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9.おおづめ

 老優は、しばらく黙って……畳にひれ伏している孫娘を、ジッと見つめていた。

 そして、歌舞伎の舞台のように……低い声で孫娘に尋ねた。

「日舞はどうするんだね、愛美?紺碧流は?『家元』なるというお前の夢はどうなるんだ?その子と二人で生活するというのなら、もう踊りを続けることはできなくなるんだよ。お前は、それでいいのかね?」

 愛美さんは、スッと顔を上げて……まっすぐに祖父を見上げる。

「はい。覚悟は、できています」

 愛美さん……そんなことって?

「家を捨てるというのか?紺碧流も、日舞も……?!」

 困惑した老優の表情。

 しかし……愛美さんの意志は、変わらない。

「はい、お祖父様」

 愛美さんは、一瞬も躊躇わずに、そう答えた。

「どうしてだね?なぜ、お前はそこまでして、この子にこだわる?」

 老優には……理解ができないようだった。

「だって……あたしはこの子の、お姉ちゃんですから……!」

 愛美さんは……そう答えた。

 もういい。もう……充分だよ、愛美さん……!!!

「わたしの家にいらっしゃいよ!愛美ちゃんも恵介さんも!」

 脇に控えていた加奈子さんが、突然、口を開く!

 そして、老優に向かって……。

「緑郎左衛門先生!わたくし、これまで、ずっと黙ってお話をうかがって参りましたが、もう我慢ができません。無礼を承知で申し上げます……!」

 加奈子さんの眼は、怒りに燃えていた。

「愛美さんたちは、わたくしがお預かりしますわっ!」

「何を言うんだね……加奈子くん?」

 驚く、老優。「わたしの父は、わたしのお願いなら何でも聞いて下さいます!愛美さんなら、大歓迎ですわ。恵介さんのことも……理由をお話しすれば、父はきっと判って下さいます。ご存知の通り、わたしの父は曲がったことの大嫌いな人ですから!」

 加奈子さんのお父さん……ヤクザ映画俳優の……洞口文弥。

 うん……確かに、そういうイメージはある。

「……僕の言い分は、曲がっているかね?」

 老優は、憤慨したという表情で……加奈子さんに言った。

「はい、そう思いますわ」

 加奈子さんも負けじと、老優にそう言い返す。

 老優と加奈子さんが……睨み合って対決する。

「君には判らないことかもしれないがね……家を守るということはだね……」

 老優の言葉を、加奈子さんは途中で遮った。

「はい、判りませんし、わたくしには判るつもりもございません……!!!」

 天使のような顔が、強い眼で老優を見る!

「先生は、理不尽です!」

「……理不尽、僕が?!」

 畳み掛けるように、加奈子さんの言葉をラッシュさせる!

「はい。その通りですわ。確かに……緑郎左衛門先生にとっては、恵介さんは息子さんの『隠し子』……やがて、仲代家に災いをもたらすかもしれない不吉な存在なのかもしれません」

「そうだとも……だから、僕はその禍根を残さないために……!」

 老優は、そこから巻き返そうとするが。

「ですが……そんなことは、恵介さんには何一つ関係のないことですわ!!!」

 加奈子さんの怒りが……それを許さない!

「どんな事情で生まれてきたとしても……恵介さん自身には、何の落ち度もありませんわ!恵介さんは、決して……『禍根』でも、『不名誉』でも、『イレギュラー』でもありません。先生のお話は、恵介さんに『お前は産まれてこなければよかった』とおっしゃってるも同然です!」

 加奈子さんの華やかな美貌が……老優の苦々しい表情と真っ向から対峙する!

「……僕は、そうまでは言ってない。彼には、大変申し訳なく思っている。だから、金銭的な援助は惜しみなく行うと約束しているじゃないかね!」

「お金の問題ではありません……心の問題です!」

 加奈子さん!!!

「お祖母さんを亡くされたばかりの……家族のいない恵介さんに、『お前は他人だ』、『ケジメをつけろ』そんなことをおっしゃる先生は、わたしは嫌いです。納得できません!」

「……うぬぬっ!」

 加奈子さんの強い言葉に、老優は圧倒される……。

「ですから……愛美ちゃんも恵介さんも、わたしの家でお預かりします!」

 加奈子さんは、タンカを切るように颯爽と宣言した……!

「……わ、わたしの家へ来たっていいんだぞっ!」

 と……後ろから、綾女さんもそう言ってくれたが。

「綾女さんのおうちはダメよ!」

 加奈子さんが、即座に却下する。

「……な、なぜだ?!わたしだって!」

 必死で食い下がる……綾女さん。

「あなたのおうちじゃ……三十郎さんに、ご迷惑が掛かるわよ!」

「……そ、そうかっ」

 そうだ。綾女さんのお義兄さんは、歌舞伎俳優の芳沢三十郎だ。

 仲代家と紺碧流の問題に……巻き込むわけにはいかない。

「き、君たち、落ち着きたまえ!」

 二人の少女に……老優が強い言葉を投げ掛ける。

 そして……改めて、孫娘に向き直り……。

「……愛美。お前は、そんなにその子が大切なのかね?」

 愛美さんは……。

「この子はあたしの弟です!恵ちゃんを見捨てるぐらいなら、あたしは自分の人生を投げ出した構いません!」

 その愛美さんの返答に……オレは、加奈子さんの言葉を思い出していた。


『愛美ちゃんは……一度受け入れたなら、例え飼い犬のためであっても、平気で命を投げ捨てることのできる子よ』


 結局……オレは、愛美さんの飼い犬なのか。

 飼い犬ぐらいの価値しかない人間なのか……?


「恵ちゃんは、まだ子供です。子供には、安心して一緒にいることのできる『家族』が必要です。だから、あたしは恵ちゃんの『家族』になってあげないといけないんです!」

 その言葉は……嬉しい。

 でも……愛美さん。あなたは『家族』になるっていうことがどういうことなのか、本当に、判っているのですか?!

「……そう言うお前だって、まだ子供じゃないか!」

 老優の言葉は……正しいと思う。

「そうです。愛美はまだ子供です。でも……あたしは、お姉ちゃんなんですっ!」

 それでも……愛美さんは!

「お姉ちゃんなんだから……恵ちゃんを一人で寂しくさせておくわけにはいかないんですっ!!!」

 オレは、そこまで……子供じゃない。

 オレは、一人でもきちんとやってみせる……。

 一人でも生きていくんだ……!

「それに……もし、あたしと恵ちゃんが逆の立場だったら……お祖父様は、どうなさいました?」

 愛美さんが……半泣き顔で、そう言った。

 逆の立場って?!

 もし、オレが『本妻の子』で……愛美さんが『隠し子』だったなら……。

「お祖父様は、やっぱり、あたしのことを『他人』だっておっしゃったんでしょうね。今、恵ちゃんに、言われたみたいに!!!」

 老優の顔が……苦悩に引きつる。

「……僕が、お前を切り捨てるわけがないだろう?」

 泣き顔で……愛美さんが、祖父を見る。

「いいえ……家を守るためなら、お祖父様はきっとそうなされたはずです……!」

 その愛美さんの涙顔を見て、オレは、一つの答えを発見した……。

「あたしは……自分は、お父様とお母様に捨てられたんだと思っています。あたしは、両親にとっては、『家』と『家』を繋ぐための道具でしかないから……!」

 老優が、ウッと息を呑む。

「愛美、何を言うんだね……!」

「あたしは、お父様の『仲代の家』とお母様の『三善の家』を結びつけるためだけに産まれました……母方の『三善』の家から、紺碧流の次の家元を出すためだけに!」

 泣きながら……祖父に語る、愛美さん。

「そんなことはないぞ……断じてそんなことはないぞ、愛美!!」

 祖父は、必死に否定するが……。

「……嘘ですわっ!」

 愛美さんの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていく……!

「それなら、どうしてお父様とお母様は離婚したんですかっ!お父様とお母様……全然、愛し合ってなかったじゃないですかっ!」

 ……愛美さん。

「愛し合っていないのに、『家』の都合だけで無理な結婚をして……それで、あたしという子供を作って!その上!どうして、お父様には恵ちゃんという子供がいるんですか?!」

 ようやく……オレは、判った。

 この人のことが。愛美さんが……どうして、オレに優しくしてくれたのか。

 何で、オレを……必死に『弟』だと思い込もうとしているのか!

「あたしが産まれた時に、お父様とお母様が愛し合っていらしたのなら……恵ちゃんが、ここに居るはずは無いんです。そうでしょう?お祖父様!」

 ……そうだ。

 愛美さんの両親が本当に愛し合っていたのなら……。

 オレみたいな『隠し子』が生まれてくるはずはない。

 オレの存在は……彼女のお父さんの『裏切りの証明』なんだ。

「ごめんね、恵ちゃん。お姉ちゃん、別に恵ちゃんのお母様ことを悪く言う気は無いのよ。でも、あたし……やっぱりショックだったの!」

 思春期の少女が……突然、父親に自分とそう年齢の変わらない『隠し子』がいると知ったなら……。

 やっぱり……辛いだろう。

 それは……判る。

「恵ちゃん、あたしね。ずっと『家』のために、『家族』のためにって思って……自分が、みんなから期待されていることを、ちゃんと一生懸命やっていかなくちゃって……そう思ってきたんだよ……ずっとずっと!」

 愛美さん……うつむいて、そう言う。

 悲しそうな……寂しそうな顔で。

 ああ、いつもの笑顔は……作り笑顔だったんだ。

 これが素のままの……無垢な愛美さんの姿なんだ。

「あたし……判ってるのよ。もし、あたしが家元になれなかったら……あたしが、日舞を踊れなくなったら……その時はきっと、お祖父様もお祖母様もあたしを捨ててしまうのよ!お父様やお母様みたいに……!!!」

 愛美さんは……ずっと、恐れていたんだ。

 自分が……いつか、また『家族』に捨てられるかもしれないということを……。

「そんなことはないぞ……愛美!」

 そう答える老優の言葉に……力は無い。

「嘘だよぉ!……だって、お父様もお母様も、愛美を置いてっちゃったんだものっ!愛美は、ずっとずっと……一人ぼっちだったんだからぁっ!!!」

 さっき劇場の二階で会った……愛美さんのお母さん。

 人を『値踏み』するような冷たい眼。

 愛美さんは……自分の親のあんな冷酷な眼に晒されて、生きてきたんだ。

 ……ずっと。

「あたしはいいの……あたしはまだ頑張れるもの。まだまだ、頑張れるもの……!」

 愛美さんが……オレを見る。

「だけどね……お姉ちゃん、恵ちゃんが捨てられるのを見るのは嫌だよ!……怖いよぉ!そんなの嫌だよぉぉ!!!」

 ワァッと泣き崩れる……愛美さん。

 この人は……オレが『家』に切り捨てられるかもしれないという状況に、自分自身を重ね合わせていたんだ。

 だから……必死で、オレの『姉』になろうとしてくれた。

 オレのためではなく……彼女自身の魂の救済のために……!

 泣きじゃくる愛美さんの身体を、背中から加奈子さんがギュッと抱き締める!

「大丈夫よ!愛美ちゃんには、あたしが付いているから!あたしが、ずっと一緒に居てあげるからっ!」

「……そうだっ、わたしもいるぞっ!」

 綾女さんも愛美さんの身体に寄り添う。愛美さんの手を握る。

「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」

 大きな声で泣く愛美さん。

 これまでの……『家』に背負わされてきた思いを、胸の中に溜め込んできた感情を、一気に吐き出していく。

 ……この人は、まだ子供なんだ。

 そう……思った。

 見た目は、オレよりも全然大人びているけれど……。

 心は、まだ子供。子供のままなんだ……。

 バァちゃん……オレ、どうしたらいいのかな?!

 今、ここでオレができることって……何だろう?

 泣いている……愛美さん。

 心配そうに背中をさすっている……加奈子さん。

 ギュッと手を握る……綾女さん。

 オレは……そんな三人をただ見ているだけで……。

 ……何もできない。

 愛美さんに近づくことさえ……。

 オレは無力だ。

 ……ちくしょう!

「……ん?!」

 その時、ハッと一つの考えが……オレの頭に浮かんだ。

 そっか……今、この場での一番の元凶は何だ?

 ……オレだ。

 オレという『隠し子』が、突然、愛美さんの前に現れたからだ。

 オレは……愛美さんにとって、必要な人間か?

 ノー!断じて、ノーだ。

 オレなんて……誰にも必要とはされていない。オレが、いなくなっても誰も困らない。

 むしろ、この場からオレが消えることで……ここで起きている問題は解決できる!

 ……スゥゥゥ……ハァァ!

 大きく息を吸って……吐く。

 そして……覚悟を決める。

 オレは、出せる限りの大きな声で……さっきの大歌舞伎の芝居のように、大見得を切ることにする!

「あーあ、夢だッ!、夢だッ!こんなの全部、夢なんだぁッッッ!!!」

 張りつめた空気が、オレの馬鹿声で打ち破られる。

 一同の視線が、ハッとオレに集中した……!

「……け、恵ちゃん?!」

 愛美さんまでが……泣き顔を上げて、オレの顔を見ている!

 よし……掴んだッ!!

「えー、あのう、みなさん!」

 馬鹿声で、全員に声を掛ける。


「この度は、どうもすみませんでしたっ!オレは、今まで愛美さんをダマしていました!」

 そのまま……深々と頭を下げる。

 土下座まですると、ちょっとやりすぎな感じがするから、とりあえずはこれでいい。

 軽薄で頭の悪そうなガキを、演じ切るんだ!

「……恵ちゃん。あなた、何を言っているの…?!」

 愛美さんは、『わけが判らない』という顔をしている……他の人たちも。

「あのう、実はですね……オレは、愛美さんのお父さんの『隠し子』ではありませんっ!」

 ……どうだっ!

「……えっ?」

「……なに?」

「う、嘘……?」

 そんな声が、漏れる……。

「えー、実は、死んだバァちゃんから……ホントは、そう聞いていました」

 ここから先は……アドリブだ。

「オレの本当の親父は……ええっと……愛美さんのお父さんの親しい友人の一人で……あーっと、えー、そうそう、事故で……交通事故で、オレが生まれる三年前にすでに死んでしまっていたのでしたっ!」

 よしよし……この調子で行くぞ。

「それで……愛美さんのお父さんは、生まれたばかりのオレのことを『可哀想』だと思って下さって……つまりそれは、親しい友人の子供を助けてやりたいという男らしい『義侠心』から……今まで毎月、オレに生活費を恵んで下さっていた……というのが、本当の真相なんでございますよッ!」

 うん……いい感じ。良い感じ。

「……な、何を言っているっ?!」

 綾女さんが、唖然とした顔でオレに叫ぶ。

 あれ。まだ、これだけじゃ、だめか。

 ちょっとまだ、理由が苦しいよな。

「と、ところがですね……愛美さんのお父さんは、オレに送金しているということを他のお友達に知られてしまいましてね……でも、ほら、こういう美談的な話ってのは、本人としてはとっても気恥ずかしいことじゃないですか。だから……、その……お酒の席でのジョークとして、『あいつは、実はオレの隠し子なんだ』って、つい言ってしまったんだそうですッ!あくまで、ジョークとしてッ!」

 そうだ……全部、嘘……ただの冗談なんだ。

「だから、オレが『隠し子』だなんていうのは、ただの冗談だったんですッ!全部、上から下まで、全て丸っと、本当のことじゃないんですッ!!」

 オレは……きっぱりとそう言う。

「恵介さん、馬鹿なの……あなた?」

 加奈子さんが、呆れた顔でオレを見ている。

 あ……さらに、理由が苦しくなっちゃったかな?

 でも、もういいや……このまま、最後まで突っ走っちまえ!

「いや……この話こそが真実なんです。オレは、愛美さんの弟ではありません。つーまーりー、愛美さんのお父さんは、愛美さんを裏切ってはいないんですッ!」

「……恵ちゃん」

 だめだ……愛美さんの顔は見れない……!

「今まで、本当のことを言い出せなくてすみませんでしたっ!」

 オレは……土下座した。こりはもう、土下座するしかない。

 そうすれば、愛美さんの顔は見ないで済む!

「オレ、愛美さんみたいな綺麗な人が来てくれて……オレのことを、本当の弟みたいに思ってくれて……それがすごい嬉しくて……それで、つい本当のことが言えなくて……愛美さんを、ダマしてしました。悪いのは、オレですッ!全部全部、オレが悪いんですッ!!!」

 最後に……土下座したまま、老優の前に向かう……。

「オレが本当のことを言わなかったせいで……愛美さんが、緑郎左衛門さんに刃向かうようなことになって、申し訳ありません。だけど、これは愛美さんの本心ではないと思います。オレ、ここんとこ何回か、愛美さんとお話させてもらいましたけど……この人は、本当に日舞が好きなんです。愛美さんが、日舞を捨てるわけが無いじゃないですか!それから、お祖父さんのことだって、本当に尊敬しているんです!だから……この人から、日舞を取り上げないで下さい。どうか、このままお祖父さんの家に置いてあげて下さい!」

 オレが……愛美さんのためにできることは……こんなことぐらいしかない。

「オレは緑郎左衛門さんが、一番愛美さんのことを判っていて……あなたなら、きっと愛美さんを悪い人たちから守って下さると思います。そう信じてます。だから……どうか、愛美さんを許してあげて下さい。お願いしますッ!この通りですっ!!!」

 オレは……額を畳に擦り付ける!

 無理でも何でもこの理屈で押し通す!

 愛美さんが、おとがめなく、祖父の家に戻れるように!

 日舞を続けられるように!!!

「それで……君は、どうするんだね?」

 老優の言葉に、オレは畳から顔を上げる。

 老優の厳しい眼が、オレの身体に突き刺さる。

 だけど……負けるわけにはいかない!

「今まで、息子さんからいただいたお金は……全て、お返しします」

 一度も『養育費』には手を付けていないんだ。そのまま、銀行通帳ごと返せばいい。

「僕は、そういうことを聞いているんじゃない!」

 老優が、強い言葉でオレに言う。

「お前は、子供が一人きりで、何の後ろ盾もなく、この世の中を生きていけると思っているのかね?!」

「そんなの、やってみなけりゃ判りません」

「お前のことは、調べたと言っただろう。お前には引き取ってくれる親類も、来月から暮らす部屋さえ無いことだって判っているんだぞ」

「自分一人で、何とかします」

「僕や愛美を騙し続けて……月々の生活費を巻き上げた方が、生活が楽だとは思わないのかね?」 

「人間には、絶対に守らなくてはいけないプライドがありますっ!」

 オレは、そう言い切った。

「君のプライドとは何かね?!」

 オレは、バァちゃんから教わった通りの答えを……返す!

「『他人』の世話にはならないということです……!!!」

 オレの小さな身体の中にある全てのエネルギーを……老優に、叩き付ける。

 老優は……。

「それこそ、まさに子供の理屈だな。大人になれば、自分の『家族』を守るために、小っぽけなプライドなど捨てなければならない場面に何度も出くわすことになる」

 それは……そうなのかもしれない。

 だけど、オレは……!

「つまり、君には今、本当に『家族』がいないんだな……守るべき『家族』がいないから、こんな暴挙にも踏み切れる……!」

 そして……老優は、自分の孫娘を見る。

「愛美……どうするね?お前がどう思っていようと……この子はお前を自分の『姉』だとは思っていないようだぞ!」

 その祖父の言葉に……愛美さんは。

「はい。だからこそ……あたしは、恵ちゃんの『家族』に……お姉ちゃんになってあげないといけないんだと思うんです!」

 ……え?!

 あの……愛美さん?

 オレの今の力の入った告白、聞いてなかったんですか……?

 オレ……あなたの『弟』じゃないんですよ?!

 あなたのお父さんから、生活費を恵んで貰ってただけの他人で、愛美さんの誤解に甘えて、今まで『弟』のフリをしていた極悪非道な男なんですよ?

「……この子には、自分の父親のことは何も教えていないのだね?」

 老優が、愛美さんにそう言う。

「はい、お祖父様」

 ……ええっと。

 ……あれれ?

 オレ……何か間違っちゃったのか……?!

「恵ちゃん、やっぱり嘘が下手だね」

 泣き腫らした眼を拭って……愛美さんが、オレに微笑んでくれた。

「恵ちゃんが、お父様の子供じゃないなんて……誰も信じないよ」

 え?!……どうして?!

「そうね。それは、疑いようのない事実ですものね!」

 加奈子さんまで…?!

 もしかして、オレの知らないところで……。

 すでに、DNA鑑定されてるとか……?!

 あ……そういう可能性を、見落としていた……!

「……一目瞭然だもの」

 綾女さんが……そう、言った。

「……お姉ちゃん、今まで言ってなかったけれどね……恵ちゃん、お父様にそっくりなのよ……!」

 そ、そっくりって……な、何が……?!

「そうね。髪型以外はそっくりよね!」

「うん……誰が見たって親子だと判る」

 加奈子さん?……綾女さん?

「うむ……君は確かに、僕の息子そっくりだ……!」

 老優のその言葉が……オレにトドメを刺した!

 つまり……そういうことなの?

「本当に、お父様にそっくりなのよ……恵ちゃんは」

 そうか。だから、愛美さんのお母さんは……一目見ただけで、オレの正体に気付いたんだ……!

「まったく……変に意固地なところまで似ているわ」

 老優は……そう言う。

 ……ちくしょう。

 オレが……父親に似ているだって……!

 ……ちくしょう。

「いいえ……恵ちゃんは、お父様よりお祖父様によく似ていますわ」

 愛美さんが、そんなことを言う。

「この子が……僕にかい?」

 愛美さんの言葉に、老優は意外そうな顔をした。

「はい……頑固で、思い込みが強くて、全部自分一人で背負い込もうとするところが、みんなお祖父様にそっくりですわ……!」

 老優の口元が……緩んだ……。

「それなら、愛美。お前の方がもっと似ているよ」

「当たり前です。恵ちゃんは、あたしの『弟』なんですからっ……!」

 老優と愛美さんは……笑い合う。

 そんな二人を……オレは、呆然として見ていた。

「ええい、負けだ、負けだ……僕の負けだよ!」

 老優は……さっぱりとした顔で、オレを見る。

「……おい、君」

 ニッと笑って……オレに声を掛ける。

「……はい?」

 オレには……その笑みの意味が判らない。

「さっきの提案は全部取り消すことにする。僕は……君を『孫』だと認めるよ!」

 ……それって?!

「今すぐとはいかないが、いずれ世間にも公表する。息子は、少々バツの悪い思いをするだろうが……なあに、全部、あいつの身から出た錆だ」

 オレを……『孫』と認める?何で?!

「これでよいのだろう、愛美?」

 老優は……孫娘を見た。

「はい、ありがとうございますっ!!」

 愛美さんの顔が、わぁっと喜びに輝く……!

 孫娘も……祖父に微笑む。

「よかったわね、愛美ちゃん……!」

 加奈子さんが、愛美さんに微笑み掛ける。

「…よかった!」

 ……綾女さんまで。

 ……何だこりゃ?

 ……何だこりゃ?

 ……何だこりゃ?

「近いうちに、僕の家に来なさい。部屋なら余っている」

 オレに……住む場所を提供してくれる?

「いや、あの……オレ、別にあなたの弟子になる気はありませんから!」

 歌舞伎俳優なんて……オレには、無理だ。

 っていうか……何で、そんな話になるんだ?!

「こりゃ参ったな……そういう意味で言ったのではない」

 老優が……急に親しげな様子で、オレに話し出す。。

「別に君は……歌舞伎の修行をしなくてもいいし、日舞を習ったりする必要も無い。ただ、とにかく……僕が、君を孫だと認める以上は……僕の近くに居てもらわないと困る。眼の届く所に居てくれんと、色んな人間が君にチョッカイを掛けてくるからな」

 そんな理由で……オレは、この老優の家に住まないといけないのか?!

「そうだな……僕の家は広くてね、大きな稽古場もあるし、庭も広い。実は、ちょうど男手か欲しいと思っていたところなんだ。僕の家の仕事を手伝ってくれないかね?その代わりに、僕が君の住居と食事と学費を提供する……それでどうだね?これは一方的な『援助』じゃない。あくまでも、ギブ・アンド・テイクの関係だ。これなら、君の気も済むんじゃないかと思うんだが?」

 老優は、そんな提案をしてくれるが……オレには、その意味が判らない。

「そうよ。うちへお出でよ、恵ちゃん。お姉ちゃんと一緒に暮らそう……ねっ!」

 愛美さんも、優しい笑顔でそう誘ってくれる……。

 だけど、そんなの……受け入れられるはずが無い。

「……あの、すみません」

 オレは……はっきりと言った。

「オレはあなたの……緑郎左衛門さんのお世話になることはできませんよ!」

「恵ちゃん……どうして?!」

 驚く……愛美さん。

 老優は、顔をしかめる。

「何か……理由があるのかね?」

 ……オレは。

「なぜ……オレは、あなたの家に住まわせててもらわないといけないんですか?!」

 オレの中に……怒りの炎が燃えていた。

「それは……だって、君はこれから住む場所にだって困っているんだろう?」

 そうだ……オレには、何も無い。

 『家族』も……『家』も……だけど。

 絶対に譲ってはいけないものが……ある。

「はい、オレには何もありません……ですから、あなたに助けて貰う道理も無いんです!」

「……道理?」

 老優が、不思議そうに首を捻る。

「僕は、君を『孫』だと認めると言っただろう。祖父が、『孫』を助けるんだ……何の問題も無いだろう?!」

 オレは、はっきりと……言ってやらないといけない!

「オレは……あなたをオレの『祖父』だなんて認めていませんからっ!!!」

 楽屋の中の空気が……凍り付いた。

「オレの家族は……死んだバァちゃんだけです!他には、誰もいませんっ!ですから……あなたみたいな『赤の他人』に、助けて貰うわけにはいかないんですっ!」

 ちくしょうっ!……馬鹿にしやがって!ちくしょうっ!!!

「……恵ちゃん???!」

 愛美さんは……全く理解できないという顔でオレを見ている。

 うん……愛美さんには、判らないだろう。

「……バァちゃんが死んだ後に」

 オレは……心の中に浮かんだことを話す。

「病院から……アパートに遺体が来て。バァちゃんの仕事関係の人や、例の法律事務所の人とが最初は居てくれたんですけれど……そのうち、みんな帰っちゃって。もう、夜でした。いつの間にか、夜になっていたんです。気が付いたら、外が真っ暗でした……」

 ほんの……数日前のことだ。

「オレ……そう言えば、朝から何も食べてないことに気付いて。水も飲んでいませんでした。だけど……アパートの部屋の中には、何も食べ物がなくて。ずっと、病院に泊まり込んでいたから……買い置きもなくて。だけど、バァちゃんの遺体を残して……一人で、コンビニに行く気もおきなくて……」

 暗い夜だった……寂しい夜だった。

「そしたら……ハッと思い出したんです。昼間、バァちゃんが亡くなった後に……同じ病室に居たオバサンが、オレにパンを一つくれたことを。パンは……オレのカバンの中に、半分潰れて押し込んでありました」

 ……オレは。

「変なコーヒークリームの入った、コッペパンでした。オレは……それをビニール袋から出して……。飲み物が何も無いから……水道の水をコップに入れて……一人で、もしゃもしゃ食べました。部屋の蛍光灯が、とても暗く感じられて……それから、部屋に蠅が一匹入り込んでいた。その羽音が……とても耳障りで……!」

 あの夜……オレは、一人だった。いや……今だって。

「パンの味は……全然判らなくなっていました。味がしないんです。パサパサのスポンジを食べているみたいでした。水道の水は……生温くて、鉄の味がしました。そうやって、一人でパンを食べながら……オレは、フッとバァちゃんの顔を見たんです」

 ……バァちゃん。

「バァちゃんの口は軽く開いていて……口の中に白い綿が見えました。鼻の穴にも。それで、オレ……バァちゃんは、もう……パンも水も口にすることができないんだなって思ったら、途端に悲しくなって……!!!」

 ……オレの、バァちゃん。

「でも、オレ……泣くわけにはいかないんです。ここで泣いたら、オレ、気が狂ってしまいそうで。怖くて、寂しくて、もう何がなんだか判らなくて!だから、オレ……必死に涙を堪えて……それでも、眼から水が垂れてくるんです。いいえ……涙じゃないです。涙はしょっぱいですけれど……その時に、オレの眼から垂れてきた水は、水道水の味がしました。その眼からの水がパンに零れて……パンを濡らして……でも、オレ……最後まで食いました。だって……食べ物は、大事ですから!!!」

 何を言ってるんだ……オレ。

「オレ……働かないといけません。働いて、働いて、必死に働いて……お金を作らないといけないんです!大金です。いっぱい、貯めないといけないんです……だから、食べ物だって倹約します。欲しい物なんか、何もありません……オレは、今すぐにだって働かないといけないんですっ!」

 何言っているんだ、オレ。

 こんなこと……。この人たちに話したって……。

「だから……あなたの家なんかに行っている暇は無いんですっ!だって、オレにはお金を稼ぐために、働かないといけないんですから!!!」

 ……ちくしょうッ!!!

 老優が……静かに、口を開いた。

「……何故だね?」

 今までとは違う……真剣な眼差しで、オレを見ている。

「どうして君は……そんなにまでして働いて、お金を稼がないといけないんだね?!」

 ああ……教えてやるさっ!!!

「お墓が……無いんですよっ!!!」

 愛美さんが、ギョッとした顔をする……。

「……お墓?」

 他の人たちも……みんな驚いている。

 そうだろうさ。こんなの、お金持ちの家に生まれた人には……想像できないことだろう!!!

「オレのバァちゃん、死んじゃったけど……骨になっちゃったけど……うちには、お墓が無いから……」

 バァちゃんの遺骨を……オレは、何としても葬ってあげないといけない……!

「どっかにきっと、山田家の代々のお墓があるんでしょうけれど、バァちゃんが東京に出て来て何十年も経っているから……オレは、知らないんです。バァちゃんは、自殺したオレの母親のお墓の場所だって教えてくれなかったんですから!」

 そうだ。うちには……お墓が無い。

「だから、オレは自分の力で……必死に働いて、バァちゃんのため新しいお墓を買わないといけないんですっ!今、生きているオレが、バァちゃんのためにしてあげれることは、それしかないんですからっ!オレの人生徒か、生活より……まず、バァちゃんのお墓ですっ!お墓がないなんて、バァちゃん可哀想過ぎますからっ!!!」

 死んでなお……行き場が無いなんて。可哀想だよ。

「だから、オレはお金が必要なんです。中学を卒業したら、すぐに働いて……いや、できることなら今すぐにだって働きたい!働いて、働いて……バァちゃんに立派なお墓を建てるだけのお金を……オレはとにかく貯めないといけないんです……!」

 バァちゃん……可哀想な一生だった……オレのバァちゃん。

 一生働き詰めで亡くなって……今は、骨になってしまった……オレのバァちゃん。

「だから恵ちゃん……ずっとお金のことを心配していたのね!」

 愛美さんが……そう、呟く。

「バァちゃん……死ぬ前に、ずっと『故郷へ帰りたい、故郷へ帰りたい』って言ってました。だから、オレは……骨だけでも故郷に埋めてあげなきゃいけないんです……バァちゃんには、オレしか、家族がいないんだから……!!!」

 ……ちくしょう!

「それなら、お墓ができるまで……お骨ごと、お祖母様もうちへ来ていただけばいいわよ。恵ちゃんと一緒に!」

 バァちゃんの骨を……愛美さんの家に持って行く……???!

「そんなこと……できるわけないじゃないですか!!!」

 渾身の思いを込めて、オレは叫んだ!!!

「……恵ちゃん?」

 愛美さんが……絶句する。

「だって……オレのバァちゃん。きっと、オレの父親のことを許してないと思うから!いいや……絶対に許していないですよッ!許せるはずがないだろっ!結婚して、奥さんも子供も居るはずなのに……バァちゃんの娘を妊娠させて……子供を産んだばかりのその娘は、自殺しちゃって……バァちゃんは、赤ん坊のオレを一人で押しつけられて……死ぬまで働いて!こんなの許せるわけがないよ。バァちゃんは、絶対に許さない!全然、許してないって!許せるわけがないっ!!!だから、バァちゃんは……毎月振り込まれてくる『養育費』には、一度も手を付けなかったんですよっ!!!」

 許さないまま……バァちゃんは天国に逝ってしまった。

「だから……オレがバァちゃんの骨を持ったまま、緑郎左衛門さんの世話になるなんて、そんなこと、できるわけないじゃないですかッ!そんなの……バァちゃんが可愛そうだよッ!!!」

 これが……オレと愛美さんの間にある本当の溝。

 ……深い亀裂。

 バァちゃんは……愛美さんの『家』を許さない。だから、オレも……許さない。

 許してはいけない。オレと愛美さんは……絶対に理解し合えない。

 この人たちは……『敵』だから……!

「そうか。だから君は、最初から一貫して僕からの援助の話を拒否していたんだな……!」

 老優が……オレを見る。

「……はい」

 オレも……老優を睨み返す。

 これは、オレとバァちゃんの絶対に捨てられないプライドだ!オレたちは死んでも、この人に『施される』つもりはない。

「確かに……非があるのはこちらなのに、僕には『君を助けてやろう』、『施してやろう』という高飛車な気持ちがあったと思う。自分の家の都合ばかりを考えて、君が今までどんな思いをして生きてきたのか察してやれなかった……すまない」

 老優は、深く頭を垂れた。

「……君にも、君のお祖母さんにも、心から謝罪する!」

 そんなこと……言われたって。それで、どうなるってことではない。

「ごめんね……あたし、恵ちゃんの気持ち、全然判ってなかった……!」

 愛美さんが……オレに謝りながら、またぽろぽろと涙を溢す……。

「……いいんですよ。そんなこと」

 結局……オレたちの間にある溝は、どうやっても埋まらない。

 オレたちは、違う世界の人間だから……。

 絶対に……判り合うことはできない。

 涙と共にパンを食べたことの無い人たちには……!

「しかしだ!僕を舐めて貰っては困るッ!歌舞伎俳優、七代目仲代緑郎左衛門は、男でござるぞッ!」

 老優は、突然クワッと目を見開いて、オレを睨んだ。

「おい……君のお祖母さんの故郷というのはどこかね?!」

 バァちゃんの……故郷?!

「……か、金沢ですけど」

 老優は、さらに強い視線でオレを見る……!

「……北陸の金沢かね?!」

「は、はい」

 その迫力に……思わず、返事してしまった。

「愛美……僕の携帯電話を取ってくれ」

 老優が、孫娘に命じる。

 愛美さんも……よく判らないまま、近くの机の上に置いてあった黄緑色の携帯電話を手渡す。

 老優は、目を細めて液晶画面のアドレスを確かめて……どこかに電話を掛ける。

「あ……もしもし、東京の江崎です。住職はいらっしゃいますか……はい」

 そうだった。オレの父親の名前は『エザキ・シン』。

 『仲代』というのは……歌舞伎の家の芸名で……。

 この人の本名は『江崎』なんだ……!

「ああ、この間の北陸の巡演では大変お世話になりました……実は、一つ住職にお願いしたいことができまして。はい……お墓を一つ、買いたいと思います。もちろん、僕のではありません。実はこの度、遠い縁戚の者が亡くなりましてね。……はい。故人の生まれが金沢だったものですから……是非とも、ご住職のお寺に葬ってやりたいと思いまして。そうですか。はい。よろしくお願いします。詳しいことは、また明日にでもご連絡します。お手数をお掛けして大変申し訳ない。はい、では失礼致します……!」

 そうして、老優は……電話を切った。

「今電話した方は、金沢の僕の後援会の方でね……大きなお寺の住職さんだ。海の見える良い場所に墓地があってね。あそこなら、君のお祖母さんにも満足して貰えると思う!」

 ……えええっ?!

「でも、オレは、今すぐにお墓が買えるような大金は持っていません……!」

 オレがそう、叫ぶと……!

「馬鹿者!それぐらい、出世払いで貸しておいてやるわッ……!」

 老優は……そう、オレを怒鳴りつけた!

「お前が自分の稼ぎで墓を買えるようになるまで、何年掛かると思っているッ!その間、ずっとお前のお祖母さんは埋葬されずに骨壺のままかッ!そんなことをすることの方が、よっぽど罰当たりだとは思わないのかッ!!!」

 で、でも……。

「僕が無利子無担保で、貸しておいてやる……支払いは、十年以内。それで……どうだ?!」

 確かに……それは、助かるけれど。

「一応、教えておいてやるが……日本には、『死後何ヶ月以内に墓に納骨しなければいけない』というような法律は無い……しかし」

 老優は……言った。

「お骨というものは、家の中のような温度や湿度の変化が大きいところに置いておくと悪くなってしまうんだ。それに……一般的には、お骨は、四十九日忌法要の時に墓に納骨するのが普通だ。だから……君のお祖母さんも、そうするべきなんだ」

 オレだって……できることなら、そうしたい。

「……僕の世話になるのが、そんなに嫌か?」

 ……オレは。

「いえ……判っています。これが、とっても良い話だってことは」

 ……四十九日忌に、バァちゃんをお墓に入れてあげられる。

 それも……バァちゃんの故郷の金沢に……。

「なら……多少の不満は、呑み込んでしまえ。君は男だろう……!」

 老優が……ジッとオレの顔を見る。

 ……ちくしょう!

「判りました。お墓の件は、お願い致します。お借りしたお金は、できる限り早くお返ししますから……!」

 うん。中学を出たら……必死で働こう。

「おいおい、利子無担保で貸すと言ったが、無条件とは言っていないぞ……」

 ……え。

「君……働くなら、僕のところで働きたまえ!」

 ……それは?

「もちろん、歌舞伎の弟子ではない。君に判りやすい言葉で言えば、『付き人』だ。僕の行くところに付いてきて、鞄持ちをし……着替えを手伝う。用を言いつけられれば、すぐに言われた先に走る。そういう……下働きの人間だ。歌舞伎の世界では、『男衆』と言うのだがね……最近は、『付き人』だの『マネージャー』だのと呼び方が変わったが……昔からある仕事だ」

 いや……でも。

「僕の方のメリットは……君が、どこに居るのかいつも監視ができる。大金を貸したまんま行方不明になられても困るからな……!」

 それは……確かに、お墓って、ものすごく高いっていうけれど。

「君の方のメリットは……そうだな。僕の『付き人』の仕事をしている限り、君の衣食住の費用は僕が全て払おう。住む場所は、さっき言った通り僕の家の弟子用の部屋だ。食事は他の弟子と一緒に賄いを食べて貰う」

「住み込みで、働くっていうことですか?」

「そういうことだ。孫として置いてやるんじゃない。あくまでも、雇い人として扱う。家賃と食費は、君の賃金からさっ引くからな」

 ……え?

「『付き人』の仕事は、二十四時間勤務だからね。例え真夜中だろうと……君は、僕に呼ばれたら寝床から飛び出して来ないといけない。衣食住は保証してやるが、自由な時間は無い……そういう仕事だ。洋服だって、舞台スタッフ用のシャツとかジャンパーとかそんなものを支給してやるだけだ。月給は……そうだな、とりあえず最初は十三万やろう。働きによっては、毎年少しずつ増やしてやる!」

 ええっと……あの。

「中学生の君を雇ってくれるような会社はまず無いぞ。中学を卒業したって、保護者のいない人間は、まともな仕事には就けん」

 そんなこと……判っているけど……。

「それとも何かね?君は、憎い僕の下では働けないのかね?それなら、今電話した君のお祖母さんのお墓の件もご破算にするかね?いつまでも、お祖母さんのお骨をお墓に入れてあげられないまま、寒空の下で右往左往し続けるかね」

……それは。

「男なら……憎い相手の前でこそ、ジッと耐えきってみせろ!別に、君を一生雇い続けるつもりもない。僕への借金を返済し終えるまでのことだよ」

「あなたの下で働いたら……バァちゃんのお墓代は、何年で返せますか?!」

 オレの問いに……老優は、ニッと笑う。

「そうだな……まあ、かかっても五、六年じゃないかな?」

 ……五、六年。

「ほんの数年だよ……!」

 それなら……ガマンできないことはないと思うけれど。

「そうだな……僕の息子とたまに顔を合わすことがあるかもしれないが……気にするな。歌舞伎俳優としての僕と息子は、それぞれ独立している。僕の『付き人』だからって、息子の言うことを聞く必要は無いんだ。むしろ、そんなことがあったら僕が黙っていない。あいつにはあいつの『付き人』がいるはずなんだからな……」

 父親のことは……考えなくてもいいと。老優は、約束してくれた。

「これは、きちんとした仕事の要請だ。僕が貸した金を、君は僕のところで働いて返す。ただ、それだけのことだ。筋の通らない話ではないと思うがね!」

 老優は、オレの眼を見る……。

 オレは……うん。

 仕事なら……受け入れるべきだ。

 今のオレには……仕事が必要だ。

 数年で、借金を返せるのなら……。

「判りました。オレは、あなたの『付き人』になります!」

 オレは……腹を括った。

 何もかも……バァちゃんのお墓のためだ。

「そうか……よし判った」

 老優が……置いてあった手帳を開く。

「君のお祖母さんが亡くなったのは……二週間前だったね?」

 老優は、スケジュール表を見ているようだった。

「はい。そうですけれど」

「となると、四十九日忌法要は七月の末だな。よしよし……どうにか、スケジュールに余裕がある。君のお祖母さんの納骨には僕も立ち会おう」

「そんな、わざわざ来ていただかなくても……」

 東京から……わざわざ、金沢まで?!

「仕方ないだろう。僕のご贔屓であるお寺さんから、僕がお金を出してお墓を買うんだ。僕が行かなくては、話になるまい!」

 ……確かに、そうかもしれないけれど。

「それに……僕も、きちんと君のお祖母さんに頭を下げたい。いや、下げさせてくれ」

 老優は……そう言ってくれた。

「『付き人』として僕の家に来るのは、お祖母さんの納骨の後からでいい。君も、色々と準備があるだろうしな……」

 この老優の家に行って働くのは、納骨の後。バァちゃんの骨は、持って行かずに済む。

「そうだ、帰りは京都に寄ろう。特急電車ならすぐだからな。祇園へ行くよ。もちろん、君は僕の『付き人』になるんだから……供をしてくれるだろうね」

 ギオンって……『祇園精舎の鐘の声』って、アレのことか?

「……わ、判りました。お供致します」

 何だか、よく判らないけれど……。

「お祖父様!恵ちゃんに、芸者遊びは早過ぎますっ!」

 横から、愛美さんが口を挟む……!

 げ、芸者遊び?!

「そんなことはない……十五歳なら、僕はもう一人でお茶屋で遊んでいたよ」

 老優は平然と、そう言った。

「僕は、医者に一晩に飲んで良い酒の量を決められていてね。それを越さないように、見ていて、『そろそろ適量です』と声を掛けるのも『付き人』の仕事だからな!」

 そうか。それなら、仕方が無い。

「はい……判りました!」

 オレは、そう……返事した。

「うむ……頼むぞ、恵介」

 老優は……オレの名前を呼んだ。

「『付き人』なんだ……名前を呼び捨てにしてたって構わんだろう?」

 う……うん。

「はい……よろしくお願いします……あ、あの」

 オレは……この人を何と、呼べばいいのだろう。

「僕のことは……『先生』と呼びなさい。他の人に対しては、『うちの先生』と言うんだ」

「判りました……先生」

 オレは、そう返事した。

「細かい話は、後日しよう。僕は、そろそろ風呂へ行かないと……化粧を落とさないといけないからな。今夜はこの後、来月の芝居の打ち合わせが入っているんだ……愛美は先に帰りなさい」

 今はもう夜の九時をとっくに過ぎている。

「こんな時間から、まだ仕事があるんですか?」

 僕が驚くと、『先生』はカカカと笑った。

「恵介。僕はね……歌舞伎役者なんだよ」

 ……歌舞伎役者?

「歌舞伎の俳優は、とっても忙しいんだ。一日のお芝居の終わった後に、深夜から次の舞台の稽古をすることだってある。お芝居の上演中だって出番と出番の間にマスコミの取材を受けたり、打ち合わせをしたり……一日に劇場を二つ掛け持ちして出演することだってあるんだ」

 『先生』が、そう説明してくれた。

「僕は……芸能の世界では、日本一忙しいと思ってるよ。だから、『付き人』が要るんだ」

 それなら確かに……二十四時間勤務だな。

「ところで、僕の『付き人』ということは……僕の家族にも絶対服従だ。そのことは判っているね。もちろん、僕の家族というのは、僕の妻と愛美のことだ」

 『先生』は、息子さんは無関係であることをさらに強調してくれた。

 えっと……まあ、そうなんだろうな。『付き人』なんだから。

「はい……判っています」

 『先生』は、オレを見る。

「そうか……では、愛美のところの学校へ転校して貰うぞ」

 ……はい?

「……うちの愛美は、大事な跡取り娘だからな。変なやつにチョッカイを出されないように、恵介が監視していてくれ……!」

「いや、あの……?!」

 愛美さんの学校って……あの天覧学園だろ?!

「毎日、愛美と一緒に登校して……愛美と一緒に帰って来るんだ。いいね」

 ……そんな。

「どうせ、中学卒業までは義務教育で学校へ行かなきゃならないんだ。転校ぐらい、構わないだろう。愛美のボディ・ガードだ」

 いや……中学生が、高校生の女の人と歩くのは恥ずかしい。

 ていうか、オレ、どう見てもボディ・ガードとか向いてないと思うし。

「さっさと返事をしろ。判りました、先生だろ……!」

「わ、判りました……先生」

 オレは……答えた。

「うむ……頼んだぞ。僕の妻にも近いうちに会わせる」

 そして……『先生』は、部屋の外へ向かって怒鳴る。

「おい、猿助!入って来い、風呂へ行くぞ。僕が入るまで火を落とさないように言ってあるだろうね?それから、清香さん、子供たちが帰るから送ってやってくれ……安全運転で頼むよ!」

 それから、改めてオレの方を見て、

「……ところで、恵介」

「……はい?」

「お前が締めているそのベルト……僕のコードバンじゃないのか?」

 ……あ。

「えっと……あの」

「あ、お祖父様……これは、あたしがっ……!」

 愛美さんが、横から叫ぶが……『先生』はフンと鼻を鳴らして。

「構わんよ……ちょっと惜しいが恵介にやる。それはとても良い物なんだぞ。だから、普段使いではなく、何か特別な時にだけ使うようにしなさい」

「……あ、ありがとうございます」

「うむ。今日は本当によく来てくれた。加奈子ちゃん、綾女ちゃん、愛美もありがとう。それから恵介、よろしくな……!」

 緑郎左衛門『先生』がニッと笑って……オレたちに頭を下げる。

「あ……オレの方こそ、よろしくお願いします!」

 オレも『先生』に頭を下げる……。

 加奈子さんや、綾女さんたちも……。

 そして……オレたちは『先生の』楽屋から退出した。



   ◇ ◇ ◇



「……さすが、先生ね」

 楽屋を出た途端……加奈子さんが言った。

「結局、一番良い形にまとめてしまわれたわ……」

 え?……どういうことだろう。

「後は時間を掛けて……ゆっくりね」

 加奈子さんが、愛美さんを優しく見つめる。

「……うん」

 愛美さんが……小さく、頷いた。

「お祖父様ったら……昔から、『孫に、芸者遊びを教えてやるのが夢だ』って、おっしゃってたのよ……!」

 ……何だ?何のことだ?

「恵介くん……あなた、自分がこれからどうなるのか、本当に判っているの?」

 加奈子さんが……オレに言った。

「判ってますよ……住み込みで『先生の付き人』として働くってことでしょ。ほんの五年か、六年の辛抱なら……頑張って、耐え抜きますよ!」

 オレの返事に……加奈子さんは、呆れて愛美さんを見る。

「愛美ちゃんと同じ家で暮らすことは、辛抱して、耐え抜かないといけないことらしいわよ!」

 愛美さんは……困惑している。

「……判っていない。お前は、全然、判っていない……!」

 綾女さんが、ぶつぶつと呟いているけど……まあ、いいか。

「あ、同じ家でも……立場は違います。オレは、これからは使用人になるんですから愛美さんも、そのつもりでオレと接して下さい……!」

 オレは……ケジメを付けたいと思う。

「オレのことは、恵介と呼び捨てにして下さい。それから、オレに対して自分のことを『お姉ちゃん』と言うのも止めて下さい。よその人がみたら、勘違いされますから!」

 うん。これからはちゃんと、線引きして貰わないと……。

「馬鹿なことを言わないでよ、恵ちゃん!お姉ちゃんはね……!」

「待って……愛美ちゃん!」

 愛美さんの言葉を……加奈子さんが遮る。

「……恵介さんにはね、そう言う言い方じゃダメなのよ!」

 そして……オレを見て、ニッコリと微笑んだ。

「恵介さん……あなた、使用人の分際で、雇い主のお嬢さんにそんな口をきくのは、ちょっと無礼だとは思わない?」

 ……しまった。確かに、加奈子さんの言う通りだ。

 オレはもう……『愛美さん』なんて呼んじゃいけない……。

 それに、これからは……全部、敬語で喋らないと……。

「……す、すみません!お、お嬢様!」

 『お嬢さん』か『お嬢様』か、ちょっと悩んだけれど……オレが、『お嬢さん』ていうのは、何かキザな感じだし。ここは、『お嬢様』を選択するべきだな……!

「……そういうことを言っているのではないのよ!」

 あれ?加奈子さん……まだ怒っている?!

「恵介さん……はっきり言うけれどね……」

 ……は、はい。

「愛美ちゃんが、あなたのことをどう呼ぶかなんて……愛美ちゃんの自由なのよ!あなたに指図されることじゃないのっ!」

 あ……そっちを怒られていたのか……。

 確かに……オレが愛美さんに意見したみたいで……。

 加奈子さんには、使用人としては生意気な態度に見えたのかもしれない。

「……も、申し訳ありませんでした!」

 オレは……二人に頭を下げた。

「さて、愛美ちゃん。この使用人に命令して。愛美ちゃんは、この使用人を何て呼ぶ?そして……この使用人には、自分のことを何て呼ばせたい?」

 愛美さんが、ハッとする。

 そして、ニッコリとオレに微笑んだ……。

「あたしは……これからも、恵ちゃんのことは『恵ちゃん』て呼ぶわ……!」

 ……そして。

「恵ちゃんは、あたしのことを……『お姉ちゃん』て呼ぶこと……!これは、命令よ!」

 ……えええ?!

「いや……あの、みんなに勘違いされます。誤解されますって!」

「そんなの構わないわよ……そういう人たちは、誤解させておけばいいのっ!」

 愛美さんは……オレに強く言う。

「でも!」

「……命令だからねっ!」



   ◇ ◇ ◇



 その時……楽屋の廊下に並んで立っていた、オレたちに、金縁の眼鏡を掛けた背広のお爺さんが近付いて来た。

「……申し訳ございません、江崎さんのお嬢さん」

 そのお爺さんは腰を低くして、愛美さんに、そう声を掛けた。

 愛美さんのお祖父さんの本名……江崎家のお嬢さんと。

「うちの旦那がちょいと楽屋に顔を出して下さいとおっしゃっておりやす」

 少し早口気味な江戸弁で……お祖父さんは、愛美さんに言った。

「……この方、三十郎さんの番頭さんよ」

 加奈子さんが、オレの耳元に小声で教えてくれた。

「……番頭さん?」

「歌舞伎役者の……執事みたいな仕事をしている人よ。身の回りのお世話から、スケジュールの管理、ご贔屓のお客様のチケットの手配まで何でもこなす人よ。」

 オレがこれからする『付き人』の……さらに親玉みたいな仕事か。

「……三十郎先生が、あたしに?」

 愛美さんが、番頭さんに聞き返す。

 ……芳沢三十郎。

 綾女さんのお姉さんの旦那さんで……オレでも知っている歌舞伎界一の人気俳優。

「なぁに、そうお時間を取らせるようなことにはなりません……旦那が、そうおっしゃってました」

 愛美さんは、少し考えて……。

「判りました。すぐに参ります」

 番頭さんの後ろに付いて……全員で、ゾロゾロと歩いて行く。

 芳沢三十郎の楽屋には、緑っぽい灰色の暖簾が掛かっていた。

「……あれはね、『利休鼠』っていう名前の色なのよ」

 加奈子さんが、またオレに囁く。

「……へえ」

「恵介さん……こういう日本古来の色の名前とか、なるべく覚えた方がいいわよ」

 加奈子さんが、笑ってオレを見る。

「何でですか?」

「古典芸能の世界では、結構大切なことよ。緑郎左衛門先生に『恵介、利休鼠の色の羽織を持って来てくれ』って言われたら、どうするの……」

 そうか。『付き人』になるのなら、覚えておかないといけないことなんだ。

「そういうのって、何を見たら判りますか?」

 オレは、加奈子さんに尋ねた。近所の図書館とかで借りられたらいいけれど……。

「勉強したいのなら、あたしが本を貸してあげるわ……!」

 加奈子さんが、ニコッと微笑む。

「ありがとうございます、助かりますっ!」

「……あたしの家まで、取りに来てね」

 ……へ?

 加奈子さんは、そのまま愛美さんの後を付いて楽屋の中へ入っていく。

 加奈子さんの家って……あのヤクザ俳優の洞口文弥が居るんだろ?

 オレ……生きて帰ってこられるだろうか?

「恵ちゃん、早く来て!」

 楽屋の中から、愛美さんの声がする。

「はい……今、行きます!」

 オレは……急いで、利休鼠色の暖簾を潜った。

 芳沢三十郎さんの楽屋は……緑郎左衛門先生の部屋と同じ大きさだった。

 楽屋の中には、二人の人がいた。

 入り口の所に瑛子さん……つまり、綾女さんのお姉さん。

 そして、奥の座敷に、芳沢三十郎さん。

 すでに化粧も落として、赤茶色の和服の羽織姿に着替えている。

 お二人とも、テレビとかで観た通りの美男美女で……いや、本物はやっぱり迫力がある。

 オーラが感じられるっていうか……生々しくて華やかな生命力を感じる。

「わざわざすまねぇな、愛美ちゃん」

 三十郎さんが、愛美さんに一礼した。

 芳沢三十郎って、普段からこんな風に歌舞伎っぽく喋るんだ。

「すみません……本当なら、あたしの方から、ご挨拶に伺わないといけませんでしたのに……申し訳ありません」

 そう言って、愛美さんは頭を下げる。

 そうだ、オレのチケットを『招待扱い』にして貰っていたことを思い出した。

 オレも、一緒に頭を下げる。

「なぁに、大した用件じゃないんだ……恵太郎の子供ってのは、その坊やかい?!」

 三十郎さんの二重のギョロっとした眼が……オレを捕らえた。

「男は、お前さんしかいないんだから……きっと、そうなんだろ?!」

 ……ケイタロウ。

 それって、やっぱり?!

「あの……多分、そうなんだと……思います」

 オレは、とりあえず、そう返事した。

「そうかい。おじさんは、芳沢三十郎っ言って、お前さんのお父さんの恵太郎とは子供の頃から、ずっと仲良くさせてもらっているんだ」

 オレの父親……恵太郎。

 本名は『エザキ・シン』なのだから……多分、恵太郎は、歌舞伎役者としての名前だ。

「そうなんですか」

「ああ、だから何か困ったことがあったら、いつでもおいらに相談しにおいで。いいね」

 三十郎さんは、にこやかにそう言ってくれた。

「……ありがとうございます」

 オレは……ただ、驚くだけだった。

「お前さん、自分が隠し子だからって、うつむいて生きてっちゃいけないよ……!」

 ……え?!

 オレは、思わず三十郎さんの顔を見る。

 すると、三十郎さんは、ヘヘン!と苦笑して……。

「実はね……おいらも、隠し子だったのさ……!」

 え……この人も?!

 愛美さんの顔を見ると、小さく頷いた。

「歌舞伎の世界じゃ、そんな話はそう珍しいことでもないんだ。だからね、おじさんのことは年の離れた兄さんだとでも思って、いつだって頼りにしてくれて構わないんだよ。ええっと……お前さん、名前は何て言うんだい?」

「け、恵介です……!」

 オレは……自分の名前を告げた。

「なんだい、恵太郎の息子が恵介かい。なるほど……よくできてやがんな」

 そっか……だから……オレは、『恵介』なんだ。

「うん……やっぱり面影があるな。確かに、恵太郎の野郎の息子だ。間違いない。こうやって横から見ると、愛美ちゃんとも似ているな」

 三十郎さんは、オレと愛美さんを比較してそう言った。

「……似てますか?あたしと恵ちゃん?」

 愛美さんが……そう尋ねる。

「ああ……鼻の形と口元がそっくりだね」

 三十郎さんにそう言われると……そんなような気がしてくる。

「本当によく似ているわ、二人とも……やっぱり、姉弟なのね」

 そう言ったのは、瑛子さんだった。

「……綾女ちゃんもそう思うだろ?」

 三十郎さんが……義理の妹である綾女さんに尋ねる。

「……似てない」

 綾女さんは、断固としてそう言い張った。





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