記録保管庫の秘密
小さな鍵は、何度も人の手から手へと渡った。
俺たちは全員、その鍵が自分から秘密を語り始めるのを待っているかのように見つめていた。
最初に口を開いたのは、坂本先生だった。
「この鍵……文学部のものではないわ」
「本当ですか?」
俺が尋ねる。
先生は静かにうなずいた。
「ええ」
「私は長い間、この部屋の管理をしてきたけれど……こんな鍵を見たことは一度もない」
舞夜は、まだ鍵を見つめていた。
「じゃあ……」
「誰が、これを隠したんでしょう?」
誰も答えなかった。
それは、俺たち全員が考えている疑問だった。
坂本先生は、古びた革のタグを慎重に手に取る。
「『記録保管庫』……」
黒いインクはほとんど消えかけている。
それでも、その文字だけはまだ読み取ることができた。
すると、結衣が突然手を上げた。
「私、仮説がある」
全員が結衣を見る。
「もしかして……」
結衣は真剣な表情で鍵を指差した。
「三年前、誰かが大量のお菓子を隠した倉庫の鍵なんじゃない?」
舞夜は深いため息をついた。
「……こんな時まで食べ物のことを考えられるの?」
「いつでも考えてるよ」
即答だった。
思わず、俺は笑ってしまった。
舞夜も小さく笑う。
坂本先生まで、口元を緩めていた。
不思議だった。
この部屋には、三年前の辛い記憶が残っている。
それなのに――。
結衣は何も考えず、重くなった空気を少しだけ軽くしてしまう。
そんな彼女の存在が、今はありがたかった。
三人が話している間も、俺は隠し場所を見つめ続けていた。
そして――。
あることに気づいた。
何かがおかしい。
俺は、隠しスペースの内部へ手を入れる。
木の表面は、かなり擦り減っていた。
しかし、それは長い年月によって古くなったものではない。
誰かが何度も触れたことでできた傷だった。
「先生……」
坂本先生がこちらへ近づく。
「どうしたの?」
俺は木の表面を指差した。
「これを見てください」
先生はしゃがみ込み、傷を指先でなぞる。
その表情が、すぐに変わった。
「……本当ね」
「この傷は、かなり新しいわ」
舞夜が目を見開く。
「どういうことですか?」
坂本先生は、隠しスペースを見つめながら答えた。
「この場所は……」
「一度だけ使われた隠し場所じゃない」
「何度も使われていたのよ」
その言葉に、背筋が冷たくなった。
誰かが――。
この場所を何度も開けていた。
つまり。
文学部には、あの原稿が盗まれるより前から――。
誰にも知られていない秘密が存在していたことになる。
坂本先生は、しばらく黙っていた。
やがて、深く息を吐く。
「この学園には、記録保管庫があるの」
全員が先生へ視線を向けた。
「昔の資料や写真、部活動の記録、それから各部の活動報告などを保管している部屋よ」
結衣が首を傾げる。
「じゃあ、この鍵は……」
「分からないわ」
坂本先生はゆっくりと首を横に振った。
「私は、その部屋の鍵穴を見たことがないの」
「数年前から、保管されている資料の一部を電子化する作業が進められていて……」
「現在は、ほとんど閉鎖されているわ」
「入れるのは、学園の理事側と事務職員だけ」
舞夜は、手の中の鍵へ視線を落とした。
「もし……」
「本当に、この鍵がその部屋を開けるものだったら?」
坂本先生は、しばらく考え込んだ。
そして――。
静かに決断する。
「勝手に入ることはできないわ」
俺はうなずいた。
それが正しい。
俺たちは違法なことをするために、ここへ来たわけじゃない。
真実を見つけるために来たのだ。
「明日の朝、私から学園長に話をするわ」
坂本先生は続けた。
「もしこの鍵が記録保管庫のものなら――」
「正式な許可を取って、中を調べましょう」
結衣は、ほっとしたように息を吐いた。
「それなら、窓から忍び込むよりずっといいですね」
俺は結衣を見る。
「……忍び込むつもりだったのか?」
「ちょっとだけ考えてた」
「ちょっとだけって……」
舞夜が呆れたように首を振る。
けれど、その顔には笑みが浮かんでいた。
その笑顔は――。
ここへ来てから初めて見た、以前の舞夜に近いものだった。
そして、俺たちが部室を出ようとした、その時。
俺は一度だけ振り返った。
視線が向かったのは――。
さっき鍵を見つけた本棚だった。
その瞬間。
何かが、かすかに光った。
ほんの小さな反射だった。
普通なら、見落としてしまう程度のもの。
俺はゆっくりと本棚へ近づいた。
古い小説を二冊、慎重に横へずらす。
すると――。
本棚の奥にある木の板へ、何かが刻まれていた。
文字だった。
鋭い何かで、直接木を削って書かれている。
俺は息を止めた。
そこには――。
こう書かれていた。
『記録保管庫に書かれていることを信じるな。』
背筋が凍った。
この文字が、いつ刻まれたのかは分からない。
新しいものにも見えない。
しかし――。
少なくとも、つい最近書かれたものではない。
まるで誰かが、何年も前に――。
この隠し場所を見つける最初の人間へ向けて、メッセージを残したかのようだった。
俺は、しばらくその言葉から目を離すことができなかった。
記録保管庫に残されているものが、すべて真実とは限らない。
もし、この警告が本物なら――。
三年前の事件を解き明かすために、俺たちはまず。
『何が記録されているのか』ではなく――。
『何が記録から消されたのか』を探さなければならないのかもしれなかった。
第百三十三話を読んでくださって、ありがとうございました。
文学部に隠されていた、もう一つの秘密。
そして、誰かが残した謎の言葉。
真実へ近づくほど、謎はさらに深くなっていきます。
次回もぜひお楽しみください。




