EP 6
ファミレスの駐車場の惨劇と、凛の激しい動揺
カランコロン――。
ファミリーレストラン『ガスト』の出入口のドアベルが、どこか間抜けな音を立てて鳴り響いた。
俺――倉科湊がアイスコーヒー代を伝票とともにレジへ置き、店を出て行った後のボックス席には、まるで時限爆弾が破裂した後のような、生々しい死の静寂が広がっていた。
「……う、うわぁぁぁぁ……っ! 嘘だろ……嘘だと言ってくれよぉぉぉっ……!!」
頭を両手で抱え込み、テーブルに額をガンガンと打ちつけて泣き叫んでいるのは、金子拓海だった。
先ほどまで「月利十%の神案件!」「工場勤務から救ってやるよw」と尊大に笑っていた男の面影は、どこにもない。
テーブルの中央には、青いLEDを虚しく点滅させる安物の黒いUSBメモリが、まるで墓標のように転がっている。
サークルの先輩だった竜也は、警察への通報と金融商品取引法違反の刑事告発に怯え、拓海をゴミのように置き去りにして逃亡した。
手元に残ったのは、消費者金融から年利一八%で借り入れた【五十万円の借金】と、月々一万五千円ずつ口座から吸い取られていくクレジットカードの【リボ払い五十万円】。
そして、大学を卒業した瞬間に襲いかかってくる【第二種奨学金四百八十万円】という名の、巨大な負債の塊だけだった。
「ひぐっ……おい、竜也さん……電話出ろよ……! 神代さんに繋いでくれよぉぉぉっ!!」
拓海は震える指先でスマホの履歴を何度もタップするが、スピーカーから返ってくるのは無機質なツーツーという切断音だけだった。
LINEを開けば、竜也のアイコンの横には無情にも『退出しました』の文字が表示されている。
完全なるブロック。
トカゲの尻尾切り。
マルチ詐欺グループの末端が、警察沙汰になりかけた瞬間に組織から切り捨てられる、教科書通りの結末だった。
「……拓海くん」
冷え切った、氷のような声がボックス席に落ちた。
向かいの席で、両腕を組んで座っていた佐伯凛だった。
その顔は能面のように白く、整ったメイクの奥にある瞳には、底知れない軽蔑と嫌悪の色がドス黒く渦巻いていた。
「な、なんだよ凛……! お前も見てただろ!? 俺は騙されたんだよ! 被害者なんだよ!!」
「被害者……? よくそんな恥ずかしいこと言えるわね」
凛は吐き捨てるように嘲笑した。
「先週、表参道のカフェで『俺は個人投資家として独立した』ってドヤ顔で語ってたわよね?
私にくれたあの三万五千円の香水も、ブランドのキーケースも……全部、サラ金の借金で買ったものだったんじゃない。
親の仕送りがたっぷりあるって嘘ついて、本当は奨学金も遊びに使って、リボ払いで首が回らなくなって……最後は湊くんにマルチのUSBを売りつけて、十万円の手数料を巻き上げようとしてたわけ?」
「ち、違う! 俺は凛に東京でいい思いをさせてやりたくて……!」
「いい思い!? 冗談じゃないわよ! 犯罪者の片棒を担がされそうになって、何がいい思いなのよ!!」
バンッ! と凛がテーブルを叩いて立ち上がった。
周囲の客の視線が一斉に突き刺さるが、凛は恥ずかしさよりも、プライドをズタズタに引き裂かれた怒りで肩を激しく震わせていた。
「最低……! 本当に、心底軽蔑するわ!
高校の卒業式であれだけ湊くんのこと『高卒の負け組』ってバカにしてたくせに……
蓋を開けてみたら、あなたの方が何百倍もみじめな借金まみれの負け犬じゃない!!」
「ま、待てよ凛! 見捨てないでくれよ!!」
拓海が這いつくばるようにして凛のスカートの裾にすがりついた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を歪ませ、情けない懇願の声を絞り出す。
「頼む……! 今月のサラ金の返済、あと三万円足りないんだ……!
凛、持ってるだろ!? 三万……いや五万でいいから貸してくれ! 来月バイト代が入ったら絶対に返すからさぁぁぁっ!!」
「触らないでよ、不潔!!」
バシィッ! と凛は拓海の手を思い切り払いのけた。
「誰があなたなんかに一円でも貸すもんですか!
……もう二度と連絡してこないで。東京のアパートにも来ないで。全部ブロックするから!」
凛はバッグをひったくるように抱え、背を向けてファミレスの出口へと走り去った。
床に突っ伏したまま「凛ぃぃぃ……っ!」と叫び声を上げる拓海の姿を、通りかかった店員が引きつった表情で見下ろしていた。
◇ ◇ ◇
ガストの自動ドアを勢いよく飛び出した凛は、五月の眩しい日差しの中で荒い息を吐き出していた。
「ハァッ……ハァッ……! なんなのよ、あいつ……! なんなのよ、もう……っ!!」
怒りと屈辱で視界が涙で滲む。
東京の三流私立大学で、お洒落な服を着て、サークルでイキがっていた男の正体は、ただの「借金返済マシーン」だった。
あんな男を「東京のエリート大学生」と信じ込み、高校の卒業式であっさりと湊を捨てて乗り換えた自分自身への怒りが、胃の底からせり上がってくる。
(私の見る目がなかったってこと……!?
あんな借金男に引っかかって、私の東京での大学生活はどうなるのよ……!?)
自暴自棄になりながら、駅前ロータリーの歩道を早足で歩き出した――その時だった。
ファミレスの駐車場の出口付近で、人だかりができているのが目に入った。
通行人たちが足を止め、驚いたようにスマートフォンのカメラを向けたり、小声で囁き合っている。
『おい、見ろよあの車……センチュリーだぞ。しかもピカピカの漆黒……』
『本物の要人か大企業の会長クラスじゃないの……?』
『待って、それよりあの子見て! めちゃくちゃ可愛くない!? モデル!?』
「……え?」
凛は足を止め、群衆の視線の先へと目を向けた。
駐車場のロータリーに静かに佇んでいたのは、圧倒的な威厳を放つ国産最高峰のプレステージセダン――トヨタ・センチュリーだった。
鏡のように磨き上げられた漆黒のボディが、初夏の光を浴びて神々しく輝いている。
そして――その車の後部座席から降りてきた一人の少女の姿を見た瞬間、凛の呼吸が完全に止まった。
「……嘘……でしょ……?」
そこに立っていたのは、息を呑むほどに美しい少女だった。
淡いサクラピンクの上質なシルクワンピースが、初夏の微風にふわりと揺れている。
首元には、光沢のあるネイビーのシルクスカーフが上品にあしらわれ、肩に羽織った薄手のカーディガンが、華奢な鎖骨と透き通るような白い肌を際立たせていた。
ショコラブラックの豊かな髪はハーフアップにまとめられ、歩くたびにサラサラと陽光を反射する。
そして何より――かつて掛けていたはずの野暮ったい黒縁メガネは外され、澄み切った大きな茶褐色の瞳が、宝石のようにキラキラと輝いていた。
洗練された大人の気品と、少女のような純真な透明感。
地方都市の駅前ロータリーにはおよそ不釣り合いなほどの圧倒的な存在感に、通り過ぎる若者やビジネスマンたちが誰もが足を止め、見惚れるように視線を奪われている。
「……ば、白石……詩織……!?」
凛の喉から、掠れた声が漏れ出た。
信じられなかった。信じたくなかった。
高校時代、美術室の片隅でいつも背中を丸め、地味なジャージ姿で絵の具まみれになっていた、あの影の薄い美術部員。
クラスの男子からも誰からも相手にされず、「あんな地味子、一生モテないよねw」と女子グループで笑い者にしていた、あの白石詩織が――。
東京のどんなインフルエンサーや女子大生すらも足元に及ばない、完璧な美少女へと変貌を遂げていたのだ。
「湊くん……っ!!」
鈴を転がすような、甘く澄んだ声が響いた。
詩織はファミレスの出口から歩いてきた倉科湊の姿を認めるなり、満面の笑顔を咲かせてパタパタと小走りで駆け寄った。
その表情には、周囲の視線など一ミリも気にしていない、湊への絶対的な信頼と愛しさが溢れかえっていた。
「白石、待たせたな」
「ううん、全然待ってないよ……! 怪我してない? 変なことされなかった……?」
詩織は湊の腕にぎゅっとしがみつき、潤んだ瞳で湊の身体を心配そうに見上げた。
湊はいつものポーカーフェイスを崩さず、しかしその口元には、家族や仲間だけに見せるごく自然な微かな笑みが浮かんでいた。
そして、そっと詩織の頭に手を置き、柔らかな黒髪を優しく撫でた。
「ああ、平気だ。中学生でもわかる算数と特商法で、完全に息の根を止めてきたよ」
「ふふっ……よかったぁぁぁ……! 湊くん、やっぱり世界で一番かっこいいよ!」
詩織は耳まで真っ赤にしてはにかみ、湊の腕にすりすりと頬を寄せた。
その二人の間に流れる空気は、他人が一歩たりとも踏み込めないほどに濃密で、幸福に満ちていた。
「おい坊主! 道端でいちゃついてんじゃねえよ! 早く乗れ、美味い寿司屋の予約に遅れるぞ!」
運転席の窓から顔を出したのは、ジャージ姿の偏屈そうな老人――九条源蔵だった。
だが、その鋭い眼光の奥には、教え子の完勝を心底楽しむような豪快な光が宿っていた。
「はい、じいさん。……行こうか、白石」
「うんっ、湊くん!」
湊は流れるような所作でセンチュリーのドアを開け、詩織の手を取ってエスコートするように後部座席へと導いた。
重厚なドアがバフンと密閉音を立てて閉まり、漆黒の高級セダンは、静かに滑るようにアスファルトを走り去っていった。
◇ ◇ ◇
後に残された歩道で、佐伯凛は立ち尽くしていた。
ガタガタと、膝の震えが止まらない。
(なんなの……? なんなのよ、あれは……っ!?)
湊が着ていたネイビーのサマーニット。
決して派手なブランド物ではないが、仕立ての良さが一目でわかる上質な生地。
高校時代のような猫背や貧相さは消え失せ、元バスケ部の引き締まった体躯と、何千万円ものビジネスを動かす者だけが纏う【圧倒的な自信と知性のオーラ】。
そして、隣に寄り添う絶世の美少女・詩織と、地元の大富豪が運転する最高級車――。
(高卒の……食品工場のライン工だったんじゃないの……!?
手取り十四万で、毎日油まみれになって、一生負け組のまま終わるはずだったんじゃないの……!?)
凛の脳裏に、先ほどファミレスで湊が言い放った冷徹な言葉が、刃となって突き刺さった。
『他人の看板や見栄の持ち物でしか相手の価値を測れず、相手が落ち目になれば平気で乗り換える人間……。
財務諸表で言えば、持っているだけで維持管理コストと減損リスクを垂れ流し続ける【最悪の不良債権(負債)】だ。
――損切り(ロスカット)した不良債権を、わざわざ高値で買い戻す愚かな投資家が、この世界のどこにいると思う?』
「っ……あ……あぁ……っ」
その場に、へたり込みそうになるのを必死で耐えた。
凛の頭の中で、中学生でもわかる、しかし残酷極まりない【資本主義の答え合わせ】が完成してしまったのだ。
世界的な名著『金持ち父さん 貧乏父さん』で、ロバート・キヨサキが提示した絶対の定義。
【資産とは、あなたのポケットにお金を運んでくるもの】。
【負債とは、あなたのポケットからお金を奪っていくもの】。
金子拓海が買ったのは、何だったのか?
見栄のためのブランド物の服、最新のiPhone、身の丈に合わない高級ディナー、そして月利十%という甘い言葉に釣られて組んだ消費者金融のローン。
それらはすべて、一円の富も生み出さず、毎月ポケットから金利と現金をむしり取っていく【純度百パーセントの負債】だった。
拓海は、大学進学というブランドに浮かれ、見栄のために負債を積み上げ続けた結果、わずか一年で百万円を超える借金を背負う「破滅のレール」へと転がり落ちたのだ。
では――倉科湊が買ったのは、何だったのか?
手取り十四万の工場勤務という「定時退社と安定した属性」を確保し、
不用品販売で種銭を作り、
月額三千円の生成AIに課金して作業を効率化し、
月千円のサーバーを借りて「二十四時間働く自動販売機(特化ブログ)」をネットの海に建て、
相棒・白石詩織の才能に投資してデザインの武器を手に入れ、
主婦ライターや美大生アシスタントに他人の時間を買い取り(外注化)、
新NISAという国家公認の非課税バズーカに毎月三十万円を注ぎ込み、
そして――実質税率四十八%の壁を打ち破るために「法人化」へと駒を進めていた。
湊が買っていたのは、ブランド品でも見栄でもない。
寝ている間も自分のポケットにお金を運び込み続ける【本物の資産】だけだったのだ。
(湊くんは……最初から全部わかってたんだ……。
高校卒業のあの日、私が拓海くんに乗り換えた時、湊くんが言った『四年後に答え合わせをしよう』って言葉の本当の意味を……っ!)
たったの一年。
わずか三百六十五日の間に開いてしまった、埋めようのない絶望的な格差。
一方は、見栄のために負債を買い続け、借金地獄で泣き叫ぶ三流私立大学生。
もう一方は、資本のルールをハックし、資産八百万円と月商二百万円の城を築き、最高峰の美少女と高級車に乗り込む若き事業オーナー。
「……なんで……なんで私、あんな男を選んじゃったのよぉぉぉっ……!!」
凛は誰もいない駅前ロータリーの街灯の下で、顔を両手で覆い、喉が張り裂けんばかりに泣き崩れた。
かつて自分が手放したダイヤの原石が、手の届かない遥か高みで眩い光を放っている現実を見せつけられながら。
◇ ◇ ◇
同じ頃、地方都市の郊外を疾走するセンチュリーの車内。
本革シートの柔らかな沈み込みと、静粛極まりないエンジン音に包まれながら、俺はスマートフォンの画面をタップしていた。
隣では、詩織が安心しきった様子で、俺の肩にコてんと頭を預けている。
ふわりと鼻腔をくすぐる、爽やかな柑橘とバニラの甘い香り。
その温もりに、俺の心拍計がまたしても不穏な数値を弾き出していたが、俺は平静を装って画面のASP管理ダッシュボードを開いた。
「おい湊」
ルームミラー越しに、源蔵がニヤリと目を細めて声をかけてきた。
「見栄っ張りの小僧どもは、綺麗に片付いたようだな。
クーリングオフを突きつけて、サラ金の借金ごと現実のゴミ箱へ叩き落としてやったか?」
「ええ、完膚なきまでに。
特商法の不実告知と金商法の無登録営業を突きつけたら、紹介者の先輩は土下座寸前で逃げ出しました。
クーリングオフの内容証明の書き方も叩き込んできたので、あとはあいつ自身の回収力次第です」
「ケッ! 甘いぜ坊主。俺ならあの小僧の目の前で、サラ金の金利計算書を額縁に入れてプレゼントしてやるところだがな」
源蔵はカッカッカと豪快に笑い、ハンドルを軽快に切った。
「だが湊、害虫を駆除したところで満足してる暇はねえぞ。
お前のメディア事業、アクセスと成約数は順調に伸びてるが……
ここから資産一千万円の大台を一撃で突き破るための【最強のブースター】を発動させる準備はできてるんだろうな?」
「……もちろんですよ、じいさん」
俺は薄く笑みを浮かべ、スマートフォンの画面をスワイプした。
開いたのは、大手ASPの担当者とのチャットワーク画面だった。
「これまでの俺たちのメディアは、通常のアフィリエイト単価――一件成約で三千円から四千円の通常報酬で回していました。
ですが、三サイトの合計PV数は月間五十万を超え、成約件数は月三百件を安定して突破しています。
……ASPの担当者からすれば、俺たちは喉から手が出るほど囲い込みたい『トップメディア』の一角です」
「ほう。仕掛けるか」
「ええ。記事数を増やさず、労働時間を一分も増やさずに、手に入る売上だけを一撃で二倍以上に跳ね上げる魔法――
――【特別単価(特単)の獲得交渉】を仕掛けます」
特単交渉。
通常のアフィリエイターには決して明かされない、水面下のクローズドな特権階級の扉。
一件三千円の報酬を、一撃で八千円、一万円へと吊り上げる、資本のレバレッジ。
見栄のために自滅した同級生たちを遥か後方に置き去りにし、俺と詩織の快進撃は、資産一千万円の大台突破へ向けて、さらなるアクセルを踏み込もうとしていた。
【現在の倉科湊ステータス】
・年齢/肩書:19歳/食品工場ライン工・個人事業主(悪徳マルチ完全粉砕・特単交渉開始)
・総資産残高:8,040,000円(前話比:±0円 ※純資産800万円維持)
・月間不労/事業キャッシュフロー:+1,620,000円(特化ブログ3サイト純利益ベース)
・【今日の源蔵のマネー格言】:「負債を買う奴は一生他人の奴隷になり、資産を買う奴は寝ている間に自由を手に入れる。1年後の通帳の数字こそが、人間が下したすべての選択の残酷な答え合わせなんだよ」
読んでいただきありがとうございます。
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