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第12話 【氷雪に綴る王への手紙】 その1

 [井戸水の新運搬案]が完成した数日後の事である。

 黒髪で長身の調理師は秘密のティールームに呼び出され、トレフルの前の席に着くことを許された。

 これは、身分の低い彼にとって、在り得ない扱いであった。

 トレフルは一枚の紙を彼の前に出す。傍にはシャドンが控えていた。

「字は読めるか?」

「はい・・・難しい文章などは無理ですが」

 前髪は長く、瞳の色は分かりにくかった。

 普段から名前を呼ばれる事のない彼は、長めの黒髪をいつも一つに束ねている。

「読んでみろ」

 彼は黙って頷き、その紙に書かれた文字を眼で追った。

「これは、ネレの秘密を守るという魔術契約書ですか?」

 契約を破れば、魔術の自働作動により激痛や声の喪失などが例に挙げられる“呪い”付きの契約書である。

 高位の魔術契約書の場合は、契約を破った者の居場所がすぐに特定されてしまうようなものもあった。

「ああ、署名欄にはネレを代表として、ニジェル、とお前たち二名の名前が必要だ」

「計四名・・・あの、シャドン・・・さんは、別ですか?」

「必要ない、その質問は受け付けない」

 彼は当惑気味に眉をひそめた。

「不満そうだな?」

「いえ・・・」

「シャドンの情報までお前の依頼主は要求してきたか? 城内で不穏な行動は避けろ、奴隷のお前なんぞ、何とでも理由をつけて罰せられるのが目に見えている。一体誰にそそのかされた?」

「・・・・・・ただ、金が欲しかっただけですよ・・・どうぞ、俺を処罰して下さい」

 トレフルは腕を組み、鼻から息をふっと出した。

「お前の今の主人はモーヴだから、通常の処罰はモーヴだな」

「ええ、願ってもない事です」

「だが、今回は()()()()()()()()ネレ行きだな」

「そんなバカな?」

「よく読め、それは“互いの秘密を守る”契約書だ」

 彼は今一度目を凝らして、その契約書の文章を読み返した。

「ネニュファールを筆頭に・・・お互いの秘密を・・・責任の所在は代表者のネニュファール・・・ ちょっとコレどーゆー事だよ!!」

 長い前髪から、強い魔力を帯びたルビー色の瞳がトレフルに向けられた。

 トレフルは思わず片手で目を覆った。

「無礼者! 行動を慎め!」

 傍に控えていたシャドンが、紅茶ポッドを片手に声を上げた。

「も、申し訳ありません!」

 直ぐに彼は顔を伏せ、テーブルの上に額をこすり付けた。

「よい・・・面を上げろ・・・」

「で、ですが・・・ネレの責任になるなら俺を処罰して下さいよ!」

「落ち着け、お前はまだその契約書にサインをしていないだろう」

「あっ! 俺を引っかけましたね!?」

 鼻を赤らめながら顔を上げた。

「ああそうだ・・・()()()()()()()お前の現状を整理しようではないか」


 調理師その1と、その2には名前がない。

 “おい”“お前”“そこにいるヤツ”と、指を差されて呼ばれる程度の扱いだった。

 調理場で働く二人は元孤児院院長ポレーンの奴隷であった。

 奴隷に支払われる賃金はまず主人に渡され、後は主人次第という取り決めがある。

 その権利が、死んだポレーンの腰巾着の料理長モーヴに贈与されていた。

 彼らはポレーンが死んだ後も名前を奪われたまま、料理長の支配下に置かれ、文句も言えないまま、最低賃金で労働を強制されていた。

「自分が自由になる為に、ネレを売ろうとしたのではないのか?」

「・・・でも、実際のネレの情報は・・・()()()()()()()売っていません!」

「ネレの特性をつぶさに調べ上げて、ネレ自身を売り飛ばせば儲かると思うぞ?」

「・・・・・・正直、考えた事はあります」

「“マナシの天才児”と、噂だけがひとり歩きしているが・・・正確な情報を欲しがる人間は多いはずだ。何故売らなかった? ネレは自らを護り戦う為の“才”を持たないからな・・・」

 彼は(あえ)いだ顔で唇を震わせながら、額の冷や汗を手で拭った

「ネレが・・・女の子だったから・・・」

「・・・実に不思議だ・・・性別が理由でネレを救ったとでも?」

「シャドンだって・・・そうしたでしょう」

 彼はシャドンに視線を移す。

 淹れたての紅茶を二人の前に運んできたシャドンが、ひと呼吸おいてから口を開いた。

「――――ああ、そうですね・・・売られた先で役に立たなければ、男なら肉体労働ができるけれど、女ならば・・・と、思うと、何故か庇いたくなります。庇護欲・・・とでも言うのですか?」

 たとえ奴隷に落とされていなくても“マナシ”は()()()()()()()()()()にされる可能性が高い。

「“マナシ”というだけで、行く末は悲惨な死だ。人間ではなく、家畜扱い同然だ」

 トレフルは結論だけを言い放ち、もう一枚の契約書を差し出す。

「ありがたく思え、お前の名前はネレが買い戻した」

 彼がその契約書を眼にし、体を震わせながらかすれた嗚咽を出した。

 赤い双眸はうっすらと水を含み始め、奥歯を食いしばる。

「くそっ! なんで、もう・・・なんでだよ!!」

「ネレが次に何をしでかすか心配でたまらん・・・まったく予測がつかないのだ。だから・・・早くサインをしろルードヴィッヒ!」

 トレフルがサインを急かす。

「お、俺の名前って・・・随分、ご立派だったんだな・・・」

 泣きながら、ルードヴィッヒは手にしたペンにインクを浸す。

 ずっと奪われていた自分の名前・・・その紙を前にして手は勝手に動いていた。

 契約書は熱を感じない白い炎に包まれ灰になり、ルードヴィッヒの身体に吸い込まれていく。

「あ・・・言いにくいから略して“ルイード”でいい?」

「うん・・・シャドン・・・そう呼んでくれ」

「あ、ルイード、ちなみにそれの対価は、料理長に濃厚ババロアのレシピを譲ったヤツだよ」

「え? 俺、あのデザートに人生救われたの?」

 ルイードはトレフルとシャドンの間を、行ったり来たり視線を泳がせた。

「そう言う事だ、“ババロアのルイード”?」

 トレフルは目尻のしわを指でかばうようにして笑う。

「もう奴隷じゃないんなら、ババロアでもゼリーでもなんでもいい!」

 トントン、と、トレフルはもう一枚の契約書を指差した。

「忘れるな、本命はこっちのサインだ」

「え・・・でも・・・」


「でも、これはおかしいっス! なんで秘密の責任の所在がネレさんにかかるんスか? 責任が重くないスか?」

 くるりん茶髪の前髪から、黄緑色の猫目の調理師その1・・・(もとい)、“ナトン”がトレフルを見つめた。

「だ~か~ら~! おまえら契約書をちゃんと読めぇっ!」

 トレフルは繰り返さなければならない説明に、少々苛立ちを感じていた。

「トレフル様・・・言葉使いが・・・荒れてます」

 シャドンが一言、片目を瞑りながらトレフルに声をかけた。

「ここの調理師達と話していると調子が狂う・・・」

 何故かネレと話していると、一度言えばすんなり会話が進むのだが、シャドンを除く調理師とはスムーズに会話が進まなかった。

「・・・あ~だからな? ネレは()()()()()()()()()、お前達は()()()()()()()にネレの情報を売り渡そうした罪を・・・今後10年間、互いに秘密を守る魔術契約をネレ自身が望んだんだ・・・て言えばわかるか? もちろんそれはあの料理長からネレを護るという事にもつながるんだ」

「おう! 承知しました! 自分、ネレさんを護ればいいんスね?」

「お~い、本当にわかっているのか?」

「トレフル様・・・ナトンには後で俺がかみ砕いて説明しておきますから、それ以上言ってもそいつは()()()()()()()だけです」

「た・・・頼むぞ! シャドン!」


 ニジェルは契約書を睨みながら、こめかみに青筋を立てていた。

「あの・・・俺が言うのもなんなのですけど、副長、スゴむの止めて下さいよ。トレフル様は水道の件で疲労が半端ないんですから」

「わかった、後でトレフル様には“愛情の才”をくれてやる」

「おい、態度でかいなニジェル」

 開き直ったニジェルの威圧は半端がなかった。

 それだけ魔力量の多いトレフルと対等の能力を所有しているからだ。

「つまり、ネレは・・・あいつらが自分を売ろうとしていた事も、奴隷として名前を取り上げられていた事も知っていたと?」

「語弊がある、売ると言っても情報だ。実際は金銭のやり取りはなかったし、中身はうわさ程度で真実味はない。シャドンは料理長とネレのスケジュール調整をして接触は避けていたし、あの二人は水道の件は知らない上、ネレの重要性なんぞ理解していない」

「・・・・・・で? 二人に接触してきたヤツとか分かっているんですか?」

「分からん・・・うわさ好きの給仕の人間がここに何人いると思っている」

「ネレは面白いからな、うわさになっても仕方がない」

「ネレの秘密を護らせる為に、その“愛情の才”をあの二人にワザと教えたな? 自分の“才”の情報の方が高額で売れるからと、両方高値で売れると判断したらどうするんだ」

「大丈夫ですよ」

「なに・・・」

「あいつら、バカですから」

 ニジェルは小さく溜め息をつき、瞼を閉じた。

 自分が食事当番の時は、トレフルの食事にひっそりと“愛情の才”を加えていたのだ。

 しかし、“鑑定の才”を持つトレフルにはしっかりとバレていたという事だ。

「どうせあの二人の事も護りたかったのだろうが、そうやって庇い合って自滅するつもりか? ネレのように私に頼れ、もしくは交渉しろ、お前にはその交渉材料があるだろう。“戦場の料理人”はこの国でお前ひとりだ、それを誇りに思え!」

 閉じていた瞼を薄っすらと開け、ニジェルは契約書にサインをした。


 ニジェルは過去の度重なる降格処分を、トレフルに兵舎食堂勤務に留めて貰った借りがあった。

 “戦場の料理人”それは、時には戦争の勝敗さえも左右する任務だった。

 戦士達の生死を左右する料理を作り、戦場で材料を調達する術を持ち、時には敵をも切り倒す。

 そして時には・・・心を鬼にして仲間を食らう覚悟をさせるプロだ。

 戦場で彼に逆らう者はいない、彼の行為一つが生死にかかわるからだ。

 “戦場の料理人”が敵国に買収されれば、軍は壊滅する。

 戦時には国王さえも彼の機嫌を取る為に必死になっていた。

 そのおごりがニジェルを堕落させてしまったのだ――――。



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