第一帳 プロローグ
温泉地として名高いグリンス=ウェルは、グマーヌ県西北部の山間にある。
グリンス=ウェルへは帝都ヴァーデルハルトから魔走鉄道の特急でグマーヌ県の県都マヴァシュテまで出、そこからは県営の電気バスを利用する。
帝都からマヴァシュテまで特急でおよそ二時間半、マヴァシュテからグリンス=ウェルまでバスで一時間ほどの道のりである。
比較的整備の行き届いた街道で、魔物との遭遇を心配する必要はない。
山間の温泉地にもかかわらず、交通網がそれなりに整備されているのは、先代の王ウィスコット一世が無類の温泉好きであり、繁忙なる公務の合間を縫ってはグリンス=ウェルへと遊山に来ていたためである。ウィスコット一世は、帝国各地に散在する温泉地の中でもとくにこのグリンス=ウェルを贔屓にしており、有形無形の支援を惜しまなかった。現在、グリンス=ウェルの湯畑には、ウィスコット一世の治績を称える王の石像が立てられている。
この石像にはウィスコット一世の人柄を偲ばせる逸話がある。この像が銅像ではなく石像なのは、強い酸性泉であるグリンス=ウェルの温泉の飛沫を浴びると金属はすぐに腐食してしまうためである。それならば温泉のかからないところに像を置けば良さそうなものだが、ウィスコット一世自身が「余の像が温泉を浴びているのを想像するだけで愉快」とのたまわれたため、苦肉の策として銅像ではなく石像を作ることになった。とはいえ、銅像より石像の方が安価だということはなく、黒曜石の一枚岩を利用した石像はむしろ一般的な銅像よりも高くついた。
かようにその極度の温泉好きから「温泉王」とも綽名されるウィスコット一世の時代にグリンス=ウェルは大きな発展を遂げることになった。
それまで山間の小さな温泉地として一部の温泉通に知られるばかりだったグリンス=ウェルは、温泉王の寵愛を得たことでその名を帝国中に知らしめることになり、グリンス=ウェルは未曾有の温泉ブームを迎えた。
ブームの火付け役は、王の遊山の供としてグリンス=ウェルにやってきた大貴族たちだった。彼らは風光明媚で良質な温泉のあるグリンス=ウェルを一目で気に入り、グリンス=ウェルの近郊に競って別荘を築くようになった。
もちろん、彼らの別荘建築熱の背景には、あわよくば温泉王とお近づきになりたいという思惑もあったことだろう。当時温泉王は月の半ばを帝都で、残りをグリンス=ウェルで過ごしていたというから、貴族たちがグリンス=ウェルに目をつけたのは当然だった。
とはいえ、彼らのそんな思惑とは別に、彼らの投下した資本や遊興に費やした金銭はグリンス=ウェルの経済を潤し、また、経済が潤うことで、利にさとい商人たちをグリンス=ウェルに呼び込むことになった。
王侯貴族たちへの商売を目的に集まった彼らは、グリンス=ウェルの中心であり、シンボルでもある湯畑のまわりに店を構え、貴族相手の商売をはじめた。
現在グリンス=ウェルの名産と言われるマルガの漬け物やコルマナの煮浸しは彼らの創意によるものである。その他に、帝国内では風越山のみに自生する香草バリジャーノも、グリンス=ウェルならではの珍味として名高い。
にわかに活気を呈してきたグリンス=ウェルの存在は、やがて一般の旅行者にも知られるようになり、旅行者や巡礼者、帝都民から富農まで、幅広い層の人々がグリンス=ウェルへと足を運ぶようになった。
グリンス=ウェルは、彼ら庶民に支えられた町でもある。王侯貴族から始まった温泉熱は庶民たちにも飛び火し、やがてアセイラム帝国あげての温泉ブームが到来した。帝国各地で温泉地の開拓や温泉の掘削事業が行われたが、数限りなく生まれた新温泉地や旧来の温泉地の中でも、温泉王のお墨付きを得たグリンス=ウェルはその頂点にあると言っても過言ではなかった。
もちろん、グリンス=ウェルが数ある温泉地の頂点に君臨することができたのは、ウィスコット一世の寵愛を得たせいばかりではない。他の温泉に較べ、グリンス=ウェルの湯は薬効がきわめて高く、古くから「薬湯」として知られていた。その確かな効能から長期逗留する湯治客も多い。
だからこそ、ウィスコット一世の崩御後、温泉ブームが落ち着きを見せてからもグリンス=ウェルは温泉客を逃がすことがなかった。温泉王の崩御により多忙な王侯貴族の足はグリンス=ウェルから遠のくことになったが、確かな薬効と温泉町の風情に魅せられた庶民たちは、苦しい生活の合間を縫ってグリンス=ウェルにやってくることをやめなかった。グリンス=ウェルが帝国西北部随一の温泉町として確固たる地位を築くに至った背景には、根強い庶民たちの支持があったことを忘れてはならない。
グリンス=ウェルは、もともと山間の小さな温泉町であったため、初期には交通の面で不便が多かった。グリンス=ウェルへのアクセス手段が整えられるようになったのは、旅行客が爆発的に増加した温泉王時代のことである。ウィスコット一世が率先して行ったグマーヌ県への魔走鉄道敷設事業や、県都マヴァシュテを中心とする県内電気バス網の整備などはその最たるものだ。それ以前には数百年前に開かれた塩撒き街道しかなかった片田舎のグマーヌに、帝都の最先端技術である魔走鉄道が敷かれ、ウィスコット一世のポケットマネーによって購入された七台もの電気バスがグマーヌ県に下賜された。最高速度四馬速から五馬速とも言われる魔走鉄道が帝都からグマーヌへのアクセスを劇的に改善したことは言うまでもないが、ウィスコット一世下賜の電気バスもまた、険しい山道を徒歩で登るしかなかったグリンス=ウェルへの行程を手軽で快適なものとした。
こうして、グリンス=ウェルはウィスコット一世の時代に最盛期を迎え、温泉街としての基礎を築き上げた。温泉ブームの終焉にともない、各地の温泉地が苦戦を強いられるなか、「温泉王の愛した温泉」というブランドとそれに見合うだけの質の高い温泉を有するグリンス=ウェルは、温泉好きの旅行者を牢として惹きつけ続けているのである……。
(アーサー・アネコット・ウェイツ『グリンス=ウェル発展史』より抜粋)