第17話 【雪と妖精と猫の関係性】 その6
孤児院副院長であるソールに抱えられ、孤児院に戻ったネレは、自分のベッドに寝かされていた。
ルノンとネレの二人部屋に、今は三人だけがいる。
額に汗を滲ませながら、ネレは浅い呼吸を繰り返していた。
「疲労のせいで、風邪をこじらせたのでしょう・・・この子は自分の体力の限界を、大人のそれと勘違いしているようです」
女性らしい凛とした厳しい声で、ソールはルノンに言った。
「も・・・申し訳ありません!」
「あなたが謝る事はありません・・・あくまで現状を言葉にしただけです・・・ですが、この子の具合が悪くなった原因は、私とトレフルのせいだと思います」
「・・・・・・・・・・え・・・と・・・」
ソールは清潔な濡れ布巾で、ネレの額と、首筋に浮かぶ汗を拭った。
「先ほど・・・トレフルを尋問し、情報共有をしました」
「情報共有・・・ですか・・・?」
表向きはトレフルに対して“様”などをつける事もあるが、ほぼ身内に近い彼に対して、特に敬ってはいない。
どちらかと言うと、“相棒”とも言える共犯者であった。
「彼が知っている事、私が知っている事、あなたが知らない事・・・などです」
「つまり、トレフル様も私も知らない・・・ネレの事を知っていると?」
「ええ・・・情報交換をして良かったです・・・この子についての話が繋がりました。知識と情報を集約して・・・中々に面白い謎解きでした」
「どのような?」
「・・・・・・・・・孤児院内では水運びの重労働がほぼ無くなりました。あなたの料理の腕も上がり、孤児たちは前よりも健やかになりました。その分、あなた達シスターに余裕が生まれ、より様々な知識を深め、孤児院の資金も潤沢になりつつあります」
「あ・・・カプシーヌの開発費とかですよね」
「政治的ないやらしい罠で追い詰められたウェメレス様は無事釈放されました」
「・・・・・そ、そうですね。痩せて別人になっていましたけど」
「それはさておき・・・それら全て、ネレの活躍という事で・・・話が繋がりました・・・そして・・・」
「そして?」
「この子は・・・・・・・どうやら、セレポレの埋めた悪いモノを吸い込んだようです」
地面をほじくるネレを見かけたソールは直ぐに声をかけようとしたが、ネレが走り出し、ジャンに抱えられた途端・・・ケイルの術でネレとジャンは姿を隠されてしまった。
声をかけるタイミングを失い、ジャンとケイルの会話を耳にしつつ、ケイルがネレの腹に放ったシャベルを目にした瞬間、“プチン”と理性の糸が切れた気がした。
緊急事態以外は人に対して禁じ手であるはずの攻撃魔法を使ってしまったのだ。
「悪いもモノとは・・・なんですか?」
「障気・・・毒のようなものです、普通の魔力持ちならば大した影響はないのですが、どうやらこの子の体力の低下している状態と、マナシという悪い条件がそろってしまい・・・少々まずいかも知れません」
「え!? まずいってどんな?」
「・・・・・・重い風邪のようなものです。対処法としてはゆっくり休ませて消化の良い食事と、充分な睡眠と水分補給で様子を見ましょう・・・セレポレに“埋葬”を教えたのは私です・・・“火葬”は子供には危険ですし・・・それに・・・」
額に貼りついていたネレの前髪を指で梳きながらそう語るソールの声は、段々と小さい呟きに近くなっていき、ルノンは懸命にその声を注意深く耳で拾った。
あつい・・・
あついし・・・胸が締め付けられているみたいで苦しい・・・
体中にべたつく嫌な汗と、貼りつく長い髪が鬱陶しい。
あれ?
ボクの髪・・・こんな長かったっけ?
自分の髪に触れようとしたが、手足はボクの意志とは違う動きをしていた。
ばさりと、羽根布団を跳ね除け、大きなベッドから起き上がる。
視界がおかしい・・・ボクの身体じゃない?
「ブロンシュ様・・・湯浴みの準備と、白湯がございます・・・お身体、大丈夫ですか?」
ボクの意識では動かないその身体は、一番手短な枕を執事姿の声の主に投げつけた。
「エタル! 事が起こる前にアイツを止めてよ!」
飛んできた枕を甘んじてそのまま受け止め、ズレそうな片眼鏡を押さえた。
高齢のようだが、整った顔立ちの男が静かにボクを見つめている。
「私には出来かねます・・・貴女が力任せに拒まないのは、旦那様のお身体を案じての事なのでしょう? それに・・・今は旦那様に頼るしか生きる術がありません。この館を一歩出れば、白き魔女である貴方はまた別の権力者に捉えられ、もっとひどい目に合いますから」
淡々と語る彼の声に、ボクではないブロンシュの胸が締め付けられている。
「もっとひどい目」・・・、今は五体満足で丁寧に扱われているが、ブロンシュが逃亡を図らない為に、足の腱を切り、喉を潰し声を奪う事も可能なのだ。
要は薬の調合ができる状態であれば、命ある限り一生閉じ込められる。
一糸纏わぬ身体で、ブロンシュは立ち上がり、エタルから白湯を渡され、器を空にした。
ボクは理解する。
体中の気持ちの悪い汗と、別の何か・・・女として何をされた後なのか。
しかも、自分を諭すのはずっと歪んだ思いを抱く男性だ。
かなしくて、はずかしくて、かなしくて、かなしくて・・・叫びたい気分だ。
「吐き気がする! 昨日のパーティーだって、あいつらの私を見る目!? 私は魔女じゃないわ! ただの薬師よ!」
吐き気がしたのは、コルセットを付けたまま許容量を越した飲食が原因でもあったのだけれど・・・。
「・・・・・・旦那様は他の権力者達のけん制の為にも、美しい貴女を周知させたかったのですよ・・・自分の寿命を延ばした“白き魔女”の姿を公開しておけば、むやみに誘拐される心配もありません」
「ふんっ! 私を拉致った本人が何か戯言を言ってるわね?」
そう、ブロンシュの調合する薬は、材料が同じでも効能が格段に高かった。
それは、ブロンシュの持つ“調合の才”のせいだ。
この足は迷いなく浴室へと進み、ミルク色の湯を張った猫足の湯舟に身を沈め、そのまま当然のごとくエタルはブロンシュの髪を洗い流した。
筋張ったしっかりとした彼の腕にはいくつもの傷跡が見えた。
元傭兵の身でありながら、今の主人に雇われ、忠実な執事でありながら、地方に足を延ばし、様々な職務をこなしている。
“白き魔女”をかどわかし、この館にブロンシュを捕らえたのも彼の仕業だ。
自由を諦め権力者にかしずけば、きっと楽だったかもしれないが、ブロンシュはどうしても貴族に囲われる事に抵抗を感じていた。
自分の夫の命を奪った権力者達に、負けを認めるのは何とも腹立たしかったからだ。
エタルに湯上りの身体を拭かれながら、自分を映す鏡を覗いた。
風を操る彼は、その魔法で彼女の髪を乾かしていた。
腰までかかる赤銅色の波打つ髪、意志の強い金色の瞳が印象的な妙齢の女性の姿があった。
前回の夢の中の姿より、かなり成長している。
そのブロンシュの身体を跪いて手際よく水滴を拭いながら整えていくエタルは、少し長めの銀髪を後ろに撫でつけ、薄い水色の瞳をしていた。
背は高く肩幅の広いしっかりとした体つきに、端正な顔立ちを見ると、四十代後半にも見えなくもない。
「エタルっていい歳なんだから、それ白髪なのよね?」
「・・・銀髪です」
「白髪生えても分からないだけでしょ?」
「これは銀髪です」
それは譲れないらしい。
だが、これはブロンシュとエタルが出会った時からの“お約束”の会話であった。
胸が痛い、身体が熱い・・・・・・・いや、熱のせいで関節が痛い。
お風呂なんか入っている場合じゃない・・・。
だって・・・
だってこの後・・・・
ボク達は死ぬんだから――――
胸の上に石が乗っているようで、重くて苦しくて仕方がなかった。
熱くてたまらないのに、背筋が寒くて身体が震えだした。
意識が現実に戻ったネレは、仰向けから横向きになり、猫のように小さく身体を丸めた。
「はっ、はっ、はっ、はっ・・・・・」
息苦しく、浅い呼吸を繰り返し、喉が異常に乾いていた。
枕元にある水差しに手を伸ばそうとしたが、腕さえも上がらない状態だった。
目元が熱く、汗と熱で肌がヒリヒリしている。
「え・・・と・・・夢・・・? エタルって・・・だれ、だっけ・・・」
夢の中でははっきりしていた意識は、現実では朦朧としていた。
がくり、と、目の前が真っ暗になり、ネレは夢も見ない深い眠りについた。




