第42章:人生最後のクラス会(6):1996年、鬼怒川温泉ホテルでのクラス会(その3)
そこは、集まった人数に対して・・・
あまりにも狭い、畳の部屋だった。
ぼくたちは、担任だった藤田先生を中心に「車座」になり、
いろいろと、当時・・・といっても、せいぜい8年前の思い出などを、おのおのの同窓生が順番に語ってゆく・・・
このようなクラス会となった。
ぼくは、ぼんやりと当時の自分のことを考えていた。
元クラスメートたちが語る内容のエピソードなんぞ、ぼくにとっては、まさに「トラウマ」。
不愉快以外の何物でもなかったからだ。
やがて、藤田先生が、思いがけないことを口にする。
「・・・しかしだな、思い返してみれば、俺もあのころは、かなり熱い教師だったから、みんなに苦しい、嫌な思いをさせてたのかもしれん。無理して国立大学勧めたり、成績が落ちた生徒を、毎朝ホームルームでいじめたりしてな・・・」
(ん? 『成績が落ちた生徒を、毎朝ホームルームで』・・・って、それは、このぼくのことじゃないか。毎朝のように先生が、「受験って、本当に人生の縮図だね。こんな生徒にだけはなるんじゃねぇぞ。」って、名指しこそ避けてはいたものの、みんなの前でこのぼくを、まるで『みせしめ』のように扱ってイジメて、勉強を放りだすまでに追いつめた、いってみれば、あの『公開処刑』のことじゃないか・・・。)
そんなことを考えていると、
当時、ほとんどぼくとは会話したことのない、渡辺あつし君が、今度は先生以上に思いがけぬことを口にした。
「・・・もう、おせぇよ!!」
きっと、大学受験やこれからの将来をつぶされ、ダメにされたぼくに同情し、あわれんでの発言だったにちがいない。
場は一気に凍りつき、藤田先生をアタマに、まるで水を打ったように・・・
シーンと静まりかえってしまった。
誰もが無言で、畳を見おろし、うつむいたままだ。
みんな、ぼくが先生に、学年トップの栄光の未来と希望あふれる将来をつぶされ、人生を狂わされた「一連のなりゆき」なり、「いきさつ」を、
やはり、こうして、ずっとおぼえていてくれたんだね・・・。