第12話 【氷雪に綴る王への手紙】 その5
執務室のガラス窓からは、採取の森に降る霧雨が冷たく光って見えていた。
肌寒い秋の長雨は冬の入り口で、雨が止み乾いた空気が辺りを支配する頃には、この国には冬が訪れる予定である・・・。
室内では捜査係の文官二名が書類などのすり替えが起こらないようにと、監視役として残っている。
「ネレ、今日はもう上がっていい。食堂にこの注文書を届けたら、温かい風呂にでも入って今夜はゆっくり休むといい、明日は木の日でネレの出勤はない日だからな」
時計は午後3時を示し、トレフルは夕食の注文書をネレに渡した。
彼は陰りのある翡翠の瞳から視線を逸らして、すぐに手元の書類を目で追い始めた。
「はい・・・・・・承知しました。それでは本日はこれで失礼します」
ネレは仕分けしていた書類を書棚の定位置に戻すと、作業内容のメモを日付をつけて貼っておき、私物の布袋を肩から斜めにかけ、トレフルとロティスに一礼をしてから部屋を出ていった。
静かに扉が閉まり、監視されている事など気にもしていない様子で、ロティスがトレフルに話しかけた。
「トレフル様、何故ネレを食堂への遣いに行かせたんですか?」
「いいじゃないか・・・・・・普通に仕事だろう?」
「え? ちょっと待って・・・食堂は、孤児院でネレと仲の良いセレポレの居た職場ですよ! なんで今、このタイミングでネレを行かせるんですかっ!?」
「あっ・・・・・・!」
思わず筆圧が上がってしまい、ペン先と木製の柄は見事に三等分となってしまった。
「トレフル様! 今日、それで二本目ですよぉ~・・・」
ロティスはその様子を眼にし、トレフルの心の動揺をようやく理解した。
この状況に精神的に参ってしまっているようである。
執務室内にいた捜査担当の二名は、トレフルのその様子をただただ無言で眺めていた。
いつもより沈んだ空気が漂う兵舎食堂の厨房に、ネレは久しぶりに足を踏み入れた。
一つ年上のセレポレの仕事を邪魔してはいけないと、ネレなりに気を使って暫く食堂の厨房には顔を出していなかったのだ。
厨房内では野菜くずや鍋が宙を舞う様な雰囲気ではなかった。
料理長のモーヴはネレと入れ違いで、食堂の報告書を文官室に提出しに行って不在のようだ。
ネレは不思議と料理長のモーヴと顔を合わせた事がなかった。
だが、薄々は感じていたのだ・・・自分に親しくしている大人全員が・・・彼に会わせまいと画策している動きがある事にーーーー。
「あ・・・・・・」
ネレは厨房の二ジェルに声をかけるのを躊躇した。
何故なら、彼の目が死んでいたからである。
調理師四人は暗い顔をして下を向きながら、ジャガイモを静かに剥いていた。
ショリショリショリショリ・・・・・・
「――――空気重っ! ここはどこぞの葬式会場ですか! 」
4人がハッとして顔を上げる。
「ネレっ!」
「ネレさん!」
「うおっ、久しぶり!」
「ネレちゃ〜んっっっ!」
ニジェル、ナトン、ルイード、シャドンの順に声を出した。
「はいはい、ネレですよ! 文官会議室の夕食の注文書を持って来たのでお願いしま~す!」
二ジェルがネレの姿に驚いた後、少しだけほっとした表情を浮かべた。
「注文書には何人前って書いてあるんだ?」
「20人前です」
「うお、マジか! なんでそんな多いんだよ!?」
「捜査係と東側の文官の立ち会いがあるとかで、夕食が必要になったんです」
二ジェルは眉間にシワを寄せた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
奴隷商で保護されたセレポレの居場所は現在、極秘とされている。
誘拐犯の顔を見た可能性のあるセレポレは、口封じに殺害される恐れがあるからだ。
今は“見た”とも、“見ていない”とも一切公表されていない。
ネレは仕事用の愛想笑いを作ろうとしたが出来なかった。
ただ口の端を引きつらせながら、震える手で注文書をかかげた。
シャドンが野菜を剥いていた包丁を台に置き、早足でネレのいる方へ向かった。
「ネレちゃん・・・・・・元気だった?」
シャドンは注文書をその小さな手から受け取り、くしゃりと注文書を丸めた。
「うぉい! シャドン注文書ぉっ!?」
シャドンは丸めた注文書を、声をあげた二ジェルの顔に向かって投げつけた。
――――ポスン。
「・・・いって!」
「副長、それよろしく!」
「なんじゃそりゃ!」
ネレを見詰めながらシャドンが膝を折り、両肩にそっと手を置いた。
「ネレちゃん、レシピ付きの手紙ありがとうね。ウェレメレス様があの豆乳プリンに感動してたってジャンさんが言ってたよ。キミは彼女の好みを熟知しているんだね」
ババロアのレシピをモーヴが有料によって貴族限定で公開をして以来、乳製品の高騰が市場では続いていた。
その為、大豆による植物性の生クリームなどを極秘でトレフルと協力し、開発を進めていたのだ。
「そういう訳じゃないよ、ただ、ウメさんならこーゆーの好きかな〜って、思っただけだよ」
「ウメさん?」
「孤児院ではそういう愛称で呼んでるんだ」
「面白いねえ・・・彼女は貴族なのに偉ぶってないって、兵士達が驚いてたよ」
「うん・・・ウメさんは、中身がクールビューティーでね、外見と中身のギャップが面白いんだよ」
「そりゃ、すごい特殊なキャラだね!」
「うん」
上手く笑顔を作れず、ネレは段々と下を向く。
「ネレちゃんがそんな落ち込むことないって!」
「ボクのせいだ・・・・・・」
ネレは虚ろな眼で石畳の厨房の床を見詰めた。
「え・・・・・・何の事?」
ひんやりとした風が彼らの足元を掠り、厨房内はザワリと鳥肌の立つほど、冷たい空気に包まれた。
「セレポレはボクと間違われて誘拐されたんだってさ・・・」
「それって・・・・・・」
シャドンの袖を、温かい雫が濡らした。
「ボクのせいで、ウメさんも・・・冤罪で・・・・・・ひぃうっぐ!」
ネレの翡翠色の双眸からは、次から次へと涙が流れ出した。
そんなネレの姿を見たナトンが、ひょ~い、と、かなりの距離があったにも関わらず、ワンステップでネレの横にジャンプしてきた。
すぐに二ジェルとルイードが駆け寄ってきたが、ネレの涙は止まらない。
「うわゎあぁ~~~っ!! なんでこうなるんだよぉおおおっ! ボクはただ一生懸命に・・・」
――――ケイコの時もウメさんに迷惑ばっかりかけちゃってた!
彼女はケイコ時代の上司ではないかも知れないが、どうしても他人とは思えなかった。
ネレの足元に冷たい空気がまとわりつき、それはまるで、足を掴んでいるような錯覚をさせた。
「怖い! 怖いよぅ! ボクは一体どうすればいいんだっ!?」
「ネレちゃん! 大丈夫だよ!」
「こんな記憶なんて無ければいいのにぃっ!!」
シャドンが厨房の床を右手で叩いた。
彼の山吹色の髪が、その場の空気の色さえも塗り替えるようにゆらりとオレンジ色の光を放つ。
「おい、シャドン!!」
ニジェルの声よりも早く、一瞬で厨房の床が熱を帯びた。
「出た! シャドンの床暖房!」
ルイードがルビー色の瞳を大きく見開いた。
「あ“床暖房”ってなんの能力っスかぁ!?」
ナトンが声を上げる。
「食材を厨房に運ぶ前で良かった・・・たくっ! オマエ調理師失格だぞ!」
そしてニジェルは呆れたような声をあげた。
「いいんです! 今は泣いているネレちゃんを暖める事を優先します!」
「ゆ・・・床暖房の才ってあるの?」
ネレは、はわはわと口を動かし、初めて聞く“才”に興味を示した。
「ネレちゃん・・・これは炎の属性魔法だから・・・まあ、この際“床暖房の才”でもいっかなぁ」
なんかしまらない・・・と、感じつつも、ネレの涙が引いて行くのを四人は感じ、柔らかい笑みを浮かべはじめた。
ルイードが清潔な濡れたタオルを子供用の椅子に座ったネレの瞼に充てていた。
他の三人は、注文の入った追加の夕食の作業を進めていた。
「すごいね、ルイードさん! 濡れたタオルを冷やす事ができるんだ?」
「おう・・・バレたか・・・」
「だってどう考えても冷たいままなんだもん」
「・・・まあ、ネレなら言ってもいいか」
「んん?」
「俺は、闇と風の両方の属性を持ってるんだ」
照れているルイードの長い黒髪が揺れる。
「二つって・・・すごい事なんじゃないの?」
「まあ・・・そうかも知れないけど、俺は根っから魔力の勉強が苦手でね」
「そうなの?」
「ああ、ただの勘だけで賭博に溺れて、借金が重なって奴隷まで身を落としたバカな男さ」
長めのストレートの髪を後ろで一つに縛り、ルビー色の魅力的な瞳は気怠そうに前髪で見え隠れする。
厨房内ではニジェルの次に身長が高く、細マッチョな優男風で、どう考えても女性が放っておかない見てくれだった。
「ねえ・・・やっぱりもったいないよ」
「勿体ない?」
瞼からタオルを外し、真剣な眼差しでルイードを見つめ、フルフルと左右にネレは首を振る。
「ルイードさんは凄い“才”の持ち主なのに、使い方を学ばないのは勿体ないと思うんだ!」
「才の使い方は・・・学べるもんなのか?」
ルイードは瞬きを数回繰り返した。
「え・・・? “才”の使い方はどっかで教えて貰えないの?」
二人の会話を背中で聞いていたシャドンが一言。
「魔力系統の本なら、城の図書館に入れなくても、街の大きめの本屋なら取り寄せてくれるはずだよ・・・」
抑揚のない声を発した。
こんばんは・・・もりしたです・・・。
三十万かけて治した前歯が折れまして、ただ今心もボキボキに折れております。
そしてまた来週よろしくお願いします( ;∀;)




