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84.【本当の自分】 改

 母にユイを紹介した日の夜九の刻過ぎ、そろそろシャワーを浴びようかと考えていると、廊下を歩くユイの足音に気が付いた。


 執務室の扉を叩く音が聞こえ急いで扉を開けると、そこには枕を抱いた寝間着姿の彼女が。こんな時間に部屋を訪ねて来たことはなく、不安を感じながら「どうした?」と尋ねても、彼女からの返事はない。


 ただ思いつめたような表情で、俺の顔を見上げる彼女。上目遣いで俺を見るその表情は不安げなのに、瞳の奥には何か覚悟のようなものを感じる。


「入ってもいい?」


 奥の寝室の扉を指さすユイ。竜太子様の姿は見当たらない。明らかにいつもとは様子の違う彼女に戸惑いながら、俺は寝室の扉を開け彼女と一緒にソファーに腰を下ろした。


 抱きかかえている枕をギュッと抱きしめて黙ったままの彼女に「今日はありがとう」と声を掛ける。


「母さん、ユイがくれたストール本当に嬉しそうに肩に掛けてた。気を使わなくていいって言ったけど、俺は間違ってたな。ユイ、母さんに会ってくれてありがとう」


「私もお義母さんに会えて嬉しかったよ。やっぱりレオさんに似てたね」

 ユイはそう言うと枕を抱えたまま、伏し目がちにまた黙り込んだ。


「どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」


 重い空気に耐えられず、彼女の髪に触れながら問いかける。するとユイは大きく息を吐き、枕の下に隠していた防音の魔道具をテーブルの上に置き起動させた。一瞬胸の鼓動が跳ねたが、そんな雰囲気ではないと直ぐに己を律すると「あのね」微かに震える声で彼女が話し始めた。


「レオさんに言ってないことがあるの。それを話そうと思って」

「父親のことか?」


 俺が以前からずっと気になっていた事を口にすると、ユイは「どうして分かったの!?」と目を丸くした。今まで何度も彼女の母親や祖母の話は聞いてきたが、一度も父親の話に触れない事に違和感を感じていたと告げると「そっか」彼女は納得したように呟き、瞳を伏せる。


「私ね、一度も父親に会ったことがないの」

 ユイはそう言うと、ぽつりぽつりと自分の生い立ちについて話し始めた。


 自分の父親はこの国で言うところの上位貴族で、母親はその妾だった事。生まれてから一度も父親に会ったことがなく、名前さえも知らない。認知され養育費は母親に支払われていたが、父親に会いたいと言った自分の願いが叶うことは、一度もなかったと。


 そして十四歳の時に母親が事故で亡くなったが、父親は葬式にさえ顔を出さなかったのだと、唇を噛みしめる彼女。その後、実家の名義は母親から自分に変わり、多額の養育費が一括で支払われた後、父親と連絡が取れなくなったと祖母から言われた事。


 父親が一度も自分と会おうとしない理由が分かったと、彼女は悲しみに顔を歪ませる。祖母から父親の名前を知りたいかと聞かれた時、それを断り父親へ希望を抱くのはやめた。


「私は望まれて生まれた訳じゃなかった。少なくともあの人にとって、私はいらない子。存在しなくていい子なんだと悟ったの。

 お母さんとお祖母ちゃんは、本当に私を愛してくれたし大切にしてくれた。だけど、ずっと心の片隅にあったの。私は愛される価値がない子なんだって」


 悲しみを吐き出す彼女の唇は震え、腕に抱えた枕は更に小さくなりながら彼女の身体を支えた。ユイの身体を抱き寄せ、彼女の頭に自分の頭をコツンとぶつけた俺は、何も話さないまま、ただ黙ってユイの話を聞き続けた。


 その後十七歳の時祖母が亡くなってからは、実家で一人暮らしをしながら高等科に通った事。

 祖母とユウキがいなかったら、自分はきっと壊れていたと彼女は言う。



「私がいつも笑っているのは、これ以上誰かに存在を否定されるのが怖いから。優しくするのは、嫌われたくないから。人懐っこさを演じているのは、誰かに愛されたいからよ。


 本当の私は、レオさんやキャロルさんが言うような人間じゃない。ただ誰かに自分の存在を認めて欲しいだけ。レオさんに、何度も言おうと思った。だけど......だけど」



 そう言うと彼女は枕に顔を埋め、声を押し殺すようにして泣き始めた。彼女の頭を自分の胸に抱き寄せ、まだ少しだけ濡れている髪の毛に口づけをした。



「ユイが自分の事をどう思おうと、俺にとってユイはたった一人の人だ。他の誰かがユイの存在を否定しても、俺にはユイが必要なんだ。


 俺の価値は外見だけだと周りに言われているようで、それが凄く嫌だった。誰も俺の中身なんか見ようともせず、ただ見た目だけで近づいてくる女性が憎くて、傷つけることで自分を守った。


 でも、ユイは違う。ユイは自分を演じていたと言うけど、それでもユイは俺のように周りの人を傷つけたりはしていない。ユイの笑顔で幸せになれた人もいるし、ユイの優しさに救われた人だっている。

 少なくとも俺は、ユイに出会えたことを感謝している」

 


 自分に価値がないと言われていると思い込み、それに抗うようにして生きてきた俺には、ユイの気持ちが痛いくらいに分かった。そしてそんな彼女だから、俺は自然と心を開いていったのだろう。

 今ならなぜ、こんなにも彼女に惹かれたのかが理解できる。


「この、世界に......きて、こわ、かった。でも......ここ、には......わた、しの居場所、あった。

 竜母、として、の......存在、意義があった。それ、が......うれし、かったの」


「存在意義とか、自分の価値とか考えるのはやめよう。俺はユイが側にいてくれたら、それでいい。それだけで幸せで、生きていく意味があると思える」


 俺の言葉に顔を上げると彼女は声を押し殺すことを止め、身体の中から湧き出る感情そのままに泣き始めた。


「うわぁぁぁん」


 たがが外れ子供のように大泣きをする彼女を見て、俺は思わず笑ってしまった。

 脱衣所から持ってきたタオルを渡すと「あじがと」言葉になっていないお礼を彼女に言われ、また吹き出しそうになる。


「もう、笑うな!!」

 ユイは大泣きしているのが恥ずかしいのか、怒りながら泣いている。


 忙しいから、どちらかにすればいいのにと言うと「じゃあ泣く」そう言って、彼女はまた泣いた。俺はそんな彼女を抱きしめ、気が済むまで泣くことに付き合った。俺の腕の中で泣いている彼女への、愛おしさが増していく。


 微かに彼女から香る花の匂いは、今日買ったというバスソルトの香りなのだろうか。


「ユイ、愛してる」

 囁くように言葉にすると彼女が身体を離して「なんで今言うのよ!!」と頬を膨らませた。


「えっ......ダメなのか!?」

「こんな不細工な顔の時に言わないでよ!」

 分かったような分からないような理由で怒られ、俺はまた笑いが込み上げてきた。


「目が腫れてても、鼻が真っ赤でも、ユイは可愛いよ」

「可愛くない」


 文句を口にすると彼女はまた、俺の胸に顔を(うず)めた。どんなに怒られようと文句を言われようと、可愛いものは可愛いし、愛しい気持ちは変わらない。

 彼女を身体から離すと、赤く腫れた瞼にそっと唇で触れた。


「痛そうだな」

「ちょっとね」

「明日の朝、大丈夫か?」

 そう言いながら何度も瞼に口づけをすると、彼女は甘えるような目で俺を見上げた。


「どうした?」

 分かってはいるが、意地悪く問いかける。


 俺の質問に答えない彼女の頬に、耳に、唇を寄せると、ユイは少しくすぐったそうにしながら身体を(よじ)った。微かに花の香りのする首元に唇で触れ、(わざ)と音を出して口づけると「ひゃぁぁっ」と、色気のない声を出して彼女は俺から離れようとする。しかし俺はそれを許さない。


 隣に座っていた彼女を抱き上げ自分の膝の上に座らせると、ユイの目線は俺と同じ高さになった。


 彼女の希望通りに口づけると、自分の気持ちを抑えることなく彼女を求め、ぎこちなさの残る口づけを交わす。ゆっくりと流れる時間の中で、俺達は何度も互いの想いを伝え合い、ゆっくりと唇を離した。


「そろそろ、部屋に戻って寝た方がいい。明日食堂の手伝いだろ」


「......今日、こっち泊まっちゃダメ? ノアにはもう言ってきた」

 正直ちょっと期待はしていたが、ユイの方から言ってくるとは思わなかった。


「意味分かってるのか? 襲うぞ」

「......善処します」


 彼女の言葉に思わず笑いが零れた俺は「とりあえずシャワー浴びてくる」そう言って、彼女をその場に残して脱衣所に向かった。


 なるべく早くシャワーを終わらせ脱衣所の扉を開けると、予想通りに彼女はソファーに倒れるようにして、枕を抱いたまま眠っている。今日だけでも色んなことがあったのだから、きっと疲れているはずだ。だから、こうなることは予想できた。


「ユイ、風邪ひくぞ」

 そう言って声を掛けると、彼女は眠そうな顔をしながら両手を広げて抱っこするようにせがむ。


 俺は彼女を抱え上げベッドに運ぶと、その透き通るように白いおでこに口づけを落とした。

 広々としたベッドの真ん中で彼女の身体を抱きしめながら眠り、次の日の朝、真っ赤な顔をしながら飛び起きたユイに俺は起こされた。


「おはよう」

「お、はよぅ」


 恥ずかしそうに寝癖を気にしている彼女は、俺がした悪戯にはまだ気が付いていない。それに気が付いた時、彼女はどんな顔をするんだろう。俺はそれを想像して、一人口元を緩ませた。





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