EP 7
最初の「不労所得」発生!寝ている間に8万円が振り込まれる朝
ジリリリリ……!
午前六時十五分、目覚まし時計の無機質なベルが鳴り響いた。
カーテンの隙間から、七月の眩しい朝陽が実家の六畳間に差し込んでいる。
俺――倉科湊は、まだ重たい瞼を擦りながら、枕元に置いてあったスマートフォンを手探りで掴み取った。
画面を点灯させた瞬間、思わず目を疑った。
ロック画面が、見たこともない通知の束で完全に埋め尽くされていたのだ。
『X(旧Twitter):あなたのアカウントへの通知が99+件あります』
『〇〇さんがあなたのポストをリポストしました』
『〇〇さんがあなたのポストをブックマークに追加しました』
『インプレッション数が1,500,000回を超えました』
「……ひゃ、百五十万……!?」
一気に眠気が吹き飛んだ。
飛び起きてベッドの上に胡坐をかき、震える指先でアプリを開く。
昨夜十九時、白石詩織の描いた『手取り14万の工場男子が、親のドル建て保険を解約させて月3万円浮かせた話』の4コマ図解を投稿したポスト。
深夜の間に信じられない勢いで拡散され、現在――
『リポスト:12,000件』
『いいね:38,000件』
『ブックマーク:15,000件』
いわゆる【大バズり】だった。
『分かりやすすぎて鳥肌立った。うちの親にも見せるわ』
『高額療養費制度って名前は知ってたけど、計算式まで知らなかった。保険屋のカモになってたの気づいた』
『4コマの男の子が冷静でカッコいいし、絵が可愛くて一瞬で読めた!保存推奨!』
タイムラインには、絶賛と共感のリプライが滝のように流れ続けていた。
詩織の圧倒的な画力と、俺が構築した論理的な実体験ストーリーが、日本の情報弱者たちが抱える「言葉にできない不安」にクリティカルヒットしたのだ。
「……ま、待てよ。SNSでバズっただけじゃ、自己満足で終わる」
俺は息を呑み、即座にブラウザアプリを立ち上げた。
開いたのは、特化ブログ『高卒逆転マネーハック』と連携している大手ASP『A8.net』の管理画面だ。
4コマ図解のツリーの最後に仕掛けておいた導線――
『※さらに詳しい保険解約の手順と、実際に使った掛け捨て保険・格安SIMの比較表は、ブログ記事にすべてまとめました』というリンク。
そこから読者がどれだけブログへ流入し、案件に申し込んだのか。
ログインボタンをタップする。
読み込みのアイコンが数秒回り――画面の中央に、信じられない数字がポップアップした。
【本日の発生報酬レポート(確定/未確定速報)】
・大手ネット生保(月2,000円掛け捨て定期保険):5件(報酬:25,000円)
・格安SIM乗り換え(MNP申込):8件(報酬:32,000円)
・年会費無料クレジットカード発行:3件(報酬:24,000円)
・その他無料家計相談申込等:3件(報酬:3,000円)
★ 本日の発生報酬合計:【84,000円】
「……は、はちまん……よんせんえん……!?」
声が裏返った。
息が止まりそうになった。
八万四千円。
俺が昨夜ベッドに入ってから、今朝目を覚ますまでの、わずか七時間足らずの間。
俺がぐっすりと眠り、夢を見ていたその時間にも――
ネットの海に建てた俺たちの城が、訪れた何万人もの読者を自動で接客し、背中を押し、銀行口座に【八万四千円の富】を勝手に運び込んでいたのだ!
俺の工場の基本給は日給換算で約七千円だ。
朝八時半から夕方十七時まで、汗水垂らして段ボールを結束して手に入るのが七千円。
その【十二日分の日給】が、寝ている間に一晩で発生した。
「これが……これこそが、九条のじいさんの言っていた【真の不労所得】か……!!」
全身の鳥肌が止まらなかった。
身体を動かして稼ぐせどりや受託とは、次元が違う。
自分が寝ていようが病気で倒れていようが、システムが勝手に金を稼ぎ続ける「資産」の破壊力を、俺は人生で初めて肌で実感していた。
◇ ◇ ◇
午前七時五十分、三晃紙器工業の第一工場・更衣室。
「……うぅ……死ぬ……マジで死ぬ……」
パイプ椅子に突っ伏し、ゾンビのように呻いている男がいた。
同期採用の山岸だ。
第21話で三十万円のブログ塾を挫折した彼は、カードの分割払いを埋めるため、昨夜から居酒屋の深夜バイトに入っていたのだ。
「山岸、大丈夫か?」
「倉科ぁ……聞いてくれよ……。昨日、夜十時から朝の五時まで、駅前の居酒屋で皿洗いと油鍋の掃除やってきたんだよ……。
酔っ払いのゲロ片付けさせられて、店長には怒鳴られて……七時間立ちっぱなしで稼げたの、たったの【七千円】だぜ……?
体中痛くて、これから工場のラインに八時間立つなんて絶対無理だよ……」
涙目で湿布の貼られた腰を押さえる山岸。
七時間、心身をすり減らして七千円。
まさに、昨夜までの俺自身であり、世の中の九十九パーセントの労働者が強いられている「時間の切り売り」の現実だった。
(山岸……悪いが、お前が七時間泥水をすすっていた間、俺はベッドで寝ながらその十二倍の現金を稼ぎ出していたんだ)
俺は心の中で静かに呟き、作業着のファスナーを引き上げた。
見下す気はない。
ただ、「資本主義というゲームのルールを知っているか、知らないか」――その差がこれほど残酷な格差となって現実を切り裂くのだと、改めて背筋が凍る思いだった。
始業のブザーが鳴り響き、俺は第四パレタイズラインへ向かった。
流れてくる段ボール箱を結束しながら、俺の頭の中は、今朝の成約データを冷静に分析する作業で満たされていた。
(なぜ、あれほど爆発的な成約数が出たのか?
ただバズってアクセスが集まったからじゃない。
……中学生でもわかる行動経済学の仕掛けが、完璧に機能したからだ)
一般的なアフィリエイトブログの成約率(CVR)は、せいぜい一パーセント未満と言われている。
百人が訪れて、一人申し込めば御の字の世界だ。
しかし今朝の俺たちのブログは、流入した読者のうち実に【約三パーセント以上】が実際の成約に至っていた。
勝因は、俺が記事の末尾に仕掛けた【記事構成の黄金比】と【マイクロコピーの魔術】にあった。
まず、記事全体の構成だ。
素人は、いきなり「この格安SIMがおすすめです!ここから登録!」とリンクを押し付ける。
そんな露骨な営業をされれば、読者は一秒で警戒して逃げ出す。
俺が組み立てた構成は、人間が行動を起こす心理ステップに寸分の狂いもなく沿っていた。
①【共感(Problem)】:
「毎月のスマホ代、手取り十四万から一万円以上引かれるの、本当にキツいですよね」と、読者のリアルな痛みに徹底的に寄り添う。
②【解決策(Solution)】:
「なぜ格安SIMにするだけで月八千円浮くのか」を、大手キャリアの電波網を借りている構造的な理由とともに論理的に解説する。
③【ベネフィット(Benefit)】:
「年間で約十万円浮きます。十万円あれば、欲しかった最新パソコンが買えるし、年一回の旅行にだっていけます」と、浮いたお金で手に入る【未来の幸福】を具体的に見せる。
④【行動喚起(Action)】:
そして最後に、読者の背中をそっと押す。
そして――最後の一押しを決めたのが、【マイクロコピー(ボタン周辺の極小テキスト)】だった。
人間は、極めて怠惰な生き物だ。
「良さそうだな」と思っても、「でも手続きが面倒くさそうだな」「今度でいいや」と必ず先延ばしにする。
だからこそ、申込みボタンのすぐ上と下に、読者の不安を先回りして消し去る短い言葉を配置したのだ。
『※今の電話番号はそのままで乗り換え可能(MNP予約番号はWebで3分発行)』
『※所要時間はたったの5分。免許証の写真をアップロードするだけで完了します』
『※違約金・契約期間の縛りは一切ありません』
(面倒くさい、損をしたくないという心理的ハードルをゼロにする。
このマイクロコピー一つで、成約率は二倍にも三倍にも跳ね上がるんだ)
パッ、パッ、と箱を積み上げながら、俺は不敵に口元を吊り上げた。
すべては計算通り。
偶然の奇跡など一つもない、心理学とマーケティングが生み出した必然の果実だった。
◇ ◇ ◇
午後十七時零二分、定時退社。
タイムカードを切った俺は、自転車を猛スピードで漕ぎ、駅前の落ち着いたブックカフェへと向かった。
カフェのテラス席に足を踏み入れると、そこにはすでに先客がいた。
白石詩織だった。
淡いピンクのサマーブラウスに、揺れるプリーツスカート。
黒縁メガネを外したその瞳は澄み渡り、ショコラブラックの髪が夕暮れの涼風にふわりと揺れている。
机の上には、前話で買い与えた最新のM4搭載iPad Proが開かれていた。
周囲の席にいる男子大学生たちが、チラチラと見惚れるように視線を送っているが、当の本人はまったく気づいていない様子で、スマホの画面をじっと見つめていた。
「白石」
「あ……湊くん!」
俺の姿を認めた瞬間、詩織の顔が一気にパッと輝いた。
彼女は席から立ち上がり、手にしたスマホを両手で掲げてみせた。
「湊くん、見た!? 昨日の4コマ、今見たらいいねが四万件を超えてて……! 『すごく分かりやすい』ってコメントが何百件も届いてるの……! 私、通知が鳴り止まなくて、今日ずっと心臓がドキドキしっぱなしで……っ」
「ああ、見たぞ。……だが白石、驚くのはまだ早い」
俺は詩織の向かいの席に腰を下ろすと、自分のスマホのA8.netの管理画面を開き、テーブルの上にスッと滑らせた。
「え……? これ、何……?」
詩織がおずおずと画面を覗き込む。
朝の時点では八万四千円だった発生報酬の数字は、日中のアクセス流入によってさらに積み増しされ――
『本日発生報酬合計:102,000円』
「……じゅ、十万……二千円……!?」
詩織の息が止まった。
大きな茶褐色の瞳が、限界まで見開かれる。
「湊くん、これ……嘘でしょ……!? 今日だけで、十万円のお金が……!?」
「嘘じゃない。お前の描いた4コマ図解が、SNSから何万人もの読者をブログへ連れてきてくれた結果だ。
読者が悩みを解決し、企業が顧客を獲得し、俺たちの口座に正当な紹介料が入る。
――白石、俺たちが寝ている間に、十万円の不労所得が生まれたんだよ」
「寝ている間に、十万円……っ!」
詩織は両手で口元を押さえ、やがて瞳に大粒の涙をいっぱいに溜めて、ポロポロと零れ落ちさせた。
「う……うわぁぁぁんっ、湊くん……! よかったぁぁぁ……! 私、iPad Pro買ってもらったのに、全然アクセスが増えなくて……ずっと、湊くんの足を引っ張っちゃうんじゃないかって、怖くてたまらなかったんだもん……っ!」
「お、おい、泣くなって! カフェの店員が見てるだろ」
「だって、嬉しいんだもん……っ! 湊くん、ハイタッチ……! ハイタッチしてっ!!」
詩織は涙を拭いながら、満面の笑みで両手を差し出してきた。
「……しょうがないな」
パチンッ!
テラス席に、乾いたハイタッチの音が響く。
その瞬間――テンションが最高潮に達した詩織が、勢い余ってテーブル越しに身を乗り出し、俺の首元にギュッと抱きついてきた。
「湊くん、大好き……! 本当に、本当にありがとう……っ!!」
「ぶふっ……!?」
フワリと鼻腔をくすぐる、爽やかな柑橘系のシャンプーの香りと、柔らかくて温かい感触。
至近距離で耳元に響く、少女の弾んだ息遣い。
俺の脳内プロセッサが、瞬間的にオーバーヒートを起こし、警報アラートをけたたましく鳴り響かせた。
(し、心拍数二二〇……っ! まずい、この接触行動はあらゆる金融工学の計算モデルを瞬時に破壊する……!)
「し、白石! 離れろ、公共の面前だ!」
「あ……っ!」
我に返った詩織は、顔を一瞬でリンゴのように真っ赤に染め、弾かれたように席へ戻って両手で顔を覆った。
「ご、ごめんなさいっ! 私、嬉しすぎてつい……っ!」
「コホンッ!」
俺は咳払いを一つして乱れた呼吸を整え、冷徹な仮面を必死に張り直した。
「……まあ、成果に対する歓喜のリアクションとしては許容範囲だ。
それより白石、本題だ」
俺は財布から、ピン札の万年札が五枚入った封筒を取り出し、テーブルの上へ置いた。
「今回の発生報酬のうち、初期パートナー契約に基づき、お前の制作ディレクション報酬として【50,000円】を先渡しで配分する。
受け取れ」
「えっ……!? ご、五万円……!? そ、そんなの貰えないよ! 私、iPadも買ってもらったばかりなのに……!」
「受け取れと言っている。
中学生でもわかる算数をしよう」
俺は腕を組み、極めて真面目な顔でまくしたてた。
「労働基準法および資本主義の原則において、成果に対する正当な対価を支払わない組織は、優秀な人材の離職リスクを極大化させる。
お前に『私はタダ働き同然だ』という不満を抱かれ、他社のメディアに引き抜かれた場合、我が事業部が被る将来的な売上損失は【一千万円】を下らない!
つまりこの五万円は、優秀な基幹クリエイターの【エンゲージメント維持および離職防止のための戦略的リテンションフィー】だ!
さらに言えば、この後注文する最高級メロンパフェとアイスティーも、お前の疲労した脳のブドウ糖を補填し、次なる4コマ制作の着手を早めるための【先行投資経費】だ!
勘違いするなよ、極めてドライで冷徹なリスクヘッジだ!」
息もつかせずに捲し立てる俺の長い長い言い訳。
詩織は目を丸くして聞いていたが――やがて、指の隙間から覗かせた瞳をふにゃりと細め、クスリと笑った。
「ふふっ……あはは! えんげーじめんと……? メロンパフェが、せんこうとうし……?」
「な、何がおかしい。純粋な企業防衛だぞ」
「うん、そうだね! 湊くんの『せんこうとうし』、世界一優しくて美味しいよ! じゃあ私、絶対に湊くんの隣から離れないからね!」
詩織は封筒を宝物のように両手で抱きしめ、天使のような満面の笑みを咲かせた。
その破壊力に、俺はまたしても頭を抱えそうになった。
◇ ◇ ◇
カフェで至福のメロンパフェを食べ終え、詩織を駅の改札まで見送った帰り道。
夕闇の迫る道を自転車で走りながら、俺はスマートフォンの資産管理シートを更新した。
【本日の不労所得収支】
・前回までの総資産:835,400円
・特化ブログ初日発生報酬(湊純取り分):+52,000円(総発生102,000円−詩織配分50,000円)
・先行投資経費(カフェ・パフェ代等):▲3,400円
★ 確定総資産残高:【884,000円】
「……八十八万四千円」
設備投資で一時的に減少していた資産が、猛烈なスピードで再び九十万円台へ向けて回復し始めていた。
しかも今回は、自分の身体を動かして稼いだ労働の対価ではない。
ネット上に設置した「城」が勝手に生み出した、完全なるストックの果実だ。
プルルル……と、ポケットの中でスマホが震えた。
九条源蔵からの着信だった。
「もしもし、じいさん」
『おう、坊主。水道管から、最初の水が吹き出したようだな』
受話器の向こうで、源蔵が「カッカッカ」と低く喉を鳴らした。
「ああ。一晩で八万四千円、今日一日で十万円を超えたよ。
SNSファネルからの流入動線、大成功だ」
『ケッ、調子に乗るんじゃねえぞ。
バズなんてものは一過性の花火だ。重要なのは、ここからどうやって検索エンジンの信頼を勝ち取り、継続的な自動販売機に育て上げるかだ』
「わかってるよ。SNSからの大量流入と長時間のサイト滞在は、Googleのアルゴリズムに対しても『この記事は極めて有益だ』という最強のシグナルになる。
これでサンドボックスの壁を、通常より二ヶ月以上早く突破できるはずだ」
『ほう、そこまで見越してやがったか。合格点だ』
源蔵は満足そうに鼻を鳴らすと、ふっと声のトーンを落とした。
『……だがな湊、浮かれてる暇はねえぞ。
もうすぐ八月……世間はお盆休みだ。
東京へ行った見栄っ張りの小僧どもが、地元へ凱旋気取りで帰ってくる頃合いだぞ』
「東京の、連中……」
『そうだ。
借金を自分の金と錯覚し、見栄のために生きる哀れな亡者どもがな。
てめえが工場で段ボールを折っていると侮って、マウントを取りにやってくるはずだ。
――資本主義の現実を、その冷徹な目でしかと見届けてやれ』
通話が切れた後、俺は夜空を見上げた。
金子拓海と、佐伯凛。
高校の卒業式であの日、「高卒の工場勤務とか無理w」と俺を切り捨てて東京へ去っていった二人。
有利子の奨学金を握りしめ、見栄のレールをひた走る彼らと、資本の城を築き始めた俺。
――最初のお盆休み。
残酷なまでの「人生の答え合わせ」の第一幕が、すぐそこまで迫っていた。
【現在の倉科湊ステータス】
・年齢/肩書:18歳/食品工場ライン工(特化ブログ運営・初月不労所得発生)
・総資産残高:884,000円(前話比:+48,600円 ※アフィリエイト初日利益確定)
・月間不労/事業キャッシュフロー:+148,000円(Webライティング+ブログアフィリエイト初発生純利)
・【今日の源蔵のマネー格言】:「労働者は汗水垂らして1日7,000円を拾い、資本家は寝ている間に仕組みに8万円を運ばせる。どちらの生き方が豊かか、考えるまでもねえだろ」
読んでいただきありがとうございます。
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