第10話 【光を欺き、雪に隠れるが如く】 その2
秘密のティールームに、はっきりとしたノックが響いた。
「シャドンです。トレフル様、お飲み物をお持ちしました」
「そなた一人だな?」
「はい」
「よし、入れ」
シャドンは扉を開いた・・・が、両手は茶器を乗せたトレイで塞がれていた。
「え・・・?」
ネレはシャドンの手を凝視するが、何も見えない。
扉は彼の後ろで静かに閉じられた。
シャドンは手慣れた手つきで、先ずはトレフルに紅茶を淹れ、ネレに葡萄ジュースとグラスに入った水を出した。
すっと、小皿に乗った砂糖菓子を二人に一皿ずつ飲み物の横に足した。
「不思議そうだな? ネレ」
「え~と、そこの扉は自動式ですか?」
「ほう! そんな知識まであるのか・・・だがそうではない、シャドンは“見えぬ手”を持っているのだ。秘密だがな」
シャドンは目頭を軽く抑える仕草をした。
「トレフル様、ぜんぜん秘密じゃなくなってますけど?」
トレフルはティーカップにゆっくりと口をつけ、紅茶を口に含んだ。
「ネレ、遠慮なく飲むがいい」
「はい、いただきます。この砂糖菓子? みたいなの食べてもいいですか」
ネレは貴族に失礼があってはならないと思い、砂糖菓子を食べる許可を求めた。
「どうぞ、ネレちゃん」
シャドンが優しく笑顔で答える。
「・・・・・・・・・」
ネレは上目遣いで、黙ってトレフルを見詰めた。
紅茶を啜りながら、チロリと彼は薄目でネレを見返す。
「なんだ、引っかからなったか、つまらん」
クスクスとシャドンが肩を揺らしながら笑う。
「そりゃ・・・この場で一番目上の方はトレフル様ですから」
トレフルは紅茶をソーサーに戻し、テーブルに置いた。
「食べていいぞ」
「はい!」
パクリ、とネレは砂糖菓子を口に入れた。
焦がした小麦と砂糖の強い甘味、覚悟はしていたが・・・ネレは水を慌てて口にした。
――――う~ん、これは落雁っぽいかな?
「そっか・・・キャンディーだと包み紙の単価が・・・」
「うん?」
首を傾げたトレフルが声を出した。
「あ・・・いえ、なんでもないです」
――――これなら、確かに大量に作って個々に子供達に渡せるな・・・
「シャドン、ネレに“才”はなかった」
「ええっ!? なんで?」
ほぼ、オーバーリアクションでシャドンはのけ反って見せた。
「あの~、さっきからありえないとか、すごい言われようなんですけど? ボクって・・・やっぱりおかしいですかね?」
トレフルとシャドンは、二人同時にネレに答えた。
『絶対おかしいだろ!?』
「・・・そうですか、自重します」
「いや、待て! まだ自重するな」
トレフルが掌をネレの前に広げた。
わかりやすい“待った”のポーズだ。
「はあ・・・」
「シャドン、下がっていいぞ」
「承知しました。ご用命の際には呼び鈴を鳴らして下さい、失礼いたします」
シャドンは深く頭を垂れ、退出した。
トレフルは相変わらず“待った”のポーズを決めていた・・・そのまま反対の手でネレの描いた井戸水を直接水瓶に運ぶ図面を出し、一瞬だけほぼ前ならえの体勢となった。
「・・・で、コレの説明をしてもらおうか?」
不気味な笑みを浮かべるトレフルにドン引きするネレであった。
ネレの目の前に図面を置き、トレフルは再び紅茶を啜り、ネレは口を“い”の字に開き、長めの溜め息をこぼした。
大人用の椅子なので、ネレの顔はテーブルの上にスレスレに出ていた。
「・・・・・・・・・」
「だんまりか? 今更・・・」
「いえ・・・ボクの話を大人がちゃんと聞いてくれるのか、ちょっと不安なんです」
ネレが一生懸命トレフルと視線を合わせようとするが、椅子の高さが不安定で瞳が琥珀になったり翡翠になったり不思議な虹彩を放っている。
トレフルが再び真鍮の呼び鈴を鳴らし、先程より反応の早いノックが聞こえた。
「トレフル様、シャドンです」
「入れ」
扉がシャドンの“第三の手”で開き、両手で子供用の椅子を抱えたシャドンが現れた。
その様子を視界に入れたトレフルは呼び鈴をテーブルに置く暇がなかった。
「早いな・・・まだ何も頼んでないが?」
「ご入り用かと思いまして」
澄ました笑顔でシャドンは答えた。
ネレの頭の中で“ただ今、気になる人ランキング!”が構築された。
しかし“シャドン”は今のところ二位で、一位は“ウェレメス”になっていた。
彼は軽々とネレを子供用の椅子に乗せ換え、布袋も背もたれにスマートに引っかけた。
「トレフル様、こちらの椅子はこの部屋の常備品扱いといたしますね・・・他にご入り用はございますか?」
「ない、ちょうどネレの為の椅子かクッションを頼もうと思っていたところだった。感謝する」
「恐れいります。それではこれにて失礼します」
ささっと、シャドンは一礼して素早く退出する。
扉の向こう側で「シャドン! 食料庫にトマトあったか~?」というニジェルの声が聞こえた。
カツン、と呼び鈴はテーブルに置かれた。
扉をまじまじと見つめていたネレがトレフルに向き直した。
「すみません・・・シャドンさんって・・・」
「あ、いや、珍しい才の持ち主なので私が採用したのだが・・・」
「聞いても?」
「・・・私の分かる限りでは炎系の魔力の持ち主で、料理・器用・第三の手の才の持ち主だな? ごくごく普通の平民の出身だ」
――――スーパー器用貧乏、もしくは“おかん体質”なのかな?
なんとなく自分と同じ匂いをシャドンに感じたネレであった・・・。
ネレは目の前の葡萄ジュースを一気に飲み干し、ことん、と飲み終えたコップをテーブルに戻す。
「さて、話を戻そうか・・・まあ、本来ならそなたのような子供の話など取り合わないのだが・・・何せコレを見せられてはぐうの音も出んな」
トレフルは指先で図面をコツコツと突いた。
小さな溜め息を吐きながら、ネレは砂糖菓子を口にし、水のグラスを何度も口に運んだ。
「ふうん・・・つまり、“明解な細部に渡る説明をボクに依頼する”・・・と受け止めてよろしいですか?」
トレフルは顔の前で両手を組み、顎を乗せた。
「そういう事だ」
ネレの眼が金色に一瞬光った。
「そのご依頼、承りますが・・・作業にはあと十日ほど欲しいです」
「十日? なぜ・・・」
「だって、誰にでもわかるような“資料”が必要になるでしょう?」
「むむっ!?」
「トレフル様以外の人に解るように書面を作成した方が良いのですよね?」
「うぬぬ! 痛いところをつくな・・・」
彼の表情が段々と青ざめていった。
自分の残業が嫌でも増えるのが想像できたようだ。
「その資料をボクが作成すれば良いんですよね?」
「はっ・・・! そなたのような幼い子供が何を・・・」
「じゃ、作成しなくていいんですね? そのメモ書きで解る程度の説明でいいんですね? だったら報酬はこの砂糖菓子で充分・・・」
「ちょ、ちょっと待ったぁーーーっ!」
彼の顔はテーブルに向けつつ、右手の掌はネレに向かって開かれている。
「はい、なんでしょう?」
まるで謝っているかのように下げていた頭を上げ、眼の端に涙を浮かべながら“期待と羨望の眼差し”をネレに向ける。
ネレはすっとぼけた笑顔をトレフルに向けた。
「できるのか?」
「う~ん、まあ“時間・場所・道具”を与えて下されば、ですが・・・?」
その三つは、仕事を行う最低条件である。
“時間”がなければ何もできない。
“場所”がなければ作業ができない。
“道具”がなければ作業が進まない。
「いやぁ~、参った! 降参だ! 何が必要なんだ?」
トレフルが投げやりに両手を一度上げ、テーブルの上に掌を着いた。
「確認なんですけど」
「なんだ?」
「この時間の出来事は秘匿なんですよね?」
「そうだ」
ネレは納得し、頷いた。
椅子の背にかかっている布袋を手元に引き寄せ、紙を二枚取り出しトレフルに差し出した。
「なんだ? ・・・ちょっ! コレ、契約書か!」
「ただの確認の為の“稟議書”ですよ~、ちゃんと同じ写しで作ってありますから~!」
「お・・・恐ろしい子!」
「じゃ、読み上げますね」
[井戸水の新運搬案についての稟議書]
・井戸水の新運搬案、および工事案についての書類作成については十日以上の猶予を与える
・書類作成について必要な道具は無料にて支給する
・書類作成について適した場所を提供する
・書類作成についての作業時間は昼食後から夕食前とする
・また、夕食の無料提供と兵舎公共施設の使用を許可する
「どうでしょうか?」
「ネレ・・・そなたは一体何者なのだ?」
「それは捨て子のボクが聞きたいぐらいですよ・・・。 でも、きっと十年経ったら凡人です。今はただ、他の子供より物事を理解するのが早いだけですから」
トレフルは納得がいかない表情を浮かべた。
「十日以上・・・かかりそうか? 午前の活動は無理か?」
「いや、ボク午前中は孤児院のお手伝いがあって都合がつかないんですよう」
「どんな事を孤児院でしているのだ?」
「ボク以外の幼児のオネショの処理と、食事の世話ですね。午前中は戦争ですよ~。午後はお昼寝があるので何とか抜け出せるので」
「・・・ネレは確か、孤児院で一番年下の四歳児のはずでは?」
「そうですよ? それが何か?」
二枚の書類に日付と署名をトレフルに促しながら、ネレは首を傾げて見せた。
「大いに何かが間違っていると思うぞ?」
トレフルは眉間に皺を寄せながら、稟議書にペンを走らせた。
「ネレ・・・すまんな」
「何がです?」
「賃金が支払えるのは、五歳の使用期間が過ぎて六歳になってからなのだ・・・」
ネレは手渡された稟議書二枚に、受け取ったペンで自分の署名を一番右下に記し、一枚をトレフルに戻した。
「あ、そこは現物支給でお願いします」
秘密のティールームにて、ふたりは細かい取り決めを打ち合わせていた。
「トレフル様、“神判の才”ではどのように人は見えるものなのですか?」
「ふむ・・・本来ならば、魔力の属性は大体色で見えてくるな」
「炎ならば赤とか?」
「そんな感じだな、あと、才などはその者のすぐ後ろに何かを強くイメージする道具や景色などが浮かぶんだが・・・」
「ボクにはやっぱり何も見えなかったんですね・・・」
ネレは寂しそうに項垂れた。
「う~ん、なんと言うか・・・そなたの身体からは真っ白なオーラが出ていたな、本当に何もない凡人ならば透き通ってそのまま後ろの景色が見えるものなんだが」
「え?」
ネレは疑問を抱きながら、トレフルの顔を見た。
「光の属性の揺らめく眩しい金色のオーラなどではなく・・・こう、雪景色で真っ白で何も見えない? という感じだった」
「なんですか? それは」
「私にもわからん。だから、本当に見たことがないのだ・・・あんな現象は・・・」
彼の言葉に、ネレは一つの言葉が浮かんだ。
「ホワイトアウト・・・ですか?」
「なんだそれは?」
「その・・・吹雪が凄すぎて、視界を失うことをホワイトアウトと言うそうです」
「なるほど、では私の“神判の才”では何かに視界が邪魔されて見えないだけで、違う属性の才の持ち主ならば見えるかもしれんな・・・」
「えええっ!? そんな事あるんですか?」
「その手の記録はないのだが・・・可能性はゼロではないぞ?」
「え! じゃあ――――」
その者の名を声に出そうとした自分の口を思わず押えた。
――――ジャンさんなら・・・でも、もしも・・・
「ん? 心当たりでもあるのか?」
「あ、いえ、この城内で“神判の才”を持っている方は他にもいるのですか?」
「う~ん、私の場合は水の属性と算術の才で出来上がっている“神判の才”だからな、この城内で確実にできるとしたら、光の属性と算術の才を持っている上司のジェラニオ様ぐらいだな」
「じょ・・・上司?」
「うん、宰相補佐官で公爵家のジェラニオ様だ・・・て、知らないよな、ネレは」
「こ・・・公爵ぅ!? え、それって?」
「王家の分家の公爵家だ」
「ちなみにその、失礼でなければ・・・」
「あ、私は功績が認められてとりあえず男爵家だね、実家は領地がひとつしかないから、三男の私は継げなかったし、城で仕事もらって何とか貴族やってる感じだねえ」
「そ・・・そんな諸事情があるんですね・・・なんかすみません」
――――うん、ジャンさんの件は言わなくて正解だった。大恥かくとこだったな!
しかし、ネレには頭の端で疑問が残っていた。
「あのう・・・もしも、平民が“神判の才”を持っていたらどうなります?」
しゃべりながらも器用にペンを走らせていたトレフルの手が止まった。
「なん・・・だって?」
「例えばですよ、ちょと好奇心で」
「平民がそこまで“才”を高めることができるなら、その者はネレ・・・そなたと同じ“異種”だぞ?」
「なんですとぅっ! ってゆーかボクって“異種”決定ですか!?」
「ああ、だから消されない為にもその才能は必要最低限、私の為に使ってくれ」
「けっ・・・消されるんですか!?」
「そうだ、前例のない国を揺るがす“才”の持ち主は歴史の闇に消されるものだ」
「ボクに関しては色々となかった事にしておいてください! 長生きしたいんで!」
「・・・そうだな、今後の対策も考えておこう」
トレフルは再び紙にペンを走らせた。
こんばんは、もりしたです。
さて、ネレは四歳児です。読んだ方はネレの体力について疑問をお持ちになったでしょうか?
三歳児、四歳児の野生の体力は実はすごいんです。何せ、大人と違って理性のストッパーがあまり働きません。なぜ解るかって? そりゃあ・・・もりしたがそうだったからです。
私は三歳児の時、大好きな祖母が旅行に行ってしまって、幼稚園のスモックを着たまま祖母を捜しに家出をしました・・・なにせ、ちまちましか歩行距離稼げないもので、約10キロの道のりを7時間かけて歩き続けました。夜の10時に幼稚園児がちまちま凛々しく真っ直ぐ歩いていく様を見て、周りの大人たちは不気味がって声をかけてきませんでした。
そして、お巡りさんに捕獲されました・・・。
三歳児ってトイレも自分でできるし、喉が渇けば公園で水飲めるし・・・どこのルートを歩いたかしっかり覚えてます。
恐るべし、幼児の潜在能力!
それでは、次回更新は6/17を予定しておりま~す。
お休みなさい。




