後日談
愛しい小鳥を鳥籠に閉じ込め、その羽を毟り、自分なしでは生きられぬように作り替えていく日々。それはセフィルにとって、何物にも代えがたい極上の愉悦であった。
部屋の扉には、彼以外が開けぬように強固な結界を継ぎ足し、彼女の足首には鎖を繋ぐ。毎夜、自らの唇から流し込む薬は、いまや彼女の精神を完全に掌握し、その可憐な瞳にはセフィルという名の神だけを焼きつけていた。
これ以上ないほどに完成された、二人だけの聖域。しかしその至高の日々の裏側で、彼女をかつて虐げ、死へと追いやろうとした元凶どもへの片付けも、未だ続いているのだ。
ある日の午後、セフィルは執務室にて、従者であるルドリックを呼び出していた。愛するリリアーナは、眠っている時間である。窓の外から差し込む陽光を背に椅子へ深く腰掛けたセフィルは、優雅に紅茶のカップを傾ける。その深紅の瞳には、冷たい光が宿っていた。
「それで、例の件はどうなった」
セフィルの問いに、ルドリックは頭を垂れ、懐から報告書を取り出した。
「はっ。公爵様直々のご命令通り、リリアーナ様を悩ませていた伯爵一家への処置は、すべて完了致しました。……現在の奴らですが、一言で申し上げるのなら、生ける屍、といった状態にございます」
「へぇ」
セフィルは興味がなさそうに短く応じた。ルドリックは淡々と報告を続ける。
「まず伯爵本人にございますが、国家財産横領の全罪状を白日の下に晒し、爵位と全財産を没収致しました。さらに、脳内に直接施された魔術により、現在は自分が誰であるかも認識できぬままに、独房にてありもしない恐怖の幻影に怯えて、毎日一日中叫び声を上げております。すでに自力で食事を摂ることも叶いません」
「あれほど他者を罵倒することに執着していた男が、最後は自身の内側で自らに罵倒され続けるわけだね。因果応報だ」
「左様にございます。そして……リリアーナ様を直接的に傷つけていた夫人と、その娘にございますが。こちらはすべての栄華を失い、場末の最も環境の悪い娼館へと売り飛ばしました。もっとも、傲慢だった彼女らの精神は、容赦のない現実と毎晩のお客様による扱いに、一か月と持たなかったそうです」
その報告の内容は、常人であれば耳を塞ぎたくなるほどに凄惨なものだ。あの華やかだった伯爵夫人は、今や糞尿にまみれた不潔な部屋で、ボロ布を纏ってぶつぶつと意味不明な言葉を呟くだけの人形に成り果てているという。また、リリアーナを「無能だ」と嘲笑っていたあの生意気な義妹も、度重なる折檻と過酷な労働によってかつての美貌は見る影もなくなり、ただ虚空を見つめて涎を垂らすだけの廃人と化したそうだ。
「……ふん」
ルドリックから差し出された報告書を一通り眺めたセフィルは、それを机の上へと放り出した。その表情からは、退屈だという感情が滲み出ている。彼らにとってはこれ以上ない地獄のような苦しみであろうが、セフィルにとっては、害虫を駆除した程度の認識でしかない。彼らがどれほど苦しもうが、どれほど惨めな声を上げようが、失われたリリアーナの心が戻るわけではない。いや、戻すつもりなどさらさらないが。
「つまらないな。その程度の苦痛で、簡単に壊れてしまうなんて。脆くて出来の悪い玩具だよ」
「公爵様の御心の広さに比べれば、あの者どもの器など、泥土にも劣ります。……して、公爵様。この三名、今後も生かして苦しめ続けますか? それとも——」
ルドリックが、手でそっと首元を撫でる。セフィルはすっかり冷えてしまった紅茶を一口含むと、冷淡な声で言い放った。
「もういいよ。十分遊んだ。そんな塵屑を生かしておくための維持費が無駄になってしまう。処分してくれ」
「御意。今夜中に行います」
「ああ、頼んだよ」
ルドリックは一礼すると、音もなく執務室から退室していった。一人残されたセフィルは、窓の外の青空を見つめ、ふっと妖しい笑みを浮かべる。
リリアーナを傷つけた者達は、間もなくこの世界から消滅する。
「愛しいリリアーナ。君は何も知らなくていいのだよ」
セフィルはそう呟くと、彼女の待つ鳥籠へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
それから、また数日後のこと。その日のセフィルは、どうしても本日中に処理しなければならない重要な書類を抱え、リリアーナの部屋を訪れていた。本来なら執務室で行うべき仕事であるが、彼はリリアーナを自分の目の届かない場所に放置しておきたくなかったのだ。彼女がまた、あの日のようにふらりと自分の腕から抜け出そうとするのではないか、という恐怖が、彼を部屋に縛り付けている。
ジャラリ。
セフィルがペンを走らせていると、ベッドの方から心地よい金属の音が響いた。そして、白い寝巻を纏ったリリアーナが、ゆっくりと上半身を起こす。彼女の青い瞳は、とろんと微睡んでいた。
「……あ、セフィル、さま……?」
彼女はおぼつかない口調で彼の名を呼ぶ。セフィルはペンを動かす手を止めなかったが、優しい声を出した。
「起こしてしまったかな、リリアーナ。僕は少し、ここで仕事をさせてもらうよ。気にせずに、もう一度眠っておいで」
「ううん……セフィルさま、の、お傍に……いきたい、です……」
リリアーナはそう言うと、ベッドから足を降ろした。足首に繋がれている長い銀の鎖が、ジャラジャラと床の上を滑る。彼女はまるで母鳥を求める雛鳥のように、ふらふらとした足取りで、まっすぐにセフィルの座る椅子の元へと歩いてきた。鎖の長さは、この机に届くように調整している。
リリアーナはセフィルのすぐそばに辿り着くと、彼の太腿のあたりにぎゅっと抱き着いた。そして彼の足に自分の頬をすり寄せるようにして、甘え始めたのである。
「セフィルさま……セフィルさまぁ……。お仕事、お忙しい、ですか……? わたし、さびしい、です……」
舌足らずな声で縋りついてくるリリアーナ。その青い瞳は潤んでいて、セフィルだけをただ一心に見つめている。
あまりの愛らしさに、セフィルの心臓がドクンと大きく脈打った。ペンを握る手に、思わずぐっと力が籠る。
「リリアーナ……。僕は今、大事な仕事をしているんだ。終わってからたっぷりと可愛がってあげる。良い子だから、あそこのソファで待っていなさい」
セフィルは自制心を保とうと、わざと少し厳格な声を意識して言い聞かせた。しかし、今の洗脳されきったリリアーナにとって、彼の拒絶は世界の終わりにも等しい恐怖だったのだろう。
「いや、です……っ。セフィルさま、お顔、見て、くれないの……? わたし、悪い子、ですか……?」
リリアーナの瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。彼女はセフィルの服の裾をぎゅっと握りしめ、身体をがたがたと震わせた。
「うう、っ、ごめんなさい、セフィルさま……っ。良い子にします、から……だから、嫌わないで……撫でて、ください……っ」
涙で濡れた睫毛、微かに開いている唇、そして自分なしでは一秒も耐えられないと言わんばかりの、依存しきった姿。そのあまりの可愛さと、完璧に調教が完了したという歪んだ達成感が、セフィルの胸の奥の欲を限界まで爆発させた。
彼は手に持っていた高級なペンを、無造作に机の上へと放り出した。インクが書類の上に飛び散り、数日分の苦労が無に帰そうとも、今の彼にとってはどうでもいい。目の前で涙を流す宝物に比べれば、国家に関わる事柄であっても下らない雑務に過ぎない。
「……君という子は、本当にどうしようもないほどに僕を狂わせるのが上手いね」
セフィルは少し椅子の位置をずらすと、リリアーナの腰を両腕で抱き上げて、自らの膝の上へと乗せた。
「ひゃっ……! セ、セフィルさま……っ」
「仕事はもう終わりだよ。君がそんな顔をして僕を誘うのが悪いんだ、リリアーナ」
彼は彼女の顎を掴んで上向かせると、有無を言わせず、赤く濡れた唇を自らの唇で完全に塞いだ。
「んむぅ……っ!? ──んんっ、ふ、あ……」
驚いて目を丸くするリリアーナの口内に、舌を滑り込ませる。彼は彼女の身体を自らの胸へと強く引き寄せ、彼女を潰さない程度の強さで抱きしめながら、彼女の口内を激しく蹂躙した。
「ん、んんーっ! ぅ、は……んむ……っ、……」
静かな部屋に、二人の唾液が混ざり合う水音が響く。リリアーナは突然の激しい愛撫に息を詰まらせながらも、すぐに身体を抜いてセフィルへとすべてを委ねた。
「はっ……ぁ、あ、ふ、ぅ……セフィル、さま、ぁ……」
唇を離すと、リリアーナの口元には銀の糸が引き、その瞳は熱に浮かされたようにトロンと潤んでいた。
「可愛いリリアーナ。君に寂しい思いをさせてしまったなんて、僕は酷い主人だね。君の望み通り、今からたくさん構ってあげるよ」
セフィルは狂おしいほどに優しい微笑みを浮かべると、リリアーナを抱きながら立ち上がり、ベッドへと進んだ。彼の足元では、銀の鎖が激しい音を立てて引きずられている。その音が、これからの熱をさらに燃え上がらせる合図のようなものだった。
ベッドの上に彼女を寝かせ、セフィルはその上に覆いかぶさる。
「あ……セフィルさま、温かい、です……だいすき……」
「僕もだよ、リリアーナ。君は僕のものだ。一生この場所で、僕の腕の中で、僕だけを求めて生きていてね」
二人は何度も何度も肌を重ね合わせた。セフィルの愛撫を受けるたびに、リリアーナの口からは甘い悲鳴が零れ落ち、その細い腕は可愛らしく彼の背中へと必死にしがみついた。
ひとしきり彼女を抱き尽くした後、疲れ果てて自分の腕の中で眠るリリアーナを、彼は愛おしそうに強く抱きしめた。
彼女の心を壊し、洗脳し、自由を奪った。だがそのお陰で彼女は今、こうして彼を信じ切り、世界で一番幸せそうな顔をして自分の腕の中で眠っている。
——ああ、本当に幸せだ。リリアーナ、君を僕だけのものにして本当に良かった。
セフィルは眠る彼女の額に唇を寄せると、自らも深い幸福感に満たされながら、愛しい宝物を離さないように、さらに強く腕の中へと抱き寄せるのであった。




