能性が高い。
そして、ついに恐れていた日本軍の攻撃が始まった。だがそれは彼らの予想と全く違うものだった
「日本軍が何かを発射しました!」
司令部に駆け込んできた伝令が慌てた様子で報告する。
「何かとはなんだ!報告は正確にしろ!」
司令の横に立っていた参謀が伝令を怒鳴りつける。
「はい……大砲ではありません……その……本当に見た事のないものでして……」
伝令が言い淀む。
「もうよい。直接見てやろう」
危険だと止める参謀らの制止を無視し、司令官アナトーリイ・ステッセリ中将は司令部のベランダに移動した。
「なんだ、あれは?」
それを見たステッセリは拍子抜けした。双眼鏡でようやく見つけたそれは、おもちゃのように小さなものであったからだ。それは真っすぐ東鶏冠山堡塁を目指して進んでいた。
「即刻撃ち落させましょう。日本軍があれ程の準備を整えて発射したものです。無害であるはずが有りません。爆薬か、もしかしたら疫病や毒薬を撒くつもりかもしれません」
参謀の進言に頷くとステッセリは東鶏冠山堡塁に対して謎の機械への攻撃を命じた。
■ロシア軍 東鶏冠山堡塁
「撃て!すぐにあれを撃ち落とせ!」
司令部からの命令を待つまでもなく、堡塁の指揮を預かる大佐は兵に射撃を命じていた。だが謎の機械は百丁以上の小銃に狙われているにも関わらず、まっすぐこの堡塁に向かってくる。
(やはり鳥打ち猟師でもなければ当たらんか……)
大佐は歯噛みした。予想していた事だが空中に対して小銃は無力に近い。
移動物体に対して射撃を行う場合、見越し射撃が必要となる。しかし目標が空中にある場合、それは非常に難しい作業となる。なぜなら比較対象物がないため距離や速度を把握し辛いためである。この技術は猟師などの経験から感覚的に得るしかない。そもそも一般兵士には無理な話である。
更に小銃を空に向かって撃ちあげる場合、弾丸の速度は位置エネルギーへ変換されるだけでなく空気抵抗により急激に低下する。地上で有効射程が500メートルを超える小銃でも、空中に向かって撃った場合の有効射高は100メートルにも満たない。
大佐が焦る間にも謎の物体はみるみる近づいてくる。そして陣地の上空に達した時、それから何かが投下された。
■電信教導大隊 指揮所
「投下されました!」
正式に飛行器の観測命じられていた兵が大声で叫ぶ。
籠が割れてネコが空中に放り出された。詰め物のシロツメクサが周囲に飛び散る。その様子は北川の双眼鏡でも確認できた。
重量物とバランスを突然失った機体は明後日の方向にフラフラと飛んでいく。
最初に投下されたネコは茶トラだった。たしか参謀本部の人間が泣く泣く差し出したネコだと聞いている。
突然空中に放り出されて驚いたのだろう。マタタビを嗅がされていたにも関わらずそのネコはジタバタと暴れていた。
落下傘と飛行器を結ぶ紐がするすると伸びる。すぐにその紐はピンと伸び、落下傘が開いてネコはゆっくりと降下をはじめた。
ネコも諦めたのか今はもう手足をだらんと垂らして落下傘に身を任せている。
「投下成功!ネコは目標に向けて降下中!」
「よし!二号機発射しろ!以後は別命あるまで5分間隔でどんどん打ち込め!」
■ロシア軍 東鶏冠山堡塁
大佐は謎の物体から何かが投下されたのを確認した。それは傘状のものにぶら下がって、ゆっくりと陣地に向かって降りてくる。もしかしたら爆薬か何かかもしれない。
なぜ態々ゆっくりと降下させるのか理由は分からないが空中にあるうちに無力化させる方がよい、そう考えた大佐は射撃を継続させようとした。
(にゃあ……)
だがその時、大佐の耳に信じられない声が聞こえた。その声は間違いなく空から降りてくるモノが発している。動揺し震える手で大佐は慌てて双眼鏡を構えた。
「は、ばかな……ネコ……だと!?」
ソレは毛むくじゃらで四つ足の生物だった。足も尻尾もダランと力なく下げられているが動いて生きている。
間違いなくネコ、それも大好きな茶トラのネコだった。その正体に気付いた大佐は驚愕した。
「射撃中止!すぐに射撃を止めさせろ!!」
慌てて大佐は叫んだ。だが大佐が命じるまでもなく落下物の正体に気づいた兵士らは次々に射撃をやめていた。そして口々に叫ぶ。
「ネコだ!」「ネコ様!!」「天使がやってきた!」
(にゃあ、にゃあ、にゃーん……)
兵士らは銃を投げ捨て、我を忘れたかのように空に手を伸ばしていた。
■電信教導大隊 指揮所
「敵陣地からの射撃、止まりました!ネコは陣地西側に向けて降下中!」
ロシア陣地を監視していた気球分隊から報告が入る。どうやらロシア兵もネコに気づいたらしい。そして計画通りネコは落下傘にぶら下がって敵陣地にゆっくりと降りていく。
「ネコの着地を確認!ネコはロシア兵に保護されました……あ、あれは!?……敵陣地内でネコの奪い合って争いが発生している模様!」
「おいおい、ロシア人にとってネコは阿片かなんかなのか?連中は敵前で何やってるんだ?」
報告を受けた北川はあきれ果てた。だがこれは馬鹿馬鹿しいと内心思っていた自分たちの努力が報われた事を意味する。
「間もなく二号機が敵陣地上空に達します」
「よし!どんどんネコを送り込め!連中を全員腑抜けにしてやれ!」
■ロシア軍 東鶏冠山堡塁
ネコを確保したロシア軍陣地では、ネコを巡って争いが勃発していた。
「落下地点は第一中隊の管轄だ!したがってこのネコはウチが確保する!」
「ふざけるな!第二中隊に負けるな!奪え!」
「また日本の陣地から飛んできたぞ!」
「今度こそウチが確保しろ!」
「第三中隊と第四中隊がこちらへ攻勢準備中!」
「小隊を二つ東西にまわせ!何としても奴らの突入を防げ!」
東鶏冠山堡塁の前面陣地は大混乱に陥っていた。
■ロシア軍 東鶏冠山堡塁
「これが日本軍の策略か……なんと悪辣な……悪辣な……よしよし」
混乱し、そして戦意を喪失してしまった陣地を見ながら大佐は呟いた。そういう彼の胸にもネコが抱かれている。
部隊の混乱を鎮めるため大佐はネコを各部隊に均等に配分するよう命令していた。もちろん大佐が抱いているネコは別枠、指揮官特権で確保したものである。その過程で彼は色々なものを失った気がしたが後悔はしていない。
今日一日で日本軍は100匹を超えるネコを送り込んできた。ありがたい事に日本軍はネコのエサまで送って来てくれている。
10匹に一回の割合で日本軍はネコの代わりに「Кошачий корм(キャットフード)」と書かれた麻袋を落としていった。開けてみると茶色いペレット状のものが入っている。魚が原料らしく少々生臭いが標記のとおりネコの餌らしい。試しにネコに与えてみると喜んで食べた。
兵士の中にはウォッカの肴に最適だと盗み出す者が多数いたためネコ餌もすぐに部隊全体で管理する事にしていた。
しかし、まだまだ兵士の数に対してネコの数が圧倒的に足りていない。ネコに触れられない兵士の不満が高まっている。このままでは、いずれまたネコの奪い合いが発生してしまうだろう。
「明日もまた日本軍はネコを送ってきてくれるだろうか……」
大佐は敵であるはずの日本軍に期待していた。
大佐の願いは叶えられた。
それから5日間で合計500匹を超えるネコが東鶏冠山堡塁に送り込まれたのである。およそ二千名が詰めるこの堡塁の三分の一近くにネコが行き渡った計算となる。
(にゃーにゃー)(うにゃーん)(なーご)
堡塁のどこでもネコの声が聞こえた。兵士らは皆蕩けたような表情で通路や塹壕に座りこみ、ネコを抱き、ネコを撫ででいた。
今や東鶏冠山堡塁の防御力は完全に失われていた。
乃木「圧倒的じゃないか、我が軍はwww」
参謀「閣下、それ負けフラグです」
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