第15話 【墨色の雪と、偽の太陽】 その10
写し終わった手紙の原紙をネレから受け取ったルイードは、近くにあったランプに火を入れ、その熱で外された封蝋をきれいに付け直していた。
「あの・・・ルイードさん?」
「秘密だぞ」
「秘密って・・・素直に間違えて開けちゃったって言えばいいのでは?」
「それはやめた方がいい」
「なんで?」
「これ多分・・・恋文じゃなくて・・・」
その時、廊下を挟んだ反対側の厨房から、何やら男達の大きな声が聞こえ、バタバタと数人の足音が二人のいる事務室の扉の前で止まった。
「おいルイード、会計監査がいきなり来たぞ。書類が必要なんだとさ、入るぞ?」
意外とのんびりとしたニジェルの声が、扉を隔てた向こう側から聞こえた。
扉は遠慮のない勢いで開き、その風圧で片付け中の手紙が舞う。
ネレは風に舞う紙を慌てて押さえながら、少しムッとしていた。
――――ここにもドアクローザーが必要かなぁ・・・
「ここにある取引書類を改めさせてもらおう!」
扉の向こう側から姿を現したのは、青を基調とした服装の貴族文官の男だった。
護衛兵士を二名後ろに控えさせている。
ひと目で位の高い文官と判かる服装、やせ細った体つき、綺麗に切りそろえられているが微妙な髪の毛の量の青年。
突然の貴族文官の登場に、驚いて椅子から腰を浮かしたルイードに対し、ネレは無表情に顔だけをその男に向けた。
「ぬっ! ガキンチョ!?」
地味な文官アベジは、ネレを視界に入れた途端、動きを止めた。
「あの・・・アルベルト様?」
不思議に思った護衛兵士が後ろから覗き込むように彼に声をかけた。
「あ・・・いや・・・今すぐ、ここ半年間の注文書と納品書と請求書の控えを提出してもらいたい」
口の端を引き攣らしているアベジに対してネレは落ち着いた態度を崩さず、ルイードに視線を合わせ、棚の封筒を指さした。
「ルイードさん、そこの棚の右から六封の封筒を渡して下さい・・・ニジェルさん、それでいいんですよね?」
「ああ、料理長には渡した旨を伝えておく」
ルイードが棚に立てて並べてある封筒を右から六封手に取り、書類の重さに少しよろめきながら、アベジの前に差し出した。
「・・・全部揃っているだろうな?」
少し腰を引きながらぶ厚い封筒を受け取り、訝しげにルイードを見た。
「え・・・」
不安そうな表情をルイードがネレに向ける。
――――ルイードさん・・・何故そんな助けを求めるような目で、ボクを見るんですか・・・
感情の読めない愛想笑いをしているネレと、封筒を見比べながら、文官のアベジは中身を確認した。
「ふむ・・・綺麗に綴じ紐で日付順にまとめてあるようだな?」
「細かいことは存じませんが、ご用はそれで終了という事でよろしいでしょうか」
二人の護衛兵士より頭一つ分背の高いニジェルが割って入って来た。
上から見下ろすニジェルの眼光は鋭く、部屋の空気が一瞬重く感じられた。
――――なんで護衛の兵士より、うちのニジェルさんは強そうなんだろうか?
「・・・つまらん、もっと慌てるかと思ったぞ」
受け取った封筒の束をアベジは護衛兵士に渡し、不満げにネレの顔をもう一度見た。
「まったく・・・何故おぬしがここにいる?」
貴族と知り合いと思われるネレに一斉に注目が集まった。
「・・・あの、仕事です」
「おかしいだろう、おぬしのような幼い子供が監査対象の書類のすぐそばに居るなど」
――――うん、意外に鋭いかも?
どうやら、まだ“ブロンシュ”の関係者だと疑われているようだ。
水の覇権に最も近い謎の人物・・・“白き魔女ブロンシュ”、性別・年齢・人物像・・・全てが秘密のベールに包まれている。
時には水道建築の発案を出し、時には西側の調査係の文官達に菓子の差し入れをし、時には極秘に共同浴場の建設に口を出す。
仕舞にはこの城の守り神説、トレフルの恋人説、宰相の愛人説だとか噂には尾ひれがつき始めていた。
どうやら噂好きの間では、ブロンシュは美しく聡明な成人女性というキャラクター設定になっているらしい。
しかしながらその正体は・・・孤児院で内職の封筒貼りに精を出す幼児である。
「あの・・・」
「なんだ?」
「アベ・・・アルベルト様? ボクが初めてお会いした時は職務だったんですよね?」
「・・・・・・うどんの件か?」
ニジェルが“うどん”のキーワードに反応する。
「あの・・・やっぱりバカなんですか?」
ネレの貴族に対する失礼な物言いに、周囲は息を飲んだ。
「お、ま・・・ガキンチョ!!」
「いや、だから、ボクを尾行した件は極秘任務のようだったので、この場では初対面のフリした方がいいかな? って思ったんですけど」
「何! ネレを尾行だと!?」
ニジェルが大きな声を出し、何故か室内がわずかに揺れ、護衛兵士が一瞬足を浮かせた。
「あ・・・いや! すまん。そうだったな・・・気を使ってくれたのか」
確かにあの時は大恥をかいた・・・その上脅されてうどん打ちをやらされ、貴族であるにも関わらず、白月亭の手伝いまでさせられたのだ。
「だが、意外に楽しかった」・・・と、喉まで感想が出かかった。
しかし、そこは貴族としてのプライドを守る為に最小限の言葉に抑えたアベジだった。
“何故いつもこの子供の周りには恐ろし気な味方が居るのだ!?”と首をひねる。
「その上カラスに石を投げて、突かれて泣きべそかいてたって聞きました」
「くそ! ビーヴの奴ぅっ!」
アベジは鼻先をほんのり赤くした。
「ね? 初対面のフリしといた方がよかったでしょう?」
彼は恥ずかしさの余り、自分の顔を両手で覆う。
「あの、うどんの件と言うのは・・・」
ニジェルは相手が貴族だった事を思い出し、恐る恐るアベジに質問した。
「答えてやるが、ここでの会話は皆、漏らさぬように」
顔を上げたアベジが厳しい目つきで兵士達にも目配せをし、彼らは黙って頷く。
「実は白月亭のうどんをごくたまに・・・気晴らしで打っている」
室内に静けさが数秒間続いた。
アベジは再び両手で顔を覆った。
貴族が厨房で・・・しかも料理に携わるなどありえない事だった。
地方の田舎貴族ならばいざ知らず、アベジは・・・アルベルトは血筋正しき王城に勤める貴族であった。
てっきり馬鹿にされると思い、自らの告白に少し凹んだ。
「すごい・・・あの大人気のうどんをアルベルト様が・・・」
兵士の一人が口をついた。
「・・・ん? すごいのか?」
突然、ニジェルがアベジの両肩を後ろから掴んだ――――。
数分後、ぜえぜえと息を切らしながら食堂厨房に戻ったモーヴの眼には、貴族文官がニジェルにうどん打ちを指導している姿が映った。
「うん! やはり本物の調理師の動きは素晴らしいな! 私もうどん作りをもっと精進するようにしよう」
アベジは腕を組みながら頷き、ニジェルの手さばきに感動していた。
「いえ! アルベルト様のご指導はとても分かりやすく、勉強になりました。やはり実際に経験した方のお話は為になります。ありがとうございます!」
何故か暑苦しいぐらいにニジェルが感動している。
その横で、ネレ・ルイード・ナトン・クロエ・二人の兵士が生温かい目で見守っていた。




