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サバサバしたアラサー女子が、元後輩にだけ悶える理由  作者: 寝不足魔王


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12/26

第12話:小さな結実と、不意打ちの笑顔

 株式会社朝日フーズのフロアには、先週の騒乱が嘘のような穏やかな時間が流れていた。

 大きなトラブルを完璧な采配で乗り越えたことで、周囲の私に向ける視線には、明らかな敬意と信頼が混じるようになっている。

「高橋さん、あの件以来、他部署からの問い合わせがスムーズになったわ。あなたのマニュアルのおかげね」

「ありがとうございます。仕組みを一度整えれば、無駄な摩擦は減るものです。当然の処置ですよ」

 私はサバサバとした口調で返し、午後のルーティンワークに入った。

 自分の選択したこの場所が、正解であることを再確認する。感情に振り回されず、実力だけで評価されるこの環境。これこそが私の求めていた平穏だ。


 だが、その平穏な仕事のリズムを、デスクで震えるスマホが僅かに乱した。

 画面には、佐藤の名前。珍しく、チャットではなく着信だった。

「……はい、高橋です。仕事中よ、手短に」

 周囲に配慮し、短く、事務的に応じる。

『……遥さん! やりました。新規の大口、一次審査を通りました!』

 受話器越しに、佐藤の弾んだ声が届く。その熱量に、私の胸の奥が不意に跳ねた。

「そう。……おめでとう。でも、一次でしょ。浮かれないで、次のプレゼン資料の詰めを甘くしないこと。数字が出るまでが仕事よ」

『はい! 分かってます。でも、遥さんに真っ先に伝えたくて。……ありがとうございます、遥さん。遥さんのアドバイスがなければ、ここまで来られませんでした』

「……私の助言なんて、ただのきっかけに過ぎないわよ。決めたのはあんたの実力。……じゃあ、仕事に戻りなさい。お疲れ様」


 通話を切り、私は一度深く息を吐いた。

(……まあ、あいつが結果を出せたのはいいことよ。私の教育が無駄じゃなかったって証明だしね。誇っていいわよ、佐藤)

 自分でも驚くほど素直な称賛が脳裏をかすめ、私は慌ててそれを「元先輩としての評価」という箱に押し込んだ。


 その日の夜。

 「合格祝い」という名目で、私たちはいつもの駅前のカフェで向かい合っていた。

「本当に、あの時遥さんが『相手の困りごとを聞け』って言ってくれたおかげなんです。これまでの僕は、自分の数字のことばかり考えて、空回りしてました」

 佐藤は熱を込めて、自分がどう動いたか、どう感じたかを語り続けた。以前の彼なら、成功しても「運が良かった」と俯いていただろう。だが、今の彼の瞳には、自分の足で一歩踏み出した男の自負が宿っている。


「だから言ったでしょ。あんたは元々、誠実さだけが取り柄なんだから。それを武器にしないのは宝の持ち腐れよ」

「……はい。本当に、遥さんは僕の恩人です。……遥さんにそう言ってもらえるのが、何よりのご褒美です」

 そう言って、佐藤が顔を上げた。

 

 その瞬間、私は息を呑んだ。

 そこにあったのは、これまで見たことがないほど晴れやかで、屈託のない笑顔だった。

 

(……何よ、その顔。……反則じゃない)


 胸の奥が、これまでにないほど激しくざわつく。

 名前を呼ばれる衝撃には慣れてきたつもりだった。けれど、一人の人間として成長し、心からの喜びを爆発させた彼の笑顔は、私の防壁を根こそぎなぎ倒していくような破壊力を持っていた。

 今の職場で手に入れた完璧な平穏も、合理的な思考も、その笑顔の前では何の役にも立たない。


「……もう、大げさなのよ、あんたは。……さっさと食べなさいよ、冷めるわよ」

 私は慌てて視線をメニューに落とし、火照った顔を隠した。

「遥さん。……これからも、ずっと僕のこと、見ていてくれませんか。僕、もっと成長して、遥さんに並べるようになりたいんです」

 

 控えめながら、あまりにも直球の言葉。

 いつものように「図々しいわね」と受け流そうとした。けれど、喉の奥が詰まって、そんな軽薄な言葉は出てこなかった。

「……まあ、あんたが変なミスをしないかくらいは、確認してあげるわよ。元教育係としての責任、ってやつ?」

 精一杯のサバサバとした返答。けれど、その声が僅かに震えていたことに、自分でも気づいて愕然とする。


「ありがとうございます、遥さん! 期待に応えられるように頑張ります!」


 会計を済ませ、店を出る。

 駅の改札へと向かう佐藤の足取りは、初めて会ったあの夜とは比べものにならないほど、軽やかで力強い。

 

 一人になった帰り道。

 夜風が頬を叩き、私は自分の頬が緩んでいることに気づいて、慌てて手で押さえた。

(……あいつ、あんな風に笑うのね。……私の知らない顔、まだあるわけ?)

 

 割り切ったはずの過去。切り捨てたつもりの情。

 それなのに、あの笑顔を思い出すと、私の胸の奥には説明のつかない熱が、しつこいほどに居座り続けていた。

 「次行こう」と唱えても、今夜だけは、あの笑顔を記憶の隅に追いやることができない。

 完璧だったはずの私の日常に、一人の後輩が、取り返しのつかない「特別」を刻み込んでいく。

 

 私は自分の甘さに激しく悶えながら、夜の街を足早に歩き続けた。

 次に会うときは、絶対に揺らがない。

 そう心に誓いながらも、カレンダーに刻まれた次の映画の予定を、何度も指でなぞってしまっていた。


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