第13話 【肌肉玉雪(きにくぎょくせつ)のような?】 その7
「ありゃ? ニジェルのオッサン・・・どうしたんだ? 木箱なんか持って」
兵舎食堂の厨房に戻ってきたニジェルに、黒髪のルイードがお玉を片手に、湯気の向こう側から顔を出した。
ナトンは非番、料理長は既に退勤をしていた。
資料の複写作業をしていた文官達は、トレフルとの約束通り午後5時までに資料の複写を終了させ、西側へと退散しているので、夕食の特別メニューは必要なくなっていた。
ちなみにトレフルは、ロティスに執務室の明かりを消され、強制的に退勤をさせられ、家に送り届けられ・・・現在、自宅に押し掛けられ、身体を休ませるように世話を焼かれている。
「貴族のボンボンにイジメられていたネレを引き取って来た」
オーブンを見ていたシャドンが、いち早く反応して木箱を担いできたニジェルに駆け寄った。
「ネレちゃんがなんだって?」
先ほどの光景を遠目で目撃したニジェルには、どこからどう見ても、ネレが貴族の少年にイジメられているようにしか見えなかったのだ。
「まったく、小さなネレを捕まえて、木箱に詰めるなんてなんてヤツなんだ!」
そう言って、そっとネレ入りの木箱を床に置いた。
「なんだって? そんなひどいヤツがいたのか!!」
ルイードがスープ用のお玉を放り出し、床に降ろされたネレ入りの木箱を慌てて覗いた。
「ネレに怪我は・・・て、ネコ?」
「ネコじゃなくて、ネレだ」
ネレは木箱の中で猫のように丸まり、スヤスヤと寝息を立てていた。
「寝てる・・・まるででっかいロシアンブルーだな」
「そうだな、貴族様が飼っていそうな毛並みの猫みたい」
ルイードとシャドンがその平和そうな寝顔を見て、ポカンとした。
「しかし、この服よくできてんな・・・」
ネレが羽織っているケープの外側は灰色のファーでモフモフしていて本物の毛並みようで、耳の内側と、服の裏地は可愛らしいピンク色であった。
「うん? なんか赤いスカートがほつれてない?」
シャドンが木箱に引かかる細い赤い糸を手に取って見せた。
「あちゃー! どっか引っかけたな、ぜんぜん気が付かなかった!」
「もう、スカートの形がほとんどないな・・・勿体ない」
そう言って、ルイードが乱暴に赤い糸を千切ろうと引っ張ると・・・。
するん・・・、パサリ。
ネレの太ももから赤い布がはがれた。
「ああっ! やべ、完全にスカートじゃなくて、ただの布になっちまった!」
「ほらあ! ルイードが乱暴にするから、脱げちゃったじゃないか、何やってんだよ!」
だが、ネレはしっかり短パンを履いていたので、三人は安堵のため息を吐いた。
「ほっせー脚だな! “肌肉玉雪”には程遠い・・・色白だけど」
「いや、ネレちゃんは結構、将来有望株だと思うけど? 氷肌玉骨までいくんじゃない?」
「お~い、俺は学がないから二人が何言ってんだか分かんないんだけど?」
「ああ、“肌肉玉雪”って言うのは白くて美しい肌の事なんだけど、貴族で“白くて美味しい食べ物”とかの表現で使うのが流行っててね、ほら、気泡のない美しいババロアの表現を貴族流で小難しく語るんだよ・・・笑っちゃうよね!」
「へえ・・・貴族の流行り言葉か・・・俺らはせいぜい、‟嵐が来るから、イモでも蒸かすか!”ぐらいだな」
「おう、ついでに“氷肌玉骨”ってのは、すっげー美人って事だよ」
「このちびっこが将来美人ねぇ・・・この頭脳で、美人でも・・・男運が悪そうだなコイツ」
ルイードがネレの頬を、プニりと摘まんでみる。
そのせいなのか、ネレの眉間にしわが寄り、うなされ始めた。
「おい、うなされてるぞ? 悪い夢でも見てるのか?」
野菜の木箱にすっぽりと入り、身体を丸めて寝入っているネレの姿を三人は見下ろしていた。
「なあ・・・これって・・・セレポレでも普通に入って運べそうだよな?」
「うん、俺も今それを考えてた・・・」
「セレポレが行方不明になったのは、昼の賄いを食べた後の休憩中だよな?」
「その時の厨房メンバーって誰だったっけ?」
セレポレが誘拐された日、ニジェルは非番だった。
シャドンは不足分の調味料の買い出しに出かけ、ルイードは運び込まれた野菜をナトンと仕分けをしてから、一人で倉庫に食品をしまっていた。
その間、ナトンは厨房で居眠りしていたと言い、料理長は事務室で領収書などの整理をしていた。
その後、納品された食料の空の木箱は食堂前の廊下にまとめられ、業者に回収された。
もっとも・・・ネレが責任者となる契約書にサインをしているニジェル・ルイード・ナトンは、そんな罪を犯す意味はない。
ネレを悲しませる事はしないと、暗黙の了解のような・・・誓いを立てているからだ。
「この木箱・・・寸分の狂いもなく、キレイに重ねられるヤツだよな?」
廊下に重ねられた木箱、中身は空・・・のはずだった。
空の木箱は、特に受け渡しの伝票も立ち合いもなく、自動的に業者が回収し、運ぶだけだ。
「子供一人城外に出すのに、目撃者が存在しないってのは・・・どう思う?」
「まさか門番が加担しているなんて思いたくもないし、加担していないと想定するなら木箱か?」
厨房内にある、同じ型の木箱をそっとルイードが重ねた・・・。
「こらこら、ネレちゃんが入ってるのに!」
箱は上に重ねられ、ネレの気配はほとんど消えた。
「これやっぱ、見た目、子供が入っているなんて・・・分かんねーぞ?」
「部外者の出入りは必ずチェックするけど、空箱のチェックなんて、そりゃあ誰もしないよね・・・」
ガタン・・・ガタガタガタ・・・。
木箱が揺れた、内側でネレが起きたようである。
「わっ! ごめんなネレ!」
慌てて上の木箱をルイードが持ち上げ、起き上がったネレが木箱の中から涙目でルイードを睨んでいる。
「う・・・ううっ・・・ばかぁあああああっっっ!!」
ネレは、本泣きに入った。
食堂内で食事をしていた兵士達は、
「こないだまで厨房は静かだったのに・・・また騒がしくなったなぁ」
「じゃあ、またウマいもんが出てくる合図じゃないか?」
・・・ぐらいに呑気に受け止めていた。
遥か遠くにある眩しい夕日を、ぼうっとしながら彼は見つめていた。
今の時間は何もかもが赤く見えていたので、ゆるやかな風で乱れた自分の髪を掻き上げるまでそのカフスに絡んだ糸には気が付かなかった。
「なんだ・・・これ?」
左腕に絡んだ糸を、クン、と引っ張ると微かな手ごたえがあった。
「・・・・・・・・・」
無造作に指に絡め、そのまま引き千切ってしまおうかと腕に力を込めたが、手を止めた。
「リトラス、もうすぐ日が落ちる。とりあえず騎士寮に戻って夕食を取りながら今回の件を少しまとめておこう、おまえも研修の勉強になるだろう?」
ケイルがそう話しかけて来た。
「叔父上、少々用事ができました。確認でき次第、騎士寮の食堂に向かいますので、そこで待ち合わせしましょう」
「用事?」
「ずっと前に・・・採取の森しか来た事がないので、今後の為にこちらの建屋も慣れておきたいのです」
「そうか? 誰かつけようか?」
「いえ、ひとりがいいです。迷った方が、正しい道が見えてくるかもしれません」
「・・・そうか、迷いから学ぶ方を選ぶのか」
「何かあれば、風に聞けばいいのですから」
「なるほど、流石は“風の継承者”だな、私にはその能力はなかったからな、羨ましいよ」
「うそつき」
ちろりと、軽くケイルを睨んで見せた。
「相変わらずマセガキだな、目上には合わせるもんだぞ」
「済みません・・・気を付けます・・・では・・・」
すっと一礼をして、リトラスは糸の示す方向を辿った。
細い糸を手に絡めながら、兵舎の建屋に入り、ようやく目が慣れ始めてからその糸の色を知った。
「赤い糸・・・先ほどの子供の衣服か?」
糸をクルクルと手に巻き付け、糸の示す方向へと歩みを進めた。
「この廊下はなかなかに、掃除が行き届いているな」
床を見つめながらリトラスは建屋の中を歩いている。
本人は気が付かないが、行き交う兵士や下働きの者達はその姿を見て、皆、足を止めていた。
見たこともない、端正な顔立ちの銀髪の少年が、騎士の白い制服を着て、東側の廊下の床を見ながら歩いているのである。
視線の先に、頑丈そうな革靴が見え、更に糸の先が宙に浮いていた。
リトラスは顔を上げたが、赤い糸の先を掴んでいたのは明るい山吹色の髪をした青年だった。
「どうしました? お貴族様がこんなところで床を見つめて・・・」
相手も、リトラスの持つ糸にハッとして、眼を見開いた。
シャドンとリトラスの眼が合った。
「その糸の持ち主は・・・どこに?」
「・・・さあ? 俺はその糸くずを片付けに来ただけで、これが誰の持ち物かなんて知りませんね」
「そうなのか・・・」
「そんなみすぼらしい糸くずを、お貴族様が持っていてはおかしいですよ? さあ・・・俺が片付けておきます」
「・・・糸が切れていたのなら‟これまで”という事だな」
リトラスに表情はなく、淡々とその赤い糸を腕から外し、シャドンに渡した。
「ああ、左腕のカフスに引かかっていたんですねえ・・・」
リトラスの手から糸を受け取る瞬間、シャドンは彼の手を引っ掻いてやろうかと思ったが・・・止めておいた。
どこからどう見ても貴族のボンボンだ。
傷付ければ、きっと厳しいお咎めが待っている事は分かっている。
その代わり、受け取った糸を魔法の炎で目の前で灰にして見せた。
「そなた・・・炎の持ち主か・・・すごいな」
ただの威嚇であった。
これ以上は・・・こちら側の領域に入るな・・・と。
シャドンはこんな少年に大人げないと思いつつも、歯を食いしばって笑顔を作った。
「ほかにこちら側に御用はありますか?」
「先ほど野菜の木箱を買ったのだが、体格の良い茶髪で青い眼の調理師とやらに持って行かれてしまってな、捜している」
「ネコの入っていた木箱ですか?」
今まで遠慮していたリトラスの表情が、変わった。
「そうだ、灰色の猫はどこへ行ったかな? 名前を聞き忘れた」
その紫水晶の双眸で、刺すようにシャドンを見つめた。
「・・・さあ? 猫に名前を聞いても・・・答えますかね? どこかに行ってしまいましたよ。木箱は、ダフネ警備隊長に既に届けてありますから、後ほど兵舎で受け取って下さい」
「そうか・・・では、これで失礼する」
「おひとりで大丈夫ですか?」
「心配いらん、図面上では頭に入っているからな」
そう語ると、リトラスはシャドンを追い越し、最短の渡り廊下を目指した。
その細く白い儚げな背中を、シャドンは見送った。
「すごいな、本当に迷いなく進んでるよ・・・どう見ても新人のガキなのに、何の目的で東側の建屋の図面なんか頭に叩き込んでんだ?」
ニジェルの話を聞いて、ネレをいじめていたと思っていたが、どうやら真相は違うらしい・・・と、シャドンは感じた。




