第12話 【氷雪に綴る王への手紙】 その2(加筆)
「なあ~、ババロア~、ネレさん今度いつ来るんスかねぇ?」
「シャーベット、それ言ったの今日三回目! しつこい!」
調理師その1のナトンは、卵白を使ったシャーベットのレシピで名前を買い戻され、調理師その2のルードヴィッヒは、卵黄を使った濃厚ババロアのレシピで名前を買い戻された。
ちなみに、濃厚ババロアの基本レシピは売り渡したが、応用のムースババロアのレシピはネレと4人の調理師の頭の中だけにある。
植物性の豆乳生クリームが完成した暁には、安くて美味しいムースババロアが誰でも気軽に食べられる予定だ。
現在高騰中の生クリームが少しでも入荷すれば、トレフルにルノンが開発した“ストロベリームース”を献上する予定であった。
実は現在、ルノンの“才”でなければ、自然な味と香りを逃さずに、完璧なストロベリーの粉末を作れない事が判明した。
これにはニジェルも脱帽中である。
それについてネレは「多分スイーツの大好きな“女子力の才”でもあるんじゃない?」と、語っていた。
「ニジェル副長ぉ~・・・ネレさんはいつ来るんスかぁ?」
「ナトン、うるさい! 仕事しろ! 目の前のジャガイモをさっさと剥け!」
ショリショリショリショリ・・・
四人仲良くジャガイモの皮を無言で剥きはじめた。
特にシャドンは朝から無口になっていた。
「そう言えば最近・・・野菜の形が良いヤツばかりだな・・・」
ぼそりとルイードが言った。
「ああ、トレフル様が野菜のランクが下がっているのに、請求書の単価がおかしいと・・・ブロンシュ様に指摘されたと業者に連絡したそうだ」
「ブロンシュって・・・」
「ルイード、みなまで言うな、トレフル様に殺されたいか?」
シャドンが機嫌悪げに低い声で言った。
「そうっスね、契約の効果も出ちゃうかもね?」
「怖い事いうなよナトン!」
「今やブロンシュの名前を出せば、どこで自分の行いを見られているか判らない“魔女”の代名詞になっちまったな」
「う~ん? つまり、名前だけでも利用されてるんスね・・・」
「だからトレフル様も“黙秘の契約”をしている事にして、ブロンシュの正体は上司のジェラニオ様にも、更には国王陛下にも秘密にしているんだよ」
ショリショリショリショリ・・・
「今更だけど・・・」
「ん?」
震える声で、シャドンが声を出し、ニジェルが顔を向けた。
「いや・・・やっぱ止めとく」
「なんじゃそりゃ!」
「別にいいっス、みんな“今更”ッス、言いたくなったら言って下さい!」
「じゃあ、言っちゃうけど! 別に料理長一人が悪いんじゃなくて、トレフル様に野菜や肉や調味料の請求書が届く前に、ワイロを貰ってる文官どもが結託して――――」
ニジェルの持っていた包丁とジャガイモが床に落ち、彼はシャドンの口と頭を押さえ付けていた。
「それ言っちゃダメなヤツだろっーーー!!」
今日も兵舎食堂の厨房内で、クズ野菜が宙を舞い始めたのだった。
「ねえ~! トレフル様に言われて生クリームを使わない、手掴みで食べられて、高級っぽく見えるシュークリームのレシピ持って来たんだけど・・・」
「ネ、ネレさん危な~~~いっ!!」
厨房の入り口に現れたネレに向かって、金盥が飛んで来た。
ナトンが身を挺してネレをかばった。
「ネレちゃん!?」
すぐさまそれに気が付いたシャドンが左手をかざし、金盥が空中で停止した。
落ちた金盥がぐるぐると回転しながら床に転がる様を、全員が沈黙しながら注目した。
「え? 今の・・・すごいね、さすがシャドンさん」
座り込むネレの上に、覆いかぶさるようにナトンが固まっていた。
「・・・ネレちゃん、それ言っちゃダメなヤツ・・・」
「シャドン“黙秘の魔術契約書”作るのに、幾らかかるか知ってっか?」
「知ってます。軽く俺の月給が・・・飛びますっ!」
「じゃあ、このシュークリームのレシピで・・・」
レシピの書いた紙を手にしたネレも、シャドンも、青ざめながら泣きそうな顔をしている。
黒髪のルイードが口をへの字にして、ため息をこぼした。
「おい、“黙秘の才”なら俺が持ってるぞ?」
「マジっスか! スゲー!」
「実はこれ“黙秘の才”を更に“沈黙の才”で隠していたから、料理長もトレフル様も知らないんだよ・・・けど、このメンバーじゃそんなの要らねえだろ?」
「ぎゃー! ルイード、超カッコイイッス!!」
本日もネレが加わった兵舎食堂のデザートは大盛況だった。
シュークリームの材料は低予算で済んだので、今夜は数量限定という縛りはなく、希望があれば一人二つ、更に持ち帰りも可能となった。
そして後日、余りにもシュークリームの口コミが激しかったので、トレフルが対処に追われ・・・彼の残業時間が増えた事は、その場にいた誰もが気が付いていた。
院長室に、控えめなノックが三回響く。
「はい、どうぞ~」
書類から顔を上げ、ウェメレスは扉の方に視線を向けた。
室内に入ってきたのは、ルノンとその後ろを新品の文官の制服を着たネレだった。
上品な灰色の上下の制服に、葡萄酒色の髪がきれいに整えられ、貴族の子供かと思えるような風貌であった。
「ウェメレス院長、ネレの文官服が届いたのでご挨拶に参りました」
頭を下げるルノンに合わせて、ネレもお辞儀をする。
「あらまあ・・・とても立派な姿ね・・・」
「あ、ありがとうございます・・・」
「ウメさん」と、声に出してしまいそうだったが、いつもの馴れ馴れしさをグッと堪えた。
相変わらず、前世の記憶にある親しみのある上司の似姿に、つい表情が緩んでしまう。
「でも・・・きれいな髪色なのに、そんなに短くして勿体ない気がするのだけど」
「へへへっ・・・短い方が好きなんです。ジャンさんにたまに切ってもらいます」
「ああ、いつも院を手伝ってくれている兵士の方ね?」
「はい、後でトレフル様の所まで送ってもらう予定です」
「トレフル様の所で雑務を手伝うと聞いているわ、文官室の手伝いを院の子供ができるなんて光栄なお話なのよ、丁寧にしっかりお仕事をしてね・・・最初は、辛いと思うわ・・・無理せずいつでも相談してね?」
「え? 辛いお仕事なんですか?」
「仕事内容ではなくって・・・“才”のあるなしで、少し厳しい事を言われるかもしれないから」
「あ~・・・はい、がんばります!」
頑張ってもどうなる事でもないのだが、ネレはとりあえずそう答えるしかなかった。
現世では着たこともない、立派な服・・・いつもは着古して薄くなった布地のものがほとんどで、靴も安物の古びた物を丁寧に洗って履いていた。
だが、これから配属される場所はそんな身なりでは決して出入りできない場所だ。
新しい制服と質の良い靴、下着に靴下が支給され、「これは一体いくらするんだろう?」と、ネレは焦りながらも身に着けた。
契約上では報酬は現物支給、シャツや靴下などは買い足さなければならず、しばらくは自分の品質維持費にかかりそうだ。
前もって共同浴場のフリーパスを貰っておいて本当に良かった! と、胸をなでおろす。
貴族のようにとまでは行かないけれど、共同浴場では孤児院では学ぶ事の出来ない城内の人間の身なりが観察できる。
食堂に出入りできたのもこの国の常識を知る大きな収穫だった。
「緊張してる?」
兵士のジャンに案内されながら、ネレは本館に向かう廊下を歩いていた。
「はい・・・不安しかないっていうか・・・」
「うそ! ネレが?」
「雑務とか言われているけど、ボクにできるかな」
「いや、普通はじめての仕事って期待に満ちてウキウキしない?」
「・・・ううん、なんか怖い気がして」
社畜時代の職場変更は不安しかなかった。
特に人間関係が。
「かなり名誉な職場なんだけど・・・ま、ネレはまだ子供だからな、未知なる世界だよね」
「こんなに早く境界線を越える予定じゃなかったから・・・」
「境界線か・・・確かに本館と東側とじゃ警備上は出入りが厳しいけど、ネレがトレフル様に引き抜かれた事は兵舎じゃみんな知ってるから、ほぼ顔パスになると思うよ? でも、身なりは気を付けなきゃだめだぞ?」
「うん」
「ふ~ん・・・境界線を越える予定を立ててたのかぁ」
ジャンは訳知り顔で、意地悪気に口角を上げた。
「やっぱり図書館行きたい?」
「行きた~いぃっ!!」
あっけない一歩だった。
くすんだ石畳から、毛足の長い埃落としの絨毯を越え、白く磨かれた床は眩しかった。
ネレの小さな歩幅の一歩。
だが、境界線を越えた途端、取り巻く空気が一瞬にして変わった。
「なんか、どこもかしこもキラキラしてる」
「・・・ま、天井が高くて白を基調としている建物だから明るいけどな」
子供が珍しいのか、行き交う役人たちがチラチラとネレを伺うような視線を向ける。
「ボク・・・見られているような・・・」
「子供は・・・珍しくないけど、文官服を着ている幼児は珍しいからさ」
「でも、“才”のある子供は城でも採用されるんでしょう?」
「・・・普通は幼児学校を卒業してからか、家庭学習が終了してからの10歳以上が多いんだ」
「幼児学校? 家庭学習?」
「ネレはどちらも受けていないのに文官服を着てる・・・その意味は大きいんだよ」
「わかんない」
「だよなあ? ぶふっ・・・」
ジャンは大声で笑い飛ばしたい気持ちを抑えながら、控えめに吹き出している。
「ねえ、なあにぃ~?」
「やっぱネレ、おもしろいよ」
「変わってるのは、自覚あるけど・・・」
「あ~・・・なんていうかさ、魔力自慢のクソ生意気な貴族の子供は何人か知っているけど、お前みたいなホンモノは滅多に居ないと思うよ」
「ホンモノ?」
「ネレは“才覚者”だよ、“才”があってもその先へと行けない、宝の持ち腐れ共とは違う、生かすべき知識を引き出す能力があるって事さ」
「よくわかんない・・・」
「ん、今は分からなくて当然! 人生経験が違うからな」
そう言いながら胸を張って歩を進めるジャンを見ながら、ネレの心には不安しかなかった。
前世の記憶さえなければ、進むこの道の先は期待に溢れていたかもしれない。
けれどネレは失敗を恐れる無駄な記憶ばかりがあった。
自分の記憶が全てを疑ってかかる臆病な性格を作り出していたのだ。
――――全部、真っ白にしたい・・・
眉間に皺が寄り、眉尻が下がる。
仕事でも人間関係でも失敗した前世の経験が、自分の次の一歩の前に大きな石のように邪魔をする。
ひゅっと、ネレは息を吸い込んだ。
――――死ぬ事より、苦しくて哀しくて怖い事って、あったっけ?
ロティスは高級な猪毛を使用したブラシで何度も癖の強いミルクティー色のトレフルの髪を梳かしていた。
トレフルは小難しい表情をしながら、自分の執務机で書類の小さな文字を目で追っていた。
「トレフル様・・・身の回りの世話をする侍女とか雇ったらどうです?」
「別に困らん、洗濯と掃除をする女中はいるからな」
「いや、この髪は手強いですよ? せめてマメに短く切るとか」
「面倒くさい」
「城内に理容室あるでしょうが・・・」
「中身のない、無駄な会話を振られるのが苦手なんだ」
「そこ、こだわりますか?」
「ロティスが切ってくれていいぞ?」
「僕、理容師じゃないんで無理です!」
会話の区切りを待っていたジャンが、ようやく二人に話し掛けた。
「あの~、先ほどからノックしてたんですけど・・・」
「あ、ジャン、髪切ってくれ」
トレフルが思い付いたかのように言った。
「申し訳ございません。理容師でもない、一介の兵士が貴族様の髪を切ると・・・暴力だなんだのと言われて懲戒免職になるんです!」
ジャンの後ろから、彼に髪をすいてもらったばかりのネレが静かに顔を出していた。
「ネレは誰に髪を整えて貰ったのだ?」
ネレはジャンと視線を合わす。
「俺ですけど・・・平民と貴族様を同レベルで言うの止めて下さいよ? 劣の兵士が貴族様の髪切ったら本当に不味いのはご存知でしょう」
「ジャンさん・・・劣ってなに?」
「・・・あんまり言いたかないけど、“才”には、優・良・可・劣とランク分けがあるんだ。魔力が低い俺は劣等生って事」
――――ボクは“無”だから論外じゃん?
「ジャンさん頭いいのに?」
「ネレと似たようなモンだよ・・・出生が分からないとランクの判定がシビアなんだ」
ネレは小さく舌打ちをした。
「・・・精密度がクソだな」
「こらっ、言葉遣いっ!」
「はあ~い、ごめんなさ~い」
言葉とは裏腹に、頭を押さえつつ、反抗的な上目遣いをした。
「もうっ! ニジェルさんの影響でネレが口汚くなってきて心配だよ!」
丁寧に梳かしたトレフルの髪にしっとりとした光沢が輝き、ロティスは満足げに額の汗を拭った。
「ふむ・・・やはりネレは色々と矯正しなければならんな」
トレフルの抑揚のない一言に、ネレはびくりと肩をすぼめた。
その日ネレはチャンスを伺っていた。
ロティスから執務に関する簡単な流れと、伝票整理などの雑務の説明を受けながら、トレフルが自分の様子を観察しているのは分かっていたが、無茶な要求は一切されなかった。
それが、逆に不気味ともいえるが・・・ネレは別の事が気がかりでたまらない。
汚れたガラス窓、うっすらと埃がかぶった机と本棚、積み上げられた乱雑な書類の山が乗る机、床に置いてある箱には書類の束が入っていた。
更に、歩ける床のスペースがかなり狭い。
――――これはヒヤリハット案件ですな!
「ネレの作業机も注文しないとな・・・」
独り言のようなトレフルの言葉に、ネレの瞳がキラリと光った。
「じゃあ、掃除しましょう!」
「え?」
「掃除か・・・だが、別に力むことはない・・・業務はできている」
「この部屋に作業机を増やすんですか?」
「荷物を寄せれば入るだろうし、その方が捗るだろう」
「あの・・・こんなに書類だらけじゃ、捗りませんけど?」
トレフルとロティスは言葉を交わさずに一瞬目を合わせた。
「ネ・・・ネレ~っ!」
ロティスが思わずネレを大げさに抱きしめた。
「そうなんだよ! 聞いてよ! 掃除婦や下位の文官は書類の情報を漏らす恐れがあるから掃除が全然進まないんだよぉ? ね? わかるでしょう? この部屋の惨状! かと言って僕はここまでの惨状を片付けるなんて無理なんだよ、仕事も鬼のようにあるしさ・・・」
ロティスは延々とこの部屋の汚部屋具合を説明していった。
掃除婦が入る時も、見張りながらの状態では落ち着かない。
けれど、仕事は次から次へとやってくる。
訪ねて来る文官も長居はできず、資料室で打ち合わせをしている現状だった。
――――それは“5S”な案件ですな・・・
「あのう・・・引き合いに出して大変申し訳ないのですが、孤児院では深刻な人手不足と、子供達の怪我や病気を防ぐ為に・・・整理・整頓・清掃・清潔・しつけをモットーとしていますので、この部屋の危なっかしい状態にボクは心が痛いのです」
だが、トレフルは確実に仕事を捌くので、この部屋の現状をあまり気にしていないようだ。
「なんの書類がどこにあるかぐらい分かっている」
「そりゃあ、トレフル様は頭の中に入ってるかもしれないけど・・・」
ロティスの声も段々と小さくなっていった。
「あの~・・・大変申し上げにくいのですが・・・」
「・・・なんだ」
「怒らないで下さいね?」
「いいから言ってみろ」
「機密の書類が多いのは分かりますが・・・そもそも、書類の置き方に問題があると思います。誰にでも見られる状態であるのは、そこら辺に放置してあるからであって、書類を書棚に分類しておけば、ここは一切手を触れないようにと指示も出せます。問題は・・・この部屋が整理整頓していないことでトレフル様しか分からない仕事が多すぎて、誰も手伝うことができず・・・トレフル様の人生の時間が削られているという現状では?」
「私の・・・人生の時間が・・・削られている?」
「はあ・・・・・・でも、一日に何回この部屋で探し物をしていますか? その時間、勿体なくないですか?」
「私が忙しいのは、この散らかった執務室のせいだと?」
「それに・・・窓を開けて空気の入れ替えをしないのは、書類が飛ぶからでしょう?」
「空気の入れ替えは大事なのか?」
効率化も大事だが、健康面でも訴えてみることにした。
「大事です! 孤児院では、肺の弱い子供の為に換気は絶対ですし、ここは埃やカビが多そうです。埃や紙は虫が湧きやすいんです!」
「いやぁあっ! 虫ってなに!?」
「肺・・・か・・・そうか、それは大変だな・・・」
トレフルは思うところがあるのか、片手で握り拳をつくり、口元にあてた。
もう一押し! と、思ったネレは言葉を続けた。
「煙草や埃やカビは肺を汚します! ボクは雑用でここに来ました。拾い上げて下さったトレフル様のお役に立ちたいのです! 是非とも掃除と書類整理をお申し付けください」
とりあえずダメ押しで情にも訴えてみる。
どこから出したのか、ネレは雑巾を片手に胸を張った。
――――子育てとフルタイムを両立しつつ、会社も自宅も効率化したのは5Sワザがあってこそ・・・最後には19年連れ添った夫も断捨離したけどね!
「そうか・・・あのティールームを隅から隅まで磨き上げたのだったな・・・ネレがきちんと掃除をしている姿をあいつらに見せたら、逆に納得するだろう」
「え? あいつらって・・・」
雑巾を握った腕を下げかけたネレが質問した。
「ん~? まあ、私の事をお稚児趣味とか勘ぐっている奴らだ」
「お、お、お・・・お稚児趣味ぃ!?」
はっとして、自分の事を心配していたウェメレスの事を思い出した。
――――ウメさん! 違う意味でピンチです!
「ネレ・・・意味が分かっているのかい?」
そう言いながら、ロティスのニンマリ顔がネレを覗き込んでいた。
焦りながら、恥ずかしさで耳が熱くなるのを感じた。
「あ・・・いや・・・その・・・その誤解はどのように対応したら・・・」
「そんなものは放っておけ、くだらん噂など実績で覆す!」
机の上の大量の書類を眺めながら、トレフルは微妙な表情をしている。
「ちなみに・・・その書類の山の一番下の書類っていつのものですか?」
「・・・さあ?」
――――なんの書類がどこにあるかご存知じゃなかったっけ?
「その書類の山が視界に入ると、集中力が散漫して思考があっちこっちに飛んじゃいませんか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・それもそうだな」
トレフルが考え始めたのを確認し、ネレは足元にある書類の入った箱に手を伸ばした。
トレフルのような自分で何もかも行ってしまう人間は、仕事を寄せ付けて抱え込んでしまうタイプだ・・・そして仕事がどんどん自分へと流れてきてしまう。
それはまるで漂流してきたゴミを延々と片付けるような作業になり、職場ではただのソロプレイヤーに成り下がる。
乱雑した仕事の波は整理ができずに時間ばかりかかる、上手く他人に任せる事が出来なくなり残業のオンパレード・・・ストレスは身体の細胞を悪い方へと作り変えてしまうものだ。
仕事は・・・ほんの少し先の未来を考えて、そして他人に引き継ぐ事を考慮して常に組み立て直していかなければならない。
手に職を持っている技術職ならまだしも、大きな企業の歯車として働くならば、独り善がりの仕事に未来はないのだ・・・と、ネレは痛いほど身に染みていた。
空箱を準備し、捨てる・捨てない、機密書類・機密ではないもの・・・と振り分け、使用しない雑貨などは孤児院に持ち帰っても良いとの許しをもらった。
焼却処分が必要な書類が、夕方には執務室の隅にまとめられ・・・ネレを迎えに来たジャンを捕まえ、台車に乗せて運んでもらい共同浴場の湯沸かし窯に放り込まれた。
数日後には床がだいぶ広くなり、片付け作業は書棚、各自の机の上へと進んでいった。
執務室からネレが帰った後、ロティスはほうきで床を掃いていた。
「まるでの膨れ上がる借金ようだな」
トレフルは席から立ち、窓を開け一息ついた。
「借金、ですか?」
「後で完済できると思って、溜め込んでしまった・・・身動きできなかった分、余計な利息が付いて、さらに借金は大きくなって、一人で返せないほどに膨れ上がってしまった」
「なんか、身動きできなくなるって言うと・・・贅肉みたいな感じですね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・それもそうだな」
「ネレが真面目に掃除をしているのを見て、変に勘繰る奴らは減ってきたようですよ」
「お前はどう思う? ネレの“才”について」
「・・・あくまで憶測なんですけどね。魔力が本当にゼロで、“才”があるとしたら、ネレはどこから魔力を取り込んでいるんでしょうね?」
「ネレは捨て子だからな・・・もしかして“才”の継承を試みたが、失敗して前者の“記憶”だけを・・・」
「だから捨てられたって言うんですか?」
「ネレが捨てられた理由については当時は誰も調べられなかった・・・」
「当時って・・・その時の責任者は?」
「前々院長のポレーンだ・・・当時は里子に出した方の子供の行方も怪しかった」
「本当にマナシの頭のいい子供って事じゃないんですか? たまにいるでしょ?」
「・・・・・・・・・・実に興味深い・・・」
「トレフル様・・とりあえず、ここ終わったら帰りますからね?」
注文した小さな低めの作業台が夕方に到着したので、ロティスはネレの為に文房具を並べていた。
「私が質問攻めにしても、あの子はちゃんと答えを持っている・・・」
トレフルは夜のとばりが降りてきた採取の森を眺めながら言った。
「聞いてますかぁ? 本当に帰りますからねぇ!?」
執務室の行き来がネレ一人でも可能になり、プライドの高い文官達の冷やかしと、孤児への侮蔑の洗礼を受けたが、ネレは余り悲観的にはならなかった。
大したコネも地位もない底辺貴族のトレフルの所に、人員が補充される訳もなく、「幼い子供の手でも借りたい程なのだろう」と、同情の目が集まり始めている。
無論、トレフルもそんな事は気にしていなかった。
何故なら、ネレが来てから仕事がすんなりと進むようになったからである。
ある日トレフルは、上司のジェラニオに呼び出された。
重量感のあのある両袖机、落ち着いた色の絨毯、応接室のように豪奢で整えられたその執務室はトレフルの部屋とは雲泥の差だった。
その様を見て自分の執務室を片付け始めて本当に良かった・・・と、ネレの顔を思い浮かべながら、少しだけ緊張していた気分が和らいだ。
目の前にいる公爵家出身の上司の青い瞳は、冷たい鋭さを持っていた。
宰相補佐官ジェラニオは彫の深い顔に、眉間に浅く皺を寄せていた。
「なぜ孤児の子供を採用した?」
「人件費が乏しいので格安で雇いました。怪しい貴族の紹介と違い、手癖も悪くありません。素直に仕事をこなしますし、主な報酬は孤児院で必要な物などを現物支給しています・・・外部への心証も上々です」
表向きはあくまで印象操作であると含みを入れた。
「なるほど、誰の息もかかっていない真っ新な理想的な人材というわけだな」
“理想的な人材”と言われ、「あれは想像以上の大気圏外の人材です」と言葉を上乗せしたかったが、相手は高貴な貴族なので大げさな報告を思い止まった。
「幼いので・・・真っ新と言えばその通りです。掃除や書類整理、郵便室へのお使い程度です・・・何か問題でも?」
「いいや、今の回答で充分だ・・・あのどうしようもない部屋の惨状がましになったと聞いている」
汚部屋状態の執務室に突撃訪問を受けた時はよく嫌味を言われたものだった。
「掃除が得意な子供でして」
「ほう・・・掃除が得意・・・良い事だ。しかも従順な孤児を一から教育しようとは良い心意気だ、独身なりの子育ての努力か?」
「・・・・・・将来性のある子供ですから」
まさか子供に「人生の時間」について諭されたとは言い辛い。
「将来性か・・・で、人材の話はただの確認だ、本題はこの井戸水運搬案だな。まずはどこで試すか決めているのか?」
「兵舎の地下牢です。まずは業務に支障のない場所から良し悪しを確認します」
「面白い所に目をつけるな? では、許可しよう・・・しかし、残念な事だ」
「え? なんでしょうか・・・」
「そなた以外にまともな工事の案が提出されなかった」
「・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「皆、似たり寄ったりの上に、建築費がバカ高いふざけたものばかりだった。一体どこに金を流すつもりやら、呆れるばかりだ。予算枠を下回るこの案は採用に決定だが、もう一捻り欲しい」
「一捻りと申しますと、どのような?」
「うん、そうだな・・・この城内をまるっと水道を整備してくれ」
「一捻りどころではないでしょう・・・それは・・・」
「うんうん! この付属された資料は読みごたえがあったぞ! 今まで“才”でぼかしてあった技術がきちんと説明されている。素晴らしいじゃないか!」
「それは・・・色々な意見をロティスがまとめたもので・・・」
まとめられた書類の束を「しっかり読んだぞ!」と、言わんばかりに音を立てて机上に置いた。
「嘘は良くないぞ? うちの技術者に読ませたら青くなっていたぞ・・・あれか? 一から水道に関しての勉強をここまでしたのか?」
「ジェラニオ様・・・まさか私が手の内を、ここで明かす愚か者だとでもお思いですか?」
二人の間に小さな火花が散る。
ジェラニオは半眼になりながらも鋭い視線を崩さず、堂々たる威厳を保っていた。
あくまで国を支える宰相補佐の一人として裏方で采配を振る実力者だった。
「そうだな、実力ある貴族には必ず素晴らしい技術者が付いているものだ・・・ブロンシュとやらの居所が明るみに出れば、他の貴族がこぞって引き抜きや、脅しに駆け付けるだろう。まあ、本名かどうかは知らんがな?」
「察していただき、恐悦至極に存じます・・・」
トレフルは深く頭を垂れた。
それを見たジェラニオは、口の端を満足げに吊り上げる。
「では、この件は承諾したと受け取って良いのだな?」
「なっ・・・待って下さい! 私はただ・・・」
「いいぞ? 待つぞ? 他の者達にもこの“水の案件”は依頼済みだ。さて? 誰が一番素晴らしい案を出してくれるか楽しみだな?」
最初から多数の候補からふるいにかけられていたのだ。
話は終わった・・・と、ばかりに、ジェラニオは肩の力を抜いて豪奢な椅子の背凭れに身体を預けた。
トレフルは頭を下げていた中途半端な姿勢のまま、心の中で舌打ちをした。
勢いよく開らかれた扉が風を起こし、舞った書類たちをロティスとネレが慌てて追いかけて拾っていた。
「や・・・すまん・・・つい力を込めて開けてしまったな」
「ンもうっ!・・・どうせジェラニオ様からダメ出しのオンパレードで気が立っているんでしょう?」
ブツブツいいながら、ロティスは書類を拾い集めていた。
「逆だ・・・もっと大きな仕事を振られてしまった」
そう言いながら額を押さえるトレフルの頭上をネレは見つめていた。
「どうしたネレ?」
「その扉・・・っていうかドア? ドアクローザー付けたらどうでしょうか?」
「・・・・・・・なんだそれは?」
「油圧によってゆっくり自動的に閉まる装置です、孤児院は子供がバタバタとドアを開けたり閉めたりするから・・・安全面を重視して取り付けました」
「ほう、興味深いな・・・・・・・・・いや! 今はそれよりも重要な案件がある」
「そうですか」
重要な案件について全く心当たりのないネレは、書類整理に気を取られていた。
「ちょっと資料室まで一緒に来い!」
「・・・・・・・・・・・・・は?」
この後、数日間ネレは頻繁に資料室に呼び出される事となった。




