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92.【俺にとっても初めての】 改

ブクマ、評価をいただきました。

ありがとうございます。


 若い隊員が魔物討伐の際に犯したミスのフォローが遅れ、その隊員に大けがをさせてしまった俺は、診療所の薄暗い待合室で溜息を漏らした。普段の俺ならもっと上手くフォロー出来たはずだ。自分は私生活を仕事に持ち込む人間ではないと思っていた。それなのに今日の俺はなんてざまだ。


 例え私生活で何かあったとしても、完璧に仕事をこなす事が出来ると、自分を過信していたのだ。自分の責務を全う出来ず、部下に大けがをさせてしまうなんて、情けないにも程がある。


 待合室に聞きなれたコツコツという足音が聞こえ、その足音の主は俺の側で立ち止まった。

「お前にしては珍しいな」

 そう言って話しかけてきたのは、ルーカス隊長だ。


「すみませんでした」


「俺だって、今まで部下のミス全てをフォロー出来た訳じゃない。こう言っちゃなんだが、死ななかったことは不幸中の幸いだ。あとは聖魔導師に任せればいい」

 自分の不甲斐なさに唇をギュッと結んだ。


「自分のことを、もっと出来る奴だと思ってました。無意識のうちに(おご)りがあったのかもしれません」


「おいおい、竜太子様に認められたお前がそんなこと言ったら、俺なんてどうなるんだよ。

 お前にとっては初めてのことだったんだし、精神状態が不安定だったんだろ。ただそういう時は、自分自身も危険な目に遭いやすい。ケンカしたまま死なれたら、ユイさんをもっと苦しませることになるんだから、これからは気を付けるんだな」


 驚いて隊長の顔を見ると「すまん。昨日は遅くまで書類整理してたんだ」と苦笑いされ、俺がユイを怒らせたことは筒抜けだった。


「レオ、これだけは言っておく。女性を怒らせた時は、絶対に反論するな。100倍になって返ってくるぞ。なんなら自分に非がなくても兎に角謝れ。それが家庭が上手くいくコツだ。女性を怒らせると、魔物なんか可愛く見えるぞ」


 隊長はそれだけ言うと、治療室から出てきた隊員に声を掛けに立ち上がった。


 今回ケガをしたのは偶々(たまたま)部下だったが、もしかしたら俺自身だったかもしれないと隊長と話して初めて考えた。


「俺は絶対に死なない」


 彼女と交わした約束を守る為に、ユイを悲しなせない為に、俺はもっと成長する必要がある。


 竜太子様と交わした『絶対に彼女を幸せにする』という誓い。誰よりも彼女を想い、誰よりも彼女を大切にしている彼から託された想いを胸に、俺はもっと騎士としての高みを目指すと心に決めた。




 治療が終わった部下を連れ宿舎に戻ると、ユイが部屋にいないことに焦った俺は、もしやと思い客室のドアを開けた。しかしそこに彼女の姿はなく、夕食時だということを思い出した俺は、急いで食堂に向かった。


 情けないことに、彼女に会いたいのに会うのが怖いという矛盾した感情に襲われ、一瞬食堂の扉を開けるのを躊躇(ためら)った。扉の前に黙って立つ俺を見て、食堂を出てくる隊員が首を傾げる。


 覚悟を決め扉を開けると、配膳台でお弁当を詰めている彼女と目が合い、胸を締め付けるような痛みを感じた。そんな俺の不安を消すように、ユイはいつもの笑顔で俺を迎えてくれる。


「おかえりなさい」

 たった一言で、俺の不安が払拭されていく。


 今すぐにでも彼女を抱きしめたい感情を抑え込んだが、ユイは困ったような顔をして体の向きを変えた。まだ許しを得た訳ではないが、それでも彼女の瞳から悲しみの色が消えている事だけはわかった。


 弁当箱を手渡され先に部屋に戻るように言われたが、一人で弁当を広げる気にはなれない。彼女が戻るのを寝室のソファーに座り一人静かに待っていると、少しずつ近づいてくる足音が聞こえてきた。


 ドアを開けた途端、俺が弁当を食べていない事への不満を口にする彼女。すぐに立ち上がり素早くユイを抱きしめると、彼女がぽつり「疲れちゃった」と口にした。


 俺と一緒にいることに?


 不安を言葉にすると、ユイは呆れたような声でそれを否定してこちらに向き直ると、俺の胸に顔を(うず)めてもう一度「おかえりなさい」と言ってくれた。


 俺の顔を見上げ、いつものように微笑むユイ。一度手に入れた安らぎを、もしかしたら失うのではないかと不安に駆られたことが嘘のように、俺の中の緊張がほぐれていく。


 ユイはシャワーを浴びた後、濡れた髪をバスタオルで拭きながら脱衣所から出てきた。白いフワフワとした彼女らしい寝間着を着て、ほのかにバラの香りを漂わせ俺の下へと歩み寄るユイ。


 前に約束した通りユイの髪を風魔法で乾かそうと、彼女を俺の前に座らせる。黒く艶やかな髪は張りがあるのに柔らかく、指で梳かしながら乾かすとその艶はより一層輝きを増した。


 この国でも黒髪の人間はいるが、ここまで深い黒は見たことがない。


 彼女は少し癖のある自分の髪を好きではないと言う。だが、そのくせっ毛はフワフワとした印象の彼女の雰囲気を引き立たせ、柔らかな笑みを印象付ける。


 髪を梳かしながら乾かしているのが気持ちいらしく、時々船を漕ぐ彼女。安心しきっている彼女を愛おしく感じ、俺は抱きしめたい衝動に駆られた。


 乾かしている髪の隙間から見える彼女のうなじに引き寄せられるように唇を寄せると、ユイが驚いた表情のままこちらを向く。見つめ合ったまま唇を寄せると、ユイはゆっくりと瞳を閉じた。


 ほんの数時間前、もしかしたら失ってしまうかもしれないと不安に駆られた温もりが、今は自分の腕の中にある。その温もりを確かめるように何度もくちづけを交わすと、彼女の唇から微かに甘い吐息が漏れた。


 ゾクゾクとした感覚と押し倒したいという衝動を抑え込み、俺が謝罪の言葉を口にすると、ユイは自分の想いを一生懸命に伝えようと言葉を紡ぎ始めた。


「怒ることに疲れちゃった」


 彼女らしい言葉ではあるが、怒りの感情まで飲み込み抑えようとする彼女の言葉を俺は遮った。俺が彼女の優しさに甘えたせいで傷つけてしまったのに、それをユイが一人で抱え込むのはおかしい。


 二人で生きていくと決めたあの日、怒りも悲しみも痛みも苦しみも、彼女が感じる全ての負の感情を俺は受け止めると決めたんだ。


 それなのに俺が彼女を傷つけてしまうなんて、情けない以外の言葉が見つからない。そんな俺に彼女は言ってくれた。


「レオと一緒に生きていきたい」と......。


 いつか彼女に『レオ』と呼んで欲しいと思っていたけれど、名前を呼ばれるだけでこんなにも幸せな気持ちになれるとは思っていなかった。母親以外で唯一俺を呼び捨てに出来る特別な女性。そんな女性に出会えるなんて、半年前の俺には想像さえも出来なかったことだ。


 これから先も彼女と一緒にいれば、今まで知らなかった事、想像さえ出来なかった事、初めての感情なんかに出会えるのだろう。


 もしかしたらまだ気づいていないだけで、自分の知らない自分がいるかもしれない。いや、既に周りからは俺の印象が変わりすぎだと言われている。


 一番言われるのは、よく笑うようになった事だ。笑わないようにしていた訳ではなく、自分の感情を表

には出さないようにしていた。 若い時のように苛立ちや負の感情を表に出さないようにし、女性に対しても冷静な対応を心がけてきたつもりだ。


 だが彼女に出会い、自分の感情を当たり前のように表に出し、ころころと笑う彼女に惹かれると共に、自分の感情も自然と表に出るようになっていた。最初はそんな自分に戸惑いさえも感じたが、今では自分の感情をどうやって殺していたのかさえ分からない程だ。


 天真爛漫な彼女の笑顔は、人との距離を縮めることを恐れ、自分の中に他人を踏み込ませなかった俺の中の壁を、あっという間にぶち壊した。彼女の笑顔だけが、俺を長年の苦しみから救い出してくれたんだ。


 何度も俺の髪に触れながら笑みを漏らせるユイ。今まで何ども彼女は俺の髪が好きだと言ってくれた。見た目を褒められることが嫌いで、女性に髪に触れられるなんて絶対にされたくないと思っていた。


 それなのに初めて彼女に『髪が綺麗』と褒められた時、俺は嬉しいと感じた自分に戸惑った。今思えば、あの時既に彼女に心を奪われていたのだろう。


 俺にとっては何もかもが特別で、彼女に教えられた初めての感情がいくつもある。そんな事を知らない彼女は俺に言う。


「私の知らないレオさんを、他の女性が知っていることが悔しい」と。


 俺にしてみれば、他の女性が知っている俺なんて抜け殻も同然で、どうだっていいことなのに。

 だから俺はウイルでさえ知らない事実を、そっと教えてあげたんだ。


「俺、くちづけ......キスはユイとしかしたことない」

 驚き目を丸くする彼女に、信じてもらえるかは分からないが......。


 今まで何人もの女性と身体の関係をもったが、どうしてもくちづけをする気にはなれず、ずっと拒み続けてきた。特別な理由があった訳ではなく、ただ気持ち悪いとしか思えなかったからだ。


 そこに愛情がある訳でもなかったし、それを女性がどう思うかなんてどうでもよかった。まぁ、身体の関係自体俺から求めた事なんて一度もなかったのだけれど。


 だからユイは俺が初めて心から求めた女性であり、くちづけを交わした特別な人なんだと。


 するとユイは少し目を赤くしながら「じゃあ、これからいっぱいチューしようね」と嬉しそうに微笑んだ。そんな彼女を可愛いと思うし、愛おしいとも思う。


 なのに何故、次の月のモノが終わるまでおあずけされないといけないんだ。いや、悪いのは俺なんだけど。それは間違いないんだけれども。


 俺の魔法は絶対にイヤだと言い張る彼女が笑顔なのが、かえって怖かったりする。隊長の言っていたのはこの事かと思いながら、俺は思い切り溜息を漏らせた。


 そんな俺を見て、ユイがちょっと楽しそうなのは気のせいだろうか。だけどそんな彼女を、俺もまた可愛いと思ってしまうのだから仕方がない。


 こうなったら、この拷問のような日々を楽しむ方法を考えてみせる。こうして、俺と彼女の攻防戦は始まった。




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