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第10話 【光を欺き、雪に隠れるが如く】 その3

 兵舎共同浴場の壁は白かった。

 ネレは初めての兵舎浴場に入り、頭にタオルを乗せて、ゆったりたっぷりの湯につかる。

「はあ~、極楽極楽・・・」

 孤児院ではこうはいかない。

 浴槽のお湯はいつも少なめ、子供達が走ったり、転んで怪我をしないか、落ち着かないのが常だ。

 今は女湯の時間だが、見知らぬ下働きの女性が二人しか入浴していなかったので、入浴方法はその女性達に教えてもらった。

 この浴場はさすがに水道を通しているとの事だが、維持費も馬鹿にならないそうだ。

 こちらの世界はどうやら個人の“才”をあてにし過ぎて、“人材教育”という部分が蔑ろにされていた。

 つまり、特殊な“才”に恵まれた人間に仕事が爆発的に偏り、賃金格差が大きいのだ。

 ――――魔力とか才とか言ってるけど、もういっその事ボイラー技師育てちゃわない?

 掃除の行き届いた浴室の白い壁をぼんやりと眺めた。

 貴族院での共同浴場は個室サイズで、予約制が主流らしく、更に無料だという。

 ちなみに騎士寮では二部屋で風呂場が一つ共有となっている造りだ。

 そして、部屋への異性の連れ込みは原則禁止だが・・・守られた試しがないと、トレフルが嘆いていた。

 街中の共同浴場は大銅貨3枚(約300円) 、この兵舎浴場では1枚で入れる仕組みだ。

 ネレは賃金が出ないので特別にフリーパスをトレフルに発行して貰う事が約束された。

 本日は自腹だが、四歳児に単独で使用許可が出たのは最年少記録である。

 湯の中に鼻から下を沈め、ブクブクしながら一人反省会をした。

 今は、どうしても近代日本の知識がネレの口調を強くしてしまう。

 「我ながらすごく生意気!」だとは気が付いてはいた・・・こんな子供は大人からすればさぞ腹が立つだろうとも考えた。

 ――――だめだ・・・やっぱりしゃべり過ぎちゃう・・・自重しなきゃ

 ネレは再び浴場の白い壁を見つめる。

「やっぱ、いるでしょう? 富士山!」

 前世は銭湯大好きっ子だったネレは、思わずニヤける。

「あ、街の共同浴場にも行ってみたいなぁ・・・」

 湿気の多い浴場に、桶がぶつかる小気味よい音が響いた。


 ネレが上機嫌で兵舎食堂の厨房の扉をくぐった途端、頭上を肌色の物体がかすった。

 ビチャッ――――。

 シャドンがその物体を銀色のボールで受け止め、ネレは目を丸くしながらその場に立ち尽くした。

「ふっざけんなっ! 野菜の次は肉かよ!?」

「ちょっと、二ジェル副長! 食材に当たんないで下さいよっ!」

 珍しくシャドンもキレ気味であった。

「え~と、なにごと?」

 調理師その1とその2が、即座にネレを捕獲し、厨房の奥へと避難させた。

「ネレさん無事っスか?」

「あ、いや・・・ボクは大丈夫だけど」

「実は・・・」

 調理師その1とその2が、ネレに現在の状況説明をしてくれた。

 たまに、形の悪い野菜が届き調理に時間がかかる事があったが、カプシーヌのピューラーで何とか作業はスケジュール通りにこなしていた。

 だが、ここ最近はそのような事が頻繁に起こり始めた。

 しかも、料理長が非番でニジェルが責任者代行の日に限ってである。

 今回はそれが鶏肉であった。

 ネレはそれを聞いて険しい表情になった。

「・・・鶏肉の鮮度に問題は?」

「ないっス! オイラ達は“料理の才”があるから、そこら辺は抜かりないっス」

「で? 問題の鶏肉の状態はどんなですか?」

「実は・・・痩せた鶏ばかりで、とりあえずもも肉を中心に先に切り取って昼食はシチューにしたんだけどさ・・・」

「ふむ? ようするに現在の課題は?」

「パサパサのむね肉・ささ身・手羽先をどう料理するかで揉めてるっス!」

「・・・・・・・・・」

 ネレの背中は嫌な汗を感じた。

 ――――え~と、調理師って・・・卵焼きに砂糖を入れるかどうかで、喧嘩して店を辞めちゃう人いるんだよねぇ・・・そこはプライドか! プライドの問題なのか!?

 ニジェルとシャドンの攻防は続いていた。

「だいたいさ、ニジェル副長がマヨネーズの研究に没頭しすぎて作りすぎたのも、如何なものかと思いますけど?」

「そ、それ今、言うかっ!?」

 ――――あんだって?

 ネレは耳を疑った。

「いったい何種類作ったんですか!?」

「ううう・・・」

 調理師二名がネレと視線を合わせて、キッチンテーブルを無言で指さした。

 そこには、七種類ほどのマヨネーズの盛られた皿が並んでいた。

 ネレは茶髪の調理師その1にスプーンをそっと渡された。

 ネレ専用の脚立も準備済みであった・・・。

 ふたりが言い争ってるうちに、皿のマヨーネーズを順に味見をした。

「全部よくできてる・・・酢や塩・胡椒のバランスもいい・・・けれど・・・」

『けれど!?』

 調理師四人が勢い良く首を動かし、ネレに一斉に注目した。

「トウガラシの粉末はありますか?」

「ここにあるぜっ!」

 黒髪の調理師その2が素早く小瓶を手にした。

「じゃあ、この皿の一つに小さじ1入れて混ぜてみて」

「了解っス!」

 調理師その1が、新しいスプーンでササっと混ぜ、ネレがそれを味見する。

「うん、こんなもんかな?」

 調理師四人が一斉にポケットから出したマイスプーンで味見をした。

 ――――あるんだ、各自のマイスプーン?

「マイルドさと、ピリリとした刺激がクセになるっス!」

「これは・・・まさに大人の味!」

「な、なんてこったい!?」

 ニジェルが床に膝を着き、シャドンが目を見開く。

 何故か全員スプーンを口に加えたまま静止していた。

「ボクの気のせいかな? なんかニジェルさんの味付けって上品過ぎるんだよね・・・でも、それって、本当にニジェルさんの味なのかな?」

「なんだとっ!」

 虚を突かれたニジェルが口からスプーンを落とし、静かに立ち上がった。

 背の高いニジェルが目の前で仁王立ちをするとかなり迫力があった。

「ネレ・・・おまえには“特殊鑑定の才”があるのか?」

「なにそれ? ボク、魔力も才もないよ、マナシだよ?」

 ニジェルは両手で頭を抱えて叫んだ。

「嘘だーーーー! 誰か嘘だと言ってくれぇ!」

「ニジェル副長、うるさいッス!」

「近所迷惑だよオッサン!」

「副長ぉ・・・ネレちゃん本当に才がなくて、本人が一番悩んでると思うんですけど?」

 ニジェルへの部下の猛攻撃が始まった。


「んで・・・もしかしてさ、ネレちゃん?」

「はい?」

 シャドンは片目を瞑りながら自分の顎を撫でて思案していた。

「マヨネーズと痩せた鶏肉の解決方法、思い付いちゃった?」

 彼はニヤリと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 んんん? と、調理師達はネレの事を期待を込めて見つめはじめた。

 ネレはトレフルの言葉を思い出し、たじろいだ。

「あ・・・あの、トレフル様にあんまり暴走するなって言われてて・・・」

「あるんだね?」

 シャドンの笑顔が、追及するような冷たい眼をした笑顔に変化した。

 ――――ボクは四歳児、ボクは四歳児、ボクは四歳児・・・

「ネ・・・ネレさん!」

「なんかいい案があるのか?」

「ネレ~・・・」

「その・・・ボクみたいの気持ち悪くない? 嫌じゃない?」

『は?』

 調理師達が間の抜けた声をそろえた。


 ネレは自分を客観的に見て・・・「こんな子供がいたら嫌だ」と、考える。

 本ばかり読む、大人びた頭の良すぎる不気味な子供・・・かと言って、子供のように常識を無視するような未熟さもない。

 そして、何故か空気も読む――――。


 ニジェルが眉間に皺を寄せて、唸り声を上げた。

「まあ、最初は口の減らないガキんちょだとは思ったけど、嫌とか気持ち悪いとかは無いな」

「なるほど、ネレちゃんは精神的に大人の部分があるからそういう事を悩むんだね」

「え~? 世の中にはまだ知られていない“才”が沢山あるっス! そんなのいちいち気にしないっス!」

「確かに素直すぎてムカつく時はあるかな、でも、それが“ネレ”だしなあ?」

 ネレは四人の言葉に少し涙ぐんだ。

「み、皆さんありがとうございます・・・」

「よし、じゃあ・・・」

 ぽすん、と、キッチンテーブルの向かい側からニジェルは長い腕を伸ばし、ネレの両肩をつかんだ。

「教えろ! 解決レシピを!」

「・・・・・・いや、それとこれとは違います」

 ネレの冷静な声がようやく静まった厨房に響いた。




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