第十三話 ネコとイヌ派
■ロシア軍 要塞司令部
「閣下、東鶏冠山堡塁よりただいま戻りました」
日本軍が謎の攻撃を開始してから5日目。状況確認に送り出していた中尉がようやく報告に戻ってきた。
「ご苦労。それで向こうの様子はどうだった?」
ステッセリが待ちかねた様に尋ねる。
「はっ。全く、何の問題もありませんでした」
「問題ない?何の問題ないだと?」
中尉の言葉にステッセリは苛立ちを露わにした。
東鶏冠山堡塁はすでに5日間も日本軍の謎の攻撃に晒されている。であるにも関わらず堡塁からは毎日変わらず「一切問題ない」としか報告が無い。
とてもでないが信じられる話ではなかった。
「ならば、あれはなんだ!日本軍は5日間も無駄な攻撃を続けているとでも言うのか!?」
「日本軍が投下したものは全く無害なものでした」
「だからそれは何だと聞いてる!!」
「それは……ではもう一度もどって確認して参ります」
しかも中尉は木で鼻を括ったような返答をする。
彼の前にも4人を状況調査に向かわせたが誰一人戻って来なかった。「問題ない」という報告を寄越すだけである。ようやく戻ってきたのが5人目として送り込まれた目の前の中尉だった。
その彼もまた「問題ない」と言うだけで、しかもなぜかすぐに堡塁に戻りたがっている様子が見え見えである。その事もまた奇妙だった。
「……もうよい。報告ご苦労だった。持ち場に戻れ」
ステッセリは埒が明かないとみて中尉を詰問することを諦めた。堡塁に戻らなくてよいと言われた中尉は明らかにがっかりした様子で退出していく。
「少将、どう思う?」
ステッセリは同席していたロマン・コンドラチェンコ少将に意見をきいた。コンドラチェンコはステッセリから要塞の防衛計画を一任されている優れた野戦指揮官である。
「あの中尉は、そして東鶏冠山堡塁は何かを隠していますね」
「やはり少将もそう思うか」
「はい。この5日間、東鶏冠山堡塁の様子は明らかに怪しいです。そして日本軍の行動は何か大規模な作戦の事前準備と思われます。こうなったら私が直接見てきましょう」
「少将、頼まれてくれるか」
コンドラチェンコは頷くと、すぐに兵士を引き連れて東鶏冠山堡塁に向かった。
コンドラチェンコが堡塁に向かう道すがらも日本軍の攻撃は続いていた。見たこともない空を飛ぶ機械が次々と飛んでくる。そこから傘みたいなものが落とされ、ゆっくりと陣地に落ちていく。
不思議なことに陣地の兵士らは、それを避けるどころか空に手を伸ばし奪い合ってさえいる有様だった。
「明らかに兵士らの様子がおかしいですね……はっきり言って異常です。まさかとは思いますが阿片か何かではないでしょうか?」
念のためにと連れてきた小隊の小隊長が意見を述べる。
「かもしれんな……とにかく行けば正体が分かるはずだ」
コンドラチェンコは苦虫を噛み潰したような顔で答えると先を急いだ。
(にゃーん)(にゃーにゃー)
堡塁に近づくとネコの声が聞こえてきた。それも一匹や二匹ではない。あちこちからネコの声が聞こえてくる。
「なっ!ネコだと!?」
空を見上げると傘のようなものにはネコがぶら下げられていた。ここで初めてコンドラチェンコは日本軍が送り込んでいるものの正体に気づいた。
「閣下、早く!早く!急ぎましょう!」
小隊長が早く堡塁へ行こうと急かす。それに頷いてコンドラチェンコも足を速める。だがこの時、小隊長の浮ついた、まるで熱に浮かされたような表情にコンドラチェンコが気づくことはなかった。
■ロシア軍 東鶏冠山堡塁
「なんだこれは!一体この堡塁はどうなっている!」
東鶏冠山堡塁に到着したコンドラチェンコは愕然とした。信じられない事に堡塁はもう防御施設としての体を成していなかった。陣地内にはネコが溢れ、すべての兵士がネコと戯れている。
「指揮官はどこだ!何をしている!」
怒りを露わにしながらコンドラチェンコは堡塁の司令部に向かった。
ちなみに彼はロシアでは非常に珍しいイヌ派である。しかもガチガチのイヌ至上主義者、反ネコ派の人であった。従って彼はネコの魔力に囚われる事はなかった。
「これは閣下、ようこそいらっしゃいました」
コンドラチェンコを迎えた大佐は腕にネコを抱えていた。指揮所を見回すと他の幕僚もそれぞれネコを抱いている。
「大佐、いったい何が……何があった?!答えろ!」
「何も……何も問題ありません、閣下」
蕩けたような表情で大佐は答えた。そして愛おしそうにネコを撫でる。ネコは目を細めゴロゴロと気持ちよさそうに喉をならす。
「それは、そのネコは日本軍が投下したものか?」
「天からの贈り物です、閣下」
「すぐに全てのネコを処分しろ!」
「それは……そんな事は出来ません。それに何の問題もありません、閣下……」
コンドラチェンコをまるで無視するかのように大佐はネコを撫で続ける。
「ふざけているのか!ならば私の手で処分してやろう!よこせ!」
激高したコンドラチェンコは大佐の抱えるネコに荒々しく手を伸ばした。それが旅順要塞崩壊の引き金だった。
コンドラチェンコの手が大佐のネコに届くより早く、大佐の右手にはナガンM1895拳銃が握られていた。つい直前までネコに蕩けていたとは思えぬほどの早業だった。その銃口はまっすぐコンドラチェンコの眉間を狙っている。
「な、なんの真似だ大佐……上官に銃を向けるのか?反逆罪は銃殺だぞ!」
コンドラチェンコが手を伸ばしたままの姿勢で固まった。だが恫喝しても銃口は微動だにしない。周囲を見ればいつの間にか堡塁の幕僚や兵士らも銃を構えコンドラチェンコに狙いを定めている。
「反乱だ!すぐに制圧しろ!」
大佐らが本気であることを理解したコンドラチェンコは、自らが連れてきた兵士らを振り返った。だがそこには既に味方はいなかった。
「……き、貴様ら何をしている?」
コンドラチェンコの連れてきた兵士達は既に無力化されていた。堡塁の兵士らにではない。ネコによってである。
彼らは仲良くネコを囲み、蕩けた表情でネコを愛でていた。あの小隊長も嬉しそうにネコを撫でている。
「どうやら閣下のお味方はここには誰も居ない様ですね。別室でゆっくりネコの素晴らしさを念入りに教えて差し上げましょう」
大佐は念押しするように拳銃の撃鉄をゆっくりと起こす。
「馬鹿どもめが……自分達が何をしているのか分かっているのか……」
憮然とした表情でコンドラチェンコはゆっくりと両手を上げ降服した。そして両脇を兵士に拘束されると独房へと連行されていった。
ロシア人にも極めて少数ですがイヌ派がいます。
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