発火能力
「だけど、発火能力だなんて、本当に厄介ですね」
「そうだね。ほんの小さな火でも、これだけ大きな騒ぎになるんだから」
優奈が呟き、七原が同調した。
俺と麻里奈は七原の弁当を必死に食べ進めている。
「排除するための説得も、厄介になるんでしょうね」
「そうなの?」
「パイロキネシスという能力についての事例を調べてみると分かると思います。この能力を得た能力者は悲惨な結末を迎えるケースが多い。火事で一家全員を道連れにしたり、全身が足首だけ残して灰になったり」
優奈は箸でブロッコリーをつまみながら、そう言った。
「優奈ちゃん、食事中だよ。よくそんな話が出来るね」
麻里奈は箸を止めて少し困った様子だ。
「他にも色んな話があるぞ。人が紙切れみたいに燃え上がり、一瞬で灰になったって話もあるし、逆に全身が火に包まれ、何十分も燃え続けたが、一命を取り留めたって話もある。そいつは全身火傷で、水ぶくれだらけだったらしいけどな」
そう付け足したのは俺だ。
これで麻里奈へのアドバンテージになる。
俺は、この唐揚げを誰よりも多く腹に入れるつもりだ。
「あくまでも、それは最悪のケースで、排除が成功したケースも沢山あるんじゃないかな? 記録としては残らないだけで」
と、七原。
しかし、優奈は釈然としない様子だ。
「でも、やっぱり悲劇的な結末を迎える可能性は物凄く高いんだと思いますよ」
「そうだよね。火を使う能力だもんね」
麻里奈も同調した。
そろそろ俺も会話に参加するべきかなと、出来るだけ唐揚げを口に詰め込んで、箸を置く。
「残念な話だけど、優奈の言うとおり、パイロキネシスは排除可能なケースが非常に少ないんだよ」
「そうなの?」
「ああ。人が発火能力を得たいと願望を持つ経緯を考えてみろよ。それは悲惨な結末になって当然だ」
「どういうこと?」
「発火能力は確かに一般的によく知られている能力だ。だけど、それを得るのは非常に希有な事なんだよ。というのも、この能力を持つということは、特別な……途轍もなく強い攻撃性を心の中に秘めてるって事なんだ」
「途轍もない攻撃性?」
「そう。パイロキネシスの能力を得るのは虐待された少年少女が多い。それは家庭という閉ざされた場所で、どこにもストレスを発散できず抑圧され続けた事が純度の高い攻撃性を生むからなんだよ」
「なるほど。そういう事があるんだね……」
七原は悲しい顔で呟いた。
「だからこそ、俺達が今、どう動くかってのが非常に重要なんだ」
「でも、家庭の問題となると扱いが難しいよね。私達に何が出来るの?」
「普通なら何も出来ないな。他人の家庭の事情に部外者が踏み込むのは許されない。ただし、『普通なら』って話だ」
「どういうこと?」
「俺は別に能力者の為に排除をやってるわけじゃないんだよ。能力者を救う事が目的なら、ヘタな事は出来ない。でも、能力の排除だけが目的なら、大抵の事は出来る」
「それこそ、他人の家庭の事情だろうが、土足で踏み込むって事ね。戸山君のスタンスは理解できたよ」
通じ合う俺と七原に、横で双子が引いていた。
ここは早めに話題を移すべきだろう。
「で、七原は誰が犯人だと思う? 人の心の声を聞く能力を持ってた七原の意見だし、参考にさせてくれ」
「私は何となく犯人だと思ってた人がいたんだけど、違うみたい」
「それは委員長の事か?」
七原は渋々といった感じで頷く。
「そうね。さっきまでは委員長が能力者だと思ってた。でも、パイロキネシスの話を聞いたら、委員長が犯人だとは思えないのよ。委員長に、そんな攻撃性は無い」
「だけど、委員長の家庭は恐らく不仲だよ。実際、委員長は一週間ほど前から家出しているらしいし」
「そうなの?」
「ああ。早瀬から聞いたんだよ」
「……知らなかった」
「早瀬は心配して、委員長の周りに話を聞いて回ったらしいんだけど、委員長がどこで寝泊まりしているのかさえ、分からないらしい。そして、そんな状況なのに委員長の母親は、それほど気にしてない口ぶりだったと言っていた。そういう家なんだよ、委員長の家は」
「ちょっと待って」
優奈が不機嫌そうに口を開く。
「さっきから委員長、委員長って言ってるけど。わたし達は、その委員長を知らない。まず、どういう人か説明してもらわないと」
「委員長は寺内奏子のことだよ。寺内の話は優奈にも話した事があるぞ」
「は? 記憶にないけど」
「あたしも覚えてないよ」
麻里奈も首を傾げる。
いや、確かに双子に語った記憶がある。夏木の事件の時に、委員長に付きまとわれて大変だった話を――あっ。
「去年、遠田夏木の件の時、西園寺梨々花って奴に付きまとわれたって話さなかったか?」
「うん。聞いたよ」
「その西園寺梨々花が、俺達のクラスの委員長である寺内奏子なんだよ」
「どういうこと?」
優奈が眉間にしわを寄せる。
「出会ったとき委員長が名乗った西園寺梨々花という名前は、同人活動時のペンネームだったらしい」
「なるほど。その寺内奏子って人が、相当な変わり者って事は理解したわ」
「ああ、手を付けられないレベルのな」
優奈は呆れ顔になった。
「でも、今の話を聞いて、はっきりしたわ。寺内さんは、あんたみたいなクズに、ストーカー呼ばわりされている。鞄に火を付ける動機は十分よ」
「だけど、あれは一年も前の事だよ。今のタイミングでってのが、意味が分からない」
「……まあ、確かにそうね。じゃあ、他に心当たりは?」
「あったら、すでに何らかの行動をしてる」
「そっか。それもそうね……動機なんて本人にしか分からない。寺内さん本人に真相を確かめるしかないって事か」
俺と双子が頭を捻ってると、七原は不服そうな顔をした。
「ちょっと待って。確かに発火事件の後の委員長は怪しかったよ。それには賛同するんだけど、やっぱり委員長の人間性を考えたら、どんな怒りを感じたとしても、火を付けるなんて行動に出るとは思えないのよ。もう一度、考えてみて」
七原は訴えかけるように言う。
クラスメートの委員長を疑う事に罪悪感があるのだろう。気持ちは分からないでも無い。
「だけど、委員長は実際に怪しいんだし。調べる以外に無いだろ」
「私、思うの――委員長も含めて、クラスメートの中に、戸山君が言ったような心の闇を抱えてる人は居ないって。そんな風に苦しんでいる人がいたら、私には分かったと思う。少なくとも、今朝までの私には、それだけの能力があったんだから」
「そうだな。七原の意見は参考にするよ……でも、考えてみろよ。たとえ、自由自在に火を放つ力があったとしても、視認できない物を燃やすのは、目標が定まらない分、難しい。そんな事が上手くいくとは思えない。だから、間違いなく、クラスの中に犯人がいたんだよ」
「犯人が戸山君の鞄を狙ったってのは、まだ確定じゃないよね。どこかの誰かの怒りと、その発露であるパイロキネシスが、たまたま戸山君の鞄に当たったってだけなのかもしれない」
「まあ、その可能性も無くはないな。検討はするけど……」
「とにかく、クラスメートに、そんな人がいるはずがないよ。私が保証するから」
七原の意見は揺るがないようだ。
七原がそこまで言うのなら……いや、でもなあ。
「七原の観察眼は信用しているけど、心の痛みが自覚できてないって場合も有るんだよ。あまりも強い絶望に心が麻痺している場合もあるし。記憶の中の触れられない領域に潜り込み、本人が意識してない場合もある」
「そっか……たしかにね」
「それに、今回の件で、委員長が実際に火を付けてやろうと思って能力が発動したかどうかも分からないんだよ」
「どういうこと?」
「心の痛みは自覚できないって話と同様に、能力者が能力を自覚しているとも限らないんだ。特定の条件を満たせば、発動する能力なんてものもあるんだよ」
「そうなの?」
ここからは、さらに面倒な話になるが、話さないわけにもいかない。
「例えば、七原の心の声。例えば、夏木の嗅覚。こういった能力は自分でもはっきり意識できるものだろ? だけど、火を付ける能力は、自分で気がつく事も難しいと思う。さっき言っていた過去の事例でも、ほとんどの能力者は悲劇が起きるその時まで能力を自覚していなかった」
「なるほど。能力を意識していないか……」
「そして、そんな能力の発動条件は往々にして『怒り』って感情なんだ。今回の場合に当てはめると、俺に対する怒りの感情の高ぶりが発火能力の発動の条件を満たしてしまったという感じなんだろう。まあ委員長の様子がおかしかった事を考えれば、委員長自身は自分の力に薄々気がついているんじゃないかと思ってるけど」
うんうんと頷いていた七原の表情が、不意に変わる。
「でも、能力者が自覚してないってのなら、他のクラスメートの可能性もあるよね?」
「そうだな。容疑者なんてゴロゴロいるよ。藤堂と藤堂の子分なんかは、日頃から俺に強い怒りを抱いているだろうし。今回は、七原への思いが強い男子生徒なんかも犯人の可能性がある。塚元や高梨なんかもそうだ」
「その中で委員長は家出しているというバックグラウンドがある分、他の人より怪しいってことね」「ああ。だから、委員長を調べる。それで駄目なら他の奴を調べる。それしかないんだよ」
「どうやって、自覚していない能力者の能力を調べるの?」
「本人に聞くなり、友人に聞くなり、家族に聞くなり。色々な情報を集めて、一つ一つ精査していくしかないよ。方法論なんて無い。その場その場で、臨機応変に対応する。長い道のりになるかも知れない。いつ終わるかも分からない。能力を排除するってのは、そういう事なんだよ」
自分で言って、自分で絶望する。
面倒だ。
面倒すぎる。
しかし、『面倒です。やめます』では済まされない。
二度目の発火は、ただでは済まないかもしれないのだ。
「でもやっぱり、どう考えても委員長が犯人だとは思えないのよね」
「そうだな。七原が、そう言うなら、しっかり考慮に入れておくよ。でも取り敢えず、委員長を調べていく以外に無いよな」
そんな事を言ってると、突然、携帯が振動を始めた。
ポケットから取りだし、画面を見る。
そこには見知った名前が表示されていた。
「戸山君、何で青ざめてるの?」
七原の指摘を受けて、俺は自分の携帯の画面を七原に見せる。
すると、七原の顔も青くなった。
「忘れてたな」
「うん。忘れてたね」
それは守川からの着信である。
七原の件が解決したのに、『もう帰ってきていい』と言うのを忘れていたのだ。
俺は慌てて電話に出た。
「守川か。そっちの暮らしはどうだ?」
恐る恐る、守川に問い掛ける。
「いや、思った以上に居心地がいいよ! 最高だな、自然は!」
あまりに声がデカすぎるので、俺は耳から携帯を離した。
いや、自然って言っても、そこそこ管理された森だぞ。学校の敷地内だし――と、心の中で突っ込む。
「そっか……それなら良かったよ。で、用件は何だ?」
「もう一つ他のテントを見つけたんだよ。先住民が居るらしい」
「は?」
「この森には、俺より先にテントを張って、住んでる奴が居るんだよ」
思考が巡る。
委員長?
いや、まさかだろ。
でも、委員長なら……。
あまりにも常識外の話なので、口に出せるような話ではないが――もしかして、それは委員長が暮らしてるテントなのではないだろうか?
深夜の街頭で会った頃の委員長のキャラなら、有り得ない事でも無いと思えてしまうのだ。
「どうしたの?」
七原が心配そうに問い掛けてくる。
「守川が森の中でテントを見つけたみたいだ。ちょっと行ってくるよ」
「待って。私も行くから」
「わたしも」
七原と双子が立ち上がった。




