第12話 【氷雪に綴る王への手紙】 その7
「まさか、其方が‟経理官”から3年足らずで‟管理官”まで昇進するとは思わなんだよ・・・今や城内設備の東地区最高指揮官だな」
会議室の捜査係に渡す書類と、書棚に戻す書類を相違ないかトレフルは確認し、ロティスに明確な指示をしていた。
「陛下は先の戦争を終わらせた尊い方・・・私なんぞの功績を認めて頂けて光栄です」
「おい、嫌味に聞こえるぞ? 管理する領地と子爵の位まで・・・」
「まあ、建前上? 管理官が男爵に甘んじていると問題が多いですからね」
トレフルは興味なさげに、しれっと答える。
既に午後七時を回っていた。
文官達は他の仕事に戻る者や、帰宅する予定の者が支度を始めた矢先だった。
会議室にノックが響き、食堂からの夕食が運ばれてきた。
肌寒い霧雨が降り続け、書類整理ばかりしていた文官達の身体は冷え切っている。
そんな会議室の中に、食欲をそそるパンの香ばしい香りと、チキンスープの湯気が入って来た。
「失礼致します。兵舎食堂より、ご注文の夕食をお持ちしました」
静かだが力強さを感じられる青い瞳に、清潔な短い茶髪をココナッツオイルで整え、背筋を伸ばし真っ白な調理師の制服を着こなした男性が立っていた。
「・・・だれ?」
複写し終わった資料を抱きしめたまま、ロティスが首を傾げていた。
数少ない女性文官達も目を見開いて注目し始めた。
そんな視線に慣れているのか、軽く笑みを浮かべながら、彼は会議室に食事を乗せたワゴンを運び入れた。
「トレフル様、こちらの壁側にテーブルを準備して、立食形式で夕食の準備をさせて頂きますが、よろしいですか?」
「ああ・・・サンドイッチとは気が利くな、スープも温かいまま食せるし、助かるよニジェル」
その名を耳にした西側の文官達が、手を止めてニジェルに注目した。
彼はその程度の視線などものともしないと、鼻から一息出した。
「なんと・・・戦場の料理人がこんなところに・・・」
そう声を発したコルシックをニジェルはひと睨みしたが、直ぐに取り繕ったすまし顔に戻った。
「ルイード、ネレ、入って来い、準備を進めるぞ」
先ほどジャンによって全体的に髪を軽く整えられたルイードは、ルビー色の瞳と魅惑的な細面がはっきりと見えるようになった。
ちなみに、黒髪を束ねたシッポは健在である。
もちろんその二人の仕上げは、ネレがココナッツオイルで整えたのだ。
調理師二人の後ろを、子供用の白い制服を着たネレが作業の手伝いをしている・・・ように見せていた。
――――イベント会場のデリバリーならお任せあれ! 無論、会議の息抜きも、お茶の準備も抜かりはないぜ!
ネレの前世は大企業の販売士、いわゆる何でも屋だ。
アメリカ人でもフランス人でもドイツ人でもインド人でもetc.・・・宗教上や、好みに合わせた飲料や食べ物の手配をする仕事もあった。
そう・・・原子力事故の忌まわしい裏方作業を担当する、海外の仕事人達を相手に様々な食品を準備した経験があった。
あのビルの15階のオフィスには・・・被災地の原子力発電所の航空写真、鳴り止まない電話、寝不足だが妙にハイテンションの外国人、深刻な顔で残酷な惨状をコーヒー片手に語り合う技術者達・・・その対策会議室が東京のどこにあるかは、国家機密レベルの取り扱いであった。
ちなみに・・・Pコーラの消費が半端なかったとネレは思い出す。
どんな状況で、どのような人種が、何時に、何を求めるか・・・試行錯誤した経験があったのだ。
だが、“戦場の料理人”のニジェルは王宮料理の豪華な食事や、戦士用に栄養価の高い食事を作る事は出来ても、一般会議や、卓上の仕事人達の状況は知り得なかった。
腕まくりをして、貴族に出す料理を作ろうとしていたニジェルに、ネレは慌てて「待った!」をかけた。
「俺達もアイツらも仕事ができりゃあそれでいいだろ?」
と言うニジェルに――――。
「調べ物や書き物の真っ最中の人間に、いきなり豪華なフルコースを出して喜ばれるとでも?」
「料理は見た目だろう!」
「じゃあ、ニジェル副長の見た目を何とかして下さいよ!!」
ショックのあまり、ニジェルは目の色を失ったかのようにも見えた。
「ネレちゃん! とりあえず、これでも副料理長だから? 仕事出来なくなっちゃうから、殺人未遂的な暴言は止めたげてぇっ!」
シャドンのフォローにもならないセリフを聞いて、彼は身なりを整える事を静かに決心したのだった。
「そう言えば嫁に逃げられてから、髪や服装をキチンとしたのは十年ぶりのような気がする・・・」
と、彼はほんの少し項垂れながら、ジャンに髪を切り揃えて貰った。
【本日の会議室特別メニュー】
・普通のハムサンドイッチ
・普通のキュウリとチーズのサンドイッチ
・ほぐした干し肉入りのポテトサラダ入りホットサンド
・ほんわか玉子焼きサンド
・カリフラワーとブロッコリーのチキンスープ
・キレイ色のプティフール
・普通の温かい紅茶、アップルティー、常温の麦茶
「東兵舎の食堂の夕食か・・・」
年若い貴族文官が嫌そうに言った。
「嫌なら食べなくていいぞ?」
中年の貴族文官がニジェルに会釈し、ウキウキとした足取りでサンドイッチを皿に盛っていく。
「あのニジェル殿の料理が食せるとは、長生きするもんじゃの!」
年老いた文官がいつもよりシャキッとして、スープ用のカップを手に取る。
「いやん! お名前は?」
女性文官数名が、ルイードの前を陣取る。
無表情のまま、ルイードは片っ端から女性文官達にスープの入ったカップをトレイに乗せて手渡し、強制的に右から左に受け流す。
「はい、次の方どうぞ!」
ツンとしたルイードとは対照的に、ネレは営業用のスマイルで、お茶を準備して次から次へと配って行った。
「はて? 其方は先ほどのネレとは兄弟か?」
常温の麦茶をネレから受け取ったコルシックが声をかけた。
「いいえ、先ほどお会いしましたネレでございます」
「そうか・・・その白い調理師の服も似合うな」
「恐れ入ります。コルシック様」
ネレは上品にすっと頭を垂れた。
「しかし、其方は・・・」
「皆さま、本日のメニューの紹介をいたします」
その会話を遮るように、ニジェルが堂々としたバリトンボイスを張り上げた。
「先ほどから不思議がっていらっしゃる、こちらのサンドイッチは食パンの耳を切り取り、両面を香ばしく炙り触感を良くしてあります。中身は旨味を凝縮した干し肉を細かくし、粗いマッシュポテトと玉ねぎ、それらを味付けしたものを挟んでいます」
その一言で、ホットサンドの山が次々と崩されていった。
「そして、柔らかくほっとした味わいのシンプルな玉子焼きサンドは、とても親しみのある味わいなので、食べ過ぎにご注意下さい」
そう言われた途端、口に運ぶスピードが速くなり、再び列に並び直す者も現れ始めた。
慌てて喉が渇いた文官達は、常温の麦茶をぐびぐびと呑み始めた。
ネレがカプシーヌ経由でガラス職人に製造を依頼した、ガラスのコック付きのドリンクサーバーで対応している。
その容器に、誰もが不思議そうに視線をとどめていた。
透明な美しい大きなガラス容器の中に、常温の麦茶がキラキラと揺れ、その容器を静かに使いこなす幼い少年の姿が何とも幻想的であったからだ。
――――今回はガラス製だけど、カプシーヌさんに樹脂製品の透明度を上げて貰ってペットボトルとか作って欲しいな・・・
給与としての現金の支給は6歳から、ネレはまだ5歳の為、現物支給方式と定められていた。
たまにトレフルからの料理のレシピ代金を“ブロンシュ”として、報酬を貰っていたので、その分は自分の将来の為に貯蓄していた。
ちなみに、簿記上の仕分けは‟未払金”勘定とし、トレフルが口座で管理している。
つまり・・・たまにお小遣い程度の現金をトレフルから手渡しで秘密で貰っていた。
この場合のトレフル側の仕分けは、借方“未払金”、貸方“現金”とする。
経理上の処理を個人的にお互いに行っているので、ネレとトレフルは自分専用の帳簿を楽しそうに見つめながら金勘定をしている。




