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89.【覚悟】 改

 次の日の朝、いつも通りの時間に目が覚めると、私は静かにベッドから下り、着替えを取る為にクローゼットを開けた。すると布団を捲る音が聞こえ「ユイ!?」掠れて今にも消えてしまいそうなレオさんの声が......。


「おはよう」

 私は振り向くことなく、挨拶を返す。


「ユイ、昨日はごめん」

「時間に遅れるから、その事は今話したくない」


 私は彼を突き放すような言葉を口にして、着替えを持って脱衣所に入る。身支度を全て済ませてから脱衣所を出ると、彼と目を合わせないまま「いってきます」と部屋を出て食堂に向った。


 レオさんは一体、どんな顔をしていたんだろう。本当はもうそこまで怒ってもいないし、彼の事が気になる。だけどそれを素直に言えない自分がいた。


 私は今まで、人に嫌われないようにといつも笑顔を心がけ、人を傷つけないようにして生きてきたつもり。こんな風に自分の怒りを人にぶつけたことがなく、自分自身戸惑っている。いや、ここまで怒ったこと自体、記憶にない。


 食堂の手伝いをしていても、いつものように笑顔で騎士さん達を送り出すことが出来ず、そんな自分が嫌になる。


 私が彼らに出来る唯一の事、それは彼らを笑顔で送り出し、無事に帰って来るように祈ることだけなのに。ついつい溜息を漏らしてしまう私に「何かあった?」と、キャロルさんが声を掛けてくれる。


「レオさんとケンカしちゃった」

「副隊長と? 二人でもケンカするんだ。夕方指輪届けに行った時でよければ話、聞こうか?」

「うん。聞いて欲しい」


 私の返事を聞き「あんまり気にしちゃダメよ」とキャロルさんは、お姉さんのような笑みを見せながら食堂を後にした。


 その後、食堂を出ていくレオさんと目が合ったけれど、私はいつもの言葉を飲み込んでしまった。言いたいのに言えない言葉。誰よりも笑顔で送り出したい人なのに......。

 私は一体何をしているんだろう。


 食堂の手伝いが終わりノアと一緒に部屋に戻ると、私はスマホを取り出しランダムに流した音楽を、片っ端からピアノで弾きまくった。ノアが十の刻(十時)のお弁当の時間を知らせてくれるまで、休むことなく。


 そんな私を心配そうに見つめてくるノア。

『レオ、すごく落ち込んでたよ。もう許してあげなよ』


「分かってるよ!」

 ノアに八つ当たりのように強い言葉を返し、益々自己嫌悪に陥る。


「もう、いやだ」


 黒い感情に支配されていくような感覚に襲われ、自分の身体を抱きしめながらピアノの鍵盤の上に俯せた。ピアノの大きな音と共に、涙が溢れ出す。こんな思いをするくらいなら、怒りなんて飲み込んでしまえばよかった。




 夕方、討伐部隊が帰ってくる定時刻になっても、何故かレオさんが部屋に戻ってこない。その事に不安を感じていると、部屋のドアがノックされウイルさんが訪れた。レオさんが戻らない事を私が心配してるといけないからと、覗いてくれたらしい。


「何かあったんですか?」


「若い奴が、ちょっとヘマしちまって。レオが付き添って診療所に連れて行ったんだ。ちょっと遅くなるけど、心配しないでくれ」


「レオさんはケガしてないんですね?」


「レオは大丈夫だ」

 ウイルさんはそう答えながら、少し困ったような顔をしながら何か言いたそうにしている。


「どうしたんですか?」


「あのさぁ......レオとなんかあった? 今日のあいつ、ちょっとおかしかったから心配になって。討伐自体はいつも通り完璧だったんだけど、なんか様子が変で気になってよ」


 それは間違いなく私のせい。動揺を隠せない私の胸に、ウイルさんの言葉が突き刺さる。



「あいつが何か言った訳じゃないんだ。ただ俺が気になっただけで。

 ケンカするのは仕方ねぇけど、次の日に持ち越すのはやめた方がいい。


 俺達はいつ何があってもおかしくない職業だ。もしもケンカしたまま......なんてことがあったら、後悔するのは嫁さんの方だ。


 あいつの実力なら、そんなことありえないと思うが、絶対じゃない。騎士と結婚するってことは、そういう覚悟もいるって分かって欲しい」


 ウイルさんは、そう言うと「あいつには、俺が来た事内緒にしてくれ」そう言って静かに部屋を出て行った。




 私は朝の出来事を思い返し、後悔と自己嫌悪で胸が苦しくなり、その場に蹲った。ウイルさんが言うことが正しい。私はどんなに腹を立てていても朝、笑顔でレオさんを送り出すべきだった。


 レオさんのお父さんが殉職したように、彼にだって何があるかわからないのに。自分の事で精一杯で、どうしてそんな大事なことを忘れていたのだろう。


 彼が帰ったら、ちゃんと話をしよう。もし次ケンカをしたとしても、次の日には持ち越さないって約束しよう。




 レオさんが部屋に戻ってくるより先に、キャロルさんが指輪を持ってきてくれ、私は昨日の出来事を彼女に話した。するとキャロルさんは烈火の如く怒りだし、逆に私が宥めるという事態になってしまった。


 案外人が怒ってくれると、自分は冷静になれるものなのね。レオさんへの不満を口にして、私の想いを代弁してくれる彼女を見ていると、心の中でくすぶっていた黒い感情が消えていくのがわかった。


 そして最初はレオさんへの文句を口にしていた彼女だが、それは次第に男性に対しての不満へと変わっていき、私は思わず笑ってしまった。


「ユイさん、笑い事じゃないでしょ!!」

 キャロルさんは自分の膝を叩き、今度は私が怒られた。


「うん。でもキャロルさんのお陰で、もう大丈夫かなって思えた。ありがとうね。

 ただ私ね、今まで人とケンカしたことなくて、仲直りってどうすればいいか分からないの」


「ユイさんが思ってること全部伝えたらいいんじゃない? 申し訳ないって思ったことも、許せないって思ったことも全部」


 もしかしから、彼だって怒っているかもしれない。こんなことぐらいで怒った私に対して。そう思ったら、今度はちゃんと仲直り出来るか不安になってきた。


 いや、大丈夫。


 これから長い人生を一緒に生きていくって決めたんだもの。こんなケンカこれからだってきっと何度もあるはず。......嫌だけど。

 不満に思ったことはちゃんと伝えて、謝るべき事は素直に謝ろう。


 自分の中で気持ちが固まると「もう大丈夫そうね」とキャロルさんはソファーから立ち上がった。そろそろ彼も帰ってくるだろう。そしたら、まずは笑顔で「おかえりなさい」って迎えるんだ。


 それから、朝出来なかったキスとハグをたくさんしてもらおう。彼がこの部屋に帰ってきてホッと出来る、彼の一番の拠り所になれるように。





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